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世界迷作劇場 1

うさぎとかめ

 

むかしむかしあるところに、蒼い眼をした美しいうさぎと、緑色の甲羅を背負ったたくましいかめがおりました。

ふたりは会うたび、喧嘩ばかり。いつも口汚く相手を罵っては、終わりのない諍いをだらだらと続けておりました。

「おいクソ緑!いい加減、俺より弱ぇこと、さっさと認めやがれ!」

ある日うさぎは、かめの甲羅にかかと落としを繰り出しながら、そんなことを口走りました。かたい甲羅はしっかりと足技を受け止めていましたが、かめの表情はびくともしません。

「ふん。そんな弱ぇ足技でよく言えたもんだな、アホうさぎ。」

「んだと?!」

ひっこめていた顔を甲羅から出しながら、かめは面白そうに口元を歪めます。うさぎの頬は、太陽のあかいろに染め上がりました。

「てめぇ・・・黙って聞いてりゃ、よくも偉そうに・・・!」

悔しさにわなわなと肩を震わせたうさぎは、じろりとかめを睨みつけます。ぐるぐる巻いた眉毛も珍しい蒼眼のうさぎは、なかばやけくそにこう叫びました。

「ようし、わかった!しょうぶしろ、クソ緑野郎!!」

「あぁ?しょうぶ?」

しょうぶと聞いて、ギラリと目を光らせたのは、かめの方でした。

なんせこの緑甲羅、防御が専門であるはずのかめのなかでも特に喧嘩好きでゆうめいで、つい最近までは「国盗りの魔亀」と恐れられていたほどの、戦い好きのかめだったからです。久しぶりのしょうぶに、かめの心は躍りました。

「・・・おもしれぇ。やれるもんならやってみろ、ぐるぐるうさぎ。」

「あぁ、当然だ!びびってんじゃねぇぞクソ緑!」

うさぎは本当は、とてもびくびくしていました。うさぎの取り柄といえば、足が速いことと、料理がとくいなことくらいしかありません。本当は、かめの真の強さを知っていましたし、まいにち喧嘩になるのだって、生き急いでいるかめのことを、心から心配しているからこそ、だったのですから。

「それで、俺が勝ったら、俺の言うこと聞け、アホがめ野郎。」

「いいぜ、ぐるぐるうさぎ。ただし、俺が勝ったあかつきにゃあ、てめぇは俺の命令に従えよ。」

「も、・・・もちろんだ、俺がてめぇに、負けるはずがねぇ。」

「ふんっ。」

かめの余裕な表情に、うさぎの心臓はどきどきと高鳴ります。どうしよう、その場の流れで、えらいことを口走ってしまった。うさぎの額には、じんわりと汗が滲んでいました。

「じゃあ、・・・こうしよう。」

咳払いをして、うさぎが続けました。冷や汗を流すこのうさぎはしかし、実はかめより少し、賢い頭を持っていました。筋トレばかりにかまけているかめと違って、くにのせいじについても勉強をしておりましたし、夜空に流れる星のことも、時折襲う「むねのいたみ」につける名前も、ずっと前から知っていました。

「見ろ、クソがめ。あの山のてっぺんに、いちばん高い木が、見えるだろう?」

かめが首を伸ばして見上げた向こう、うさぎが指差す遠い山のてっぺんに、大きな大きな木がそびえたっています。

「あの木に、先に触った方が勝ちだ。」

「あぁ。・・・いいな。受けて立とうじゃねぇか。」

んなの、簡単だ。そう言いたげなかめの瞳を横目に捉えて、うさぎはひっそりと、小さくため息をつきました。

 

――よーい、スタート!

翌朝、鼻の長いきつねの合図で、しょうぶのレースがはじまりました。

いきおい走り出したうさぎは、ぴょんぴょんと軽快に飛び跳ねながら、一直線に走っていきます。スピードはぐんぐん速くなり、うさぎの耳には風の音しか聞こえなくなりました。道の脇のたんぽぽを揺らし、てんとうむしを驚かせ、ふわりと風を追い越します。気持ちよい春の風が、うさぎの真っ白な毛並みを撫でていきました。

一方のかめは、のろのろとした歩みで、一歩一歩進んでいるようでした。その遅さといったら、見ていたきつねが、『あいつ、大丈夫かよ・・・?』とはらはらとしたほどです。ゆっくり、ゆっくり、少しずつ前に進むかめの歩みでは、到底うさぎに敵うはずもありません。それでもかめは、そんなことは一切気にしていないような仏頂面で、ただ淡々と歩みを進めていきました。山の端についたうさぎは、そんなかめをちろりと振り返りましたが、ぐるぐると巻いた不思議な眉毛を僅かに下げてその姿を見遣っただけで、すぐに森の中へと消えていきました。

 

ひと息もつかずに山の中腹にたどりついたうさぎは、いいころあいの岩を見つけて、どっかと腰を下ろしました。密かに持ってきたたばこに火をつけ、深く煙を吸い込みます。太陽は斜めから射していて、朝の光を残していました。かめがここまで辿りつくには、まだしばらくかかることでしょう。

『これで、あいつに勝ったら・・・』

ぷかりと紫煙を吐き出しながら、うさぎはぼんやり目を細めました。これまでの、さまざまな戦いが脳裏をよぎっていきます。あるときは大きな鷹に襲われて、頑丈な甲羅に傷がつきました。あるときは強い熊に襲われて、瀕死のうさぎを庇って死にかけました。かめはいつでも、そうでした。自分のことより、仲間のこと。自分の命より、戦士のプライド。

『そんなんで、てめぇの夢はどうすんだ、クソ緑。』

世界いちの、戦士になる。そんな重たい夢を背負ったかめのことを、いちばんそばで見守っていたのは、他でもない蒼眼のうさぎでした。はじめこそ、馬鹿なヤツだと鼻で笑っていたこのうさぎが、かめのことばかり考えるようになったのは、あの砂漠を共に越えた頃からだったでしょうか。

――もう二度と、あんなこわい思いはしたくない。

頭突きで倒れたうさぎが目を覚ましたとき、かめは既に、そばにはいませんでした。そうして、目の前にいたはずの、あの強靭な、熊さえも。

ぷかり。もういちどゆっくり煙を吐いたうさぎは、こっくりこっくりと、船をこぎ始めます。そういえば昨晩は、朝ごはんの仕込みであまり寝ていません。

『ちょっとだけ、寝ようかな・・・。』

心地よい春風に吹かれながらふわりと目を瞑ったうさぎは、すぐに、夢の世界へと深く潜っていきました。

 

はっと目を覚ましたときには、あたりはすでに、美しい赤色に包まれていました。太陽ははんぶん山の端に顔を隠して、今にも、まんまるお月様にバトンを渡そうとしているところです。

「やべぇ!寝過ごした!!」

うさぎは猛ダッシュで、坂道を駆け上がりました。あまりに余裕のしょうぶに、油断をしてしまったのでしょうか。ここ最近続いていた寝不足が、思わぬ形で仇となります。空に向かってそびえる大木が、ぼんやりと目の前に見え始めた頃にはもう、空にはキラキラと金の星が輝きはじめておりました。

『くそっ・・・これじゃあ、俺の作戦は・・・!』

うさぎが悔しげに舌打ちを打ったのと、岩陰で寝転がるかめがその片目をあけたのは、ほとんど同時だったかもしれません。

「おう、来たか、クソうさぎ。」

大木を背に、よいしょと立ち上がったかめを見て、うさぎは悔しげにうつむきました。

――・・・俺の、負けだ。

のたり、のたりと近づいてきたかめは、さも嬉しそうに、にやりと口元を歪めております。あぁ、どんな罵声を受けるのだろう。ここに着いているということは、途中で俺の寝顔も見ているはずだ。しょうぶの最中に眠ってしまうなんて、戦士としてなんと重大なミスなのだろうか。これはもう、大笑いのねたにされるに違いない。

うさぎは唇をぎゅうとかみ締め、ぐるぐると思考を巡らせながら、長く伸びたかめの影を見つめました。

「まだ、しょうぶは終わっちゃないぜ?」

そんなうさぎの耳に、意外な声が届きました。弾かれたようにかめを見遣ると、かめはにやりと再び笑って、ぶっきらぼうに片手を差し出します。ひょっこりと顔を出した金色のお月様は、優しい目をしてふたりを見つめていました。

「・・・どういうことだ、クソ緑。」

「まだ終わりじゃねぇ、つってんだ。」

「だから、どういう意味、」

「ゴールしてねぇ。」

「あ?」

「ゴール、してねぇんだ、まだ。」

「だって、木なら、そこに、」

差し出した手を引っ込めないまま、かめは間合いを詰めてきます。意味を飲み込めないうさぎはおたおたと2、3歩後ずさりをしてから、はっと何かに気づきました。うさぎのながい美しい耳が、何かをキャッチするときのように、ぴんとまっすぐ立ち上がります。

「・・・てめ、まさか、」

「ここんとこ、寝てなかったんだろ?」

知ってんぜ。

まるでそれがとても偉いことのように、嬉しそうに笑ったかめを、うさぎはとても愛しいと思いました。こいつのこの、無邪気な笑顔を、いっしょう隣で見ていたい、とも。

「アイツらの世話ばっかり焼いてっからだ、アホうさぎ。疲れてんじゃねぇか。そんなてめぇとしょうぶしたって、つまらねぇ。」

「馬鹿言え!てめぇに勝つのなんざ、寝不足の俺で十分だ、クソがめ野郎!」

「ふん、言ってろ、寝坊うさぎ。」

ぐ、と言葉に詰まったうさぎの手に、熱い右手がそっと重なりました。大きくて、ごつごつしたその手は、まさしく戦士のそれでした。

「だいたい、かけっこでてめぇが、俺に勝てるわけねぇだろうが!ちったぁ頭ひねれや、このアホ緑がめ!」

ぐじぐじと鼻をすすったうさぎの耳に、優しい低音が届きます。

「あぁ。・・・わかってる。」

大きく目を見開いたうさぎの目から、ぽろりとひとつぶ、金色の星が零れ落ちました。草のかげからころころと、綺麗な虫の歌が響いています。

「てめぇが、そんな理不尽なしょうぶを、意味もなくふっかけてくるはずがねぇ。どうしても俺に勝って、言いたいことでもあったんだろ?」

――言ってみろよ。

無言でたたずむかめの瞳が、うさぎを静かにうながしました。何かを言おうと口を開いたうさぎの唇が、ついに言葉を紡ぐことはありませんでした。

そんなうさぎの不器用な様子に、やれやれと小さくため息をついたかめは、ふわりとお月様を見上げてから、握った手を引きはじめました。ゆっくり、ゆっくりと歩むふたりの影が、優しくひとつに重なります。その歩みはまるで、これまでの、そしてこれからのふたりのことを、ふんわりと暗示しているかのようでした。

「今日のしょうぶは、引き分けだ。」

ぽん、と大木に掌が触れました。かめに引かれてたどり着いたそこは、高い高い山のてっぺん。空にはいちめん、キラキラと美しい星が輝いています。

すん、と鼻をすする音を聞かないようにして、かめはよいしょと腰を下ろします。その隣、小さな岩が窪んだその場所に、ぴたりと寄り添って座ったうさぎの蒼い瞳には、キラキラと小さなお月様が浮かんでいました。

「なぁ、ゾロ。」

 

――・・・絶対に、死なねぇと、約束しろ。

 

初めてかめの本名を呼んだうさぎは、太陽の頬で、そっとうつむきました。静かに微笑んだ緑色のかめが、マシュマロのように微かに頷きます。顔をあげるととたんにお星さまが零れ落ちてしまいそうで、それをうさぎが見ることはなかったのだけれど、そうしてふたりはそのまま、ながいながいじかんのあいだ、ただただ並んで、夜空を見上げ続けておりました。

 

(完)

 

 

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金のおのと銀のおの

あかずきん

 

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