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やり方、教えます。

「っ、痛ェ・・・」
朝もやけの煙る、寒い朝。凪いだ水面からは白い蒸気が立ち上り、冬島への接近を知らせている。
狭いキッチンに響く、リズミカルな打刻音。トントンと足早に駆けるその音が、何を思ったか時折カタリと歩みを止めた。
「クソ、あのアホ野郎。加減っつうもんを知らねぇのか・・・」
はぁ・・・、とため息をついた金髪のコックは、多量の二酸化炭素とともに紫の煙を吐き出した。腰に置かれた白い右手が、その華奢な腰を労わるように撫でている。無意識に繰り出された舌打ちを空気に溶かして、サンジはチラと鏡を見遣った。
―首筋に残る、真っ赤な花びら。
『だぁ!もう。見えねぇところにしとけっつったのに、あのクソマリモ・・・!』
鏡のなかの自分を睨みつけ、悪態をつきながら花びらに触れる。瞬間、昨晩の甘い熱を想い出し、腹の底がしくりと疼いた。慌てて険悪に取り繕ったサンジの白い頬が、僅かばかりの薄紅に染まる。
野獣のくせに、あんな・・・
ゾロの吐息が脳裏にリフレインして、サンジは再び腰をさすった。
困ったことに、今朝は料理のスピードが、全く上がらない。



「抱かせろ。」
昨日までの温い夜とはうってかわって、急に冷え込んだ月灯りの夜。
いつものごとくキッチンで酒を煽っていたマリモ剣士に、悪態をつきながら付き合っていたサンジの耳には、とんでもない台詞が飛び込んできた。
「抱、・・・っは?!なんっ、・・・だ、誰を、なんだって?」
「てめェに決まってんだろうが。他に誰がいる。」
事も無げにそう言い放つと、ごくりと喉に酒を流し込む。空っぽになった陶器の器には、ふたたび透明な膜が張った。
まっすぐに見据えた剣士の瞳は、曇りの一切ない綺麗な緑色だ。その目のなかに映り込む、困ったように眉を下げた金髪の男・・・
「は?!俺?!な、・・・っ」
何言ってんだてめェ!!
ガタリ、と思い切り椅子をひいて、サンジは大声を張り上げた。視線の先には、相変わらずの仏頂面で盃を煽る苔色の頭が見える。マリモは、わなわなと震えるサンジを見遣り、さも自分が正しいかのように小首を傾げた。その眼光は、吐き出された甘ったるい言葉とは裏腹に、まるでこちらを睨みつけているかのようである。
野獣の、眼。
射すくめられたコックの頬が、無意識のうちに真っ赤に染まった。
『待て待て待て!俺たちはさっきまで、えぇと・・・。』
アルコールのせいか、微かにぼんやり霧がかった脳みそを、サンジは必死の思いでフル回転させる。


ふたりは、顔を合わせれば穏やかな空気などどこへやら、いつの間にか額をぶつけ合う喧嘩になる、所謂犬猿の仲であった。それぞれの野望のため同じ船に乗り込んでいるものの、どうにも互いに馬が合わない。それはサンジばかりでなく、おそらくゾロとて、同じ思いであったことだろう。皮肉めいた口ぶりで嘲笑を浮かべた横顔に、本気の蹴りをお見舞いしたことは、10や20の沙汰ではない。
そもそも、身を投げ打ってまでプライドに生きる生き方が、サンジにとっては眉唾ものだった。ともすれば不器用ともいえる、剣士の歩む茨道。それを目の当たりにするたび、サンジの心はえらく掻き乱された。生きることよりも、強くなることを選ぶそのやり方は、信念という名の弱さに思えて、サンジは酷く、嫌いだった。

そんなふたりであるというのに、今夜は至極珍しく、喧嘩にならない平和な時間がダラダラと続いていた。
サンジはひととおりのツマミを作り終え、味見のつもりで皿に手を伸ばす。うまい。
海獣肉を使った簡単なレシピはなかなかの自信作で、それに気をよくしたサンジは、久しぶりに一緒のテーブルにつくことにしたのだ。

「なァ、てめェはどうなんだよ。」
「あぁ?何が。」
「レディとのアレコレだよ。俺より先に、海へ出たんだ。最近めっきりご無沙汰なんじゃねェの?」
バラティエでの華々しい遍歴をマリモ頭に叩き込んだ、その後のことだった。延々垂れた自慢話にひとまずの満足を覚え、ゾロの方へと水を向ける。
ことこの年頃の男子は猥談を好む。海の上で抱ける女もいないとれば、その盛り上がりはなおさらだった。だからといってサンジが常日頃から、そういう類の浮ついた話題を好んで口にしているわけではない。
サンジは単純に、興味があったのだ。
世間では野獣と恐れられるこの男が、どんな風に、レディを抱くのか。
「あ~・・・まァ、そうだな。ご無沙汰っつぅか、・・・なんだ、その。」
苔頭をポリポリと掻きながら、気まずそうに視線を逸らす。滅多に見せないゾロの様子に、サンジはますます興味を引かれた。ペラペラと、あることないことをしゃべっているうち、あまり強くはない酒を、思った以上に摂取してしまったのかもしれない。他人に干渉するのは趣味でないし、ましてや胸糞悪い、ゾロの話だ。いつもであればこの辺りで、適当に話を変えてしまうのだが、この日はどうにもその曖昧な態度が気にかかった。
「なんだよ、歯切れ悪ぃな。な、いつが最後なんだよ。」
「あァ?最後?・・・何のだ。」
「レディを抱いたのが、だよ。ったく鈍ぃヤツだなアホマリモ。野獣様がいったいどんなテク使ってヤってんのか、ちったぁ聞かせてくれてもいいだろ~。なァ、そんときゃ何回イカせたんだ?どこを攻めた?それともなんだ、相手は一人じゃなかったってか?」
「うぅ」だか「あぁ」だか、中途半端な生返事を漏らすゾロに、サンジはいきおい言葉を連ねた。僅かに口をつぐむゾロの様子に、なんだか勝ち誇ったような気分になって、調子に乗っていたのもあった。
だから、困ったように小さくため息を吐き出したゾロが、まるで睨むようにじろりとこちらを見遣ったのにも、その眼光に僅かばかりの劣情の色が灯ったのにも、サンジは全く気づかなかった。

「・・・ねェんだよ。」
「あ?」
いきなり響いたクリアな低音に、くるくるとよくまわる舌が一瞬動きを止める。夜のキッチンに流れ込む、冷たい外気が火照った体に心地よい。
「女を抱いたことが、ねェ。」
「・・・・・・・・・?」
ッはァ?!!!
素っ頓狂な声を上げて、サンジは大げさに仰け反った。木で作られた椅子が、ぎしりと大きく音を立てる。手に持っていたグラスが倒れ、ガシャンと派手な音を立てたが、幸い中身は空っぽだった。
「は、え?抱いたことが、って・・・え、てめ、まさか童・・・」
「違ェよバカ!!使ったことがねェわけじゃねぇ!!」
ちなみに不能でもねェ!
どうでもいい情報を付け加えながら、ゾロがぎろりとサンジを睨んだ。獣のような切れ味の鋭さに、サンジはぶるりと痩身を震わせる。
「初めては、14のときだ。街で声をかけられて、連れていかれた先が、所謂花街だった。」
自分より2歳も若い初体験に、サンジは一瞬、ピクリとこめかみを筋立てた。しかしそれよりも、ゾロからそんな話が聞けるだなんて、面白ェこともあるもんだと、このときはまだ、呑気に話を聞き流してもいた。
「当時の俺ァ、ひたすら鍛錬に明け暮れて、そういう方面にゃ全く興味がなかった。だから、なんだかんだと言われて付いてった、やけに露出の高ェおねーさんが、いきなり目の前で服を脱ぎだしたときにゃあさすがにぎょっとしたし、俺の大事なところを鷲掴みにしながら鼻息荒く乗っかって来やがって、思わず斬りかかってしまってよ。」
く、こいつ・・・!
レディに対して斬りかかるなど、サンジにとっては外道もいいところ、辞書にすら載っていない愚の骨頂である。
瞬時に不穏を醸し出したサンジの雰囲気に、ゾロはなかば呆れながらも言葉を付け足していく。
「アホ、もちろんホントに斬っちゃねェよ。峰打ちだ。・・・そうしたら、それがどういうわけだか女の性癖にどんぴしゃだったみてぇでよ。・・・土下座して、泣いてお願いされた。」
『お金はいらないから、その塊を咥えさせて。後生だから、アンタは何もしなくていいから・・・!』
おそらくゾロの性欲とやらは、鍛錬のなかでいくぶんか昇華されていたのだろう。それは、死ぬほどに険しい料理の道を通ってきた、サンジにとってもよくわかった。
ゾロを攫った、麗しきレディ。女に飢えた男どもばかり相手にする中で出会ったのであろう、ただただ強い、14のゾロ。
「そ、それでてめェ・・・もしかして、レディに全部任せたのかよ!」
「・・・何もするなと言いやがったんだ、」
仕方ねぇだろ。
僅かに口を尖らせて次の酒を流し込む様子が、どことなくふてくされた幼子のように映る。
仕方ねぇだろ、・・・じゃねぇだろクソマリモ野郎!レディには、出来うる限りのご奉仕をするのが、せめてもの男の役目だろうが!
そんなサンジの内心の炎上も知らず、ゾロは淡々と言葉を続けた。まるで明日の朝ご飯の話をしているかのような、感情の見えない語り口。その喋り方は逆に、サンジの想像を煽っていくかのようだった。
「女の腰が動くたび、あんなもの邪魔だとばかり思っていた乳房が、見たこともねェ風に目の前で揺れるんだ。さすがに俺も変な気になってきて、思わずがしりと、腰を掴んだ・・・」
近づいてきたクライマックスに、サンジはごくりと生唾を飲み込む。いつの間にか声も漏らさず、ゾロの話に聞き入ってしまっていた。狭いキッチンに響く低音。僅かに掠れたその声が鼓膜を揺らすたび、サンジの中心がずくずくと疼いた。
あれ。・・・なんだ、これ。

「・・・というわけで、俺の童貞は喪失したわけだが、」
「ちょちょ、ちょい待ち。初めからたっぷりレディにご奉仕されやがって、しかもソッチにゃ全く興味ねェときた。そんなんじゃてめェ、その後からは・・・、」
「あァ、そうだ。だからだよ。」
ゾロがニヤリと、口角を上げた。皮肉を漏らすときのコイツの癖だ。
「そういうわけで、俺は、女を“抱いた”ことがねェ。」
はぁぁぁァ??!!!!
本日二度目の叫び声が、夜風とともに溶けていった。もうすぐ満月を迎える月が、ぼんやりと船を照らし出している。
「て、てめェ!黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!レディを抱いたことがねェだと・・・?!てめぇはいつもいつも、レディにご奉仕させてたのかよ!!信じらんねェ、そんなもん男として許せねェ!いや、断じて俺が許さねぇ!!いくらちょっとモテ・・・モ・・・、っレディが興味を持ってくださるからって、そんなんじゃ一生、レディを幸せなんかにゃできねぇぞクソマリモ!!」
何に対する怒りなのかサンジ自身にもよくわからないまま、勢いだけで怒鳴り声を張り上げる。コイツにそんなこと教え込んだレディもレディだが、それを甘んじて受け入れていたコイツもコイツだ。だいたい、素敵なレディを目の前にして、食べようと思いもつかないマリモのぶっ飛んだ思考が、同じ男としてよくわからない。
肩で荒く息を上げるサンジをものともせずに、ゾロは滔々と言葉を紡いだ。その口元は、やはり皮肉に歪んでいる気がする。
「じゃあ、教えてくれよ。その・・・抱き方っつうヤツをよ。」
「あァ?なんだって?」
「女は、抱いてやるのがイイんだろ?でも俺は、やり方を知らねェ。だったら、練習するのが一番だろうが。だから、・・・」

―抱かせろ。

突拍子のない台詞が、歪んだ口元からいきなり放たれる。
一瞬でも己の耳を疑ったのは、単なる聞き間違いであることを心から願ったからに、他ならなかった。

 

 

 

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