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春に舞う、雪は 1 ~ はじまり ~

「おい。」

 

「・・・。」

 

「おい。」

「・・・。」

「おいコック、」

「あぁ?」

 

金色の前髪を揺らしながら、サンジが声の方を睨み上げる。片目の剣士は、太陽を遮って逆光の中に立ち尽くしている。

反射的に、イライラと心が波立つ。近頃は、いつもこうだった。こいつの顔を見るたび胸糞が悪いのは昔からだが、2年ぶりに再会してからというもの、なぜか胸に痛みを伴う気がしている。

 

「それ、」

「・・・んだよおれァ忙しいんだよ、飯ならさっき喰ったろ、酒ならキッチンの」

「おいそれ、」

「なんだよ、るっせぇな、クソマリ・・」

「本、」

「あ?」

「・・・その本。上下逆さんなってんぞ。」

「・・・っ」

緑頭が、怪訝そうな顔で見下ろしている。

 

上の甲板からは、いつも通りの賑やかな声が響く。海はどこまでも青く、風はぬるく優しく、先ほどから雪がちらついていた。どうせまた、うちのキャプテンが大喜びしてはしゃいでいるんだろう。海のご機嫌どころか四季すら無視したこの海域も、一味にとっちゃまるでただのテーマパークのようだった。

 

『この平穏も、美人航海士サマのおかげだな…。』

 

美人航海士の見目麗しいボディが脳裏をかすめ、思わず鼻の下がのびる。その微妙な破顔を確認したのか、マリモはさらに不審に眉をひそめて、料理長のわきを抜けてキッチンへ向かった。

 

「なんかの修行かそりゃ。」

「・・・うるせぇ、クソマリモ。」

 

 

 

-------

 

 

 

風がぬるい。

 

ここ1週間ほど、春のような陽気が続いている。時折急な落雷に見舞われるが、新世界に入ってからはむしろ程度の易しい方だった。少々の傷みなら船大工が半日もかからず修理を終えるし、食料もたんまり仕入れたばかりで、もうしばらくは海の上の生活が続きそうだ。

雪は少しだけ勢いを増して、船を包んでいく。はらはらと舞い落ちる花弁は積もることもなく、サンジの手元で溶けては、茶色くすすけたページにうっすらと跡を残す。

 

赤い表紙の古い背表紙には、“All Blue”の金色の文字。

 

 

ドカッと音がして、さっきのマリモが真横であぐらを掻いた。

「おらよ。」

ずいっと杯を差し出す。

 

 

まただ。

 

イライラと心が波立ち、体の真ん中の奥の方が、ズキリと痛む。

 

「なんだよ、おれはいらねぇよ。」

「いいだろ、少しくれぇ。付き合えよ。これはいつかの、飲み損ないの分だ。」

「っ・・・」

とくとくと酒を注ぐ。自分の分は床に置き、酒の入った杯はふたつになる。

 

脈が速い。気を抜くと、何かが溢れ出してしまいそうだった。煙を燻らせながら遠くの喧騒に耳を寄せ、なんでもない風に気を紛らわす。さらさらと天使の羽音が聞こえそうだ。嗚呼それはきっと、美しいナミさんの歌声・・・

「だから、てめぇの飲んだくれに付き合う暇なんかねぇっつってんだよ、クソ緑。」

理由のない嫌悪感とともに、言い慣れた悪態を吐き捨てる。

「逆さ文字を読む暇があんだったら、ちったぁ時間、取れんだろ、クソコック。」

「うっ・・・。」

マリモは無言を肯定と取ったのか、水面揺らめく杯をそろりと掲げ、サンジに握らせるため右手を掴んだ。

 

「待っ・・・!」パシンッ

 

無意識だった。

 

はじかれた剣士の手から透明な液体が宙を舞い、ごつんという音を立てて、陶器の器が木板に転がる。

 

「あ、悪ぃ・・・」

「・・・コック、おめぇ、」

「て、てめぇが急にっ、」

「おい、」

「酒ぐれぇちゃんと自分で!、」

 

「おい!!!」

 

急に両肩をがしっとつかまれ、目前数センチに緑頭の片目が見える。チクリと音が聞こえた気がする。

風は相変わらず優しい音色で雪を舞い上げながら、金色の髪の毛をなぜる。

 

「おいクソコック・・・おめぇ最近、妙じゃねぇか?」

「は、何言って・・・っ」

 

睨み返そうとしたその右目から、つぅっと、生暖かいものが流れ落ちた気がした。

おかしい。この海域は、人の表情までごちゃ混ぜにするってのか?んな面倒なこと、うちの美人航海士は何も・・・

 

「おめ・・・泣いてんのか?」

「るっせぇ、んなわけ・・・っ」

 

それ以上は、声にならなかった。

 

堪えようとするほど何かは胸の奥から突きあげ、声にすまいと口をふさぐ両の手は、次々に伝い落ちる涙で濡れそぼっていく。煙が肺に入りすぎて苦しい。必死で顔を背けながら肩で息をするサンジを、マリモが至近距離でじっと見つめる。何か、何かこいつを、罵る言葉を、侮蔑の声を、早く、早く、早く、なんでよりにもよって、こいつの前で・・・っ!

 

「来い。」

 

剣士はサンジをひょいと抱えると、そのまま食料庫に向かって、大股で歩き出した。

 

 

 

-------

 

 

 

「ってぇ!げほっ・・・てんめ、な、なにすんだ!」

 

ほこりっぽい床にどさりと落とされて、ようやく言葉を発する。暗がりに差し込む光が、弱弱しくふたりを照らす。

抗議の視線で睨みつけたのはほとんど悔し紛れだったが、マリモは表情を変えぬまま、ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ。仏頂面に似合わないその柔らかな動作がなんだか、迷子の幼子に相対するようなやり方に思えて、ふっと気持ちを緩めてしまいそうになる。

 

「・・・調子の狂うやつだ。いってぇ、何なんだよ。」

左手で煙草を取り上げながら、探るような鋭い眼光が、まっすぐにサンジを見竦める。

「・・・っ。」

サンジは耐え切れず、唇を噛んで目をそらした。こんなに窮屈な部屋のなかだ。どんな勢いで凄もうが、無残な姿に言い訳が空しくまとわりつくだけになることは、わかっていた。

 

『なんでもねぇよ。』

 

頭の中に、自分の声がリフレインする。笑って、あっさり、いつものように。

『さっきのは』、そうだ、『ちょっとした、気の迷いでよ。』

 

・・・うまく言える気がしなかった。俺は・・・俺は、それをこいつに伝えて、一体、どうして欲しいんだ・・・。

 

ギリギリと噛みしめた唇からは、罵倒の言葉と、誤魔化しの笑みと、胸の痛みが、一緒くたになって零れ落ちそうで、次の言葉を紡ぐことができない。

 

だって、おかしいじゃねぇか。

なんだって、こいつに・・・こいつなんかに、俺は・・・

 

 

――・・・聴いてほしくて、怖ぇ・・・っ!

 

 

ふ・・・っと、左の頬に、ごつごつした指が遠慮がちに触れた。思わずびくっと体が震える。

その掌は心なしか、自分のそれより温度が高いような気がして、なぜだか顔が熱くなる。

 

「なぁ、コック。」

 

聞きなれた低い声が、優しく左耳をくすぐる。

「言いたくねぇなら、黙ってりゃいい。いくらバカなてめぇにだって、それなりの事情があんだろ。」

そんなにまっすぐ、見つめんじゃねぇよ、胸が痛んでおかしくなっちまいそうだ。

 

「・・・その代わり、」

あぁ、それ以上、何も言わねぇでくれ・・・

 

 

「もう、俺の前で泣くんじゃねぇ。」

 

 

「っ!!」

サンジのなかの傷みがドクリと脈打ち、瞬時に凍り付いた音がした。

 

「っ!あぁそうかよ!とんだ迷惑かけちまって悪かったな!!てめぇの前でなんか、二度と泣きゃしねぇよ!だいたい具合の悪ぃタイミングで来やがったのはてめぇの方だろうが!次はオロスぞこの、クソマリモっ!!」

声に涙が混じるのを振り切るように、熱い右手を力いっぱい突き返す。壊れ物を扱うようにあてがわれていたそれは、いとも簡単にふりほどかれる。心臓がキリキリと悲鳴をあげる。

 

そうじゃねぇんだ、違ぇよ、てめぇに聴いてほしいのは、こんな言葉じゃねぇんだ、・・・ゾロ・・・っ!

 

 

血の滲むような熱さでギュッと目を瞑った、瞬間。

 

 

ふいに柔らかいものが、唇に触れた。

 

 

1秒、2秒、3秒・・・。

ちゅ・・・ という音とともに、優しい温度が離れる。

 

 

「・・・ちげぇよ。・・・それじゃ俺が泣かせたみてぇで、悲しくなるじゃねぇか。・・・サンジ。」

 

 

-------

 

 

――・・・ドアを隔てた向こうから、ますます華やいだ浮かれ声があがる。軽やかなギターに乗った歌声は、大きく小さく、春風に溶けていく。

馬鹿みてぇな笑顔も陽気な歌声も。後ろ側に真っ暗い影があればこそ、こいつらはただがむしゃらに、まっすぐ、降り注ぐ太陽を感じようとするんだ。

 

はかなくも、永遠のような・・・、

 

あぁ、そうか。

 

まるで春の雪みてぇな幸せだな、とサンジは思う。

 

 

俺も、いつかあんな風に、まっすぐに自分を、許せるだろうか。

 

 

「・・・嫌なら、忘れろ。」

 

そう言ってゾロは、短くなった煙草をもういちど主に咥えさせ、立ち上がる。

後ろ手にパタン、と閉まる扉は、甘い後悔の音がした。

 

 

「ばかやろう・・・。忘れるわけ、ねぇじゃねぇか、クソマリモ・・・」

 

暖かな花弁は船を包み、春の日差しのなかを進んでいく。

胸の痛みは今や雪のように溶け、鼓動を煩く響かせているだけなのであった。 

 

 

 

 

( 続 )

 

 

 

次のお話は、こちら・・・ 春に舞う、雪は 2

 

 

その他のお話は、こちら・・・ 春に舞う、雪は 2

春に舞う、雪は 3

春に舞う、雪は 4

春に舞う、雪は 番外編

 

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