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春に舞う、雪は 4 ~ ふたり ~
「おーいルフィ!こっちにまだ肉あんぞー!」
「ウソップー!こっちの肉もうんめェぞ!」
「お兄ちゃんたちぃ!もう私たち、お腹いっぱーい!」
「海賊がなんだ~!今日は飲むぞー!」「うおぉぉぉぉ!」
笑い声と歌声が、一緒くたになって空へと舞い上がる。
曇り空には雪がけぶり、晴れ晴れしい宴を真っ白に飾り立てる。
あちらこちらで肩を組み、酒を酌み交わす海賊と、海軍と、子どもたちと・・・
あらゆる垣根を飛び越えた光景には、はちきれんばかりの自由が華やいでいる。
灰色に凪いだ海を遠目に見ながら、風向きに任せて煙をふかす。
冷たい岩肌が、ほてった体に心地よい。
船から立ち上る賑やかな喧騒が、サンジの心をほっとほころばせた。
舞い散る雪を見上げる。
『嫌なら、忘れろ。』
そう言い残して立ち去る、あの後ろ姿を思い出す。
氷と炎に覆われたこの島から、またそれぞれの、旅が始まろうとしていた。
「よう、ずいぶんとご機嫌じゃねぇか、アホコック。」
ガラスの大瓶を小脇にかかえて、緑の頭がゆらゆらと大股で歩いてくる。どことなく嬉しげに緩んだ表情は、酒のせいだろうか。そのままどかりと、隣にあぐらをかいた。
料理の給仕はひととおり、すんでいた。船から少し離れた岩かげでの、ひとときの休息の時間。くつろぐ紫煙が風に流れていく。
「・・・おい飲みすぎんなよ、クソマリモ。」
「てめェじゃねぇんだ、これっぽちじゃどうともねェよ。」
「よく言うぜ、宴会の最後にゃいっつもぐうすか寝てんだろうが。」
「寝てんのはいつものこった。おらよ、酒持ってきたぞ。どうせまた、飲んでねェんだろう?」
「おりゃ仕事が残ってんの。飲ませてぇなら皿洗いでも手伝いやがれ。」
「手伝ってやらぁ、皿洗いくれェ。」
「・・・いいよ、余計な手間を増やすんじゃねぇよ。」
「あァ?てめ・・・。」
口では悪態をつきながら、和らいだ目元に肯定の雰囲気を漂わせる。マリモはそれを承諾と受け取り、自分の分とコックの分、ふたつの器に酒を注ぐ。そのでかい木の器を、サンジは片手にしっかりもらい受ける。
なみなみと膜を張る透明な液体が、甘い香りをさせてサンジを誘っている。なにげなく水面を覗き込むとそこには、いつものそれより随分と気の抜けた顔が映り込み、器を口元に運ぶ手が一瞬止まる。
「そんなに嬉しいか、アホコック。」
サンジの微妙な表情の変化に、マリモがふっと、言葉を挟む。
「あぁ。そうみてぇだな。」
「そうかよ。」
「・・・おれやっぱ、好きみてぇだわ、・・・ここでコックやんの。」
「なんだよ今さら。」
マリモはごくごくと喉を鳴らし、酒を胃の中へ流し込む。度数の高さなどお構いなしに、ひといきにケリをつけるのが信念だ、とでもいうような飲みっぷりだ。野獣め。いい加減見慣れたそれを横目に見つつ、サンジは、少しだけ水かさの減った自分の器をぼんやりと眺める。
「おれの作った料理で、誰かが笑顔になるのが、いいんだ。人の世話んなって生きてきて、今だってひとりじゃなんにもできねぇおれが、こうやって飯作らせてもらってよ、そんでそれを、うまそうに喰ってんじゃねぇかてめぇら。毎日毎日、飽きもせず。それ見てると、なんつぅか、」
煙と一緒に、小さく空気を吸い込む。
「・・・ここにいていいんだなぁって、・・・なァ。」
冷え切った海を遠目に臨みながら、片手に抱える木の器からぐいっと、酒を飲みこむ。
いつもより少し、饒舌になっているかもしれない。
船を囲んでいた陽気な風色が、一層明るく輝き出す。海賊どもの、豪傑さと儚さを歌ったあのメロディが、笑い声に混ざって海に溶けていく。
その歌声を聞くでもなく、海のざわめきに耳を寄せ、サンジはそっと目を閉じる。
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たなびく紫煙がゆるりと、風に揺らめく。
岩の上にゴトリと器を置く音が響き、隣の気配が動いたようだった。
何をしているのかと目を開けたのとほとんど同時に、いきなりわしわしと、金色の頭を掻き回される。サンジはぎょっとして、横のマリモを振り返った。緑アタマは顔をふいと背けて、呆れたようにため息をつく。
「てめぇはホント・・・どうしようもねぇバカだな。」
「んだよ人がせっかく、感傷に浸ってるってのに。」
「料理なんかどうでもいい、っつってんだよバカコック。」
聞き捨てならない発言に、サンジはたちまち気分を害する。
「あぁ?!てんめぇ人の二年間を、・・ッ」
「ん?・・・や、悪ぃ、言葉を間違えた。そうじゃねぇんだ。」
「はァ?なんだケンカ売ってんのかクソマリモ!」
「あー、いや、そうじゃなく、」
「おれの料理が喰えねぇってなら次から、」
「聞けって!!」
にわかに滲んだ迫力に、一瞬びくっと体がすくむ。
マリモはそんなサンジを見遣り、ひと呼吸の逡巡ののち、おずおずと次を続けた。
「だから、俺らは、あー、・・・その、てめぇがいるだけで、・・・いてくれるだけで、いいっつってんだよ。」
「は・・・?なに言って、」
反射的に罵りの言葉を口にしようと勢い込んだ刹那、心なしか薄紅色に染まるマリモの頬をみとめて、言葉を飲み込んだ。
『後ろ姿』を、また、思い出す。
舞い上がる雪とともに、煙がたなびく。
あの日も、雪が降っていた。
「・・・てめぇの飯は、間違いなく、うめェ。」
剣士は手元の器を高く掲げ、喉元を広げて大口で酒を煽ろうとする。そこからは、雫がぽとりと舌の上に落ちただけだった。
「ただでさえ美味かったってのに、ニ年でまた、腕あげやがって。ここんとこ体だって、すこぶる調子いい。・・・だけどよ。俺らは別に、・・・てめぇが飯を作るから、一緒にいるんじゃねェ。」
予想外の展開に話の筋が飲み込めず、釈然としない視線を投げかける。
「・・・てめぇはいっつもそうだ。みんなが美味そうに飯喰ってんのを、ヘラヘラしながら見守って、自分はちっとも喰いやしねぇ。朝飯だって昼飯だって、テーブルついて喰ったことあんのかよ。何の呪縛か知らねぇが、てめぇはもっと、・・・てめェが幸せになることを考えろ。」
「・・・は、何言って・・、おれは、そんなこ、」
「誰かの!・・・役に立ってねぇと生きられねぇだなんて、甘ったれたこと言ってんじゃねェっつってんだよ。生きることに、変な罪悪感を抱くんじゃねぇ。てめぇは・・・ここにいて、ただ生きてろ。それで十分だ。」
ふいをつかれて、胸がつまった。
仏頂面でとつとつと言葉を紡ぐ剣士が、らしくもなくやたらと切羽詰って見え、その様子に心臓が切なく脈打つ。
薄く開いたサンジの口元から、途切れ途切れに息が漏れる。
思ってもみなかった言葉に、声を失う。
胸の中で、何度も噛み殺してきた想いだった。
『ありのままで、生きていてはいけない。』
隠してきた想いが、堰を切って溢れ出しそうになる。
なんでマリモごときに、おれ、・・・理解されて、こんなに、心が揺れ・・・
「少なくとも、俺は、」
顔をあげた剣士はサンジの方に向き直り、大きく硬い両の手で、金になびく前髪をそっとかき分けた。
野獣のような剣使いからは想像もできない、あまりに優しい指先の振る舞いに、心臓がトクンといちど、大きく鼓動をうつ。
まっすぐ向けられた眼差しから、視線がそらせない。
「・・・一緒にいたい。サンジ。」
暖かい温度がふわりと重なる。
短く吐き出される吐息が、白く宙に残る。あぁここは、寒かったんだなと思い出す。
自分を抱きしめる、自分よりひとまわり大きな体が、すべてを柔らかく包みこんで、あたたかい。
頬を伝い落ちる涙が、剣士の左肩をゆっくりと濡らす。
「てめ・・・なん、だよ、・・マリモのくせに、偉そうに・・・。」
「・・・悪ぃ。」
「なんべんおれを泣かせりゃ、・・・気が済むんだ。」
「そうだな。」
「どんな優しいレディの前でだって、おれはな、涙を見せねぇって、決めてんだ。」
「うん。」
「甘えてもらうのはこっちの仕事だ。」
「・・・あぁ。」
「泣いてるところなんて、・・・誰にも見られたくねぇんだよ。」
「うん。」
「涙だけじゃねぇ。楽しい時も、嬉しい時も、・・・俺はどっかでいつも、“ありのまま”を隠すため、・・・いや、自分でそれに気づかないため・・・、感情から一歩ひいて、生きてきた。」
「・・・ん。」
「なのに、あいつらと来たら・・・。」
夏の太陽のような笑顔が、次々と目の前に、浮かんでは消える。
「何でもねぇみたいに、あっけらかんとまっすぐ笑って、生きていることそのものを、心から楽しんでるみてぇに。辛くねぇわけがねぇんだ、あいつらだって、それぞれいろいろ背負ってる。なのに、真正面からぶつかって、気持ちまるごと全部感じて・・・」
羨ましいんじゃない。妬んでるのとも違う。
ただ俺は、あんなに素直には、・・・幸せを、感じられなかった。
「怖ぇんだ。」
剣士が静かに、耳を傾けているのがわかる。頬に触れている首筋が、酔いだけではない熱を放っている。
あったけぇ。この匂い、この体温、・・・もっと近くに、感じたい。
「俺は、感情が揺れることも、・・・誰かの前でそれが崩れることも。怖ぇんだよ。気を抜くと・・・“ありのまま”の、弱ぇ自分が、顔を出す気がすんだ。俺は、自分を・・・、弱ぇ自分を、許せねぇ。」
「・・・サンジ、」
剣士の無骨な掌が、抱きしめた金色の頭を、愛おしそうにゆっくりとなぜる。その気持ちよさに、サンジは子猫のように目を細める。
大切なものを扱うように、そうっと肩に手が乗せられ、互いの体がゆっくりと離れる。剣士はじっと目の前の瞳を見つめながら、額にばらばらとかかる金糸を左の耳にかけ、その白い額に、優しく、口付けを堕とす。
「知ってる。」
「・・・っ!」
驚きに大きく見開かれた瞳のなかに、わずかにうるんだ片目がうつしだされる。
紅色の唇は静かに近づき、ふたつの影が、そっと、ひとつに重なる。
「・・・嫌か?」
「・・・ヤ、じゃねぇ。」
弱々しく伏せた睫毛に、躊躇うように、唇が触れる。
黒く光る目が、何かを探るように視線を寄せる。
その瞳のなかに、金色に揺らめく微かな羞恥を映すと、もう一度ゆっくり、唇を重ね合わせた。
今度はさっきよりも、ずっと深く。
「バカコック、俺が気づいてないわけ、ねぇだろう。」
「なん・・・アホマリモのくせ、に、っんァ・・・」
「見てりゃわかんだよ。単細胞の分際で気ぃなんか張りやがって。っ・・・痛々しくってみてらんね、」
「うるせ、も、しゃべんな、・・・・・っんん、・・ん・・・っはぁ・・・」
「・・・っ、サンジ・・・ッてめ、・・・そんなカオしてんな、バカ・・・止まれ、ねぇよ・・・」
余裕を失いかけた声色に、ぞくりと体が反応する。
サンジのその息遣いを無言で確認した剣士は、さらに深く舌を絡ませながら、冷たい岩場にじわじわと体を押し倒す。
熱い体は重なり合い、地面の雪を溶かしていく。
剣士のゴツゴツとした指先が、まるで輪郭を確かめるように、不器用に躰をなぞる。その熱のこもった優しい触れ方と、奥の方から匂い立つ激しい欲情に、押し殺した吐息が漏れる。悦楽の箇所を探り当てられては、そのたびびくんと躰が跳ねる。耳元でチリリと、ピアスのこすれる音がする。混ざり合う、汗の臭い。
うちよせる快楽と愛おしさが全身を駆け巡り、覆いかぶさる大剣豪の背中を、堪らずぎゅうと抱きしめる。
「んんっ、・・・、あッ・・・ゾロ・・・ッ!」
と、ふいにぴたりと、剣士の動きが止んだ。
突然のできごとに、呆然と見つめ返すサンジの耳元に、意地悪な響きが、こだまする。
「・・・やっと呼んだな、俺の名前。」
一瞬の間を置いて、耳朶まで真っ赤に染まったサンジの、右足が美しく宙を舞った。
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マリモは今しがた本気で蹴り飛ばされた腹を押さえて、けらけらと嬉しそうに笑っている。
立ち上がって、よれたシャツのボタンを留め直していたサンジは、その姿にまたカチンときて、勢いよく怒声を浴びせかける。
「いつまでもへらへら笑ってんじゃねぇ!」
倒れこんでいる剣士を憎々しげに上から見下ろし、さっさと船へ歩き始める。
背後では、マリモがまだ、腹を抱えて笑っている。
「・・・名前くらい、この先クソ飽きるほど呼んでやる!そのケツ洗って覚悟しとけ!エロマリモ!!」
「おい!」
そんなサンジの背中に、いつになく愉しげな剣士の声が、優しく響く。
「勘違いすんなよ!てめェが泣いていいのは、俺の前だけだ!!サンジ!」
軽やかに言い放たれた声が、鼓膜を震わす。
サンジははっと立ち止まり、剣士に見えないよう、前を向いたまま、口角をあげる。
ひらひらと後ろ手に手を振って、煙をなびかせ歩いていく。
船上からは相も変わらず、どんちゃんという賑やかな歓声が響き渡る。
空から降り注ぐ無数の粉雪は、まるで門出を祝福するかのように、船を白く染めている。
サンジは腕まくりをして、小さく気合を入れ直す。
あの船で待っているのは。
笑顔と、歌声と、賑やかな、――・・・すべてが許されている、おれの、大好きな・・・
「あ、おいサンジ、これ、お前のだろ?」
ウソップが、サンジを呼び止めた。
船はさきほど、転覆の危機をまぬがれたばかりで、甲板には大きな波が引いた痕跡と、折れた木片の残骸が転がっている。船員たちはそれぞれびしょ濡れで、安堵の声をもらしながら、各々の居場所に戻っていく。
「拾ったの、パンクハザード入るより、前なんだけど。廊下に落っこちてたんだ。悪ぃ、長いあいだ、返しそびれてた。」
赤い表紙の、古びた本。
背表紙には、金色に浮かび上がる、“All Blue”の文字。
パラリとページを開くと、そこには点々と、雪のにじんだ跡が散らばっていた。
――・・・これは、あのときの。
「大事な本なんだろ?」
そういって、特段の関心もなさそうに立ち去るウソップの後ろ姿に、サンジはニヤリと微笑んだ。
「あぁ。世界でいちばん愛しい人との、クソ大事な思い出だ。」
( 完 )
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