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ファインダー越しの未来

夏  - 出会い2 -

 

 

明後日だ、と言われた提出に合わせて来たわけではなかった。

なんとなく覗いたらまだ残っていたという、それだけのことだ。

サンジは高くそびえる「それ」を見上げ、煙を消すのも忘れて佇んでいた。

――すげェな。

いくら同じ美大生とはいえ、他の分野についての知識はさっぱりだ。絵画や粘土ならそれでも授業で触れたことがあったが、彫刻となると素人同然だった。

一本の大木をひたすら彫って創られたのだろうその作品は、ちょうど大人の胴体くらいの直径を保って、10mの天井に届きそうなほどの高さだ。幾重にも幾重に積み重ねられているのは、動物や草木などの「自然」をモチーフにした生き物たちである。そのひとつひとつの表情はリアルで、毛並みまで美しく再現されている。蛙の上に象が乗ったり、狸のしっぽにカンガルーが乗ったりしながら、蔦に絡め取られ、葉に隠れ、交わり、また上へ上へと伸びて行く。彫られている生き物は、目測でおよそ20体。小さな鳥や大型の猛獣が、仲良く上へと積み上がっている。

そのリアルとファンタジーの溶け合う造形も見事だったが、何よりサンジ目を惹いたのは重ねられた「色」だった。

彫刻の生物たちはどれも、今にも動き出さんばかりにリアリティが追求されていた。鋭く光る眼球やごわごわの毛並み。大きく口を開いた山猫からは威嚇の喉音が聞こえて来るようである。

それなのに、である。

美しい配列で重ねられた色は、そのリアリティぶち壊すほどの、極彩色だった。

真っ赤な蝶に、青い狐。深い緑と黄色で彩られているのは、先ほどの山猫である。

自然との調和を拒否するかのような極端な配色に、サンジは眩暈がするような衝撃を受ける。

『いたか? こんな作品、作るヤツ……』

ウソップによれば編入は3年次に行われるようだったから、その道理で行けば1年は同じ大学にいたことになる。そして、編入生は、確かに目立つ。この春編入したナミさんにしろ、同学年のロビンちゃんにしろ、そうだ。もちろんサンジの美人チェックに余念がないだけとも言えるが、「手に職をつけて」入ってくる編入生が、静かなる競争社会の「美大」の中で目立たないはずがなかった。

サンジは無意識に、ファインダーを覗いた。

画角ごしに見るその映像は、やはり強烈で、濃厚で、驚く程に静かだった。

言い訳のように首からぶら下げた古い写真機が、「カシャ」と小気味のいい音を立てる。

――ジー。

四角い印画紙がハラリと落ちて、リノリウムの床をするりと滑った。

慌てて拾い上げようと手を伸ばせば、サンジのそれよりごつい片手が、白い指の行く手を阻んだ。

「――あ」

中腰のまま見上げた先。夏の太陽を背にして映り込む、緑色の可笑しな頭髪。

――極彩色。

シャッターを切りたいと、サンジは思った。

「てめェは……ロロノア・ゾロ」

「フルネームかよ」

にやり、と笑った笑顔はどこか無邪気な喜びを湛えていて、サンジは思わず目を逸らす。

「これから提出すんだ。ヒマなら付き合え」

「え、いや俺はこれから講義、」

「どうせ出ねェだろ」

「あ?」

「カメラ。埃、かぶってんぜ」

「っ!」

ここしばらくの鬱屈をいきなり言い当てられた気がして、途端頭に血が上る。

「っる、せェなクソマリモ野郎! 別に写真撮ろうが撮るまいが俺の勝手だろうが!」

言ってしまってハッとする。

ほとんどしゃべったこともねェようなヤツに、俺はなんで、こんなこと――

「あぁ、悪ィ。別に責めるつもりはねェよ。撮りたいときに撮れるのが、才能だ」

「は?」

サンジの怪訝な表情に見向きもせず、ロロノア・ゾロはスタスタと「塔」に向かった。そうして慣れた手つきで脚立を組むと、するするとロープを巻きつけて行く。

「おい、突っ立ってねェで、ちったァ手伝え」

「あ? あァ、おぉ」

そこから彫刻室とやらに作品を運ぶまで、実に2時間の時間を要した。

 

 

 

晩飯を奢れとたかった挙句、デザートのアイスまでしっかり取り付けた。

キャンパスからほど近いファミレス。少々早めの夕飯である。

「あぁ、それでか。見ねェ顔だと思ってたぜ。そんなにでけェ学校でもねェのに、知らねェはずがねェと思ったんだ。あんな色――」

じゃなくて、そんな緑頭、してんのにな。

一瞬迷ったサンジは結局、作品には触れないことにした。

マリモ頭の仏頂面は、さっきからパクパクと握り飯を食べている。

鉄板の上で焼けるハンバーグがじゅうじゅうと美味しそうな音を立てる。ガンガンに冷えたクーラーが火照った体に心地よい。

「でも、もったいねェな、3年の1年間学校に通ってなかっただなんてよ。単位は? 大丈夫なのかよ」

「前の学校の単位を持ち越せる。あとは卒制だけだ」

「なんだじゃあ卒制だけやりに来たようなモンじゃねェか」

言うと「ふん」と鼻で笑う。あんな素晴らしい作品を作っておきながら、「ロロノア・ゾロ」は案外ムカつく野郎である。

「門下に入りたい教官がいたからな。そのためにゃ、こっちの大学に来るのが手っ取り早かった。それに、都会の方がいろんなヤツに会えるとも思ったし」

「……ふーん」

サンジはカチャカチャとナイフを滑らせながら、ゾロの話の上辺を撫ぜる。

「だから、師匠につけりゃあ正直俺ァそれでいい」

「じゃあなんで」

今になって、大学に?

そう問いかけようとしたところで、サンジの携帯がブルブルと震えた。

「はい! もしもしナミすわん! 貴女の、サンジです。え? いやいや何をおっしゃいますか、僕は寝ても覚めても今この瞬間も貴女の電話を心待ちに、うん? あぁ、そうそう。ロッカーに入れといたよ。うん、うん、とんでもない! 喜んで! そんな、お礼なんて、……ほっぺにチュウくらいで――」

プツリと切れた電話から、ツーツーと不通のサインが流れる。

「……なんだ、今のは」

「え? あァ、愛しのナミさん。プレゼントしたお菓子のお礼にって、ラブコールが」

「……ラブコール、の部分はざっくり聞き流されてた気が、」

「照れるナミさんも素敵だ!」

サンジはそう叫んで、デザートのアイスを放り込む。舌の上でとろけるアイスが、冷たく喉に通っていく。

うん。100円くらいなら、出してもいいな。

「――ポラロイド、なんだな」

「へ?」

いきなり言われた単語が飲み込めず、サンジの視線が宙を舞った。

「……あァ、写真のことか?」

「おぉ。珍しいな、今時」

「はは、時代に乗り遅れてるだけだよ。これ、」

固いソファの上、無造作に置かれた写真機を持ち上げる。

「SX-70ってんだ。じじぃからのお下がりだ。勝手に触ってよく怒られたっけな。今じゃ型番も古くなって、専用のネガも販売中止になっちまってさ」

昔を懐かしむように、目を細める。

幼い頃、この窓を覗いて、シャッターを切るのがとにかく好きだった。

今、目の前に見えていた映像が、小さな四角に収められて出てくる。感動を覚えさえしたあの感覚は今でも心の奥深くまで染み付いている。

ゆっくりと写真が浮き出てくるのを待つ、あの時間。

焦れったいようなわくわくが続いた先に待つ、四角に切り取られた淡い現実を、サンジはいつも心待ちにした。

ただただ無心でファインダーを覗いていた、あの頃。

「どうしてだろうな。好き、だったんだよ、本当に――」

なんとなく、そんな台詞が口から零れた。薄桃色のアイスクリームは人工的な苺の味がした。

「今でも、だろうが」

「え?」

ゾロは顔も上げずに言葉を紡ぐ。見つめているのはさっき撮った写真である。

「これ。よく撮れてんな。ちゃんと“ひらいて”なきゃ、こんな瞬間は撮れねェよ」

もらってくぞ。

あまりに自然にポケットに仕舞ったから、サンジは小さく頷くしかなかった。

店内のざわめきは大きく小さく、寄せては返すさざ波のようだった。

 

 

 

 

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