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ファインダー越しの未来
秋 - 葛藤1 -
「どうだい、そろそろ、卒制なんつぅのは」
「はぁ、まぁ……」
金色の頭をぽりぽりと掻く。狭いゼミ室。つい最近まで惰性のように冷風を吐き出していたクーラーは、いつの間にか息を潜めている。
窓の外に背の高いイチョウが見える。あの樹の下にはベンチがあって、秋の間は毎年人が寄り付かなくなるのだ。
人様に迷惑がられていることとは露知らず、イチョウは自慢げにてっぺんだけを覗かせている。そして悠々と伸びた緑の葉を、美しい黄金に染め変えている。
「進路によっては、そこに合った作品を作ることだって考えられる」
「はぁ……」
サンジは先ほどから、同じトーンで曖昧な返事を繰り返していた。
夏休みの終焉とともに学内の空気が切り替わった。夏に弾けて真っ黒になったヤツらも4年間それなりに「ここ」にコミットしてきた「卵」たちだ。いよいよ卒展が近づくこの頃になると、嫌だ嫌だと言いながらも案外真面目に本腰を入れ始めていた。
「まぁ……無理に今年卒業せにゃならんワケでもねェか。物事の本質に迫る観察眼を持って、よくよく考えてみろ」
「はい……」
滑りの悪いデスクチェアがキィキィと錆び付いた音を立てる。赤髪の教官は立ち上がり大きな窓を全開に開けた。突然、吹き込む秋風。聞き飽きた口癖は適当に交わしたつもりだった。
サンジは重い引き戸を静かに流し、一礼をしてゼミ室を出た。廊下の冷えた空気が頬に触れる。
一歩、二歩、歩いたところで大きく溜め息を零す。そうして、咥え煙草に火を灯した。
何の変哲もない夏だった。
朝起きて、ひとつだけ背伸びをして、寝ている間の汗をシャワーに流す。遅めの朝食をひとりで済ませ、壊れかけたチャリで目的地へと向かう。行き着く先は半分が大学で、もう半分はバイト先だった。幼い頃から行きつけの、顔見知りの写真館。サンジの成長を長らく見守って来た店のおやじは「写真を専攻している」の一言で快く雇ってくれた。
外れかけたチェーンの音がカラカラと夏の風に溶けていた。急ぐ必要はなかった。ただ、どうしても拭えない焦燥感だけがサンジの背中にべとりと張り付いていた。
大学に向かう途中、家からふたつ角を曲がったそこに祖父の営むパティスリーはある。
外からは厨房の様子は見えない。でかいガラス越しにはいつだってお客で賑わう店内の様子が窺えた。宝石のようなケーキが並んだ上質なガラスのショーケース。堂々と並べられたそれらがチラと目に入るたび、サンジの胸は一瞬チクリと痛むのだった。
カランカラン――
鉛筆の落ちる音に、ハっと顔を上げた。白い学食の窓際、陽のあたる一人がけのカウンター席でテーブルに肘をついて座っていたサンジは、高い椅子からよいしょと腰を落とす。
硬い床に転がる、折れて散ったハイユニの芯。
「チっ」
テーブルの上には、書きかけのデッサンが置かれていた。真っ白なスケッチブックの真ん中、天井に付きそうなほど高く伸びた何かの「塔」――
「お、サンジ! いたいた!」
反射的にスケッチブックを閉じたサンジは、何事もなかったように声の主を振り返った。
「あ、お前まぁた煙草吸ってんな」
ウソップが壁の注意書きを指差しながらしかめ面を作る。A4用紙に赤インクででかでかと書かれた『構内全面禁煙』の文字。
「っせェ、俺の勝手だ」
「だぁから、一緒にいる俺が怒られんの! なぜか! 勘弁してくれよ~。なんでセンセーたちは張本人のサンジ君でなく、気弱な友人Aの俺に怒るのかね……」
ぶつぶつ文句を垂れているウソップの鼻をぐいと掴む。
「あいててて、わぁった、わァったから、サ、サンジ君、お、俺のチャームポイントをそんな乱暴に……」
涙目でひぃひぃ懇願を零す。
なんでってそりゃ、気弱だから絡まれるのだ。
「今日はナミさんいねェの?」
「知らねェ、あいつ仕事ばっかやってから。ゼミ教官も完全放置」
「あぁ、配属決まったのか」
「そ。俺は油画で、ナミは芸術文化……なんとかって言う」
「へぇ」
ナミさんのことだからきっとまた効率よく実績を作れる研究室を選んだのだろう。バリバリと仕事をこなす頼もしい後ろ姿を思い浮かべる。
「まぁ俺は、絵さえ描けりゃあそれでいいし」
そう零したウソップは、色落ちしたデニム生地のオーバーオールをカラフルな点描に染めていた。長く伸びた鼻先が赤に染まっているのは、強く握ったせいだけではない。
「描いてたわけ? 今日も」
「んん? あぁ、油画? そうだなァまぁ、俺にとっちゃ趣味みてェなもんだしな」
自嘲気味に笑ったのは、俺を思ってのことだろう。友人に気を使われる方が、俺としては肩身が狭い。
おせっかいな野郎め、ウソップのくせに。
八つ当たりのような悪態が喉の奥に渦を巻く。
「お前、将来なにになんの?」
「へ?」
思わず、口をついて出た。
らしくもないが、緊張したのだろう。
ほんの、一瞬。あけすけに零したはずの声色には、微かに乾いた音が混じった。
真面目な話など滅多に話さないヤツが急にそんなことを言い出したもんだから、ウソップは驚いたようだった。目を大きく見開いて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「お、俺か? 俺は……ギャラリーの店主になろうと思って」
「……ギャラリー?」
「そう」
ウソップはさも言いにくそうに、けれど随分しっかりとした口調で言葉を紡いだ。
「そりゃ、絵描きとしては絵だけ描いて喰ってけるのが一番の夢だ。でけェ美術館なんかに飾られてみろよ、気分いいぜ、絶対。……でも、現実はそんなに甘くねェ。ナミ見てると思うよな、才能は相手に認められて初めて“才能”と呼ばれるんだ」
俺が思ったのと、同じようなことを――
「だから。それだけじゃ喰ってけねェにしろ、せめて絵に関わる仕事をやっていてぇ。……都内の端っこにさ、小さなギャラリー構えて、そこで時々個展を開くんだ。若手の、名も知らないアーティスト、見つけて。んで、俺がイイと思ったヤツを、売り出すわけ。どかんと売れるワケじゃねェだろうけどよ、……いると思うんだ。才能はあるのに、それを持て余してる、小さな天才が」
――まるで、俺たちみてェな。
ついでのように付け加えられたセリフには、自嘲も、嘘も、謙遜さえも、含まれてはいなかった。
5センチほど空いた隙間に指3本を突っ込んで、ガラガラと重い引き戸を開ける。
目前に立ち尽くす、高さ3メートルを超える樹の幹。
こないだのに比べれば高さこそ低いものの、彫られた生物は相変わらずとてつもないリアルを放っていた。
『こっから、あんな色になんだからなァ……』
サンジは小さく溜め息をついた。作品にかからないよう左に逸らして吐いた煙は、風に流れて空気に溶ける。
あれから。
サンジは時折この部屋を覗くようになっていた。
学生課の予約表には、夏休みいっぱい「ロロノア」の名前が連なっていた。どうやら部屋を使うときには名前を書くというルールを覚えたらしい。野獣のわりには利口だ。
夏の間、しばらく占拠するつもりだったのだろう。
そんなことをしっかり確認してしまった自分を気持ち悪いと思いはしたが、もとはといえばサンジとウソップが使うことの多かった部屋なのだ。窓口の綺麗なおねぃさんに「あらごめんなさい、全日予約が入っているわ」と困った顔で予約表を差し返されれば、笑顔で引き下がるのが漢というものだろう。
高い天井を、「俺様の世界は狭い部屋にゃあ収まらねェ!」とほざくウソップはやたらと気に入っていたし、この部屋は実際サンジにとっても好都合だった。白い壁が太陽の具合でレフ板の役割を果たしてくれるのだ。
直接的な光源をあてることが好きではないサンジにとって、室内で撮影のできる場所は然程多くない。
もちろんそれは、撮影をするならば、の話だが――
サンジはおもむろにカメラを掲げ、静かにその窓を覗く。
点描の床に散らばった木屑。置き去りにされた彫刻刀。差し込む光に浮かび上がる「塔」は、生々しすぎるほどに剥き出しだ。
結局サンジはシャッターを切れぬまま、掲げたカメラを静かに降ろす。
ゾロに会うのは、この部屋を覗きに来るうちの3回に1回程度だった。早朝から居座ってノミを振るっていることもあれば、深夜も近くに近所迷惑な音を響かせていることもある。
コンコンと小気味の良いリズムが、コンクリートの廊下に反響していた。遠くからでもわかる、ゾロの気配。
それは幼い頃調理場で聴いた、あの音のようでもあった。
「おぉ、今日も覗きか」
背後から聴こえた耳慣れた低音に、ぎくりと背筋を強ばらせる。別にこそこそ隠れる筋合いもないが、なんとなく、罰が悪い。
サンジが振り向けないままでいるとガサガサとビニール袋を探る音が届く。「おらよ」という声と共に差し出されたのは冷たく冷えた缶ジュースだった。
「なんだよ、これ」
「差し入れ」
「そりゃこっちだろ、アホ緑」
意味わかんね。
サンジの零す悪態に、「ふっ」と口の端を歪める。からかってんだろう。むかつくヤツだ。
そう思いながらも、思い切りジュースのプルタブをひく。プシュ! といういい音がして辺りにはぶどうの香りが広がった。
「これからやんの?」
「あぁ」
「今日は?」
「ん? んあぁ、仕上げのヤスリがけだな。大まかなとこはすんでっから、細けェところ」
言いながら、紙ヤスリをびりびりと破く。サンジの目にはもう十分滑らかに仕上がっているように見える。
「相変わらず、でけェ図体に似合わず細けェな」
「るせェ」
返ってくる言葉は乱暴だが、本気でないことは伝わっているのだろう。口に彫刻刀を咥えたまま、嬉しそうにニヤリと笑う。
「納得できなきゃ、動き出せねェんだよ」
ふわ、と浮かんだ何気ない台詞が3秒遅れてサンジに届く。先ほどまでのムカつく笑顔は消え去って、真摯な瞳が「塔」に向けられていた。
怖いほどに、まっすぐな目。
なぜだかドキリと心臓が泡立つ。
――なんだ、今の。
「あ、おいぐる眉、色塗り。見るだろ?」
「え?」
立ち去りかけたサンジの背中を、ゾロの低音が追いかけた。
秋の夕暮れが静かに窓から忍び寄る。
「明日からなんだ」
――来いよ。
間髪入れずに重ねられた台詞に反論の言葉も見つけられないまま、サンジは小さく頷いていた。