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魔法の小瓶

(1)Twitterお題 : 21ゾロが古宿で眼鏡をはずしてあきれたように小声でささやいた

 

 

雪の宿

 

 木造建ての古い旅館がガス灯に照らされてオレンジに浮かぶ。

 細くしなだれた柳の枝がこころもとなく風に揺れる。

 街並みの真ん中を流れる川は、底を透かしてサラサラと流れる。

 ゆるくアーチのかかった橋の欄干に、降りはじめた雪がしんしんと積もっていく。

 

 山あいの温泉街。かつて多くの人々で賑わっていたこの街には、さびれた風情がただよっていた。古く茶ばんだ店の暖簾に、赤茶けてさびた自動販売機。美しかった旅館の女将はみな歳をとって、かつての威勢が聴こえることはない。立ち並ぶ旅館は軒並み看板を下ろし、まるでひっそりと息をしているようだった。

 中心街から路地をふたつ入ると小さな宿屋の並ぶとおりに出る。人影もまばらなこの場所には、世界から隔離されたような静けさが漂っていた。

 ゾロは原稿の締め切りが近づくと、決まってその旅館にこもりきりになった。庭にはうっそうと竹やぶがしげり、小さな池には生き物もいない。ふすまで仕切られた部屋は全部で八つ、しかしほかの客の声が聴こえることはめったにない。

 押入れの布団はぺらぺらと綿がしぼみ、運ばれてくる料理に目新しいものはなかった。宿の女将を名乗るばあさんは大して愛想もせず、しかし、ゾロにとってはそのくらいがちょうどいい。かけ流しの温泉は朝にも夕にも心地よく、一面ガラス張りの窓からのぞく山は季節のうつろいに表情を変えた。

 「……煙草吸うなら外でやれ」

 ハァ、とため息をついて声をかけると、男は一瞬手を止めたようだった。窓の外には夜がせまり、雪曇りの空がどんよりと広がっている。

 「アレ、そんなに神経質だっけ、大センセイ?」

 形ばかりの敬称を述べて、男はけらけらと可笑しそうに笑う。さっきまで窓の外をぼんやりと見ていた男は、それでわざわざ隣に座り込んで来た。ずいぶんと冷える夜だった。凍えたつまさきが畳にこすれて「シュッ」と乾いた音を立てる。

 「今回は時間がねぇんだよ。気が散る」

 「いつものことじゃねぇか」

 ふ、と煙を吹きかけられてゾロはチラリと男を見遣る。丸眼鏡ごしに見る男は、金の前髪に表情を隠した。年季のはいった長机に頬杖をつき、窓の外を眺めている。

 「……時代物は資料集めに時間がかかんだよ。言い回しだって普段の倍は気をつけなきゃなんねぇ。骨が折れるんだ、わかるだろ?」

 「はいはい、わかりましたよ文豪サマ」

 くしゃくしゃとゾロの髪をなでつけ、男は「よいしょ」と立ち上がった。「ちょっと俺、風呂行ってくるわ」とふすまを開けた先で、どこぞの女に声をかけることも忘れない。

 ゾロは短くため息をついて、手元の原稿に目を落とす。ゾロが小説を書き始めてから、三年の歳月が過ぎようとしていた。

もとはといえば仕事のあいまに何気なく始めたことだった。

 若さのわりに重い文体と、それに似合わない淡白な描写。三冊目の刑事ものがそれなりにヒットしてから、結局仕事はやめてしまった。それからというものほそぼそと、なんとか書き物だけで食っている。

 男の名はサンジといった。三冊目の本がそれなりに売れたときに、出版社から文庫化の声がかかった。そのときに編集としてゾロについたのが、あの金髪の男だった。

 サンジはゾロと同い年で、この年にしてひとりの担当につくのは珍しいと嬉しげに話した。金髪の髪の毛は見るからに頭が軽そうで、女とみればデレデレと鼻下を伸ばす様子にゾロはさっそく辟易した。

 文庫化にあたってあとがきを書下ろし、表紙を選んで、ほかの作家への書評を書く。思ったよりも時間のかかる仕事を、しかし見た目に反してサンジは丁寧にこなした。できあがりの本を見て思わずうなったゾロに、サンジはニヤリと意味深に笑う。

それ以来、この出版社と組むときにはだいたいサンジに編集を頼んだ。

 

 「風呂出たぜ。って、おまえ……時間ねぇんじゃなかったのかよ」

 畳にごろりと転がって、ほかほかと湯気を立てる男を見上げる。金糸の先から水がしたたって、浴衣の肩を濡らしている。

 「髪ぐれぇ乾かして来い。原稿がにじむ」

 「風呂場にドライヤーがなかったんだよ。脱衣所はさみぃし、上がって来ちまった」

 ガシガシとタオルで頭を拭いて、ゾロの横にどかりと腰を下ろす。机の上に投げていた煙草の箱を掴み、トン、と底を叩いて一本くわえた。

 煙の向こうに夜が見える。

 「今夜はえらく冷えるなぁ」

 「あぁ」

 喉の奥で曖昧に返事をかえし、薄目でぼんやりとサンジを見上げる。適当に着込んだ浴衣の襟もとが緩く開いて肌を見せていた。濡れるとわずかにウェーブする金髪。煙草をくわえる薄い唇。細く煙を吐き出すと、白い喉が上下する。

 「……お前、なんで俺、つれてきたの」

 男は窓の外を見つめたまま、煙の先を揺らしている。雪はしんしんと降り積もり世界を白く染めていくようだった。屋根からどさり、と雪の落ちる音がする。あとにはただ夜の静寂。

 「さぁ、な」

 よいしょ、と体を起こしながらはずした丸眼鏡を机に乗せる。ゾロは男の口から煙草を取ると、すう、と深く吸い込んでつぶやく。不味い。

 「……わかってついて来たんだろ?」

 「どうだか」

 濡れた金糸を指に絡めると、男はすっ……と目を細める。答えないことが答えのようなものだった。ゾロはあきれたように小声でささやく。

 「逃げねぇなら、てめぇも同罪だ」

 びゅ、と窓のそとに風が吹いて古い窓枠がカタカタと震える。白い首筋に顔をうずめると、湯冷めして冷えた体はぴくりと跳ねた。細い腰を片手で寄せて、首筋に軽く歯をたてる。「ぁっ……」と小さく声が漏れた声に、ゾロはどうしようもない気持ちになる。

 窓の外をチラリと見遣る。降り積もる雪。夜が落ちる。

 「痛くしたらぶっ殺す」

 「てめぇしだいだろ、そりゃあ」

 ひそひそと悪態を囁きあって、畳のうえに重なりあう。

 短く吐き出された吐息は熱い。

 見上げる薄い瞳にほんのりと色が灯る。

 雪はすべてを隠していく。

 

 

 

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目次とお題 : 

(1)雪の宿  (21ゾロが古宿で眼鏡をはずしてあきれたように小声でささやいた)

(2)ジョーカーのキス  (21サンジが賭博場で服のすそを掴んで上機嫌に頭をなでた)

(3)朱色の花は海に散る  (19サンジが、メリー号で着物をはおって不機嫌そうに歌をうたった)

(4)金色の瞳  (19ゾロが森の奥でシャツを脱いで切なそうにニヤリと笑った)

 

 

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