top of page

マリモのみる夢

2) スナックマリモ

 

 

「チっ。あぁ、クソ。なんで俺がこんなこと……」

幾度目かに舌打ちを打てば慣れた悪態が喉から零れる。

時刻は午後七時三十分。

八時の開店に合わせるように「彼」は今日も掃除に精を出している。

 

 

ここで働くのは、今日で、十日目だった。

女遊びに興が乗り、ふらふらとついて行った先は怪しげな賭博場だった。

あれよあれよと負けが嵩み、気づいた時にはすっからかん。清々しいまでの財布を覗き男は大きくため息をついた。脇でにこにこと微笑むレディたち。彼女たちに騙されたんじゃあしょうがない。

潔く負けを認めた「彼」が静かにドアノブを捻ったのと、肩を叩かれたのはほとんど同時のことだった。

 

そしてこの店に「配属」されたのが十日前。

こじんまりとした店構えの、所謂小さなボッタクリバーだった。

 

 

 

「おぉ、新人。おはようさん」

店の奥から声が届いた。「彼」は忌々しげに声の主を睨みつけ、わざとらしく舌打ちを打つ。

声の主はいわゆる『支配人』というヤツだった。

緑頭に金のピアス。ドスの効いた低音は確かになんだか迫力がある。

「彼」は黙ったまま掃除を続ける。艶々の床、磨かれたグラス。今しがたピカピカに拭き上げたガラスのローテーブルに覗き込んだ自分が映る。

そこにあるのは、見慣れない顔。

「……なぁ、“サンジーナ”?」

「うっせェ!」

手に持った台拭きを思い切り投げる。途端ドレスがひらりと揺れてピンクの裾がふわりと広がった。

ふるりと震える長いまつ毛。

真っ赤にひいた紅の香り。金に揺れる長いウイッグはさらさらとそよいで美しかった。

緑頭は投げられた台拭きをひょいと避け、静かに笑ってカウンターに入った。

 

「彼」は今、人生で初めて「彼女」の日々を送っている。

 

 

今夜もバーは盛況だった。

「かぁわいいねェサンジーナちゃん」

下衆い声が鼓膜を震わせ『サンジーナ』の背筋を凍らせていた。さっきからやたらと距離の近いおやじの鼻息が頬にかかる。

支配人はいつものようにカウンターから店の様子をうかがっているようだった。

そのカウンターにはぽつんと一人の男が座っている。次々に酒を流し込みながら何かをぼそぼそと話している様子だった。支配人が客に“彼女たち”をつけないのは珍しい。横目でおやじの相手をしながら知り合いだろうかと『サンジーナ』は思う。男はウィスキーを煽りながら何をかを話し込んでいるようだった。

ここがボッタクリバーであることは普通の人間なら三十分で気づいた。

おやじたちは騙されたと怒り出し、帰るだなんだと大声で喚く。いつものことだった。

そりゃあそうだろうと『サンジーナ』も思う。美人なレディがいるかと思いきや、待っているのは“彼女”ばかり。出てくるフルーツはパサパサと乾いて、酒はいちいちゼロの数が多いのだ。

金を返せと喚き散らし、今すぐ帰ると息を巻く。酒を飲んで強気になったおやじたちはしかし、支配人のひと睨みでいつでもしゅんと小さくなった。

「っ、……」

「ん? どうした、サンジーナちゃん。ここ……どうかしたのかい?」

そんなおやじたちが目をつけるのはなぜだかいつも『サンジーナ』だった。

騙された悔しさと逃げられない怖さ。妙な興奮状態なのかおやじたちは鼻息が荒い。

せっかく金を払うなら、せめてその分遊んでやると彼らはそう考えるらしかった。 ――だったらできるだけ「女」に近い方がいい。

そこで白羽の矢が立つのが、ゆらゆらと揺れる金の糸だったのだ。

「や、っ……め」

やがれ! このクソおやじ!

叫び出したいのをぐっと堪え『サンジーナ』は腹の底に力を込めた。

――壱億円。

それはあの賭博場で笑顔を振りまくオレンジ髪の彼女を、助けるために必要な額だった。

「そんなにイヤかい? サンジーナちゃん」

「や、……めてくださいよ、シャチョウサン」

精一杯の猫なで声でとろんと見上げればおやじはニヤリと黄色い歯を覗かせた。気味の悪い手つきがさわさわと太ももの裏を意味深に撫でる。頬にかかる吐息は明らかに厭味な熱を上げている。

「ひ……ぅ、」

首筋をべろりと舐められて堪らず上ずった声が漏れた。あまりの気持ち悪さに背中をぞわぞわと悪寒が走る。

我慢、我慢……。

『サンジーナ』は黙って目を瞑り、呪文のように小さく唱える。

健気な笑顔の底に沈む絞り出すような涙を思い出す。

あの時どんな手を使ってでも必ず助け出すと心に決めたのだ。

おやじはもはや完全に欲情し色のついた目で『サンジーナ』を見据えていた。

「……なぁ、少しくらいいいだろう? 俺たちだって騙されて金払わせられてんだ、ちょっとくらいサービスしてくれよ」

「やっ、あ」

熱い吐息が耳にかかる。酒の交ざった汚い熱情。ぴちゃりと聴こえた水音に『サンジーナ』は必死で抵抗を返す。

『だ、だめだ、声が、出……っ』

「ふ、ぁ」

助け……!

 

「おい」

 

その時。

空気を破って聴こえたのは、もはや随分と聴きなれてしまったドスの利いた低音だった。

「っ……おま、」

「こいつ、借りるぞ」

ぎろりと睨みつける鋭い眼光が店内の温度を一度ほど下げたのがわかった。

 

 

「っひゃあ!」

どさりとベッドに投げられて思わず妙な声が漏れる。

スナックの店舗から螺旋階段を上った先、支配人の寝泊りしているのであろう薄暗い部屋にはオレンジ色の小さなランプが灯っていた。

「やっ、離せっ! なにすん、」

馬乗りになって両手を拘束された格好で『サンジーナ』はジタバタと懸命にもがく。

見下ろす眼光は鋭く尖ってなぜか怒りをはらんでいるようだった。

白いシーツにバラバラと広がる手触りの良い金色の髪。

今がどういう状態なのか、……考えるのも恐ろしい。

「てめェ……ほいほい男に色目使ってんじゃねェよ」

「はァ?! 色目なんか、っん」

いきなり首筋に噛じりつかれ『サンジーナ』は小さく吐息を漏らす。

最悪だった。

レディが大好きでレディを愛するために生まれてきた俺。それがこんなお化けみたいな格好で、まさに今男に抱かれようとしているだなんて――

ふいに先ほどの光景が思い浮かび背筋にぞくりと悪寒が走った。全身にぶるぶると寒気が走り抑えられない吐き気が上る。

その時、思わず咳き込んだ『サンジーナ』の体を緑頭が強く抱きしめた。

『サンジーナ』の体がほんの一瞬、ふわりと甘い熱を上げた気がした。

……あれ、なんだこれ?

「――おい、よそ見してんじゃねェ」

頭上からぴしゃりと咆哮が堕ちる。野獣は深く息を吐き出し切羽詰まった風に喉を鳴らした。

「毎日毎日、見てりゃあほいほい男に熱っぽい目ェしやがって……そんなに男が好きなら、俺が相手してやらァ」

「やっ、ちがっ、んんっ」

反論を返す間も与えらぬまま貪るように唇が塞がれる。

口内を這い回る熱い舌先。息継ぎもできないほどの激しい口づけ。破り捨てるように脱がされたドレスはベッドの端にだらりと垂れていた。露になった固い胸板につうと一筋汗が流れる。いつの間にか兆した先端を緑頭の真っ赤な舌がねとりと這った。

「や、あっ……ひ、ぐ」

ちゅぷちゅぷとわざとらしく音を立てられ、薄紅の先端が熱に染まる。じゅる、と唾液を吸い込みながら軽く立てられた歯に腰が跳ねた。

「あっ、は」

「……感じてんな」

ひとしきり薄紅を弄び袖でごしごし唾液を拭う。そうして馬乗りになった体勢のまま、緑頭は素早くシャツを脱ぎ捨てた。

「っ、」

その分厚い胸に、ざっくり残る生っぽい傷跡。

「あぁ、これか。……昔のお遊びだ、気にすんな」

ニヤリ、と口端に笑みを浮かべ再び首元に顔を埋める。さわさわと太ももに掌が這えば思わず熱い吐息が漏れた。

 

「あぁっ」

いきなり握りこまれた中心がちゅぷりと湿った音を立てる。そのままゆるゆると扱かれる中心は次第に硬く鎌首をもたげる。

「可愛いドレスの中はとんだ凶暴な面構えだな、“サンジーナ”?」

「っ、るせ、」

だっててめェが……!

言いかけて口を噤む。

幸いなことに緑頭はズボンを脱ぐのに夢中で気付いていないようだった。

――今、俺、なんて言おうと……?

カチャカチャと響くベルトのバックルが擦れる音。混じり合い溶け合うふたりの荒い吐息。

「おら、こんなに濡れてんぞ」

「っや、め」

漏れ出した先走りを掬い取り熱い塊にぬるぬると広げる。だんだんに激しさを増す掌の往復。ちゅくちゅくと響く水音は狭い部屋に反響している。

「あ、あ、あんっや、……やめ、それ、以上やっ……っあ、あぁイ、っ!」

「っ……いっぺん、イっとけ」

ごり、と先端を握られて思わず大きく腰が仰け反る。

「ああっ! ッはぁぁっ……」

ぜぇぜぇと荒い呼吸を吐き出しながら『サンジーナ』はぐったりとベッドに横たわった。全身から力が抜けゆく感覚。ぶちまけた濃い白濁は男の手のひらからぼたぼたと滴っていた。

 

「――悪ぃが、最後までやんぞ」

「えっ、あ、っ」

抵抗できないのをいいことにくるりと後ろに返された体は緑頭の思うように動いた。持ち上げられる白い双丘。淫靡に湿った熱い割れ目を生暖かい何かがぬるりと滑り堕ちていく。

「きもち、わる……」

「我慢しろ、ねェよりゃマシだ」

静かに呼吸を整えながら緑頭が小さく呟く。腹に響く低音。凶暴で甘やかなその音色はまるで耳の中まで犯すようだった。

熱く滾った劣情の塊がひくつく後孔につぷりと充てがわれる。

「ホントに、挿れんの……?」

「……すぐにヨくなる」

ぐぐ、と無理やりに押し込まれる。

その瞬間、漏れ落ちる声を『サンジーナ』は堪えることができなかった。

「やぁ! うぁ、だ、だめっあ、ぁ」

「っ……動くぞ」

『サンジーナ』の制止も虚しく男はゆっくりと腰を振り始める。

最初は小さく、塊を奥へと進ませるように。そうして徐々に快楽を抉るように。

「あぁっ、や、やっ、あん、あっあ、あっ、」

「っつ、エロい、んだよ、てめェ……! っく、ぅ」

男は苦悶の喉音を漏らす。 限界なのだろう。

湿らないはずの後孔からはびちゃびちゃと淫靡な水音が届いた。

男が漏らす、先走りの音色。

「や、あ、っあぁもう、また、またイっ、ちゃ……イっき、そ……!」

「っ……なか、出すぞ」

「や、だめ、なかっは……だ、っあぁァぁっ! は、っ……」

受け止めきれずに溢れる白濁が太ももを伝ってシーツに垂れる。

ふたりの熱は甘く溶け合いオレンジの光に包まれていた。

 

 

 

「だからってなにも、あ、……あんなこと、……」

快晴の朝。

ふたりの乗った赤いスポーツカーは海沿いの道をぐんぐん進んでいた。

恋の始まりを歌った古いジャズが途切れ途切れにラジオから聴こえる。

「……悪ィ」

サングラス越しの小さな瞳が僅かにすうと細められる。『サンジーナ』は肩を落とし紫の煙を吐き出した。

あのスナックに拘束されていたのは緑頭も同じだったのだと、知ったのは抱かれた後のことだった。

もともと裏社会で生きていたらしいこの男は、たまたま些細な「ヘマ」をやったらしい。

人質を掴まれ逃げるに逃げられず、お礼という名目で献上した売上は優に億を超えると、何気なく呟いた横顔を思い出す。すごい世界だった。

「まぁ、若ェうちの失敗のひとつやふたつ、誰にでもあんだろ」

事も無げに言い放ち、窓の向こうの空を見上げる。

真っ赤なスポーツカーは風を切って、白い砂浜も、緑の街路樹も、小さなカフェも一瞬で遠くへと押しやっていく。

「なるほどなぁ……。“ナミさん”がうまく逃げたと知って、てめェは逃げ出す口実を作った。俺を、汚れた手から守る風に見せかけ従業員を巻くためだ。あんな監視だらけの中じゃあ音もなく消える方が不自然だもんな。そこまでは、わかった。ナミさんも無事でよかった。――で、なんでその後、」

『サンジーナ』はふと顔を赤らめる。耳元に響いた低音を思い出しずくりと腰を重くする。――ただの口実だったというなら、あの軋むベッドはなんだったというのだろう。

「……さぁな」

男は笑う。まるで屈託のない子どものように。

静かに開けたガラス窓から、海風がぶわりと吹き込んで来た。

ぐんぐん去りゆく見慣れた風景。高い空、さざめく海。

まだ見ぬ世界はきっとすぐそばまで来ている。

「あーあ。それにしてもナミさん、どこに逃げたんだろう。砂漠に咲いた美しい花のように可憐な笑顔。あの場所から颯爽と助け出した俺は、感謝されまくって将来はご家族になる予定が……」

「家族になンだろ」

「あ?」

緑頭は前をじっと見据えたまま口の端をニヤリと歪めた。

「あいつは、俺の妹だ。だから俺と一緒ンなりゃああいつはてめェの妹だ」

「…………」

はぁ?!!! 耳をつんざく大音量が真っ赤な車をぐらぐらと揺らす。

男は前を見据えたまま、上機嫌でアクセルを踏む。

派手やかな怒号、高らかな笑い声、その全てが風に溶ける。

 

スポーツカーは道を進む。海の町をぐんぐん押しやって。

 

ふたりだけの秘密の世界は、この道の先に、きっと――

 

 

(続)

 

 

 

 

・・・前のページへ       次のページへ・・・

 

bottom of page