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魔法の小瓶

(3)Twitterお題 : 19サンジが、メリー号で着物をはおって不機嫌そうに歌をうたった

 

 

朱色の花は海に散る

 

 

 だいたい、グランドラインで出会うモンなんかロクなモンだった試しがねぇんだ。

 俺は医務室のベッドに腰掛け、煙草をふかしながらため息をつく。窓の外には美しい夜。満足に料理もできないことがどことなく落ち着かない気持ちにさせる。

 『――――……』

 耳について離れないメロディ。俺は不機嫌なツラでそれを反芻する。ぼんやりと考えをめぐらせながらひとりぼっちで窓を見上げた。

 

 思えばはなっからおかしかったんだ。

 どこからともなく、まるでうちの船を目指したかのように流れ着いたような古い酒樽。それをウソップが釣り上げたところまでは、いつもどおりのできごとだった。近くにいたクルーが集まってその酒樽をしげしげと眺める。ちょっとばかし蹴ってみると『ゴッ』とくぐもった音が響いた。

 ところがそっから先がまずかった。普段なら用心深いはずのナミさんが「ねぇ、開けてみましょうよ」なんて言い始めたところで気づけばよかったのだ。

 そのものの持つ空気に飲まれるというか、妖気にあてられちまうというか。

 運が悪かったと言ってもいい。とにかくみなその空気に感染しちまって、今考えてもどうにも手が打てなかった。

 古い酒樽のなかから現れたのは美しい着物、それも上等な女物だった。

 「へぇ。振袖か」

 思わぬ声が降ってきて、サンジはぎょっと男を見上げる。

 「……なにお前、知ってんの?」

 「知ってるもなにも、俺の村じゃあ若ぇ女はみんなこういうやつを着る」

 ぶっきらぼうにそれを引っつかんでじろじろと眺めている。

 着物は真っ白い絹の生地で織られていて、背面に朱色で模様が描かれていた。薔薇のような、牡丹のような、見たこともない朱い花。それは背中一面を覆うほどに大きく描かれていて、ずいぶんと妙な存在感があった。白い生地のはずなのに、この着物の色を訊かれたら「朱色だ」と言いたくなるほどに。

 帯も襦袢もねぇんだなと、ゾロは聴きなれない単語を淡々と並べる。

 「そうだわ、ね、サンジくん着てみなさいよ」

 「えっ、俺がかい?」

 「きっと似合うわよ! 金髪に朱い着物なんて、風流じゃない!」

 ナミさんそりゃあどちらかというと花魁風情だぜと、思ったことは口にしないでおく。まぁ毒見みたいなものなのだろう。その判断は間違ってなかった。

 「お、おいサンジいいのか、なんか変なモンでもついてたらどうすんだよ」

 「ま……そんときゃそんときだ」

 なんとかなんだろ。

 ゾロの手からひょい、と取り上げて朱色をじっと眺めてみる。絹の生地はつるりとした手触りで、長い航海を感じさせなかった。見たところ虫も食っていないし、染みのひとつもできていない。こりゃ売ったら高そうだな、などと風情のないウソップの言葉にナミさんがつばを飲み込んだのを目の端でチラリと見た。

 「よっ、……と」

 ひら、と風に着物が膨らんで太陽の光がさえぎられる。美しい紅白が真っ青な空に映えた。

 その美しさにうっかりした。

 ほんの一瞬気が緩んだ瞬間に、俺の体は『動かされた』んだ。

 「ぐ……っ!」

 「ちょ、ちょっとサンジくん、なにやってんの!」

 瞬時に血相を変えたナミさんの判断力は今考え直しても惚れちまう。さっきまでお金のことを考えてたとは思えない素早さで、ナミさんは俺と「ゾロ」に駆け寄った。

 「離しなさい、っ……ダメ、すごいちから……!」

 そこでようやくウソップとチョッパーも異変に気づいて、大慌てで「俺たち」に駆け寄った。「チョッパーはルフィ呼んでこい!」とウソップの命令がくだって、ルフィがかけつけるまでわずか十秒。

 「ゾロを離せ! サンジ!」

 「わかってる……! 俺の手が、勝手に……っ!」

 的確にゾロの頚動脈を締め上げ続ける俺の手の甲に、青筋が浮かんでいるのをどこか他人事のように眺める。ルフィは絶望したように俺のことを見て、それから何かを察したように目を開いた。そうだ、そういうことだルフィ。

 「……悪ィ、おまえいっぺん飛ばすぞ」

 「あぁ、そうしてくれ」

 ただし、生かしといてくれよ。

 そう言って、笑ったかどうかも覚えていない。最後に見たのはゾロの緑髪だった。星が散るような衝撃があって、目の前が暗くなって、そうしてこのベッドで目がさめた、ってわけだ。

 

 「はぁ……」

 何度目かにため息をついて俺はぼんやりと窓の外を眺めた。ナミさんが作ってくれた夜食のパスタは塩気が強くきいていた。一緒に持ってきてくれた水を、ピッチャーからコップにそそぐ。

どうやらゾロ以外のクルーにはまったく反応しないらしい。俺はそれにも絶望していた。ナミに言いつけられて恐る恐る近づいたウソップに、俺は実際『なにもせずに』いられたんだ。

 「脱げねぇな」

 そでをぐ、と引っ張りながら俺はまた、ため息をつく。あの瞬間、帯もないのに体にまとわりついた着物は、それからずっと俺から離れないままだ。まあ、このあたりでだいたい心当たりがついた。他でもないゾロだけに『こいつ』が反応すること。俺がみんなに隠してること。

 「……気づかないフリしてくれよ、レディ」

 俺は困ったように笑ってから、ごくり、と喉を鳴らして水を飲み込む。例の歌がリフレインする。恋を失った女の歌。ひやり、と冷たい感触が喉をとおりすぎて俺は大の字で寝転んだ。

 

 ――コンコン。

 扉がノックされた音に俺はぼんやりと目を開けた。どうやらうとうととしていたらしい。体は大して動かしてないのに、頭がぼんやりと疲れている。

 「あいよ。ゾロ以外なら入っていいぜ」

 ごしごしと目をかきながら、ドアの向こうに耳を傾ける。気配は一瞬静まって、それから「あ~……」と声が聴こえた。「俺だ」。

 「てめぇかよ……」

 俺は親切心でドアの向こうまで聴こえるようにため息をついて、うんざりしたように言葉をつむいだ。なにしに来たんだ、役立たず。できるだけぶっきらぼうに聴こえるように。

 「話がある」

 ゾロはいつもの調子でそう言って、ドアを開けようとノブに手をかけたようだった。俺は慌てて立ち上がって、ドアを向こうへ押し戻す。朱色の花が描かれた絹の着物の、すそがずるずると引きずられる。なに考えてんだてめぇ、殺されてぇのか? 俺は不機嫌にため息をつく。

 窓の向こうには星が見えていた。今夜の海は凪いでいて心地がいい。船底を撫ぜる波の音が、ざぶん、さぶん、と繰り返す。あぁ、こんなにも美しい夜なのに。まったくうんざりしちまうよな。

 「てめぇ、なんか気づいてんじゃねぇのか?」

 ゾロは恐ろしくいつもの調子で、扉一枚向こうからそんなことを言う。一度は殺されかかった男に向かって、平然と、淡々と、無感情に。

 「……知らねぇよ。こりゃ俺の問題だ」

 俺はだから言ってやる。てめぇに口出しされることじゃねぇ、関係ねぇヤツはあっち行ってろ。ゾロはたぶん眉間にしわを寄せて、不機嫌な顔でも作っているはずだ。いいざまだ。

 「関係ねぇことねぇだろ。俺ァてめぇに殺されかけてんだ」

 「そんなのいつものことじゃねぇか。それともビビってんのか? 俺に殺さるとでも思って」

 扉の向こうでグ、と喉の詰まる音がする。ほら見ろ、ビビってんじゃねぇか。俺はなるべく嫌味なように鼻で笑う。いつもは手加減してやってんだ、これで思い知ったかマリモ野郎。

 俺はさっさとゾロを追っ払いたくてたまらなかった。だから余計に言葉を重ねる。わかったらあっち行ってろって。

 ――だってこんなにも美しい夜に、なにかがあふれちまいそうだ。

 「……その着物、」

 それなのにゾロはそこに居座ったまま、まだなにかをしゃべろうと口をひらく。いい加減海に帰れクソマリモ、そうして欲しけりゃ俺が手伝ってやる。

 「――成人してねぇ女の死装束だ、そりゃあ」

 扉の向こうから声が聴こえる。淡々と、平然と。俺は扉に額をつけて小さい声でぼそりとつぶやく。あぁ、やっぱりか。俺は額を扉につけたまま、ちからが抜けたようにずるずると崩れ落ちる。

 「着物の持ち主は本懐を遂げねぇまま、志なかばで死んじまったんだろ。それで海を漂いながら、とり憑くヤツを探してた。ひでぇ話だ、あてつけみてぇなモンじゃねぇか」

 「……レディを悪く言うんじゃねぇよ」

 思ったよりも低い声が出て俺は自分にぎょっとする。あぁ俺、怒ってんだ。そう気づいたのと、押し付けていたはずの扉が思い切り開けられたのはほとんど同時のことだった。

 「ッ……!」

 ゾロに襲いかかろうと飛びかかった両手が二本の刀で防がれる。俺の体がゾロを殺そうとしている。俺は歯を食いしばって抵抗する。刀はぶつかってギチギチと鳴いた。頼む、もう、ほうっておいてくれ!

 「あっち、行ってろ、ゾロ……っ!」

 「そりゃ、できねぇ、な」

 ゾロは二本の刀のあいだからまっすぐに俺を見据えている。

 「どういうわけか知らねぇが、てめぇ、おおかた、その女と、なんか共鳴でもしたんだろ」

 「っ……」

 俺はなにも言い返せない。頭にあの歌が流れてくる。恋を失った女の歌。あぁそうだよ、まったく同じだ。俺は思って目をつむる。でもレディのほうがうわてだった。――俺は失うどころか、手に入れてすらない。

 「てめぇが、なに考えてんのか、知らねぇがなァ、てめぇの“それ”はそんな簡単に、他人に渡せるようなモノなのか、よ……!」

 ギ、とさらに力を込めてゾロが俺を押し返す。ギリギリと伸ばされた両の手が、ゾロを殺そうとまっすぐに伸びる。ちがう。こんなふうに触りたいわけじゃない。こんなふうに触れたいわけじゃないんだ、俺は……。

 「……るせぇ、なにも……知らねぇくせに……」

 喉の奥から絞り出した声はもはや誰のものかわからなかった。船底を撫ぜる波の音がただひたすらに寄せては返す。

 「報われねぇ苦しさなんざ、てめぇにゃ一生……わからねぇよ……!」

 「あぁわからねぇな。わかるつもりもねぇし、知りたくもねぇ」

 ゾロは平然と言ってのけて俺のことをまっすぐに見ている。俺は黙ってゾロをにらむ。心臓がしくり、とかすかに痛む。なんべんだって隠してきたのに。

 「あぁそうかよ……ハッ、悪かったな。俺だっててめぇにわかってもらおうなんざ、これっぽっちも、」

 「阿呆か、てめぇは生きてんだろうが!」

 ガンッ、と強く押し返されて俺は思わずよろけて倒れた。そのまま上から馬乗りにされて、固い床に押しつけられる。動けない。

 「女に何があったのか知らねぇが、てめぇとは全然ちがうだろうが。てめぇは生きて、ここにいる。悪あがきしろよ、格好悪く悩めよ、ちゃんと俺の目を見て戦え、クソコック!」

 まるで怒ってるみたいにそう言って、ゾロがス、と刀を抜いた。あぁ、綺麗だ。俺は思う。まるで今夜の満月みたいだ。

 惚れた男に斬られるなんて、なんて最高の最期なんだろう。

「いいか、動くんじゃねぇぞ。おい女、悪ィが出てってもらう。コイツは……俺んだ」

 天に掲げられた妖刀は、ぬらりと意味深に光を放つ。ゾロは表情を変えないまま、それをまっすぐに振り下ろす。美しく磨き上げられた切っ先が朱い花を切り裂いていく。床に飛び散る白と、赤。俺は目をじっと開けたまま、その一部始終をずっと、見ていた。

 

 「あんたたち、ばっかじゃないの?!」

 翌朝ナミさんの雷が落ちるまで、俺たちは結局一晩をともに過ごした。べつに抱かれたりキスされたりしたわけじゃない。なんだよ、って思うだろ? 俺はやっぱりコイツがなにをしたいのかよくわからない。ただずっと、ゾロはそこにいた。

 「何もなかったからよかったけど……あんたたちふたりで共倒れでもするつもり?」

 ハァ、と盛大にため息をつくナミさんに、俺はずっと平謝りだ。ごめんねナミさん、このマリモが俺が心配だって聞かなくって。俺がそれを口にするたびに、ゾロがちらりとこっちを向く。なんだよ、なんか文句あんのか。じろり、と睨み返してやるとゾロがふいにふっ……と頬を緩めた。

 ――あ……ずりィ、それ。

 「とにかく、もうこんな無理はしないこと。それからこの着物の切れっ端は、丁寧に海に撒いておくこと。……帰りたい場所があるんでしょう?」

 ちら、と床を見遣ってから、ナミさんはもう一度ため息をついた。優しいひとだ、と俺は思う。それなのにどうしてマリモなんかに惚れてんだ、俺ァ。

 「よし、いくぞマリモ。てめぇも手伝え」

 床に散らばった切れっ端を集めて、俺たちは甲板のうしろに向かう。

 風が強い。波が寄せる。真っ青な空にたなびく雲。

 「せーのっ……!」

 空へと舞い上がる真っ白な絹。

 バラバラになった朱色の花。

 そうしてすべては海に還って、あとには波の音だけが残った。

 

 

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目次とお題 : 

(1)雪の宿  (21ゾロが古宿で眼鏡をはずしてあきれたように小声でささやいた)

(2)ジョーカーのキス  (21サンジが賭博場で服のすそを掴んで上機嫌に頭をなでた)

(3)朱色の花は海に散る  (19サンジが、メリー号で着物をはおって不機嫌そうに歌をうたった)

(4)金色の瞳  (19ゾロが森の奥でシャツを脱いで切なそうにニヤリと笑った)

 

 

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