たんぽぽの舞う、海に Since 2013
* ゾロサン 中心、OP二次創作小説サイト。 たんぽぽの舞う海に、ようこそ *
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みっつめの交差点で 1
赤から青に変わる点滅が街の色をきっぱり塗り替える。
息を潜めたタクシーの群れは午後のまどろみに滑り出す。
三分おきに巡る世界がくるくると忙しなく表情を変え、鮮やかに色づいた街路樹の葉のささやかな変化を風に流す。
交差点ですれ違うのは無表情を貼り付けた主人公たちだ。
彼らはみな互いの物語にとって取り換えのきく脇役でしかない。
ぷかり、と静かに煙を吐いてサンジは遠くの雲を見遣った。
ビルの隙間に覗く空は淡く濁って今日も、青い。
ゆらゆらと上がる紫の煙が適当な軌道で空気に溶けていた。
ハッ……と吐き出す透明な毒が白く色づくまで、あと少し。
「はい、もしもし。あ、はい、お世話になってます」
ジャケットの内ポケットから取り出したスマートフォンが明日の予定を淡々と告げる。
午前中は青山で和菓子の撮影、午後からは新宿の飲食店へ取材まわり。サンジはスケジュール帳を取り出して「美容院」の赤文字に「×」をつけた。
クリスマスデートにお勧めのランチプレート、と題される特集ではざっと十軒ほどの店舗を回ることになっている。
事前にWebでのクチコミや友人知人から情報を仕入れる。もちろん自分の舌で味わうこともあったが、幸か不幸か写真さえ整えばあとの見栄えはいくらでも変えることができた。
老舗の喫茶店にはすすけた加工を。若い女の子向けのカフェには光が差し込む光源を。
フォトグラフィックデザイナーなどという肩書きこそ輝かしいが、小さな雑誌社のいわゆる小間使いをサンジはかれこれ五年ほど続けている。
もともと都内の美術専門学生だったサンジが教師のツテでそこのアルバイトを始めたのが七年前。絵を描くこともデザインも好きだったが、それだけで食っていけると勘違いするほどおめでたくも実力もなかった。
教師の方でもそんなことは露ほども思っていなかったに違いない。そうして細々と続けたバイト先に卒業後はそのまま正規雇用となった。
「はい。はい。あ、じゃあ九時半に表参道でいいですか? はい、はい、……わかりました。ラフ板はそちらで? あぁ、なるほど。はい」
タンッと画面で指を弾くと音もなくぷつりと通信が途切れた。
サンジはスマートフォンを内ポケットにしまいこみジャケットの襟をクッと伸ばす。
電話の向こうのあの人は一体どんな顔だっけ?
声を聞いても思い出せないもやのかかったのっぺらぼう。
フッ、と短く煙を吐いて揺れる歩道橋をゆっくりと渡る。
「ふぅ……」
ドサリ、と響く重たい音にビニールがガサガサと擦れる音が重なる。
サンジは硬い革靴を脱いでダイニングテーブルに荷物を運んだ。
切れたシャンプーを買うついでにと薬局に長居したのが敗因だった。
そういやコンディショナーも切れそうだったかな、サランラップも少なくなっていた気がする。
そうやってついあれもこれもと物色しているうち、両手に持った袋は重くなった。
「あっ、なんだスポンジ買ってたのかよ」
キッチンの上扉を開きながらサンジは知らず舌打ちを打つ。
たかが百円と少し。どうせいずれは使うのだが、それだったら諦めた台所用洗剤を買ってくるんだったとサンジは僅かに眉根を寄せた。
一人暮らしも長くなり生活はずいぶん楽になった。
決まったパターンを永遠に繰り返せるほど安定した職業ではなかった。それでも仕事はいくぶんか覚え、社会人としての図々しさも身につけた。給料もまあまあ稼ぐようになると日常には少しだけ余裕が生まれた。
ベンツで毎日出社するとか自家用ジェットで海外に行くとか、そういうわかりやすい幸せをサンジは別に望んでいない。だから、近所のスーパーで季節はずれの野菜を買うときの躊躇が減ったこととか、ショウウィンドウを眺めながら「買おう」と本気で思える幸せだとかに、「大人」の良さを十分に感じてサンジはすっかり満足している。
失敗を繰り返しては凹んでばかりいた、あの頃。
もしかするとあの頃の方が、今よりも少しだけ一生懸命だったかもしれない。
積み重なったスポンジを見ないよう、白い扉をバタリと閉める。
夕の刻が短くなって、夜の訪れが早くなった。
冬の気配に気づかぬように街の人々は早足で歩く。
つい先日まで紫とオレンジで賑わっていたショッピングストリートは、いつの間にか赤と緑に塗り替えられている。キンキラと光る幸せの象徴を背景に底抜けに明るいBGMが流れている。
サンジは包丁を取り出すとその背を「トンッ」とまな板に打ち付けた。
これは料理を始めるときの癖のようなものだった。
幼い頃、料理人だった祖父にくっついて入った厨房で、そのしわくちゃのかさついた手が軽やかにリズムを弾くのをサンジは黙って見つめたものだ。
『さて、と……』
冷凍の豚肉をレンジにかけながらサンジは腕組みで素材を眺める。
寒くなると根菜が食べたくなるのは国民性だろうか。白い大根に土のついたごぼう、冷蔵庫の中には人参の残りものが少し入っている。
サンジはそれらを手にとってまずは丁寧に水で流す。そうして皮を適度に剥いてできるだけ小さく刻んで行った。本当はある程度形を残した方ができあがりは綺麗なのだが、一人分の料理では見た目より手間を優先してしまう。
だいこんはいちょう切りに、ごぼうは薄めのさかがきに。多少皮が残っているのは煮込んでしまうから問題ない。
鍋に全てをぶっ込んでふたをして中火でぐつぐつと煮込む。その間に特売で買ってきた鮭の切り身を取り出した。
ホイルの上にマーガリンを塗ってその上にひと切れをそっと置く。
その薄紅の身の上に、タイムセールでふた袋百円になっていたえのき茸と、残り物の玉ねぎを半玉。それからあまり知られていないけれど、実は今が旬のほうれん草を乗せる。
簡単で、かつ美味しい料理。
一人暮らしを始めてからもできるだけ料理は自分でやるようにしていた。
職業柄、不規則な生活が続くこともあるが、なぜかこれだけは譲れない。
それは小さな個人レストランを経営する祖父から譲り受けたプライドであり、一種の宝物かもしれなかった。
サンジは鍋の立てるシュウシュウという音に「おっ」と声を上げてガスを止める。
とはいえ普段は出汁からとったりはせず、味の素で済ませてしまうことがほとんどだった。
適度に解凍できた豚肉を突っ込み、再びコトコトと弱火を入れる。
仕事では料理や飲食店の取材を担当することが多く、それも何かの縁かと思う。
「いただきます」
誰にともなく手を合わせ、サンジは白米に箸をつけた。
お米はだいたい三合炊いて食べきれないから冷凍してしまう。
若い頃は同じ量を二日もあれば食べきっていた。
今やこうして茶碗に小盛り。それでもやっぱり美味いモノは食べたい。
「はふ、あっちィ」
ずず、と汁を飲み込めば柔らかな味噌の香りが鼻に抜けた。具だくさんの豚汁だ。
もぐもぐと根菜を咀嚼しながらホイル焼きにも手をつける。ふわ……と蒸気が立ち上って香ばしい香りが辺りに開く。
祖父から教わったお勧めの醤油をポトリ、ポトリと三滴ほど垂らす。箸でつつけばほろり、と崩れるピンク色の美しい身。いい具合に柔らかく蒸された透明な玉ねぎと旬の緑。美味い。
「はぁ……」
訳もなくため息が零れサンジはぼんやり天井を見上げた。明日は九時前に家を出て渋谷から少し歩いていこうか。
次の予定を追うだけの毎日に疑問を挟み込む余地はない。
『パシャッ』『ジー』――
「はいOK! あ、動かさないで、もう一枚行きま~す」
ストロボの焚かれる眩しい光とフィルムが巻き取られる機械音。撮影の緊張感などとは無縁なかけ声が狭い店内に断続的に響き渡る。
新宿で七軒の撮影を終え、足を伸ばした神楽坂。レトロモダンな色調のテーブルが薄暗い店内に不揃いに並ぶ。ひとつひとつ型違いの椅子。土地柄も手伝ってかさすがになかなか洒落ている。
「あ、サンジそこの花瓶、ちょっとそっちによけといて」
「あいよ」
指示されたものをてきぱきと移動してついでに皿の位置を整える。長鼻のカメラマンは「お」と眉を上げ『わかってんじゃねぇか』と口元を緩めた。
ウソップ、と呼ばれるこの男はうちの雑誌社の撮影班だ。ちょうどサンジがバイト二年目の頃に自社の専属として入社して来た。
「はい! いいねぇシェフ、ばっちりですよ。特にこっちのパスタなんて、色映り最高」
「ありがとうございます、どうも」
褒め上手なのか口が立つのか、ウソップは場を和ませるタイプのカメラマンだった。とかく芸術家気質の多い職種である。気難しかったり神経質だったり、人との会話が苦手だったりするカメラマンも多い界隈だ。そんなこの業界のなかにあってウソップはなかなかに付き合いやすい。
「じゃあ、次移動しようか。サンジはこっちの機材よろしく」
手際よく片付けを始めながらウソップが顎で指示を出す。サンジも黙ってそれに従い、大きなバックのチャックを開いた。一年先輩だったとはいえもとがバイトの分際である。どちらが先輩だったかなんていつの間にかあやふやなままだ。
「それじゃあ俺たちはここで……ん?」
重い機材を担いだウソップがふと不思議そうに立ち止まった。あとはシェフに軽く挨拶をして次の撮影に向かうだけのはずだ。
「おい、なんだ。美しいレディでもいらしたか」
「あ、いや」
ウソップの視線の先を辿るとちょうど柱の影の辺りからシェフの話し声が聴こえて来る。
時折混ざる低い声色。残念ながらレディではないようだ。
「いや、だからここは神楽坂で、君が行きたいのは真反対の、……うーん、違うんだよなぁ、そう、山手線は一周してるんだけど、なんて言うか、えぇ、はぁ……」
「どうしました」
ひょっこりと顔を出したサンジに店主は一瞬驚いた顔を見せる。しばらくの撮影で少し気安くなったのだろう。助けを求めるかのように困った表情で溜め息をつく。遠慮がちにちらりと見遣った先、佇んでいる見慣れない男。
――緑髪?
「いや、この子がね、どうやら道に迷ってるみたいなんだけど、ここが目的地のはずだって譲らないんだよ」
「はぁ。……キミ、どこに行くつもりなの」
「京橋だ」
憮然と言い放つ声の響きは柔らかさを残してくぐもっていた。サンジは僅かに目を見開いて男の全身をまじまじと眺める。糊のきいたグレーのスーツに、結びなれない紺のネクタイ。黒縁の眼鏡が隠した表情に不釣合なほどの鮮やかな緑。
――見たところ新卒か、もしくはそれ以前か。
「……あー。反対側、だな」
「でしょう? それなのに、合ってるはずだ、って引いてくれなくて」
「地図は確かにこの辺りだった」
「あぁ、そう。なに、てめぇ東京はハジメテか?」
「初めてで何が悪い」
悪態、とも取れるその態度に店主はビビって目を伏せてしまった。どうやら上京して間もないらしい。サンジは小さく溜め息をついて店主ににこりと笑いかける。
「大丈夫ですよ、こいつは俺らがなんとかしておきますんで」
「えっ、しかし」
「どのみち今から、丸の内方面に向かうから」
そう言って緑頭の腕を引く。
さっきまで文句を垂れていた男は案外素直に力に流された。
「っ、んだよ、乱暴だな!」
「あぁ? てめぇがさっさと歩かねェからだろ。おら、乗れ」
路駐のタクシーを適当に選びドン、と軽く背中を押す。
「お客さま、行き先はどちらまで?」
「てめぇ、会社の名刺とか持ってっか?」
「あ? あ~……」
緑頭はごそごそと鞄を探り折れてしわの寄った紙切れを差し出した。
「これか?」
「おぉ。……なんだよ、いいとこ行ってんな」
「……インターンだ」
「あぁ、なるほどね。……すみません、こいつをここまで連れてってやってください。迷子みたいなんで」
「迷子じゃねぇ」
「はい、かしこまりました」
まだ何か言いたげな顔で緑男がサンジを見上げていた。人様に助けを求めてているとは思えないほどのふてぶてしさ。憮然とした表情は相変わらずだがどこか幼さの残る顔立ちに見えた。
――インターン……大学生か。
「ほら、金」
「はっ、何やっ」
スーツの胸ポケットに五千円札を突っ込んでそのままバタン、と扉を閉める。
呆気にとられた表情の男を乗せタクシーは街へと滑り出した。
ひらひらと手をふるサンジを置いて、雑踏が全てを曖昧に溶かす。
これといって無気力に過ごした専門学生時代に唯一何か得られたものがあるとすれば、時間に縛られず過ごすことのできる、だだっ広い自由だった。
一限の授業など早々となくなって、夜に遊んで朝は眠った。一度や二度の失敗もあるし多少の賭け事には目を瞑った。
それでもバイトや試験勉強はほどほどに抜かりなくこなしていた。元来器用で真面目な性格だ。卒業を伸ばす必要も感じず単位を落とすような真似もしなかった。
無難に、適度に。
そうして淡々と日々をこなし週末は美術館に足を運んだ。
一応、芸術が好きで選んだ学校である。商業芸術を担っていくような力など自分にはないことぐらい自覚していたが、アートのエネルギーを享受することについてはサンジとてやぶさかではなかった。
なかでもサンジが愛していたのはインスタレーションと呼ばれる技法だった。
もともとそこに「ある」場を用いて作り出される、作家独自の「表現」の世界だ。
溶け込むのか、反発するのか、あるいは新たに「作り出す」のか……――
それはまるで作家それぞれの生き方を模した何かのように思え、サンジは知らず心躍らせた。
思えばあの頃からあり体の「場」のなかでどう生きるか、というテーマがサンジのなかで浮き彫りにされつつあったのだろうと思う。
新たに作り出すのではなく、既に存在する「場」の中で己が何者として生きていくか。
だから、写真という媒体は純粋に好きだった。
その瞬間常に問われるのは、決して自分が作ったものではないそのものを如何に魅力的に見せるかという技術だ。
素直に全面へと開いた感性と、つまらないほどの正確さ。
どんなに小さな写真であれそのどちらもが欠けてはいい写真は撮れない。あの頃勝ち得た小さなプライドは密かに今でも大切に抱えている。
「はい、お疲れさん」
奢ってやるよ、と連れてこられたコーヒーショップでつかの間の休憩を挟み込む。ここのパンケーキが美味ェんだよな、とウソップはさっきから饒舌だ。
「しっかし、びっくりしたよなぁ。いきなり迷子って」
「あぁ」
「ったく、田舎モンが一人でほっつき歩くんじゃねぇっての」
ニイッ、と笑った長鼻はもりもりと生クリームを喉奥へ流し込む。残る撮影はあと三軒。最後の一軒は夜の十時開店のバーで来月の記事にまわす写真だ。
「あいつ、なんで東京来てるって? 新卒にしちゃあ慣れなすぎだろ」
「え? あぁ、……」
知らね。
サンジはなぜだか言い淀んでホットコーヒーから目を逸らした。
ウソップは「ふーん」と気のない返事ですぐに手元のバターへと気を取られる。
「っとあぶね、これ、ちょっと溶かして食べるくらいがちょうどいいよな」
さも食べ慣れているという風にウソップがにこにことケーキを頬張る。
そんなもんよりもじじぃの作ったチーズケーキの方がうまいぜなどと、サンジは言わずにコーヒーを流し込む。