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アルタイルの苦悩

4)ゾロと、サンジ 2

 

 

夜半の月が、水面に揺れる。

ざざん・・・ざざん・・・と規則的に寄せては返す白波が、船の底をゆらゆらと撫でていく。

黄金色に輝く半月が、流れる薄雲に時折隠されながら、夜の闇を緩やかに照らし出している。

 

キッチンの小窓から零れ落ちるオレンジ色の光が、外の廊下に薄い光の輪を作る。

 

バタン、と無造作に開けられたドアを振り返ったコックは、そこに現れたひとりの姿を見遣ると、あからさまにひとつため息をついて、手元の作業に戻った。

 

 

「・・・酒なら、そこの棚ん中だ。勝手に持ってけ。」

 

扉の前から動こうとしない剣士を見かねて、そう声をかける。

 

コックはテーブルについて、明日の朝食に使う豆を、ひたすら鞘から取り出す作業の途中だった。

夜のトレーニングを終えたのか額に汗を滲ませた剣士は、相変わらずの仏頂面で、扉の前に立ち尽くしている。

微かな汗の匂いが、キッチンの空気にふわりと溶けていく。

 

「・・・夜食はねぇぞ。」

 

剣士の姿を見ようともせず、コックはぼんやり口を開く。

心底面倒くさい様子の滲んだ声色には、言外に「作業の邪魔をするな」という牽制が含まれていた。

 

「・・・酒じゃねぇ。」

「ふーん、・・・あっそ。」

 

コックが意図的に作り出した壁を、知ってか知らずかつかつかと寄ってきた剣士は、サンジの隣で仁王立ちになる。

ただならぬ、という気配にも、コックは一瞥すらくれず、せっせと豆を取り出していく。

小さな玉がコロコロとボールに転がり、緑色の層を厚くしていく。

 

「てめぇ、ずいぶんと、仲良いんだな、あの七武海野郎と。」

 

抑えられた低い唸り声が、キッチンの空気に響いた。

 

「・・・別に。マリモにゃ関係ねぇだろう。」

 

憎々しげに零した言葉には、幾本もの鋭い刺がささっていた。

 

 

 

甲板での一件から、コックはなるべく、剣士とふたりきりになるのを避けていた。

 

こちらの心配を無下にされて、腹立たしく思っているのは、事実だった。

だけれどもそれ以上に、あの時見せた剣士の傷ついた表情が、コックの脳裏に焼きついて離れなかった。

無論、はじめにこちらを避けたのは、剣士の方である。そっちがその気なら、こっちだって。

そう自分に言い聞かせ、コックは剣士から遠ざかった。

しかし、離れれば離れるほど、あの時ぽろりと溢れた感情が、サンジの脳裏に蘇ってくるのである。

 

アイツがあんなカオする、理由がわからねぇ・・・。

 

怒りに震える胸のうちの、もうひとつ深い場所で。

サンジの心もまた、あのときの剣士と同じようなカオをしていたのだった。

 

 

 

「・・・関係なくねぇ。」

 

サンジの喰えない攻撃に食い下がった剣士は、さらに一歩進んで、サンジをじろりと見下ろしている。

 

コックはそれをチラリとも見ず、せっせと手元の豆を剥いていく。

今まで避けてやがったと思ったら、いきなり、なんなんだよ。

 

そうでもして、無理矢理抑えていなければ、自分のなかの「何か」が、堰を切って溢れ出してしまいそうだった。

 

 

「それに。今朝の、にぎり飯・・・」

 

しかし、ふいに剣士の口から出された予期せぬ単語に、サンジは思わずぎょっと、剣士を振り返ってしまった。

その声色に、ガキのような青臭さが滲んでいる気がしたのだ。

 

・・・にぎり飯?・・・何を、気にしてんだ、こいつ?

 

「・・あれは、ローがあまりに食に関心が薄ぃから、心配になって声かけといたんだよ。うちの船にいる間くれぇ、好きなもん喰わせてやる、て・・」

 

コックが全てを言い終わらないうちに、剣士のゴツゴツとした右の手が、コックの左肩を乱暴に掴んだ。

一瞬怯んだサンジは、それでも依然として手元の作業に戻ろうと、体をひねる。

その動作を無理矢理に阻んだ剣士の右の手は、なかば強引に、コックの体を剣士の方に向けさせた。

いきなりの横暴に、サンジは全くわけがわからず大声を上げる。

 

「ってぇな!なにすんだクソマリモ!」

「・・・うるせぇ!」

 

絞り出された低い声には、微かな動揺が浮かんでいる。

コックは、その意味を測り兼ねる。

なんだ?こいつ・・・怒ってるのか・・・?

 

「手ぇどけろ、俺は明日の仕込みで、」

「・・・なくていい、」

「あぁ?」

「他のヤツの要望なんか、聞かなくていい!」

 

ぎろり、と睨んで凄んだ口調にはしかし、明らかな焦燥が滲んでいた。

他のヤツ?・・・どういうことだ・・・?

 

相変わらずぎりぎりと掌に力を込めてこちらを睨みつける剣士の瞳を、サンジは慎重に、覗き込んだ。

 

「・・・おい、マリモ・・・」

「あぁ?」

「今のは、・・・どういう意味だ・・・?」

「どうもこうもねぇ、言葉どうりの意味だ。てめぇは、てめぇが考えたように料理してりゃいい。誰かの言う通りにする必要はねぇし、誰かのために料理するなんてふざけた真似すんじゃねぇ。」

「おいおい、俺はいつも、誰かのためにしか料理しねぇよ。」

「うるせぇ。それでもだ。もう金輪際、他のヤツの世話なんか焼くんじゃねぇ。」

「心配はありがてぇがな、マリモ。言ってることおかしいぜ。俺が世話焼かなきゃ、誰がこの船の面倒みんだよ。だいたい筋が通ってねぇ。今までだって、俺はずっと、てめぇらのリクエストに応えてきたじゃねぇか、」

 

急にどうしたんだよ、・・・と言葉にする寸前、コックははっと思い至って、口をつぐんだ。

 

 

――・・・独占欲、か?

 

 

「それは、・・・てめぇでもか?」

「は?」

 

コックは、剣士に向かって、問を投げかけた。

それが、「ふたり」の「日常」を壊しかねない危うい質問かもしれないということは、コック自身がいちばんよく、わかっていた。

まだ、気づかないでくれ。「真」に近づくのは、どちらが先だろう。

 

「てめぇのリクエストにも、答えなくていいっつぅことか?」

「俺は、・・・」

 

剣士は、そんなことは今はじめて考えた、という表情のあとにふと視線をはずし、空を見つめて頭をひねった。

長い間、とコックには思える逡巡の間だった。

 

「俺は、・・・わからねぇ。」

「ふん。否定はしねぇのな。」

「っ・・・、」

 

剣士は、自分の考えすら測りかねたように、眉間にしわを寄せている。

わからない、という答えにたどり着いた事が、剣士自身を混乱させているに違いなかった。

 

コックはますます、その真に近づこうと、剣士の胸の内にわけ入った。

この先に、どんな答えが待ち受けているのか・・・。

その結末は、コック自身にも、よくわからない。

 

「じゃあ、質問を変えるぜ。・・・外科医ににぎり飯を作ったのは、アウトなんだな。」

「アウトだ。」

 

即答する。

 

「そんじゃあ、聞こう。それは、俺の負担を考えて、か?それとも、・・・てめぇの心が、ざわつくからか?」

「あぁ?・・・どういうことだ。」

「考えろ、アホマリモ。」

「・・・心が、ざわつく・・・?意味がわからねぇ。」

「いくら脳みそ筋肉でも、感じる心くらいあんだろうが。ちゃんと、目を見開いて、考えろよアホ剣士。それは、・・・その気持ちは、なんだ?」

「・・・?」

 

至近距離で眉根を潜める剣士の瞳を、じいっと見つめる。

そのまっすぐな視線に、剣士が僅かにたじろぐのがわかる。

 

考えろ、ちゃんと。そのちっぽけな脳みそで。

今てめぇの心を満たしている焦燥の、もっともっと奥にある、名もないその、気持ちはなんだ。

・・・考えろ、考えろ、・・・ゾロ!

 

「・・・俺、は・・・」

 

剣士が、おずおずと口を開く。

コックは瞳に静寂を湛えて、その様子を見守っている。

 

答えは、なんだ。

どれが「真」だ。

 

左肩の掌はもはや元の力を失って、ばかに熱くて、ほんの少し、震えている気がした。

 

「俺は、・・・俺は、・・・てめぇを、誰にも、やりたくねぇ。」

「・・・。」

「他の、誰にもだ。外科医だけじゃねぇ。うちのうるせぇヤツらにも、この海の他のヤツらにも、てめぇを、・・・誰にも、渡したくねぇ。」

「・・・あぁ。」

「俺の隣で、俺だけに笑ってりゃそれでいい。俺のためだけに、飯作ってりゃあ、俺は、・・・満足だ。」

「・・・ずいぶんと、乱暴な物言いだな、大剣豪。」

 

はは、と笑ったコックは、まるで観念したかのように、体の力をふっと抜いた。

 

それが、てめぇの、答えかよ。・・・満足だ。

 

気づけばずいぶんと、肩に力が入っていた。

どうやら柄にもなく、緊張していたらしい。

 

 

剣士の右手を柔らかに掴み、優しく肩から離す。

だらりと垂れた剣士の腕が、困惑の空気のなかで、ふらりと揺れている。

 

「残念だがな、剣豪。俺は、てめぇのもんじゃねぇ。」

「っ・・・!」

 

まつ毛をふせてぽつりとつぶやいたコックに、剣士は傷ついた目を向ける。

それは、おそらく、無意識に。

 

だから、・・・そういう目をするんじゃねぇって・・・

 

「バカ、最後まで聞けよ、アホ剣士。」

 

剣士の瞳が、何かを探るようにこちらをうかがう。

その目にふと滲んだのは、恐怖なのか、期待なのか・・・。

サンジはその、青く美しい目を細めて、自分自身に問いかける。

 

俺は、どう答えたらいい。なぁ、・・・ゾロ。

 

「もういっかい言うぞ。よく、聞け。俺は、てめぇのモンじゃねぇ。でもそれはあくまで、“今は”、だ。」

 

その心に聞き耳を立てるように、じいと静かに考えを巡らせていた剣士は、数秒の沈黙のあとで、「はっ」と顔を上げた。

 

「・・・そうだ。この先はそうじゃねぇ、・・・っつう、可能性も、ある。」

「どうすればいい。」

「おいおい、・・・この期に及んでまだ訊くか、アホマリモ。」

「わからねぇ。」

「ったく、野生動物は素直だな。あぁ~・・・そうだな。・・今、俺が手に入るかもと思ったとき、てめぇは、どう思った?」

「っ・・・・・・、」

 

押し黙った剣士を見遣って、サンジは内心でため息をつく。

このマリモ頭、脳みそまで苔むしてやがるか?

っとに、鈍いにもほどがある。

 

だけど、・・・悪くねぇな。あったけぇ。

 

「これで、・・・」

「うん?」

 

永遠とも、一瞬とも思える瞬刻のあとで、剣士が重たい口を開いた。

 

「これで、誰にも邪魔されねぇ。」

「・・・、」

「っ・・・邪魔されたくねぇ、・・・ふたりの間に、誰もいらねぇ。・・・“嬉しい”。あぁ。そうなると俺は、・・・嬉しい。」

「・・・そうか。」

「なぁコック、・・・なんだ、これは。俺は、てめぇに腹立ってるんじゃなかったのか?」

「てめぇの胸に聞いてみやがれ。・・・いや、むしろ俺が聞きてぇ。てめぇは、俺を・・・嫌いなんじゃなかったのか?」

 

剣士は、その質問の意図がわからない、という風な目で、こちらを見つめ返している。

おそらく、半分は無意識だったのだろう。

ただただ、腹が立っていたのだ。それが、「嫉妬」という感情だ、とも気づかずに。

 

優しい低音が、不器用に流れながら、キッチンに響く。

 

「・・・やたらと、目につきやがる。てめぇと、・・・あの外科医だ。ふたりで楽しそうに話しやがって。同郷だかなんだか知らねぇが、俺の知らない話題でにこにこと・・・。単なる客人に、てめぇの愛想のよさも癪だったが、俺はまた、七武海の方が何か企んでんのかと思ってた。・・・でも、あのにぎり飯が。」

 

剣士はおそらく、自分の話がどこに向かうのか、わからないまま走っている。

そのまま、どこまで行くつもりだ、大剣豪。いちど口に出した言葉は、引っ込まねぇぞ。

 

「気になった。どうしても。それで、あいつに聞いたんだ。」

「聞いた、って・・・ローにか?」

「あぁ。」

「ったく、余計なことを・・・」

「そしたらアイツは言いやがった。“先に手ぇ出す”、と。」

「・・・はぁ?!」

 

ロー、あいつ・・・!

 

・・・いや、サンジは気づいていたのだ、本当は。

だけれど、ローの賢明さに甘えて、その心地よさに酔って、何となく許してしまった。

 

ふたりの距離が、縮まることを。

そのさりげない暖かさに、包まれることを。

 

俺はまるで、誰かの代わりのように、あいつに「何か」を零しはしなかったか。

俺が傷ついた分を、あいつに背負わせたり、しなかったか・・・。

 

「わけがわからねぇ。それで、聞こうと思った。今度は、てめぇに。あのにぎり飯は、なんだ。・・・あのにぎり飯が、こんなに気になるのは、・・・なぜだ。俺は、なんで、こんなにも、てめぇを・・・」

 

じっと見つめ返す瞳に、まっすぐな光が灯った気がした。

剣士は、その答えを、自分の胸の中から探し当てただろうか。

深い深い場所に、抑えられてきた、その暖かい想いを。

コックが何よりも欲しかった、その言葉を。

 

「ゾロ。」

 

サンジは優しく、ゾロの頬に手をあてる。

そこは紅く色づいて、湿っぽく熱を帯びている。

わかる。こいつの小さな脳みそが、キリキリと音を立ててフル回転しているのが。

その優しい心が、狂おしいほど痛んでいるのが。

 

「・・・言ってみろ、それ。」

 

 

剣士は、ギリギリと唇を噛んでうつむいている。

 

それがてめぇの、「真」だろう?

バカみたいにまっすぐで、とろけるように熱くて、切なくて苦しくて、あたたかい・・・

 

なぁ、ゾロ。

 

 

――・・・「好きだ、サンジ。」

 

 

優しい低音が、サンジの耳元に響く。

ぎゅうと抱きしめられたコックの体は、二人分の体温で少し、温度をあげた気がした。

 

 

 

「・・・ったく。小っせぇアタマで、柄にもなく悶々しやがって。そうならそうと、はじめから言えよ、クソ剣士。」

「るせぇ。んな気持ちわかるかよ、てめぇ・・・男だぞ。」

「知るか、その男に惚れてんのは、どこのどいつだアホマリモ。」

「っ・・・てめぇは黙って、俺に抱かれろ。」

「はぁ?抱くのは俺だろ、この鈍ちんめ。」

「それとこれとは話が別だ、グル眉毛。」

 

今夜は、遅ぇから・・・。

 

そう言って剣士は、名残惜しそうにゆっくりと金糸を撫でてから、コックをそっと、体から離した。

明日の仕込みが、目の前に残されていることを気遣ったのだろう。

 

・・・キスのひとつもしねぇのか。

 

野獣の名にふさわしくないその控えめな態度に、コックはやれやれと、内心でため息をつく。

こりゃあ相当、教育が必要か・・・?

 

パタパタと、遠慮がちな足音が遠のく。

キッチンの扉に手をかけた剣士が、ふいに振り返って、サンジに問うた。

 

「・・・てめぇの気持ち、聞いてねぇぞ。」

 

手元の豆がコロコロと転がってボールに落ちていく。

明日の朝食は、きっとおいしいスープができるだろう。

 

 

今度はもう、間違えない。

 

ニヤリと口元を歪めたサンジは、剣士の方を振り向きもせずに、口を開く。

 

だけど、今だけ。

あと、少しだけ・・・

 

「ベッドの中で、嫌んなるほど聴かせてやるよ。」

 

・・・ゾロ。

 

 

 

――・・・愛してる。

 

 

 

 

 

 

( 完 ) 

 

 

 

 

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2)ローと、サンジ

3)ゾロと、ロー

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