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ファインダー越しの未来

冬  - 繋がる2 -

 

 

 

来る日も来る日も、ゾロは巨木と向き合い続けた。

両手に違う刀を持ちもう1本を口に咥えるスタイルは、「三刀流」とか呼ばれるらしい。後で知ったことだけれど、ゾロはその界隈ではそれなりに名の通る彫刻師らしかった。

あんな印象的な彫刻を作るのだからさぞ評価も高いだろうと話をふれば「ンなことねェ、批判ばっかだ」と答えが返った。

目の覚めるほどのリアルに塗り重ねられていく「嘘」と「虚像」。

それは時に見る者の感覚を悪い方にも揺るがすらしく、ゾロへの評価は真っ二つに分かれているらしかった。

先進気鋭の現代アート作家――

色物の扱いで呼ばれる展覧会を、ゾロはことごとく断り続けて来たらしい。

「別に俺は、評価なんかどうでもいい」

ぽつりと零すゾロの横顔にふと哀しみが過ぎったのは、気のせいだったのだろうか。

ゾロもまた「上手く生きる」ことの苦手なアーティストのひとりだった。

 

 

 

「――そういえば、」

彫り上がった「塔」を前に腕を組んで仁王立ちを始めてから、2時間。

いい加減蝋人形にでもなったかとサンジが一歩を踏み出しかけたその時に、ゾロは思い出したように口を開いた。

「俺が大学に出て来たのは、春展がきっかけだった」

「あ?」

いきなりの言葉に繋がりが見い出せず、サンジは怪訝な声を漏らした。

制作を始めてから、ひと月ほどが経っていた。

1月半ばも過ぎた冬の夕方。外では冷たい風が渦を舞いている。

「俺は地元の美大で彫刻を専攻していた。正直俺ァ大学なんかどうでもよかったが、当時の師匠が何が何でも俺を大学に入れたがった。“最強の彫刻師とは、何もかもを彫れる人のことではない”……それを学べと煩く言われ、実技試験だけで地元の美大に入学した」

ゾロがとつとつと言葉を紡ぐ。前後の脈絡もわからないままサンジは曖昧に耳を傾ける。

「大学は別に面白くなかった。ただ、それまでは感覚で彫ってたのが、理屈で説明されるとこうも分かりやすいものかということには素直に感動した。俺の道が間違ってるハズはねェ。だけどもしかしたらもっと広い世界があるのかもしれねェと、その時初めて微かに思った。だったら、この世界で一番のヤツに教えを乞おうと思ったんだ。それが、鷹の目だ」

「っ!」

さすがのサンジでもその名前には聞き覚えがあった。現代彫刻家のひとりで、単独で個展を開きながらじわじわと認知度を上げていった生え抜きだ。なぜだか賞レースには1度も登場したことがなく、彼が出れば各国のコンクール上位は総なめだろうとの声も高い。

なかなか表舞台に顔を見せない謙虚な態度。それが「日本的だ」と、彼の名前に一層箔を付けていた。

「え、鷹の目って……、ウチにいたの?」

「特任みてェなもんだから、ずっといるワケじゃねェだろうけどな。昔馴染みに熱心に頼まれて、断れなかったらしい。ま、俺にとっちゃ好都合だった。探すのには随分苦労したがな」

懐かしむように目を細める。視線は「塔」から離さないまま。

まるでこうして喋っている間も、ずっと何かを決めかねているようだ。

「鷹の目に付いて、俺の技術は格段に上がった。前に比べりゃずいぶん、自分の思った通りに世界を構築することができるようになったんだ。俺にとっちゃそれで十分で、だから大学に出てくる必要なんかこれっぽっちも感じなかった。“何もかもを彫れること”……それが最強だと、信じて疑わなかった」

ふと、ゾロがこちらを振り返る。

その目に薄く光が灯った気がして、サンジは目を逸らせない。

「師匠に言われて観に行った春展で、ある作品に出会った。公園で、青空をバックに何をかを叫ぶ子どもの写真だ」

「……えっ、」

それって――

挟み込もうとした鈍色の台詞が、ゾロの低音に押し流される。ひどく強引なゾロの姿勢に、サンジは言葉をねじ込みそこねる。

「子どもは、学校とか、オトナとか、社会とか、そんなよくわからねぇでけェものに向かって全身全霊で牙を剥いていた。怒っていた。だけど同時に、ものすごく怖がっていた。打ち捨てられた悲しみの傷が、子どもの瞳に美しく映えていた。こんな素直な世界があるのかと思った。正直でいることは、まっすぐに傷つくことだ。そうやって不器用にしか生きられない俺は、そのことをよく知っている。だからこそ、芸術で昇華させなきゃ俺は明日を生きてけねェんだ。俺は……俺は世界を、こんなにも素直には切り取れねェ。そう思って頭を殴られたような衝撃を受けた」

遮る間もなく紡ぎ出される言葉たち。それは流れるようにふたりを包み、部屋の空気の温度を上げていく。ほんの、1ミリ。

「――――“サンジ”」

ゾロはたっぷりひと呼吸を置いて、それから静かに声を落とす。

「それが、ネームプレートに刻まれた名前だった」

 

 

 

その夜、サンジはカメラを構えた。

この制作が始まって、初めてのことだった。

 

あの日。

静かに口を開いたゾロが、淡々と告げた条件は至極単純なものだった。

『俺の制作の、最初から最後まで全部を見ろ』

1日だけでもいい、そう言ったサンジにゾロは怒ったのだろう。本当に、まっすぐにしか生きられないヤツだった。

あれから幾つもの夜を共に超えてきた。

時には朝まで没頭する後ろ姿を見つめながら、時には黙って毛布に包まりながら……。サンジは静かに「その時」を待った。

この冬は記録的な寒さだと、いつだったかテレビが喚くのを聞いた。確かにその通りなのだろう、今年はやけに雪が降った。

けれどサンジは一日だって、「寒い」と思ったことはなかった。

ゾロのふるう刀を見る夜。

それはなぜだかいつだって、サンジの体を熱くさせたのだった。

 

ゾロが落とす筆の先を、混ざり合う絵の具の汚さを、塗り重ねられるリアルと虚像を――

一心不乱にファインダーを覗き、一刻一刻印画紙に刻んでいく。

石油ストーブの灯りがゾロの横顔をオレンジに染める。窓から差し込む月明かりは、優しい陰影を背中に寄せていた。

「ゾロ……」

あまりの美しさに声が漏れる。

歯を食いしばり、目を見開いて、その筆先を「塔」に落とす。

瞬間、指先に力が込もる。

「カシャ」と小気味のいい音が響いて、冷たいリノリウムに「時」が落ちる。

身をよじるほどの壮絶な色香がゾロの全身から立ち上っていた。いつの間にかサンジの息が上がっている。

「ゾロ……もっと」

――欲しい、てめェが。

サンジはうわ言のように呟きながら、ファインダーの向こう側を覗き続ける。

「もっと、もっと、奥まで来いよ」

なぁ、もっと強く、もっと……ゾロ――

カメラには決して向けられることのない鋭い視線に、しかしサンジは何度も心臓を射抜かれながら、ひたすらシャッターを切り続けた。

床に散らばる何百もの「時」。

 

それはもはや、セックスをしているのと、何一つ変わりはなかった。

 

 

 

 

 

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