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夢現の空

1)経過:7日め



抜けるような青空。
見渡す限りの凪いだ海。
のたりと浮かんだ白い雲は、どこへともなく流れてゆく。


――・・・ようやく、晴れたな。

胸いっぱいに吸い込んだ紫煙を吐き出しながら、サンジはぼんやりと水平線に目を凝らしていた。
目の前に広がるのは、ただただ蒼い、海、海、海・・・。
時折空を舞う細かな水分が、光を反射してぎらりと光る。
甲板を包む空気はじとりと蒸して、午後の穏やかなひとときを微かな不穏で彩っている。



ガチャリ、と扉の開く音に振り向いたのは、小さな船医だった。
椅子の上で小さく背伸びをしながら、なにやらごりごりと、真剣に石臼を挽いている。

「サンジー、どうだった?」
「ダメだな、・・・見えねぇ。」
「そっか・・・。」

サンジの答えを聞いた船医は、明らかに落胆した様子で力なく俯いた。
臼の中には、深緑色の乾燥した粉が、申し訳程度に溜まっている。

「この葉っぱも、これが最後の1枚だぞ。」

ギザギザと切り込みの入った小さな葉っぱを取り上げ、恭しく虚空に透かした船医は、心なしか寂しそうな手つきで、それをはらりと臼に落とした。
静寂を取り戻していたキッチンには再び、ゴリゴリという重い摩擦音が響き始める。



ガタ、と椅子をひいたのは、船医の隣で静かに目を瞑っていた、剣士である。
くはぁと眠そうに欠伸を零し、無言でスタスタと扉へ向かう。
ポリポリと吞気に緑頭を掻く剣士の背中に、船医が慌てて感謝の声をかけている。

珍しい。
この時間に、昼寝以外の活動をしているマリモを見ることなど、滅多にない希有な事態である。

そもそもここのところ、こいつを昼間に見ていない。

また、雨でも降るんじゃねぇだろうな。
そう呟いた心中の台詞が、口に出されることはなかった。

――キッチンに入ってくることなんか、滅多にねぇくせに。

・・・クソ。

サンジのことをチラとも見なかったその後ろ姿に、サンジはじろりと一瞥をくれる。
別に、お互い、用事もない。


「・・・あとは、何が残ってる?チョッパー。」

気を取り直すかのように、金糸をわしわしと掻き回したサンジが、冷蔵庫のなかを覗き込みながら後ろの船医に言葉をかけた。
全身の体重をかけて挽かれる臼の音が、ふたりの会話のボリュームをあげていく。

「えぇと・・・、解熱剤と咳止めは、なんとかしばらく持ちそうだ。ここ最近使ったのはロビンくらいで、みんなあんまり風邪ひかねぇからな。いちばん困るのは、止血剤だ。こんなに怪我の多い船なのに、ちょっとやそっとじゃあ使ってやれねぇ。」

挽き終わった葉を薄い紙の上に広げながら、船医が悲嘆の声を漏らす。
神妙な面持ちで話し続けながらも、手元の運びはかなり慎重だ。
ほんの少しの粉もこぼさぬように、薄い紙をそっと傾け、そろりとビンへ落としていく。

「そうか・・・苦労かけるな、チョッパー。医学についちゃあ俺らは全員、ど素人だ。お前の判断を、俺たちはいつでも信じてるぜ。」
「あぁ。絶対に誰も、死なせねぇ。大怪我さえなければ、だけど。・・・ゾロ、あいつ次負けそうになったら、逃げてくれねぇかなぁ・・・。」

小さくため息をつきながら、銀色のフタを閉めあげる。
船医の零したため息に中途半端な苦笑いを浮かべたサンジは、パタリと冷蔵庫を閉めてから、その扉に厳重な鍵をかけた。船長の、つまみ食い防止策である。
そして胸ポケットから重たい煙草を取り出し、大切そうに火をつける。
余裕の手つきでふかした紫煙は相変わらず、のんきにふよふよとキッチンを漂っていくのだが、サンジにまとわりつく空気には、微かな緊張感がとけ込んでいる。

 

 

 

 

2)経過:0日め



「島が、ない。」

初めにそう言い出したのは、麦わら一味の優秀な美人航海士、ナミだった。


前の島を旅立ってからというもの、悪天候と荒波に、日の大半を費やす日々が続いていた。
船は傾き、帆は破れ、昨日直した甲板が、次の日にはまた大きな口を開けていく。
轟音を響かせながら降り注ぐ雪や、神様からの鉄拳のような雷。

しかし、そうした出来事にいちいちたじろぐような船ではなかった。

年少組にいたっては、その奇妙な天気がよほど珍しいのか、やたらと楽しそうに声を上げ、毎度のごとくヤンヤヤンヤと、悪天候祭りを繰り広げていた。

いつもとほんの少し違ったのは、その悪天候が、えらく長い間続いていた、ということだっただろうか。




最初に尽きたのは、船の修繕材料だった。


「ようナミぃ、次の島に着く前に、木材だけでも調達させてくれねぇか。あくまで繋ぎだ。有り合わせですませちまうから、寄るのは小せぇ島で構わねぇ。」

フランキーからの申し出に、鼻歌まじりで望遠鏡を覗いたナミが、どういうわけだか言葉をなくした。
午後のおやつの時間である。
いつものように、くるくると踊りながら献上されたトロピカルジュースをチラリとも見ず、広げた海図を見つめて固まっている。

そんなナミの様子に、サンジは一礼をして声をかける。

「あぁナミすゎん、そんな哀しげな表情のナミさんも、素敵だ!」
「・・ないの。」
「え?」

消え入りそうな甘い声に目をハートにしかけたコックが、ナミの血の気の引いた横顔をとらえて、瞬間的に緊張感を走らせる。
ただ事ではない。

「どうした、ナミさん。」
「島が。島が、ねぇサンジくん、」
「ナミさん、落ち着いて。大丈夫だ。教えてくれ、・・“何が”、わかった?」
「島が、・・・ないわ。」

美しい航海士の青く厳しい横顔に、サンジはこの船を襲いはじめた緊急事態を、瞬時に悟ったのだった。

 

 

 

 

3)経過:4日め



「・・・ッん、は・・っ、」

夜の食料庫に、甘い呻き声が反響していた。

重ね合わされた唇の隙間から、抑えきれない欲情が零れ落ちる。
熱いふたりの体温が、混ざり合っては空気に溶ける。
焦れるように沿わされた剣士の右手は、サンジの上半身を厭に丁寧になぞっていった。

「ゾロ、・・・も、てめ焦れってぇ、」

貪るような口づけとは裏腹な、間怠っこい刺激の繰り返しに、いい加減しびれを切らしたサンジが小さく声を上げる。
その手の運びは確かに、サンジの悦楽を徐々にあげてはいたのだが、だからこそ余計にそろそろ、次のステージに進みたかった。

「ん?あぁ、・・」

いまいち反応の薄い剣士の手を取り、ベルトに手をかけさせる。
しかし、いつもなら喜々として吐息を深くするはずのゾロの掌は、何かを確かめるかのように再び腰のラインをなぞっただけだった。

『・・・?』

毎夜のごとく、野獣のようにサンジを求める男である。
欲求に忠実ないつもの勢いとは、明らかに様子が違っていた。

不思議に思ったサンジがゾロの顔をまじまじと見遣ると、視線を合わせたその眉間には、妙なしわが刻まれていった。

「んだよ、・・調子狂うな。」

ため息をついて、体を離す。
ヤル気がないのを、無理に襲う趣味はない。

ゾロの突然の戦意喪失を訝しみながら、サンジは胸ポケットから煙草を取り出した。
準備の整いつつあった中心が、熱をもったままじくじくと、切なそうに主張を繰り返す。
そのつもりがあったのなら、きちんと最後まで責任を取りやがれと、疼く兆しが不満げに脈打った。

ったくなんだよ、急に。
あれか?・・・勃たなくなった、とか?

「てめぇ、・・・何か隠してんだろ?」
「んあぁ?」

ぐるぐると至らぬことを考えていたサンジの頭に、予想外な言葉が降ってきた。
思わず、腑抜けた声が零れる。

「な、なんだよいきなり。」

慌てて取り繕うサンジの瞳が、しかし微かにぎくりと見開かれたのを、ゾロは決して見逃さなかった。

「また。くだらねぇことしてやがる。」
「・・・なんのことだ。」

サンジは僅かに、目をそらせる。
今度はゾロが、射竦める番である。




木材の次に問題になったのは、食料だった。


事実が発覚した日の夕刻、ナミは全員をキッチンに呼びつけて、緊急会議を開いていた。

「もっぺん聞くがナミ、島がないってぇのは、俺たちのサニーはいつの間にか、島の全くない航路に入っちまってたと、そういうことか?」
「どうやらそうみたい、フランキー・・・。あのね、朝の時点では、確実に島に向かっていたの。悪天候のときは磁場が狂いやすい分、気をつけて何度も確認してるから間違いないわ。航路は絶対に、間違えていないはずよ。」
「その予定だと、午後には次の島が見えるはずだった、っつぅことか・・・。」
「えぇ。」
「お、おいナミ、ちょっと待てよ、それじゃあ俺たちしばらく・・・、」
「・・・次の島、に着くまでは、このまま海の上にいるしかないわ。」
「いやいや、前の島を出てもう10日は経ってるんだぞ。食料や薬はどうすんだ。なぁナミ、それ間違ってねぇのか?」
「バカねウソップ、私が間違えるはず・・・、」

言いかけたナミが、口をつぐむ。
航海士の優れた腕は、完璧なまでに正しい事実を伝えてしまうことを、ナミ自身が一番よくわかっていた。
零れ落ちる絶望の台詞は、微かに肩を震わせる彼女の賢明な判断で、喉の奥へと無理やりに押さえ込まれた。

「・・・とにかく、今は、耐えてちょうだい。原因は私が突き止めるわ。フランキーは、再利用できる木材がないか確認お願い。チョッパー、薬もできる限り使わず取っておくこと。この先何が起こるか、全くわかんないから。」
「わかった。みんななるべく、怪我しないでくれよ。」
「あとは、絶対に無駄を出さないように!特にルフィ、あんたつまみ食いは絶対にダメだからね!」
「え~~っ、酷ぇぞナミ!」
「バカ言ってないで!あんた死にたいの?!」

ぶぅぶぅと口を尖らせる船長だけが、ひとり吞気に声をあげる。

「それから、サンジくん。食料庫の方は・・・、どうだった?」
「・・・、」

うつむき加減で煙草をふかす。

——前の島で補充できた食料は、2週間分。

腕のたつ優秀なコックが伝えたのは、思った以上にシビアな数字だった。
もともと海上専門のコックである。こういうことも想定して、普段からの蓄えがあるにはあった。がしかし、先の見えない航海など、滅多に起こることではない。

前の島を発ってから、ちょうど10日め。

空から肉でも降ってこない限り、ここから先あと何日続くかわからない「漂流の旅」を、計算上では残り4日分の食料で、なんとか凌ぐ必要があった。

「・・・食事は、俺がなんとかする。どんな手使っても、てめぇらを死なせはしねぇ。ただし悪ぃが、量の保障はできねぇ。特にルフィ、てめぇは絶対にキッチンに近づくな!」
「えぇぇぇぇ~!」
「それからクソマリモ、祝いの酒は、次の島についてからだ。」
「・・・ふん。」

話し合いを聞いているのかいないのか、相変わらず寝腐れているマリモを横目に見遣って舌打ちをうつ。
真っ青な顔をしたウソップが、「我慢しろと言われると、余計に腹が減る病だぁぁぁぁ!」と、頭を抱えて座り込んだ。

今から、4日ほど前のできごとである。




「いくらルフィがつまみ食いをしねぇからって、あんだけの量が毎日続いてるのは、おかしい。」
「だからそれは、俺の腕が、」
「てめぇの腕は認める。だからって、ありもしねぇ量を増やすことはできねぇだろ。」
「うぐ、・・・っ」

額がくっつかんばかりの至近距離から、ゾロがサンジに詰め寄ってくる。
ウソップの作った釣竿は、どういうわけだかちっとも役割を果たさず、今日までまったく食材の捕獲はなされていなかった。

つまり、食料は、あれから一切増えていない。

「何キロ落ちた?」
「は?」
「体重だ。」

・・・あぁ。だからか。

サンジは頭の片隅で、さっきまでのゾロの様子を思い返した。
焦ったように先を急ぐいつもの両手が、そういえば今日はやけに丁寧に、まるで何かを調べているかのように、行ったり来たりを繰り返していた。

「っとに趣味悪ぃぜ・・・。勝手に人の体、身体測定しやがって。」
「話を反らすなクソコック。俺はてめぇのことを、」
「うっせぇな!てめぇは自分のことだけ考えやがれ!マリモのくせにいい気になって、ヒト様の心配なんかしてんじゃねぇよ。」
「・・・んだと?」
「クソ迷惑だ、つってんだよ!俺が俺の食事をどうしようが、マリモにゃ一切関係ねぇ!」
「っ・・・、」

一気にまくし立てるサンジの耳たぶが、いきおい真っ赤に染まり上がる。
いつもの罵声が狭い部屋に反響し、ほこりっぽい空気を揺らしていく。

クソ、・・・イライラすんな。

「てめぇの甘っちょろい気持ちなんか、むかつくばっかで役にも立たねぇんだよ!んな大口たたく暇があったら、今すぐ消えやがれクソマリモ!そんで1人分の食費が浮く方が、ごたごた言われるよりか100倍マ・・っ、」

言いかけて、はっと口をつぐんだ。
無言で見つめるゾロの瞳には、明らかにいつもと違う光が灯っている。

今、俺、何を言っちまった・・・?

「・・・わかった。てめぇがそこまで言うなら、俺は一切口出ししねぇ。」
「あ、おいマリ、」
「余計なお世話で悪かったな。俺がいなくなりゃ、ルフィの分くらい余分に出せんだろ。俺は二度と、てめぇに話しかけたりしねぇし、てめぇの飯も喰わねぇよ。」
「なぁおい、違っ、」

・・・安心しろ。

最後の台詞をぽつりと零したゾロは、サンジから静かに体を離し、ゆっくり扉へ歩いていく。
何かを言わなければいけないはずだと、わかっているのに気ばかり焦って、サンジの喉がぐうと唸った。

待てゾロ、違う、今のはいつもの癖で、てめぇの心配も俺は十分わかって・・、

狼狽える胸の内を外にも出せず、突っ立ったままのコックに背を向け、剣士はいつもと変わらぬ歩幅で去っていく。
いつもみたいに言い合って、最後にゃ笑って抱いてくれるんじゃねぇのかよ・・・?
閉まりゆく扉の重たい音に、耳を澄ませたサンジの淡い期待は、パタリと響いた乾いた音に、いとも簡単にかき消されていく。

強がりも、後悔も、聴こえなかった。


ゾロは一度も、振り返らない。

 

 

 

 

4)経過:7日め、夜



夜風に吹かれて紫煙が流れる。
海を渡る雲が渦を巻き、明日の天気を怪しくさせる。
月明かりが遮られると、冷たい空気がずるりと甲板に流れ込んできた。

突然、ガタガタと船底の揺れる音が聞こえ始める。
サニーは大きく右に傾いて、なにやらゴリゴリと嫌な音を立てる。
視界がぐわりと捻じ曲がり、激しい頭痛がサンジを襲った。
空にはいつのまにか、一面に暗雲が垂れ込めているようだった。

不意に、足元の崩れる感覚に見舞われて、立っていられなくなったサンジは思わず、甲板の床に手をついた。

「・・・っ!」

おい、誰か!

声を上げようにも、まるで発声を忘れてしまったかのように、乾いた言葉が喉に絡み付いて離れない。
ひゅうひゅうと息の音だけを零したサンジは、胸を抑えて激しく咳き込む。

なんで、誰も起きて来ねぇ・・・っ!

まるで足元から闇に引きずり込まれるように、ずぶずぶとその場に沈み込んでいく。
体が、鉛のように重い。

と、目の前に忽然と、懐かしい背中が表れた。
大きな背中、高いコック帽、右足は尖った武器のような・・・

おい、ジジィ・・・!

声が出ない。
消えかかる背中を、慌てて追いかけようと全身に力を込める。
かろうじて無事、に思える左足に力を込め、思い切り抜き出した右足を見て、サンジは瞬時に戦慄した。

膝から下、炎の蹴り技を繰り出すその足が、無残にも途中から、切れてなくなってしまっている。

音の出ない悲痛な叫び声は、紫色のどす黒い空へ向かって、何事もないかのようにぐんぐんと吸い込まれていった。


迫り来る絶望に身を硬くしたサンジの背後に、何者かの気配が漂う。
振り向く間もなく抱きとめられたサンジの体が、じわりと熱く暖められる。


俺、俺、・・・

「あ、足が・・っ!」
「心配すんな。」

聴きなれた低音が、頭上からふわりと降り注ぐ。
こんな惨劇のまっただなかで、どうしてだか泣きたいくらいの渇望を感じて、サンジは思い切り手を伸ばした。

助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ、


なぁ、・・・っ!




――「・・・っぅあぁァ!!!」

ぜぇぜぇと荒い息を吐き出したのは、いつもの揺れるベッドの上だった。
額にはじとりと、嫌な汗が滲んでいる。
はっと自身を見下ろしたサンジは、そこに投げ出された白く細い右足を見とめて、ほっとひとり胸をなでおろした。

・・・ったく、なんて嫌な夢だ。

ひとまず落ち着こうと、胸ポケットから煙草を取り出す。
その手は僅かにふるふると震え、うまく火をつけることができない。
やっとの思いで煙を起こし、一度、二度、三度と大きく吸い込むと、やっと平静を取り戻しはじめた。

映像よりも、できごとよりも、ダイレクトに「恐怖」が胸に迫る夢だった。
思い出して、身震いが起きる。


食料がなくなってしまう、という恐怖からの連想であろうか。
それとも、体が限界を感じて、SOSを出しているのか。

どちらにしても、最悪な気分だ。


そういえば・・・、とサンジはふいに、思い出す。

俺は、誰かに助けを求めていた。


助けられたいのか?・・・いったい、誰に。




煙で少し安心したのか、急激な喉の渇きを感じたサンジは、周りの男どもを起こさないようベッドを静かに抜け出した。
夜中だというのに、キッチンの小窓からはオレンジ色の光が漏れている。

ここのところ毎日、ひとり部屋に篭もって研究を続けていたのはナミだった。
連日の、あの大嵐だ。何が起こってもおかしくなかったし、これだっておそらく、偶然だったのだろう。
しかし航海士としての責任を背負ったナミは、まるで自分がミスをしたかのように、必死に机に向かい続けていた。

今日だって、こんな時間まで起きてるなんて。

夜中に喉が乾いて、水分の補給にでもやってきたのだろう。
夜食すら出して差し上げられないもどかしさに頭を抱えて、それでも何か作れやしないかと、あれこれレシピを思い浮かべながら、サンジは重たい扉を押し入った。

「んナミさ、・・・っ!」

しかしそこにいたのは、オレンジ色の天使ではなく、今一番会いたくない、アイツ・・・

緑頭の、マリモ野郎だった。

「てめ・・・なんで、こんな時間・・」
何かを言いかけて、ぐうと言葉を詰まらせる。




あれから3日、サンジはゾロと、一度も口をきいていなかった。


もっとも、どれだけ器用に避けているのか、サンジの前には極力姿を現さないので、話そうにもまず出会うことがなかったし、あのとき去り際に漏らしたように、律儀に飯すら食べに来なかった。

「あいつには、あとで届ける。」

なんとなく仲間たちには知られたくなくて、訝しむクルーたちを誤魔化しながら、ひっそりと冷蔵庫にしまいこむ。
あの夜の喧嘩のあとから、ゾロに話しかけるきっかけを、サンジは完全に失ってしまっていた。

「食べない」とはっきり言われてしまった手前、料理を持っていくのも悔しくて、結局ゾロには届かないまま、それは次の食事にまわされる。

冷えた白米の、硬い感触。




突然開けられた扉に向けて、微かに様子をうかがう視線を寄せたゾロは、椅子からすっと立ち上がり、こちらの方へと歩いてきた。
何か言われるかとほんの一瞬、緊張で身を硬くしたサンジの横を、まるでそこには誰もいないかのように、スタスタと通り過ぎていく。

無表情。

「あ、おい、待てよマリモ!」

反射的に伸ばしたサンジの掌が、ゾロの筋肉質の腕を掴む。
熱い体温を伝える鍛えられた筋肉が、僅かにピクリと強ばった。

たった、3日間。

触れるまでは思いもつかなかったことなのに、こうして手を伸ばした瞬間に、もうずっと気の遠くなるような長い時間、離れていたような気がしている。

「・・・どけ。」

ゾロの喉が、低く唸る。
声色に滲んだ凄みに、サンジは思わず後ずさった。
そんなサンジをチラリとも見ず、ゾロはその場を去っていく。

何事も、なかったかのように。
そこには誰も、いなかったかのように。


島はまだ、見えて来ない。

 

 

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