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結われ紡がれる、宵の婚礼。

鏡の前に立つと、いつもの髭面が幾分か整えられて、映し出されていた。窓から差し込む夏の陽が、ガラスにキラキラと反射して、表情を見えなくさせている。
ゼラニウムベースのフレグランスを、シュッとひとふき吹きかける。筋張った首元から、可憐でいて爽やかな香りが、部屋いっぱいに甘く広がった。
ふぅ、と小さく息を吐いて、スーツの襟をピシリと正す。
ノリの効いた真っ白なスーツは、揺れる金糸を美しく浮かび上がらせる。愉しげに跳ねた輝く毛先は、長い道のりの先に辿り着いた晴れの舞台を、今か今かと待ちわびているようだ。
滑らかな大理石の廊下に、カツン、と靴音が響き渡る。

抜けるような青空である。
荘厳な教会の鐘が、祝福の音色を空へと響かせる。降り注ぐ日差しが、目に眩しい。
たっぷりとひと呼吸置いてから、重い扉をぎいと押し開ける。
聖歌隊の美しいハーモニーと、パイプオルガンの音が、ふわりと音量をあげたその先、真っ赤なカーペットの続いた道の行き着く先には、キラキラと揺らめくふたつの影が、ぼんやりと霞んで浮かび上がっていた。
――・・・誰だ?
いつもは無造作に散らかった緑色の芝生頭が、今日はやけに綺麗に撫でつけられていた。
その前方、自分が立つはずだった聖域に立つその人の、真っ白いベールが今まさに、そろりと上げられていく。
ゆっくり、ゆっくり、少しずつ。
静かな瞳で、慎ましやかに見つめ合うふたり。ふたりを包む、幸せな歓声。
純白のレースから零れ落ちる、眩いばかりのオレンジ色。
――あれは、・・・

「誓いの、キスを。」

まるで、ずっと前から慣れているような様子で、ふたりは一歩ずつ歩み寄った。
緑頭が、花嫁の肩に手をかける。
オレンジ色の艶やかな髪に、天使の輪っかが浮かんでみえる。
天使の頬に、そっと触れる、掌。
ゴツゴツとして節くれだった、夜には熱く燃えるあの、太い指。執拗で自分勝手で極上に甘い、あの愛おしい指先。


僅かに首を傾けた美しい花嫁の姿が、だんだんと白く霞みはじめた。
静かに重なる、ふたつの真っ白な影。割れんばかりの盛大な拍手。色とりどりの花吹雪。荘厳な音色の教会の鐘は、まるで頭の中で奏でられているかのように、重たい音を煩く響かせる。

俺は、ここにいるのに。
ずっと、ここにいたのに。


リンゴン リンゴン


その手の、その熱さは、俺だけの、・・・
――・・・「ゾロ・・・」

俺は、てめぇが・・・、



「・・・っうあぁ!!!っ痛ぇ、・・」
ぜぇ、はぁ、と肩で息をしながら、サンジはいきおい天井にぶつけた後頭部を押さえて、ザラザラと薄い布団に顔をうずめた。硬いベッドはゆらりと左右に揺れて、だんだんと小さく振れ幅を整えている。扉の隙間から一筋差し込んだ光は、夜明け前の穏やかさを湛え、室内の埃をキラキラと反射させていた。
「はぁ・・・、なんだ、夢か・・・?」
だよな。あのナミさんが、アイツなんかと、そんなわけ・・・
サンジはわしわしと、四方に跳ねた柔らかい金糸を掻き乱した。枕もとの箱から取り出した巻物に、金色のライターでカチリと火をつける。微かに震える煙が、指先の震えを映し出す。狭く暗い部屋に、いつもの重たい香りが広がった。
二度、三度と深く煙を吸い込んで、サンジはようやく呼吸を沈める。
「ったく、・・・最悪な朝だ。」
よりにもよって、あの、マリモ野郎とは。
はぁ、と深くため息をついて、よいしょとベッドを抜け出した。気持ちのよい、朝である。他のクルーたちを起こさないよう、慎重に足音を消して扉を開ける。ぎぃ、という聞きなれた音とともに、朝の太陽がふわあと部屋に満ちる。
咥え煙草でキッチンに向かいながら、ぼんやりと今朝のメニューを思い浮かべる。今日は、昨日の晩から甘辛いタレに漬け込んだ海獣肉のサンドイッチに、新鮮野菜のサラダをつけよう。女の子にだけ、特別な甘いデザートのおまけつきだ。野郎どもにゃあ、フルーツの山盛りでもくれてやる。
――・・・呼んでたな、名前。
ぷかりと吐き出した紫の煙は、朝の陽の中に一瞬淀んで溶けていく。朝の光は今日も、サンジの金糸を美しく照らす。


サンジはゾロと、体の関係を切れないままでいる。

 

 

———————

 

 

午後の風は凪いで、穏やかに甲板を撫ぜていた。眩しく照りつける太陽が、それぞれの午後を優しく彩っている。
「うわー!サンジ、美味そうだなぁ!その上の白いのはなんだ?」
「おうチョッパー。今日は、コック特製洋ナシのタルトだ。覚悟しろよ?・・・美味ぇぞ。」
一瞬でキラキラと目を輝かせた船医に、サンジはにかりと笑いかける。
サラダの余りを使って作った野菜ベースのシトラスジュースは、美肌にいいわねと、ロビンちゃんにもご好評だ。
美味いと言ってもらうこと、否、美味いと「言わせること」。それが、コックであるサンジにとっては何よりの喜びであり、最上級のプライドだ。
ひととおりの給仕を終えたサンジは、ふんわりと焼き上げた甘いタルトをトレーに並べて、ジムへと足を向けていた。
「ったく、あのマリモ野郎。俺が呼ぶまで全然顔出しゃしねぇ。」
覚えろよ、そろそろおやつの時間ぐれぇ。
ふん、と鼻から息を吐いて、カツカツと靴の裏を鳴らす。思い切り眉を寄せたしかめ面が、緩やかな潮風を受けて優しい陰影を作っている。天に伸びるマストが、まっすぐに太陽を指差す。サンジは頭にトレーを乗せると、片手で器用に縄を伝っていく。


「よっと。おいマリモ、デザー・・・っと、」
梯子を上りきったサンジが、空中の空間にひょっこり顔をのぞかせる。
悪態のひとつでもつこうと口元を歪めた次の瞬間、サンジはその場でギクリと固まった。
そこには、相変わらず暑苦しく汗を滲ませたマリモ・・・と、
「・・・ナミ、さん?」
オレンジ髪の美女は、「しまった」という表情をこちらに向けていた。
頬の赤みが、明らかな動揺を伝えている。全く表情を変えないマリモ頭とは対照的に、柄にもなく慌てた様子で、おたおたと無意味に手を振っている。
「サ、サンジ、くん!あの、えっと、こ、これは、・・・その、なんでもないから・・・っ!」
「え?」
理由も言い訳も求めていないのに、わざわざ自分からそう零す。なんでもない、ときに、なんでもない、と言うだろうか、普通。
動揺を隠しきれていない航海士は、ゾロに何やらを小声で伝えてから、小走り気味にその場を離れた。小さく頷いたゾロの横顔を、サンジはチラリと視界に入れる。
「あの、サンジくん・・・そこ、」
「あ、・・え?」
「もう、行くから。その、・・・そこ、退いてもらえるかしら?」
「あ、・・・あぁ、梯子ね。梯子・・・」
うまく回らない頭を無理やり動かし、よいしょと上まで足を進めた。ナミさんの道を、開けなければ。
サンジとは入れ違いにするするとロープを下っていく、航海士の美しいつむじを、真上から遥か階下に見送る。
――見ちゃいけねぇもん、見ちまった。
ふたりだけの空間に、キンと何かが張りつめている気がする。目の前に取り残された緑頭は、相変わらず仏頂面を崩さないまま、ぽりぽりと頭を掻いていた。汗の滲んだ無骨な額を、着流しの袖でごしごしと拭う。こいつが何を考えているのか、ここからでは全くわからない。

ゾロが、遠い。

「・・・あぁ、・・・その、邪魔した、な。・・・これ、」
ここ置いとくからよ。
展望室をぐるりと囲むベンチに、カタリとトレーを押し付けた。大きく開いた窓から、ざあっと海風が吹き込んで、グラスに刺さったストローをカタカタと細かく震わせる。
塩分を含ませた、レモン風味の、半透明。ゾロ専用の、スポーツドリンク。
「おいアホマリモ、何考えてるのか知らねぇが、・・・ナミさん泣かせたら、承知しねぇからな。」
「・・・は、俺は」
「女の子ってのは、すんげぇ繊細にできてんだ。丁寧に扱えよ。」
「おい、」
「まぁ、てめぇにんなこと言っても、わかんねぇだろうけどよ。てめぇみてぇなクソマリモ野郎とは、」
ヒトとしての構造が違うんだよ!
にやりとした笑みを無理矢理口の端に貼り付けて、細い煙を吹きかける。
勢いよく放たれた紫煙は、ついに剣士のもとへまでは届かずに、窓からの風にたなびいて消えた。
――そうか、・・・ナミさんと、ゾロは。
「飲んだら、トレーごと持って来いよ。・・・クソマリモ。」
ふいと背けられた視線が、焦点を求めて宙を彷徨う。一瞬とも、永遠とも思える瞬刻が落ちる。
「コック、てめ」
「っせぇ!それ以上しゃべんなクソマリモ!!」
無意味な罵声を搾り出したサンジは、大きく肩をいからせて、大股に展望室を後にする。
船を撫ぜる生温い風が、少しずつ湿気を含み始めて、足元のロープをゆらゆらと不安定に揺らしていた。

 

 

 

———————

 

 

ザァザァと降り注ぐ強い雨は、夜半を過ぎても一向に弱まることを知らなかった。
甲板では緑の芝生が雨に濡れ、掲げたジョリーロジャーからぽたぽたと雨粒が滴り落ちている。雨の雫が徐々に集まって、小さな窓にダラリと筋をひいていた。
どうやらサニーは、雨の海域に入ったようだった。
ここ数日、しとしとと落ちる弱い雨が、しつこく降ったり止んだりを続けている。
今日も朝から、たっぷり水気を含んだ重たい雲が、船を包んで低く漂っていた。もやもやとかかる濃い霧が、べたべたと厭らしく船首にまとわりつく。そしてついに夕方から降り始めた雨は、まるで溜め込んだ水分をいっぺんに吐き出すかの如く、誰もいないしんとした甲板を、ジャバジャバと無遠慮に濡れそぼっていったのだった。

ふと目を覚ましたサンジは、鳴り止まない雨の音を聞きながら、ぼんやりと天井を見つめていた。
「・・・夜、か。」
無秩序に水面を叩く雫の乱舞が、時折「カン」と甲高い音を立てている。
キッチンの扉の前、ささやかな軒下で、雑巾を絞った午後を思い出す。高い湿度が蒸し蒸しとまとわり付いて、額にじわりと汗が滲んでいた。
いつもならば放っておく、仕舞い忘れたブリキのバケツが、今夜はやたらと気にかかった。
何となくふたたび眠りにつけなくなったサンジは、暗がりにそうっと目を凝らした。

ひとつだけ、ぽっかりと空いた、ベッド。

――・・・今夜は、見張り番か?

小さく吐息を漏らしながら、ゆるりと布団を押し上げたサンジは、ボコボコとつぶれたブリキのバケツを拾い上げるため、そろりとキッチンへ足を向ける。



小窓から漏れる薄明かりが、廊下をぼんやりとオレンジ色に染めている。木板はびたびたと水はけが悪く、零れる光をぬらりと反射していた。
誰もいないはずのキッチンから、サンジは微かに人の気配を感じ取っていた。夜も深い。クルーの活動時間は、とうに過ぎているはずである。
「喉でも渇いちまったか?クソマリモ。」
隠しといた酒、取られちゃねぇだろうな。
ブリキのバケツをひょいと持ち上げ、溜まった水を海へと放つ。真水は水面でばしゃんと跳ねて、降り続く雨音にかき消された。何気ない様子で覗き込んだ透明のガラス窓の向こうに、マリモの緑頭が見えている。
「・・・夜食でも、作ってやるか。」
サンジは今まさに思いついたかのような口調で、誰にともなくひとりごちた。
小さくあくびをかみ殺して、目の前の扉に手を伸ばす。そっと触れた指先から、雨に濡れた木板がひやりと温度を奪う。長旅で立てつけが甘くなっている扉は、クルーが通り抜けるたび、ギイギイと賑やかに音をたてる。
またフランキーに、直してもらわねぇとなぁ。
ぼんやりと考えを巡らせたサンジの、咥え煙草に雨が落ちる。まっすぐに押し開けようと、力を込めかけたサンジの瞳に、ふと、もうひとりの後姿が映し出された。

美しい、オレンジ色。

・・・間違えるはずもない。
「・・・ナミ、さん?」
ゾロの前方、僅かな距離に、美しい航海士がまっすぐに佇んでいた。
至近距離で視線を交わし、密やかに紡ぐふたりの言葉が、扉の外に漏れることはない。
――そうだ、・・・そうだよ。何もおかしいこたぁ、ねぇじゃねぁか。
数日前の展望室が、不意に脳裏を横切っていく。何かを隠すかのように、慌てて立ち去ったナミさんと、言い訳もしなかったゾロ。
生暖かい風が、展望室を吹き抜けていったはずだ。
何度体を重ねても、俺らは「なんでもねぇ」んだから・・・。

ふいに、つとゾロへと近寄ったナミの両腕が、甘えるように、前方へ伸びた。オレンジ色が、サラリと揺れる。その白く細い腕は、剣士の筋張った太い首に、ぐるりと絡みつく。

ブリキのバケツに雨水があたって、「カン」と乾いた音を立てた。降りしきる雨は、もはや止むことを忘れているようだった。重い煙草は雨に湿って、うまく煙が上がらない。
くるりと扉に背を向けたサンジの金糸から、ぽたぽたと静かに雫が落ちる。夜の海は全てを包んで、微かに震えるその背を、闇に隠していく。

 

 

 

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