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虹の飛翔 2

先程からゾロは、次から次へと消えていく料理の山を唖然と見つめていた。

金髪の山賊、もとい板前に、ずいぶんと気安く口をきいていたから、おそらくここの常連なのだろう。ルフィと名乗ったその男は、連れ立って来た鼻の長い男とともに、騒々しく店の空気を賑わせている。

「ルフィ、あんたまたツケで払う気でしょう! いい加減にしなさいよ!」

「うるへぇなぁ、わぁってるよ。あ! その肉俺のだぞウソップ!」

「お前はさっき食べたろう!」

「ここにある肉は全部俺のだ!」

女はこれみよがしにため息を吐いて、「しっかり利子つけて返してもらうんだから」と小さく呟く。その横顔ににんまりと不敵な笑みが浮かんでいたのを、ゾロは決して見逃さない。

……おぉ、怖ぇ。

「で、あんたはどうすんの?」

「あ?」

「注文よ。ご飯、食べに来たんでしょう?」

不意に問われ、返答につまった。

腹は減っているのだが、持ち金がない。ちょっと散歩、のつもりで出てきたのだ。如何ともしようがなかった。もちろんそんなものは承知の上で、店先で潔く頭を下げようと腹を括っていたのだが、あれよあれよと押し流されるまま、着いた先がこの卓だ。今さら口火を切りにくい。

「あ~……」

ぽりぽりと緑頭を掻き乱す。腹は減っている。死にそうなほど。だけど、金が。

「ほら、喰えクソ坊主」

気まずく逡巡するゾロの目の前に、湯気の立つ汁物がどん、と置かれた。思わず椀を覗き込めば、まるく皮を剥かれた野菜がいく種類もごろごろと底に沈んでいるのが見える。色とりどりの野菜の合間、顔を覗かす、小さなつくね。

「……これは」

「は、てめぇの目は節穴かよ。これが家畜の餌にでも見えっか? まぁ、野生の獣に餌付けすんだから似たようなもんか」

はは! と軽く哂った口元から、紫の煙がぷかりと浮かんだ。えらく重たい霞の匂い。俺は一向構やしないが、客商売でそれはどうなんだ。

「親切はありがてぇが、生憎俺ぁ金を」

「腹、減ってんだろ」

ゾロの言葉を遮るように、板前がピシャリと言葉を重ねる。事あるごとにふにゃふにゃと愛好を崩し、おナミおナミと煩かった阿呆面に、ほんの一瞬鋭い熱が篭る。ゾロはふと、両の腕で受け止めた鈍い重みを思い出す。

やはり、気のせいではない。

――あの、気迫。

「どんな事情だか知らねぇが、俺は腹ぁ減らした奴を放っておけねぇ性分なんだ。命拾いしたな、クソ坊主」

ひらり、と手を振って、ふわふわと店の奥へ足を向ける。途中でルフィとやらの頭に拳骨を作り、通りすがりのおナミとやらに片手で軽くあしらわれながら。

常連の口から零れる涙目の文句が、手狭な店内に響き渡る。

後に残った、重たい煙。

 

 

「蝶? あぁ、妖蝶のことだろ」

事も無げにそう言い放った長鼻を、ゾロは感心したように見つめ返した。

「知ってんのか?」

「知ってるもなにも、俺らが追ってるのは正しくその蝶々さんたちのことよ。……まぁ厳密に言えば、妖蝶でひと儲けしようと一計を企てる、極悪非道の悪党サマ方、なんだけどな」

ずずず、と汁を飲み干したルフィを見遣ってから、ウソップがぐい、と顔を寄せる。数えること、十杯目。

「妖蝶はこれまで、生きたまま人に捕獲された前例がねェ。死んだ動物の死骸に群がっていたとか、霧雨の降る虹の夕刻に大群を見たとか、そんな話ばかり実しやかに流れてる。中には、光りながら消えただの、燃えながら舞う姿を見ただの、甚だ怪しい情報も混ざっちゃいるんだが、目撃されるのはここいらジパング周辺の奥地ばかりだと、なぜかそこだけはどの噂も一致してんだ」

なんだそりゃお伽話みたいなモンかよと鼻で笑えば、真面目くさった顔で首振りが返った。ゾロは目の前に置かれた握り飯を手に取る。焼きおにぎりと、エビマヨネーズ。いったいどういう組み合わせだろう。

「いや、蝶は、いる。言ったろう、前例がねぇのは“生きたまま”捕獲されたことだ。これまたえらく不思議なんだが、なぜか死骸だけは見つかるんだな、これが。見たことねぇか、ほら」

そう言って懐からひらりと出された薄い紙に描かれる文様に、ゾロは確かに見覚えがあった。

「……これは」

「そう。この国の王家の紋章だ。死んだ妖蝶の羽をモチーフに描かれてる。つまりジパングには昔からこの蝶が生息していて、その姿を生きた時には決して表さず、どうしてだか死んだ姿だけが、いつも人間の目の前に現れた」

ゾロはじっと紙を見つめて、そこに描かれた片羽を見つめる。薄い皮膜のように重なる、美しい流線型。頼りなさげに見えてその実、静かに凛とした存在感。霞がかった淡いグレーが、空からひらり舞い落ちた、その刹那。

「ん?」

しかしゾロは、何かが腑に落ちず小首を傾げた。なんだろう、この違和感。

得意げに鼻を伸ばしたウソップの、もじゃもじゃと巻いた毛先を眺める。

そういえば「奴」の眉毛も、妙だった。あいつァどうにもいけ好かねェ。何がそんなに楽しいのか、いちいち俺のペースを崩しやがる。細い腰をくねらせ、瞳の奥を光らせる、なまっちろくて金色の、あの男。

……そうだ、あいつは確かに、「虹色」と――

「そう。灰色なんだ、見つかる蝶は全て」

ゾロの思案を読んだように、ウソップが先の言葉を続けた。心なしか潜めた声が、物騒な色味を帯びている。

「生きた妖蝶を捕獲しようと山に入った輩は数知れねェ。なんせ死んだ妖蝶ですらウン十万ベリーで取引されるような代物だ。生きてるヤツらが手に入りゃあ、この先の人生大穴どころの騒ぎじゃねェ。そうして意気揚々と山に入った奴らは大概、何の収穫もなく下山する羽目になるんだが、ただひとつ、妙なことが起こる、らしい」

――虹色の、蝶を見た。

無念の帰還を果たした狩人たちは皆、衰弱しきった顔でうわ言のように呟くという。

あの世の渕を覗くような死相を滲ませて、空を見つめる眼だけは奇妙に爛々と光らせながら。

そんなことが、あるのだろうか。灰色の蝶が虹に輝くなどという、まるで子供騙しの骨頂のような、馬鹿馬鹿しいほどに美しい光景が。

「……で、俺たちが追ってんのは、そうやって蝶々さんを追いかけるのに飽き足らず、なんとまぁ汚ェお金儲けに目が眩んじまった挙句、善良な市民に偽物の蝶々掴まそうと企む非道な大悪党サマ方、っちゅうことなわけよ」

いやァさっすがキャプテンウソップ様! 溢れんばかりの正義に満ちた素晴らしい心意気、心が洗われるようだぜ!

大げさな身振りで何やらを滔々と唄い上げるのを聞こうともせず、ゾロはルフィに視線を移した。一心に目の前の山を片付ける、気持ち良いほどの喰いっぷり。こりゃあ作った奴は堪らねぇだろうなァと、ぼんやり思う。話のついでに身分を問えば、岡っ引きの親分さ、と鼻高々にウソップが応えた。

「これは内密だがな、この国の王家を守る重要な任務を、俺たちゃこの背に負ってるわけよ。なぁ、ルフィ? そうだろ?」

「知らねェ。俺はサンジを助けたいだけだ」

むしゃむしゃと頬袋いっぱいに肉を頬張りながら、親分らしいルフィがあっさり言葉を零す。隣でウソップが何やらを朗々と語りかけていたが、ゾロにその声は届かない。

――助けたい? あの、板前を?

「おいルフィ、そりゃいってェどういう、」

「おらクソ野郎ども! 無駄口ばっか叩いてねェで、飯は黙って喰いやがれ!」

ドカン、と大きな音をさせて、板前がルフィに拳骨を落とした。本日、二度目である。数段のたんこぶを作ったルフィは、ひぃひぃと涙を浮かべながら、目の前の肉を口内に放り込んだ。なおも文句を垂れるウソップをじろりと睨んだ板前は、気だるそうに煙を吐き出す。

「お前らの心意気はありがてェが、そんな半分お伽話みてェな話、誰が信じるかよ」

溜め息とともに、煙管の煙がぷかりと揺れる。片眉を僅かに下げて呆れたように放たれる口調が、この話題が擦り切れるほどに繰り返されてきたことを物語っていた。

「クソ岡っ引き野郎どもは、黙って城だけ守ってりゃいいんだよ。ったく、んな阿呆らしい噂なんか信じやがって。変な同情で勝手に人んち首突っ込むんじゃねェっての」

「だってようサンジぃ」

「妖蝶なんか、いねェ。わかったな? てめェは肉減らされたくなきゃ、さっさとこっから立ち去りやがれ」

ふご! っと吹き出しかけた口元を押さえ、ルフィが慌てて卓上の肉を囲った。

「これはやらねェ! 俺の肉だ!」

「それじゃ俺のがねェじゃねぇかルフィ!」

「はいはい喧嘩なら外でやってね! サンジくんもそんな奴ら相手にしてないで、さっさと薪割りに入ってちょうだい」

はい! おナミさん、喜んで~!

追加の味噌汁を仕出しながら現れたおナミに、板前はいきなりくねくねと愛好を崩す。忙しい男である。

「……わかったら、さっさと行け。んな嘘みてェな噂信じて阿呆な捕物追いかけるよりゃ、お美しいビビちゃんの護衛でもやってろ、クソ野郎ども」

けっ、と悪態を吐き捨てるようにして、板前は奥へと引っ込んだ。

卓上に残る、白い平皿。

端に残った米粒をつまみ上げ、ゾロはぱくりと口内へ放る。

……美味い。

「あら、綺麗に食べたじゃない。物騒な顔面してるから、どんな野蛮な食べ方するかと思ったら」

「おい、」

初対面の客にそれは些か乱暴じゃねェかと口を開きかけ、ゾロはむ、と眉を潜めた。おナミ、とやらの表情が、ほんの僅かに曇った気がしたのだ。

「……サンジくん、嬉しそうだったわ。あのクソ坊主、金もねェくせに飛び込んで来やがって、とかなんとか文句言いながらだったけど、あんな楽しそうに料理作るサンジくん、久しぶりに見た気がする。今日のところはお代はいいから、今度倍にして返してちょうだい」

にこりと笑ったおナミの瞳に、微かな悲哀の色が篭る。後半の不穏な台詞を聞かなかったことにして、ゾロはがたりと席を立った。

「ごちそうさん」

店の奥まで、届くように。

あいつは、聴いているだろうか。

――『俺が聞きてぇのは、“虹色の蝶”のことだ』

はっきりとそう言い切った、鋭い口調を思い出す。

ふたりを照らしたお月様は、全ての真実を知ってか知らずか、無遠慮にテラテラと金に光っていたはずだ。

 

 

その夜、ゾロは川べりに寝そべって、穏やかな夜を過ごしていた。

雪溶けの真水は冷たいけれど、風にはほのかに春が香っている。横に並べた笠の脇には、ふきのとうが顔を出しているようだった。揺れる空気に、瞬く星。無数に広がる金の宝石は、欠け始めた月明かりにゆらゆらとその体を預けている。

「……?」

ゾロはふと、柔らかい風の音に乗った微妙な気振りに耳をそばだてた。遠く、山の辺りからだろうか。物騒に散る喧騒の雰囲気と、微かに流れ込む怒声の重なり。喧嘩、にしては、やけに派手やかだ。

『薄ら暗ェモン同士の、諍いか?』

閉じた瞳はそのままに、静かに耳を傾ける。風の流れに合わせて時折強くなる、混じり合う男どもの声。

……まぁなんにせよ、俺にゃあ関係ねェ、か。

『面倒くせェ』

くあ、と大きく欠伸を残し、ゾロは再び眠りに寄り添った。

足元に流れる水音が、美しく無秩序なメロディを奏でる。満たされた腹がくるくると満足げな鳴き声を上げる。ゆっくりと眠りに落ちながら、ゾロはだんだんに現から遠のいていく。

その道すがら、夢がゾロに見せたのはなぜか、昼間腹に納めたはずの大きなふたつの握り飯だった。

 

 

 

 

(続)

 

 

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