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みっつめの交差点で 4

「おー、サンジ。良くなったか」

すりガラスの扉を押し開けるとウソップが一番に声をかけてきた。適当に休みの詫びをいれ、溜まった仕事の確認に入る。

窓にかかったブラインドの隙間から朝の光が差し込んでいる。

「悪かったなウソップ。昨日の撮影」

「いいってことよ。熱出てたんだって? 仕事詰め過ぎたんじゃねぇのか」

軽口に乗せた心配を、ハハッと軽く笑って流す。

ダブルクリックでスケジュールを開くと新しい予定が入っていた。本日の予定はざっと三軒。午前中の取材が二件と、お昼過ぎから渋谷での撮影。

「まぁ、ここんとこ寒かったしな。気ィつけろよ。……あ、そんなことよりお前さ、」

思い出したように言葉を重ね、ウソップがまじまじとサンジを見た。サンジはまっすぐに画面を見つめ取材の準備を淡々と進める。

えぇと、道順的にこっちの店舗を先にして、とすると先に使うのはこっちのカメラだから……。

「あの男、誰だったっけ。おとといサンジが帰ったあと、必死な顔してうちの事務所に乗り込んで来て……」

ガタリ! と大きく椅子をひいてサンジは思わず立ち上がった。ビクッ、と肩を震わたウソップが何事かとサンジを見上げる。

「な、なんだよ」

「ウソップ」

「はっ、はい!」

「……合コン、開け」

「ハイッ、…………は?!」

合コン?!

素っ頓狂な大声を上げて今度はウソップが椅子を大げさに引く。そのもじゃもじゃ頭を思い切りはたいてサンジはぐい、と肩を組む。

『バッカ声でけぇよ!』

『す、すみませ……いや、あんまりいきなりだったから』

『来週の週末あたりどうだ?』

『お、おぉ……わかった。合コンな、俺に任せとけ。とびっきりを集めてやるよ!』

さっすが頼りになる男だぜ、などと適当に持ち上げればまんざらでもなさそうに長い鼻をさらに伸ばす。この俺様の手にかかれば八千人の美女どもがイチコロだぜ!

早速スマートフォン片手にそそくさと事務所の扉を押し開けた後ろ姿を見送る。きっと屋上で電話でもするんだろう。その行動力には本当に頭が下がる。

――必死な顔して事務所に乗り込んで来て……。

一体、誰だと言いたいのだろう。

サンジはぐしゃぐしゃと金糸を乱し目の前の画面と睨めっこを始める。

 

 

 

「かんぱぁーい!」

翌週の週末、ウソップ主催のコンパは無事に開かれることとなった。

金曜日の新宿はさまざまな人で溢れ、地球の縮図ようにごった返している。

「ねぇ、サンジくんっていうの? かわいい名前!」

「やだなレディ、この名は貴女に呼ばれてはじめて美しい宝石みたいに輝くんだよ!」

やだぁもうサンジくんたら~!

キャッキャと弾ける笑い声が賑やかな店内の雑踏に消える。

こちら側に座るのは、ウソップとその知り合いの野郎たちだった。五対五で用意されたメンバーはどの子も目を見張るほどに美しい。

「サンジくんって、彼女いないの?」

「いないよ~。キミのようなカワイ子ちゃんを差し置いて彼女なんて作るわけないじゃないか!」

「ねぇねぇサンジくん、お休みの日は何してるの?」

「えっ、ん~そうだな、朝起きて、貴女のことを考えながら料理を作ってるかな」

「サンジくんって料理できるの?!」

「ん? あは、あァ、もちろん。キミのためなら惜しまず愛を注ぎます、レディ」

キャ~かっこいい~!

女の子たちの黄色い声がサンジを囲んでキラキラと弾ける。

ふわりと香る甘い香り。耳にかかる艶やかな髪。白肌の美しい二の腕と、その向こうに臨む柔らかな谷間……。

嗚呼、天国。

「あっ、やだァ。サンジくんったらどこ見てるのよ~エッチ!」

勝利の鐘がリンゴンとサンジの脳内に響き渡った。不自然なほどにぐいぐいと押し付けられる白い某は決して勘違いではないはずだ。

『今夜は……イケるな』

サンジはウソップに目配せをしてこの後の予定をそれとなく伝える。俺、しけこむわ。

ウソップもそれを正確に受け取り『りょーかい』の顔で眉を上げた。

『ウマくやれよ』

『そっちもな』

ごくり、と喉を鳴らして薄いアルコールを胃袋に流す。どこだかのランキングで星が三つだか四つだか。店の名前など見てもいない。ただ、寂しさが紛れれば、それで。

――寂しさ?

「…………ぇ、ねぇ、ねぇえってば、ねぇ聞いてる?! もうサンジくんってば!」

「っん、あ、はい? あ、ごめんごめん、どうしたのレディ?」

「もうっ、全然聞いてなかったでしょう。ねえ、このあと……ヒマ?」

上目遣いにサンジを見上げ艶かしい素肌をチラリと覗かせる。つやつやと潤ったピンクの唇。――ビンゴ。

「……もちろん、お望みのままに、」

レディ、と差し出した右の手が背後からぐいっ、と強く引かれた。

なんだよ、と剣呑な瞳で見上げたその場所に、立っていたのは――

「ゾロっ!! お前何しに、うわっ」

「悪ィな。こいつは、俺のツレだ」

思い切り腕を引っ張られてその場でふらりとバランスを崩す。抱きとめられた分厚い胸板。息を切らした獣の匂い。

「もらってくぞ」

賑わう店内をまっすぐに突っ切り、夜の狭間に駆け足で飛び出す。

ぐんぐん後ろに流れる夜景はまるで星空のようだと思った。

 

「っ、てェ! ……なにすん、ッ」

硬い革張りの安いソファにサンジの体が縫い付けられる。ゾロは上から覆いかぶさり荒い息を吐いている。伸し掛った体は存外に重い。体勢を変えようと身じろげば見下ろす瞳に光が灯った。

なんだよ。こいつ……怒ってるのか?

「おいおい、落ち着け。話なら聞いて、」

「るせぇ! てめぇに話すことなんかねェ!」

暗く狭い部屋のなか、腑抜けたミラーボールがくるくるとまわる。L字型の固いソファ。電源の切れた二本のマイク。大画面の中躍る女の子たちはみんなおんなじ顔に見えた。

「どういうことだゾロ。いきなり乱入して来やがって。俺ァもう少しってとこで一夜のランデブーを逃しちまったじゃねぇか。ったく……ちゃんと、説明しろ」

まだ息を乱したままのゾロがサンジをじっと見下ろしている。額は僅かに濡れていて緑の産毛が張り付いている。肩が上下に揺れるのに合わせ、熱い吐息が僅かに触れる。雨なんか一滴も降ってないのに雨宿りみたいだとサンジは思った。

「……説明なんか、ねェ」

「あのなぁ。人のこと強引に連れ出して言うこともねぇわけがねぇだろう。てめぇがあの店に居たのは、偶然か?」

ぐっ、と喉を鳴らしたゾロがバツが悪そうに視線を逸らす。サンジを掴む掌が、痛いほどに熱を放つ。

「…………つけた」

「どっから」

「あんたの、仕事場から」

「あぁ……そう」

はぁ、とこれみよがしに溜め息を吐けばゾロが意外そうに目を丸くする。

「怒らねぇ、のか」

「怒りゃしねぇよ。っつうか、その……悪かったのは、俺の方だろ」

わからない、というようにゾロが微かに目を細める。力の抜けたその一瞬でサンジはするりとゾロから抜け出た。掴まれていた場所が、紅に染まる。ゾロの、痕。

「こないだは、悪かったな」

カチッ、カチッ、と音を立ててジッポがぼう、と橙を灯す。キン、と華やかな金属音が猥雑な背景にかき消される。少しだけ冷える金曜日の夜。街はほんのり浮かれている。

「いきなり呼び出しといて勝手に落ちるとか、慣れねェ街で無理させたな。仕事、持ち帰ってたんだろ? 大した気遣いもできねぇ上に、帰り際にはあんな……」

言いかけて、口ごもる。

あんな……なんだったと、いうのだろう。

「俺も熱でどうかしてたんだ」

――忘れろ。

そう言って高く煙を吐き出したのと、唇が強引に塞がれたのはほとんど同時のできごとだった。

「……ケホッ、てンめぇ……! 喧嘩売ってんのか、笑えねぇギャグか、どっちだ」

「どっちでもねぇ」

胸ぐらを乱暴に掴まれながらサンジは二、三度咳を零す。紫の煙にそまった吐息がふたりの隙間をとろりと埋める。

距離、ゼロメートル。

「てめぇの本心が知りてぇ」

囁くように吐き出された台詞はなぜだか少し震えていた。

 

 

「ハッ。ぅ、ぁ……」

二本の指が遠慮がちに湿った後孔を割り開いている。照明の落ちた静かな部屋に粘ついた水音が溶けて淀む。

「あっ、ゾロ……そこ、っやべぇ」

掠れた声で呟けば後ろから密着しているゾロの体温が上がった。はっ、はっ、と零れる息が切ないほどの欲情に染まっている。

「やっ……ァ」

「顔、見せろ」

四つん這いの格好でぐん、と顎を持ち上げられる。気持ちよさに集中していたのか頬にはよだれが伝っていた。獣はそれを満足げに舐めてそのまま唇に吸い付いてくる。とろん、とまどろんだ瞳で見上げれば仰け反った喉に牙が立った。

「ッく、ぅ……ハッ、はぁ、はぁ……ゾロ、な。もう」

「まだだ。全然、こんなんじゃ足りねぇ」

腹をすかせた野生の獣が呻くように喉を震わせる。ジュっと音を立てて吸われた背中には赤い斑点が点々と咲き乱れる。

「っ……」

堪らず前の昂ぶりに手を添えるとゾロが黙って制止した。射抜くように視線を絡ませ目尻に優しくキスを落とす。

「俺が。やってやるから」

そうっと包み込んだ掌が柔らかなリズムで律動を刻み始める。それは次第に速度を増して、サンジの呼吸と一体になっていく。

「はぁっ、あ、ぁ、ッあぁっ、ゾロっ、あぁっダメっ、イっ、く……!」

ぅ、と小さく呻きを落として、サンジは静かに精を放った。全てを受け止めた掌の温もりが疼く中心に沈み込む。――熱い。

「はぁ……はぁ……お前、なんで俺ばっか、うあっ」

いきなり天地が逆転してサンジは思わず声を上げた。上質なシルクで装飾されたダブルベッドがぎしぎしと軋む。

気づけば、真っ白な脚は担ぎ上げられ秘めたる蕾があらわになっている。

「……入れたくなった?」

「黙ってろ」

脅すようなゾロの声音にサンジはカラカラと笑いを落とす。ゾロは額の汗を拭いながらいきり立った咆哮を双丘にあてがった。円を描くように探られると背筋にぞっと鳥肌が立つ。一瞬、息を詰めたゾロは、おもむろにずっ、と腰を入れる。

「ぐっ、うぅ」

「……痛ぇか」

「バカっ聞、くな、ァっ」

結びが1ミリ深くなるごとに、あ、あぁ、ぁ、と声が漏れる。中をごりごりと抉られる感覚にサンジはたらり、と冷や汗を流した。気持ち悪い。――だけじゃ、ない。

「はっ、入ったか」

「もう、少し……」

んん、と低く声を漏らしゾロがぐっと腰を落とした。

あっ……――

「入った、な」

クソ野獣め。獣姦だぜこりゃあ。

口端を歪めて笑った頬にちゅ、と軽くキスが落ちた。くすぐったさにくすくすと笑えば、まぶたの上と鼻先もかすめる。唇から伝わる、高い体温。

「……どうしたゾロ」

「あさって、地元に戻る」

うつむいて、視線を逸らす。表情は見えない。

「……そっか」

「その前に、どうしても聞いておきたかった」

切羽詰った低音がサンジの鼓膜を柔らかに揺さぶる。その怖いもの知らずのまっすぐさが若さだというならば俺はいつの間に歳を取ってしまったのだろう。

「なぁ、あんたは、」

「ゾロ」

白く細い指先を伸ばしゾロの頬をそろりと撫でる。苦しそうに歪めた眉が必死になにかを伝えている。

なぁ、ゾロ。

――気づかない方が幸せだってことも、あるだろう?

「動けよ」

はっとしたように目を見開いたゾロのごつい腰を引き寄せる。舐めるような執拗なキスをねじ込めば、ゾロは一瞬戸惑ったように体を引いた。遠慮がちに絡まってくる、分厚い舌に思い切り噛み付く。獣はその痛みを合図に、堰を切ったように激しく腰を震わせた。必死に穿つ暗闇の奥、微かな光でも探すような……。

「んっ、んっ、んっ、あッあぁっ、ゾロっ、ゾロっ……!」

ゾロっ……――――

 

 

細く吐き出す紫の煙が天井付近にもやをかける。サンジはぶるっと体を震わせ両手で冷えた肩をさすった。夜が、冷えている。

腹の位置までかけた布団をほんの少しだけ上にあげる。そうして腕をサイドボードに伸ばし指先で弾いて灰を落とす。

「……なんだよ、後悔してんのかよ」

足の先だけ布団に突っ込み、ゾロが膝を抱えて座っていた。こうして裸で横に並ぶと身体の違いがよくわかる。しなやかについた全身の筋肉と手入れのされていない素朴な皮膚。寝返りをうって見上げればゾロはふい、と顔を背けた。

「してねぇ」

「ふーん」

サンジはごそごそと体をひねりゾロの足元に体を寄せた。自分よりも僅かに高い体温が暖かなまどろみを連れてくる。ゾロはサンジの口元から短くなった煙草を抜き取る。ひとくち吸って「まじィ」と呟きサイドボードの灰皿に腕を伸ばす。

「……なぁお前、東京来んの」

こてん、と頭をゾロに預けてサンジはうとうととまぶたを落とす。ゾロの気配は静かに凪いで果てしなく広がる海を想像させた。

「なぁマリモ。この街は結局、ツギハギだらけの嘘ものでしかないんだ。作られた街並み、人工的な賑わい、整理された自然。住んでいる人間たちだって、ここじゃないどこかに故郷があったりする」

心地よい眠りのリズムがさざなみのように寄せては返す。淡々と零す独唱は柔らかなオレンジに照らし出される。

「だけどその、ごった煮の多国籍みたいなところが、裏を返せばこの街の包容力になって、結局は“許される”ことが多いと思う。だいたいのことは受け入れられるし、“それでOK”っていう懐の深さみたいなのがある」

とつとつと紡ぐサンジの言葉をゾロは黙って聴いているようだった。こいつの地元じゃあ今夜だって湯水のように星が降り注いでいるのだろう。それは本当に素晴らしいことで、だけどどこか寂しい気もする。

「この街の持つ色、感情、エネルギー、そういうのにはやっぱり独特なものがあると思う。無自覚に“日本の中心”を貪っている、その、純真さと傲慢さ。だけどその綺麗と汚いのちょうどあいだを、俺はまだ、揺れながら歩き続けていたいんだ」

独白のような独り言をサンジは点々と声に乗せる。黙ったままのゾロの気配がふわりとサンジの心臓を包む。暖かい。――声も、匂いも、熱も、全部。

「なぁ、ゾロ。寂しいけど、寂しくないんだ。この街の人間が冷たいだなんて、思ったことは、あんまりないよ」

深い眠りに落ちる間際、サンジは薄らと意識を彷徨わせる。いつの間にか大きな掌がゆっくりと金色の髪を梳いていた。愛おしげに、慈しむように。それはまるで幼子に対するそれのようでサンジは嬉しくて頬を染めた。

ずっとずっと、このままがいい。この瞬間に立ち止まっていたい。

それが儚い夢だということを知りながら、今この瞬間だけは忘れていよう――――

 

 

 

 

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