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アルタイルの苦悩

1)ゾロと、サンジ

 

 

どこまでも広がる蒼い海。

それをそのまま写したかのような、青い空。

真っ白な絵の具で塗りたくったような雲が、まるで空のアクセントのように、ぼんぼんと浮かんで続いている。

 

風は熱く頬をなぜ、額にはじわりと汗が滲む。

甲板には、ギラギラと強い日差しが舞い降りる。

 

おとといまで止むこともなく降りしきっていた爆弾雪が、まったく嘘のような天気である。

 

 

「・・・夏、だな、こりゃ。」

 

誰にともなくつぶやかれた台詞が、キッチンの隙間からほろりと漏れ聞こえた。

トントントンと小気味よく歌う包丁をおもむろに止めたコックは、鼻の頭の汗を拭ってひとり、ため息をつく。

 

 

 

――・・・おかしい。

 

そう気づいたのは、つい最近のことのようでもあったし、思い返せばもっと前から、だったのかもしれない。

 

 

拭っても拭ってもまとわりつく湿気は、まさに夏本番のそれである。

いつもより早めに夕飯の準備に取り掛かっていたコックは、何とはなしにぼうと宙を見上げると、ごそごそと胸ポケットを探って、次の煙草に手を伸ばす。

 

 

おやつを運ぶ午後のひとときにも、揃って晩飯を食べる楽しい食卓でも。

朝飯前のひと蹴りという、いい加減馴染みの儀式の時にさえ、ささいなことから罵り合いに発展するのが、いつもの「ふたり」の「日常」だった。

 

船に乗り込んだそのときから、延々と繰り返してきた、当たり前の毎日。

レディにはとことん弱いくせ、心底負けず嫌いのコックがギャンギャンと喚けば、皮肉に口元を歪めた剣士が、饒舌な罵詈雑言でそれに応える。

 

見飽きるほどに見慣れた、この船のいつもの光景だった。

 

 

しかしこのところ、その「日常」に、ちょっとした違和感が生じていた。

ケンカに、ならないのだ。

それは、その他の船員たちからすれば話題にも登らない程度の、いや、いっそ気づかれていないほどの、微妙な変化ではあった。

 

しかし、当のコックはその変化を、敏感に感じ取っていた。

 

罵声を浴びせようにも、そのタイミングが微妙にずれていくのである。

顔を合わせるたび、ケンカの火種をわざわざを見つけるかのように、いがみあっていたふたりである。

気づけばもう何日も、本気の足技を繰り出していない。

コックの方はいつもどおり臨戦態勢で挑むのだが、なぜだかするりと言葉が抜け落ちていくのだ。

そもそも剣士の方が、コックとの会話を、意図的に避けているような気がしてならなかった。

 

ずいぶんと、妙な感覚である。

 

『・・・調子でも悪ぃのか?』

 

野生のマリモが何を考えているのか、コックにはさっぱり見当もつかなかったが、張り上げた罵声がつと途切れるたび、睨みかけた視線をふいと背けられるたび、どういうわけだか胸がざわざわと騒ぐのを、サンジは無視することができなかった。

 

 

 

「おいこら、寝腐れマリモ。」

 

甲板には、真夏の暑い日差しが差し込んでいる。

風を受けるマストには、白い大きな鳥が3羽、のんきに船旅のお供を決め込む。

てらてらと肌を焼く太陽を避けようと、船員たちは各々、お気に入りの部屋に入って涼んでいるようだった。

 

「んなとこで光合成か?いい加減干からびて枯れちまうぞ。」

 

頭に乗せられたオレンジ色のジュースが、氷を揺らしてカラカラといい音をたてる。

3種類のシトラスフルーツが絞られたジュースには、ほんの少し、塩味が加えられていた。

汗をかいた後の体に優しい、コックオリジナルのフルーツジュースだ。

 

「・・・ん?あぁ。」

 

相変わらず、あいまいな反応で剣士が応える。

いつもどおりに装った仏頂面はしかし、微妙にいつもとは趣を違えている。

その目が微かにサンジから逸らされたのを、敏感なコックの観察眼は、見逃さなかった。

 

「おいクソマリモ、・・・最近。てめぇ、おかしいぜ。」

「・・・あぁ?」

 

一瞬の間が空いて、片目を見開いた剣士が、じろりとコックを睨み上げた。

その目にうつるのは確かに自分だったが、その焦点は僅かに、ずれているような気がした。

 

「・・・隠せるとでも思ったか、アホマリモ。」

「るせぇな、いちいち。」

「こっちの調子が狂うんだよ。なんだよ、気分でも悪ぃのか?」

「ちげぇよ。・・・ほっとけ。」

「・・・おかしいのは、否定しねぇんだな?」

「っ・・・。」

 

ぎくり、といった風に口を閉じた剣士が、再びそろりと目を逸らす。

その不自然な様子に、コックは剣士の不穏を確信する。

 

コトリと静かにコップを置いたコックは、相変わらず微妙に視線を合わさない剣士の目の前に、小さくため息をついてしゃがみこんだ。

 

「いってぇ、なんだってんだ?言ってみやがれ。場合によっては、聞いてやらねぇこともねぇ。」

「・・・んでもねぇよ。」

「なわけねぇじゃねぇか。マリモのくせに強がんじゃねぇよ。」

「なんでもねぇって、」

「だーから、隠せてねぇんだっつの。この俺様が、話聞いてやるって言っ、」

 

「ッなんでもねぇっつってんだろ!!!」

 

ガシャンと大きな音を立てて、ガラスのコップが床に転がった。

マストにとまっていた白い鳥が、バタバタと羽音を立てて飛び立っていく。

甲板中に響き渡った大声が、真夏の午後の静寂を、憎らしいほど逆説的に強調していた。

 

剣士は、今ほど思い切りぶつけた右手の甲に左手を重ね、驚いたように目を見開いている。

倒したのは、自分だろうに。吐き出す息は荒く、肩が大きく上下する。

 

「・・・は、いいぜ。別に、無理に聞くこともねぇ。」

「・・・っ、」

 

剣士の目がなぜか、僅かに傷付きの色を帯びた。

コックはそれを、見ようともしない。

 

「俺のことも、避けたきゃ勝手に避けやがれ。ただし、・・」

 

床に転がったコップを手にしたコックが、努めて穏やかに立ち上がった。

言葉も出せずに固まったままの剣士の瞳には、微かに焦燥の色が浮かんでいる。

コックはそれを知ってか知らずか、もはや剣士に一瞥もくれずに、ただひとつ、低く唸った。

 

「・・・食べ物、粗末にすんのは、許さねぇ。」

 

抑えられた激情が、甲板の空気を震わせる。

 

 

スタスタといつもの足取りで、コックがその場を立ち去ってからしばらくすると、遠くでバタンと、キッチンの扉が閉まる音が響いた。

空を飛ぶ白い鳥が3羽、再びマストに舞い降りようと機をうかがっている。

ひとり取り残された剣士を包む空気は、相変わらず熱っぽくしめって、厭らしく体中に纏わりつく。

 

その光景はどこか、哀しい決別の合図をはらんでいるようだった。

 

 

 

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