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春に舞う、雪は 3 ~ ひとりとひとり ~
軽やかに乾いた空気、賑やかに色めくまち並み。
パステルカラーの建物に散らばる鈍色の装飾が、太陽の光を美しく乱反射させる。
いたるところで上がる開放的な笑い声のさざなみに、散発的に重なる凶暴な怒鳴り声。買い物を楽しむ善良な市民に混ざって、傷の入った厳つい図体がうろつく。道端にたむろするのは、お縄を逃れたゴロツキどもか。
まち一面を見渡せば、次々と浮かび上がる、シャボン玉。
二年前と、同じ風景。
煙草に火をつけるのも忘れて、まぶしそうに目を細める。
魚も、野菜も、果物も。無造作に並ぶ極彩色は奔放な煌きを放ち、それを見つめる瞳に眩しく映り込む。
すべてを包んだシャボンの泡が、どこか幻想的な光景を創りだす。
変わっちまったのは、おれの方か・・・。
ここに着いてからもう何度目になるのか、それでも飽き足りないというように、サンジは大きく息を吸い込んだ。「自由」の味が、体いっぱいに広がる。
明るい日差しがキラキラと降り注いでいる。市場の屋根が重なるもっと上空、大きく膨らむシャボン玉の隙間から、白く霞んだ空を見上げる。
絶好の出発日和だな。サンジが嬉しそうに、小さく頷く。まだ見ぬ海底の国を思いながら、さきほどめいっぱい飲み込んだ空気を、今度は静かに吐き出した。
「おい、アホコック!」
後ろから、まるで緊張感のない呆けた声が、サンジを呼び止めた。
「なんだよ、迷子のマリモさん。」
眉間に力いっぱいしわを寄せて、ぐるりと振り返る。
刀を三本腰に挿し、腹に腹巻を巻いた緑頭が、ずぶ濡れの格好で、三歩ほど後方から怪訝そうにこちらを見返してくる。
「俺は、釣りをしに、海岸に出たんだ。」
「あぁ、そう聞いてる。」
「魚はまだ、釣れてねェ。」
「住処には潜ったがな。」
「天気もいいし、散歩もしてェ。」
「てめぇはクソじじぃか。」
「どうやらルフィも、まだ船に着いてねェんだ。」
「おれが伝えた情報を、まるで自分で見たかのように話すな。」
「・・・だったら今は、釣りの時間だ!!」
風が乾いているからか、シュボッという妙にいい音をさせて、巻物の先に火が灯る。
サンジは黙って煙を吸い込み、仏頂面でつっ立つ緑アタマ目がけ、ふぅ~~~・・・と一息に吹きかけた。
「・・・人の話聞いてんのかバカ!!大人しく着いて来やがれ、この迷子マリモ!!!」
さも自分が正しいと言わんばかりの顔で、不満げに立ち尽くす緑アタマを真正面から睨みつけ、広場中に響き渡る怒号を浴びせかける。これで、本日三度目だ。
市場をぐるりと取り囲む屋台には、見たこともない色彩の鮮やかな恵みが豊富に積み上がり、艶々と光りながらサンジを誘っている。いい料理には、いい素材が欠かせない。こうしてゆっくり島に立ち寄れるときにこそ、厳選した大量の食材を手に入れる必要があった。
一回の食事の量、最低限の飲み水、宴会用の酒につまみ食いの追加分・・・長く培った専属コックの勘を、一味の尋常ではない腹具合へと巡らせる。この久しぶりの感覚が、サンジの心をぞくぞくと浮き立たせる。
『そして、なんといっても極めつけが、これだ・・・』
思い立って足を止めると、華やぐ市場をぐるりと見晴らす。
離れていてもそれとわかる、甘く匂い立つ・・・女、女、ホンモノの、女ぁッ!!あぁ、これぞ恋焦がれた夢の世界!おれのオアシス!まさにイッツァ・ビューティフォー・ワールド!!!
・・・のはずなのに。
サンジはおもむろに三歩後方の緑アタマを振り返り、憎々しげな視線を飛ばす。
何が楽しくて、クソマリモなんかと一緒に、うきうきショッピングしなきゃなんねぇんだ!
けっ、と恨めしく横目で見遣り、手元のメモに目を移す。今日のおれは、とっても忙しいんだ。あぁ早く、ナミすわんに会いたい!
『えぇと・・・、酒は買った、魚もまずまずだ。あとは・・・、おっといけねぇ、肉はこれじゃ足りねぇな。あいつらの胃袋も、二年前よりゃ格段にでかくなってるはずだ。うっし、次は肉をもうひと塊、仕入れるか。』
香ばしい便りが、あちこちから流れてくる。いちばん近いのは、十軒ほど向こうに構えた店先だろうか。大喰らいどもの胃袋を満足させる肉塊を探して、足を進める。
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ここシャボンディ諸島には、年間数万という、世界中のならず者が押し寄せる。決して平穏なまちではない代わりに、ごった煮にされたそれぞれの文化が花開くこの場所には、派手やかな商業が栄え、各国の言語が飛び交い、豊かな食材が一堂に会している。なにより天候に恵まれるこの諸島は、海賊たちの骨休めもありがたい、価値ある素晴らしいまちのひとつだった。
「おいグル眉、どっちに向かってんだ!」
「クソマリモの行きてぇ方向の、逆だよ!」
「肉屋は、こっちだろ?!」
「ちげぇよ迷子・・・っ!!」
「あぁ?さっき向こうの方って言ったのは、」
「ごたごた言てねぇで!てめぇは黙って俺について来い!」
頭のなかで献立を組み立てながら、半分やけくそにそう叫ぶ。すると何を思ったか、迷子マリモはサンジの横顔をじいっと見つめ、真後ろを指差していた腕をすとんとおろす。
なんだ、こいつ。
やれやれと肩を落としながら、急に大人しくなったマリモをちらと一瞥した。
――・・・ありゃあ確かに、片目だ。
二年ぶりのマリモの左目は、どういうわけだか、ガッチリと固く、閉じられていた。
額から頬ぼねにかけて縦に伸びる傷は、見たところ最近のものではなかった。しかし、明らかな斬殺の意志を持って振り下ろされたであろう剣先は、未来の大剣豪の左目を、見るも痛々しくざくりとつぶしたようだった。
『あいつまた、真正面から・・・。』
二年前のいくつもの場面がまざまざと思い起こされ、背中にゾクリと寒気が走る。
何が、“背中の傷は剣士の恥”、だ。
そんなプライドのために、てめぇで命削って何になる。
世界一の大剣豪様とやらになる前に、さっさと逝かれちゃ世話ないぜ。
・・・クソ。「心配なんかするかボケ。」
誰にともなく独り言ちると、サンジも気づかぬ微妙な温度で、体の奥がシクリと痛む。
はっ、と気がついて、サンジは後ろを振り返った。
「・・・声がしねぇから、はぐれたかと思ったじゃねぇか。」
いつの間にか静かになっていたマリモは、何やら興味深げに、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。何が珍しいのか、時折目を見開いては、店棚をしげしげと眺める。それが、真っ赤な高級魚だったり、切っ先鋭い鎌だったり、お風呂に浮かべる黄色いアヒルだったりして、もうこいつが何に気を惹かれているのか、よくわからなくなる。
『おれは、幼稚園児の引率の先生か?』
いちいち突っかかってくるのも気に食わないが、こうして大人しくついて来られるのも、なんだか変な気分だった。ふいに、子ガモが親ガモによちよちとくっついて回る様が思い浮かぶ。なぜだかほっと暖かい気持ちになりかけて、ぎくりとする。
待て待て待て。こんなビューティフル天国で、なんでよりにもよってこのクソマリモに、すげぇ愛らしい想像を重ねようとしてんだ!あんまりオトコに追い掛け回されて、頭までおかしくなっちまったか?
サンジはふるふると頭をふって、緑色の不機嫌そうな子ガモを、妙な暖かさと共に無理やり頭の奥へと押し込めた。マリモがその様子を、後ろから不審そうに眺める。
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陽がゆっくりと傾き始め、まちの賑わいが次の時間へと移ろいゆく。
市場をさんざん歩き回り、食材はどうにか、満足な量を揃えることができたようだ。ここらで一息休憩をと、繁華街のはずれに荷物を下ろす。ほっときゃいなくなる野良マリモを、その場で放し飼いにするわけにもいかず、「酒が飲みてェ。」という陳述に、しぶしぶ同意する。本当は今すぐにでもナミさんを探しに駆け出したいのだが、不本意ながらも問答無用で連れ回した手前、酒の一杯や二杯、男の義理と思って付き合ってやることにしたのだった。
どことなく嬉しげな足取りで、酒場とは全く逆方向に歩きだす野良マリモを、反射的にひっつかまえると、その反対方向へとずるずる引っ張って歩きはじめる。
厚めのざらざらした袖生地を通して、剣士の体のぬくもりが、じわりとサンジの掌に伝わる。
ずぶ濡れだった全身は太陽に干されて一通り乾き、まだ少し残る水分が、ほんのわずかずつ蒸発しながら熱を放っている。そこに混じる汗の匂いとほのかな熱さに、いつかの夢をはたと思い出し、ぎょっとした途端身震いが起きる。
「寒ぃのか?」
「なわけねぇだろクソマリモ!!」
必要以上に凄んで、歩調を早める。
今度ばかりはなぜ怒鳴られたのか検討がつかず、緑アタマは納得のいかない顔で、不思議そうに小首をかしげる。
「寒ぃならあとで抱いてやる、心配すんなアホコック。」
「うるせぇ黙ってろエロ剣士!!!」
ほこりを運ぶ風にはちらほらと怒号が混じり、遠くで物騒な発砲音が聞こえる。あまり良い予感がしない。こりゃあ、さっさと店に入らねぇと、飲んでる時間がなくなるか・・・
曲がり角ごとに、掴んだ腕を乱暴に引き寄せながら、行き交う人々の合間を縫うように進む。
「おいマリモ、飲みてぇのはてめぇだろ!まっすぐ歩けよ迷子野郎!」
まったくこのクソ剣士、ほんのひとときだって、目が離せない。
近道しようと花屋の角を曲がった先で、やおら子電伝虫がぷるぷると鳴きはじめた。
『よう!コックの兄ちゃん、ご機嫌はどうだい!』
聞きなれた懐かしい声が響く。フランキーだ。
「あぁ、迷子マリモの世話以外は最高だぜ!地獄からの生還記念に、最高のもてなししてやっから、楽しみにしとけ!」
『おうそりゃスーパーだなぁ!ところで少々急だが、急ぎの連絡だ。』
サンジの背筋が、ピクリと緊張する。
『海軍一派が、俺たちを探して大きく動き始めたらしい。もっともあいつらが見つけたのはニセモノらしいが、俺たちが危ねぇことに代わりはねぇ。42番GR海岸に船を回してつけてある。せわしねぇが、全員集合と同時に出発だ。ついでにルフィもまだ到着してねぇんだが、レイリーのじいさんが言うには、どうやらこの島にはたどり着いてるらしい。どっかで見かけたら、拾って来てくれ。』
「了解、42番GR海岸だな。」
『そうだ、後で会おう!!』
ガチャリと通信が切れる。ははん、さっきから流れてくる物々しい“気配”は、これか。
サンジは、眉根を潜めて辺りを警戒する。確かに、何かが起こっている。
「何だ。」
緑のマリモがとぼけた面で、店先から戻り寄ってきた。
さっきまで真横に繋いでおいたはずなのに・・・ということは、まさかお前、「聞いてなかったのか?!」
今度はなにに夢中になってたんだよ・・・、長いため息を吐き出しながら店棚を横目に拝むと、クリスマスツリーにでも飾るのか、もこもことした装飾品がいくつも、風に煽られて呑気にたなびいている。
・・・人がせっせと働いてる横で、こんのガキゃあ・・・っ!
本気の蹴りでも一発お見舞いしてやろうかと体勢を整えるサンジの殺気を無視して、マリモがふいと顔を背ける。
「・・・酒はまた、今度だな。」
トーンをひとつ落とした響きで、走り出す剣士がぽつりとつぶやいた。やけにクリアに届いた声に、なぜだか急に、胸の奥がキリリと痛む。らしくもない素直な声色に、子供のような切なさがにじんだ気がする。
『・・・?、こいつ、そんなに、飲みたかったのか・・・?』
サンジは首を傾げて、剣士の腕をぐっと強く、引き寄せる。だから、そっちは、来た方角だ・・・ッ!
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「元気してたか、ゾロ!!」
「あぁルフィ、お前も元気そうで何よりだ。」
「びっくりしたなー!モノマネだってよー!俺ら、有名人なんだな!にししししっ」
騒動の中心には、やはり船長がいた。相変わらず静かな船出が似合わない男だ。海軍にゃ悪いが急いで捕獲し、出航に向かって歩を進める。追っ手は今のところ、うまく巻いているようだった。
サンジは煙を空へと吐き出し、次の葉物を求めて胸元に手をやった。用意していた紙の箱が、ポケットの中でくしゃりと折れ曲がる。どうやら最後の一本だ。あれ、さっき開けたばかりのような気がするが。小さく舌打ちをして、何気なく前のふたりを眺める。
屈託なく笑い合う天然バカが、一匹、二匹。
へぇ、ずいぶんと、楽しそうじゃねぇか。
握り締めたシャボン玉が風に流され、吐き出した紫煙とともに、ふよふよと不規則にたなびく。
「それにしてもルフィ、冥王に稽古つけてもらってたんだなァ。」
そう口を開く緑アタマの声に、サンジはチラリと耳を寄せた。
「そうだよゾロ!俺、強くなったんだ!おめぇもなんか、でっかくなったなぁ!」
「任せろ。てめェの前の道は、俺が切り拓く。ルフィのために強くなって、帰ってきたんだ。」
――・・・こいつ、船長のことは、名前で呼びやがる。
そんなどうでもいいことが引っかかって、どうしてだか無性に、煙を吸い込むスピードがあがる。クソ面白くねぇ。前の道を切り拓くだと?・・・人の後ろをひょこひょこ着いてくるのがやっとのヒヨコマリモに、いってぇ何ができるんだ。
船長に向けられた心底嬉しそうな笑い顔になぜか、心がズキンと泡立つ。
「はんっ!かっこつけんじゃねぇ!おいルフィ、てめぇの道はおれに任せとけ。迷子のクソマリモは、まっすぐおうちに帰る練習からだろうが!」
「あァ?なんだよ急に。」
緑の頭を掻きながら、面倒くさそうな様子で視線の半分をこちらに向ける。わざとらしくため息をつくその仕草にも、いちいち猛烈にカチンとくる。
「ひとりでお買い物もできねぇやつが、どんな道を作るのか楽しみだっつってんだよ・・・ッ!」
「ふんっ・・・7番が、偉そうに・・・」
「変なランキングにすんじゃねぇ!スリラーバークのかわいこちゃんがいなけりゃ、今でもてめぇは海の上だろうが!!」
「んなカリカリすんなよ、アホコック。・・・1番はおれだ、諦めろ。」
「・・・オロされてぇのかこの、クソマリモ!!」
「にししし!!ゾロとサンジは、相変わらず仲良しだなー!」
船長が投げかけた単語に思わずドキリと心臓が脈打ち、仲良くねぇよ!!!・・・と叫びかけた言葉より一瞬早く、緑の剣士が、柔らかい笑顔でふわりと、続けた。
「あぁ。なんせサンジの作る飯は、うめェ。」
乾いた風が巻き起こり、生まれたてのシャボン玉をふわふわと揺らす。
大きなマングローブに守られた森は、今日も穏やかに、無数の泡を産み出し続けている。
・・・あれ、今こいつ、なんて・・・?
片目の剣士は、余裕をたたえた精悍な目で、まっすぐに前を見据える。そっちはまた、違う方角だというのに。
船長はますます、無邪気な大口を開けて、天真爛漫そのものに笑っている。
「ゾロが言うなら間違いねぇな!にしししし!!」
慣れない痛みに疼く胸を無意識に抑えて、前へ前へと突き進む。
高い空の上から、トナカイの声が降る。大きな鳥の影が、三人を包み込む。
笑顔が増える、歓声が上がる、
冒険がまた、はじまる・・・っ!
明日へ向かう大きな希望に、甘い痛みはかき消されていく。
無数に生まれた金色のシャボン玉は、それでも静かに、胸の奥で根付いていた。
やがて涙となって溢れ出してしまう、「あの日」まで。
金色コックがそれに気づくのには、まだ少し、時間がかかるのであった。
( 続 )
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