top of page

虹の飛翔 3

夜の闇に吐息が交じる。

熱い雫が背中へ滴る。

いつの間にかはだけた布団は、足先だけを包んで温める。

静まり返った乾いた空気がおもむろにぬるりと色めき立つ。ゾロは、つい先刻まで腹の上で艶かしく揺れ動いていた男が、再び動き出したことを了解した。

「っ……ん、あ」

おいおい。すげェな、こりゃ――

僅かに戸惑うゾロの思考が、果てることを知らぬ甘い蜜に覆われる。それはとくとくとゾロの下腹を濡らして、純白のシーツに染みを残す。

ふと目の端に光を感じて、ゾロは小さな格子窓を見遣った。

そこには男と同じ金色に輝く月が、ひとつ。円をすっぱり斬った姿で、闇のなかに沈黙している。

 

 

 

この町に辿り着いてから、幾日かが過ぎた。

無一文だったゾロはその身なりを活かして小銭を稼ぎながら、その日暮らしを続けていた。

日が昇っている間中は、思う存分鍛錬に励む。道場に預けてきた重い妖刀が恋しかったが、それでもただ正座をして経を読み続けるのに比べれば随分とマシな日々である。

『店仕舞い、か?』

半分の月が、軒先に降りる夜。通い慣れた飯屋の前で、ゾロは立ち止まった。

ナミにふっかけられた高額のお代を、きっちり耳を揃えて納め終わってから後も、ゾロは日課のように「風車」に足を向けていた。

丘の上で目覚めた朝。喉の乾いた昼間の刻限。月の隠れる暗い夜――

板前はゾロが顔を出すたび、逐一ご丁寧に悪態をついた。べらべらとよく回る舌で繰り出される、至極煩い罵倒の数々。まるでついでのように仕出される飯はしかし、ただの一度も、手抜きをされたことはない。

「んだ、てめェか」

手狭な店先をぐるりと回り込んだ裏手から、ひょっこりとあのぐる眉が覗いた。どうもこれだけは、いまだに慣れない。珍妙な巻き具合に破顔をしかけ、慌てて口の端を結び直す。

「何、変な顔してんの、クソ坊主サン」

微妙な内情を知ってか知らずか、板前は怪訝そうにゾロを見返した。小脇から青い暖簾が覗いている。店仕舞いの正確な時間は知らないが、今日のそれは、いつもより少し早いようだった。

「悪ぃな、今日は終ぇだ。俺の飯が喰いてェなら明日また、」

「“虹色の蝶”ってなァ、なんだ」

ゾロはおもむろに口を開く。

瞬間、板前の気配が緊張を帯びた。

あの日以来、岡っ引きの二人組も板前の前では蝶の話を避けているようだった。紫の煙を燻らせながらお伽話と一蹴した、擦り切れるほどのつまらない日常。板前は飽いたように眉根を下げて、口の端を歪めたはずだ。

「……なんの話だ」

「惚けんな。この間は、蝶々にゃあまったく興味ねェ風に見えたが」

瞬時に走った緊張の糸は、たった一度の瞬きの間に霧散したようだった。うまく、誤魔化すつもりらしい。

しかし。

――こいつは、何か、知っている。

ゾロは確信を抱きながら、あの満月の夜を思い出していた。

人の都合もお構いなしに、いきなり蹴りかかって来た阿呆野郎は、あの時確かに「蝶」を探していた。

――山賊に身を堕としてまで知りたいくせに、こいつァいってェ、どういうことだ?

「少なくとも、何にも知らねェってワケじゃ」

「ったくてめェもとんだお人好しだな。残念ながらそれ以上の詮索は無用だ」

ゾロの口火を遮って、呻くような低音がぽろりと堕ちた。

諦めたような口調に滲む、氷のような拒絶の色。

ゾロの心臓が、微かに疼く。

「いいか、クソ坊主。てめェは最高にむかつく野郎だが、俺も人の子、悪ィようにゃしねェ。本当に俺のことを想うなら、蝶々の話題は一切忘れろ。そんで、俺の前で二度とこのことを口にするんじゃねェ。……この先、もう二度と、だ」

いつの間にかじりりと間合いを詰めた板前が、鋭い眼光でゾロを見詰めた。上背が然程変わらない所為か、距離が詰まると異様な圧力を感じる。

目前に迫る、夜風に流れた金の糸。

首筋にかかるぬるい吐息に、なぜだか妙な艶が滲んだ気がして、ゾロは僅かに息を飲んだ。

「忠告はしたぞ」

「おいっ、待て」

立ち去る背中を引き止めかけ、ゾロは「はっ」と口をつぐんだ。

美しい金糸の堕ちる甘い首筋に、点々と真紅の烙印が続いているのに気付いたからだ。

「てめ、その首、」

「…………」

面倒臭そうに視線を下げた板前が、殊更にゆっくりとゾロを振り返る。

だらしなく咥えた煙管から、紫色の煙が上がる。夜空に溶けた、諦観の台詞。

――これだから、勘のいい奴は、嫌いだ。

「――ふん。いいぜ、そんなに知りたきゃ教えてやるよ。俺の“戦い方”を、な」

いきなり乱暴に手首を掴み、夜の町へと足を向ける。

鼻先を掠める煙の匂い。

片割れ月が照らす闇を、ふたつ重なる影が切り裂いていく。

こいつと居れば、迷うこともねェか――

右へ左へと強引に腕を引かれながら、ゾロはふと、そんなことを思った。

 

 

板前の「戦い方」とやらの本意に気づくのに、そう時間はかからなかった。

薄暗い連れ込み宿に着くなり自ら着物の紐を解き始めた板前を、なかば夢のなかのように呆然と見つめていたゾロは、無言で覆いかぶさってきた板前を見上げる段になって、ようやくはっと我に返った。

「は、おい、こりゃどういう、」

「うるせェ。俺のこと、知りてェんだろうが」

そう言うが早いか、いきなり首筋に噛み付いてくる。

「てめ何すんっ」

「いいから。……黙ってろ、すぐ終わる」

低音の響きが耳元に堕ちると、ゾロの中心はぞくりと震えた。

「っ、……く」

「反応いいじゃねェか、クソ坊主」

にやり、と意地の悪い笑みを口元に貼り付け、慣れた手つきで胸をはだける。ふいに覗いた袈裟懸けの傷を、一瞬驚いたように見つめた板前は、すぐに慈しむような眼差しを寄越し、そっとひと筆指腹を這わせた。

「……悪ィな、しばらくご無沙汰なんだ」

熱い吐息が腹にかかると、ゾロの兆しは甘く泡立った。

腹の辺りを執拗に舐め回していた板前が、上目遣いにゾロを見上げる。べたべたと濡れそぼった唇から覗く、真っ赤に染まった熱い舌先。吐き出される悪態とは対照的に、とろんとまどろむ柔い視線。

壮絶に、クる。

狭い部屋に繰り返し反響する、淫靡な水音が鼓膜を焼いた。熱い口内に含まれた咆哮は、今やあの瞬間を待ちわびるばかりで、ほんの僅か気を抜いた瞬間に、全てを放ってしまいそうなほどである。

「……おい」

戯れにごりごりと押し付けられた腰から、硬く湿った劣情が伝わる。華奢な細腰には似つかわしくない、壊れそうなほどに凶悪な先触れ。

『こいつも随分キてんじゃねェか』

言外に囁かな問いかけを感じ取ったゾロは、静かに板前の金糸を撫でた。了解、の意思表示である。

「……ヨすぎて、啼くなよ? クソ坊主」

そりゃてめェだろ、とは言わぬまま、ゾロは静かに目を瞑る。

青い着物は肩から落ちて、腰の辺りで緩く留まっていた。板前はそれをそっとまくり上げると、そのままそろりと腰を堕とす。

「っ、あぁ……は、んっ、んん」

「く……っ」

――やべェ。

蕩けそうなほどの甘い熱が、ゾロの中心を深く咥え込んでいた。それだけでもう限界を迎えてしまいそうなほどの悦楽に、ゾロは思わず拳を握る。そうして全てが挿入りきったことを確認して、板前は静かに、律動を始める。

「ん、んあ、…っや、ん……っ」

「っ……」

自ら腰を振りながら、板前は何度もゾロにしがみついた。半開きの口から零れ落ちるうわ言のような嬌声が、ゾロを酷く煽って堪らない。

「ん、っんん、あ、あ」

「てめェで、動いて、……てめェで気持ちよくなってりゃ、っ……世話ねェ、な」

「や、あ、んんっ……はぁっあ、んんっ」

見上げた白い肌はつるりと滑らかで、匂い立つ色香を放っていた。

ぼたり、と腹を汚したのは、板前が零す濁った先走りだ。

「う、んっ、あ、はぁあっ……ん、あ、あ、あっ……ああぁっ!」

――まじぃ……!

「っ!…………っうぅ」

体中が、熱い。

全身を貫く真っ白な火花に、ゾロは幾度も白濁を吐き出す。

引いては寄せる悦楽の波。

荒い息を繰り返しながらぼんやりと見上げた首筋に、紅く残ったまぐわいの痕が見える。

ふいに耳奥に蘇る、物騒に散った喧騒の怒声――

『こいつ……まさか、男相手に』

瞬間、ゾロは無意識に板前の腰を掴んで、下から激しく突き上げていた。

「うあぁ!っん、ん、ああ、や、もう、や、っ……ああぁっ!!」

壮烈な嬌声が闇に溶けて、ゾロは再び頂きを翔ける。

憂い半月が、格子を濡らす。吹き込む風に花びらが散る。

小さな部屋に残ったのは、熱く湿った空気の匂いと、甘く気怠い闇の憂鬱だった。

 

 

 

(続)

 

 

・・・前のページへ       次のページへ・・・

 

 

 

bottom of page