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Last Story

この街に辿り着いて最初にやったのは空家になっている物件を探すことだった。

いくら趣味程度の小さなバーとはいえ、あまりにも採算が取れなければ喰っていけない。

それなりの立地でそれなりの賃料。

あちこちの街を転々としていたおかげでそういうことには鼻がきいた。

船を下りてから、5年。

かつての仲間たちとは滅多に会うこともなくなっていた。

うさんくさげな不動産屋で2、3上げられた候補地の広告。サンジはそれをチラと見遣り迷うことなく指をさした。

内地に佇むバーの跡地。――ここならば、海の音は聴こえない。

「へい、毎度あり」

チン、とレジの閉まる音とともにサンジは一歩外へと踏み出す。

ポケットに突っ込んだオンボロの鍵はくたびれた未来への冷たい切符だった。

 

店は比較的繁盛した方だと思う。

夜は雰囲気のいいバーを気取り昼間は安価なランチを振舞う。どちらも客の趣向に合わせシンプルな味付けが顔を並んだ。

濃く大量に食べる時代から、薄味でお洒落な一品ものへ。時代は長い大航海時代を終え新たな段階へと突入していた。

古いジャズの流れる店内でサンジは静かにシェイカーを振る。

あの日々のことが遠い昔のようにセピア色に思い出された。今の自分が立っているのは間違いなく「あの頃」の上なのに、どこかがプツリと途切れたまま今と昔は交わることがなかった。

わいわいと賑わう小さなバーで、時折厳つい横顔を見かけることがあった。

かつては意気揚々と海に狩り出した男たちの、その後を知るものは意外に少ない。たったひとりの海賊王に世界は揺れ、ガラガラと音を立てて時代が変わった。

背中を丸める「元海賊」にサンジは静かにつまみを差し出す。チラと見遣った無骨な頬に痛々しく走る大きな傷。――こいつは、右目、か。

「……悪ィな、兄ちゃん」

「気にすんな。またいつでも来いよ」

そう言って別れたほとんどの男は二度とは戻って来なかった。

 

 

 

1年、2年、3年……。

こうしてサンジは淡々と日々の仕事をこなしていった。

元はといえばコックを目指し、丁寧な修行を積んで来た自負もあった。出される料理は美味しいし、かき混ぜられた酒は絶品だ。バーテンはすぐに板について訪れる常連もこつこつと増えた。

ここではサンジの過去を知る者もいない。

「昔」と「今」の間に挟まれた数年間の血なまぐさい日々。サンジの長い人生のなかではそちらの方が余程「異質」な経歴だった。

「――いらっしゃいませ」

金ピカのドアベルがカランカランと軽快に音を立て、立て付けの悪い扉が「ぎぃ」と鳴く。

サンジはグラスをキュッキュと磨き上げながら片目だけを薄く細めた。

客を迎えるときのいつもの癖だ。

扉の隙間からは太陽が割り込み一筆書きの筋を描いた。外にはぽってりと暖かな日だまりが落ちている。ラストオーダー5分前。

「お客さん、悪ィがもうすぐランチは……」

台詞を最後までは言わないままに、サンジの両手はフリーズした。カシャン、と机に当たったグラスがごろごろと音を立ててカウンターを転がる。そうして端から頭を落とすと床にガシャンと光を砕いた。

「……お前、なんで、ここ、」

乱反射する光の軌跡がバーの床をキラキラと彩った。

透明に散らばる青色のガラス。それはまるで、あの日見たオールブルーのような――

「探した」

ゴツ、ゴツ、と足音を立てて男がゆっくり歩み寄る。平日の午後は人もまばらでさざなみのような囁かなお喋りがジャズのリズムに溶けていた。

「お前、……」

次の瞬間、男の体は宙に舞い、3秒後に「ガシャン!」と派手な音を立てた。

バーのド真ん中に陣取ったテーブルが見事にボキリと中心から折れる。

大人の嗜みに興じていたお客たちは何事かと声をひそめた。

「……カハッ、手荒ェ歓迎だな」

「てめぇ、今さら何しに来やがった……!」

バーカウンターを軽々と飛び越しサンジは仁王立ちに男を見下ろす。わなわなと震える全身を懐かしい気配が舐るように包み込んだ。

男は、憎らしいほどに変わっていなかった。

ふざけた緑の芝生頭にゴムの伸びた綿の腹巻。肩から落ちる汚れた着流しの腕には黒いバンダナが結わえてある。

あの日。全員で船を下りた後、ついに1度も会うことのなかった男。

見上げる片目に光が灯る。鋭く尖った、温かい光。

腰に据えられた三本の刀が躍るようにカタカタと音を立てる。

「……表、出ろ」

扉に『Close』の札をかけてサンジは外へと足を踏み出した。

 

勝負は全く互角というわけにはいかなかった。

おそらく離れていた数年間もこいつは戦いに明け暮れていたのだろう。片目に走った一本の傷の周りには、無数の切り傷が堕ちている。

「はぁ……、はぁ……ッく、……ぅ、っ」

サンジは脇腹を掌で押さえ、ぐっ、と両足に力を入れる。そうして空へと伸び上がって美しい足技を直下へと堕とす。

「ッ、はぁ……はぁ、……クソっ!」

踵は間違いなく男の脳天を目掛けて落ちたのだが、男には寸分も触れることはなかった。かつては黒足と恐れられた重い蹴りが地面にめりめりとひびを走らせる。

「……今さら何の用だ、クソマリモ」

ぜぇはぁと息を吐きながらサンジはジロリと男を見遣る。男はバンダナを頭に巻きつけ太陽を背負って逆光のなか立ち尽くしていた。

「てめぇに、会いに来た」

「いい加減にしろ……!」

サンジは片手で全身を支えぐるん、と逆立ちに大きく輪を描く。ぶわ、と鳥が羽ばたくように華奢な体が宙を切り裂く。ふわりと上がる地面の埃を炎の切れ端がチリリと焦がす。

「クソッ」

カンッ、カンッ、カンッ! と軽やかな金属音が響いたのち、ガキッと派手な打撃音が上がった。振り上げた長い片足が見事に剣先で受け止められている。逆立ちになったままの格好でサンジは小さく舌打ちを落とした。銀の刃先は男の頬に午後の光を反射している。

「なんだよ、斬ればいいじゃねぇか。なにビビってんだ」

「…………」

「それともなんだ、同情か? 昔の男に情けをかけられるとは、俺も落ちたもんだな……大剣豪、ロロノア・ゾロ!」

どす、という重い音と同時にゾロの体が地面から数センチ離れる。そのまま後ろに吹っ飛んだ体は、ガシャン! と大きな音を立てて落ちた。路地裏に転がる無数のバケツ。

「……相変わらず、てめぇの足は、重ェな」

ゾロは脇腹を押さえた格好でたらりと一筋汗を流した。これでも手加減しているのだろう。サンジが仁王立ちのまま睨みつけるとゾロは「ふっ」と柔らかに破顔した。それだけでサンジの小さな心臓はドキリと激しく脈を乱す。

ゾロはひと呼吸を置いて路地裏の壁伝いに立ち上がった。ガラガラと耳障りなブリキの音色が済んだ青空に吸い込まれていく。

色もなく立ち尽くしたサンジのもとに、ゴツ、ゴツ、と近付く足音。逆光を背に歩み寄る男の気配。開かれることのない剣豪の片目には優しい色が灯っている。

船を下りてから、ほんの、十年と少し。

俺たちは、どこで間違ってしまったのだろう。

「気は、済んだか」

「…………」

クソッ。

もう一度低く呻いた声が頬を伝う涙とともにゾロの着流しに染み込んでいく。

細い腰にまわされた腕がきつくサンジを抱きしめる。

――温かい。

「なんで、」

「てめぇが店を出したと聞いた。だから飯を喰いに来た。……それが口実じゃ、ダメか?」

「遅ェよ……バカ野郎」

最後の方は嗚咽に紛れてほとんど言葉にならなかった。

抱きしめられた腕の温度を、心臓に伝わる甘い熱を。忘れようと必死になって、目の前の料理に没頭した。いつしか胸の痛みには慣れ、思い出すこともなくなった。乾ききった思いには重たい錠をかけたはずだ。

それなのに。

こんなにも、あっさりと。

溢れ出す想いが雪解けのようにサンジの全身を水浸しにしていく。

『あぁ。そうか』

路地の真ん中に突っ立ったままサンジは嗚咽を噛み殺し続ける。全身を包む優しい体温。髪を撫でる愛おしい手つき。懐かしい。全てが懐かしいから、サンジはゾロを抱きしめ返すことができない。

そうか。

そううだったんだ。

 

――愛したかったんだ、俺は。

 

「クソ野郎……!」

精一杯の悪態を吐いてドン、とゾロの胸を叩く。一度そうしたら止まらなくなって何度も何度もゾロを叩いた。

クソッ、クソッと呟く声に夕闇がのたりと影を落とす。長く伸びたふたつの影。

「……ゾロ、」

「会いたかった」

ぽつり、と落ちた静かな音色がサンジの熱に溶けて混ざる。

ぴたりと重なるふたつの影。重なり合った唇の隙間から細切れの吐息が零れて散った。

 

 

 

***

 

「あ?」

「だァから、昼飯。……食うだろ?」

ふん、と鼻で笑う姿に若かりし日々の面影が重なる。

こんな風に柔らかな表情なんてただの一度も見たことなかったと思う。それなのに、穏やかに口元を緩める姿は不思議とあの頃のままのようだった。

ずいぶん遠いところまで来たようでいて、ほんの少しだって進んでない気もする。

「あぁ」

――お前の飯を、食いに来た

殺し文句をさらりと吐いて剣士はカウンターの端で頬杖をつく。

グラスの氷が「カラン」と音を立てて気だるい午後を適当に彩る。

カウンター越しに交わる視線。

目が合うたびに喧嘩をした。懐かしい、幼かった俺たち。

全てのグラスを拭き終えてサンジは椅子に「よいしょ」と腰掛けた。

ぼんやりと店内を見渡しながら紫の煙を天井へと流す。埃っぽく乾いた匂い。昼の営業を終えた店内には午後の光が満ちている。

空気を伝う古いジャズ。

「うめぇな、これ」

ふいにそう呟いて、ゾロはがつがつと飯を喰らった。

サンジは一瞬驚いたように目を丸くして、それからふっ……と笑みを零す。蒼の滲む柔らかな瞳がふわりと優しげなカーブを描く。

「……知ってるよ」

口元で僅かに跳ねた煙草の意味をゾロが知ることはきっとない。

天井のファンがカラカラと回り通奏低音に絡んで交わる。緩やかなシンコペーション。あの、暑く切羽詰った、ふたりだけの、午後のような。

「ゾロ」

緑の髪に指を差し込んでくしゃ、と軽く握ってみる。

干し草の匂いがしそうなほど暖かに乾いた柔らかな毛並み。

「……俺ァ犬っころじゃねェぞ」

ハハ、と声を上げて笑いながらサンジは椅子から立ち上がる。

カタリ、と音を立てる古い椅子。去り際に落とした軽いキスがゾロの額に温もりを残す。扉にかかる『Close』の札。これから夜の宴の準備だ。

窓の外には青い空が覗いていた。流れる雲が風にそよいで一羽の鳥がすう、と滑空する。

日増しに深まる冬の匂い。

――宴のはじまる、その前に。

「なぁ……てめェがひとつ、じじぃになっちまう前にさ」

もう一回、シようか。

いつの間にか背後に立っていたゾロがサンジの耳に優しく噛みつく。くすぐったさにひねった腰がぎゅ、と強く抱きしめられる。

「ゾロ、」

後ろに少し首をひねって触れるだけのキスをする。同じ背丈、同じ年。同じように重ねた日々が少しずつまた、色を変える。

「好きだよ」

くすくすと笑った鼻先にゾロのキスが3回重なる。熱くも激しくもない暖かな温度。ふたりで紡ぐ平凡な毎日こそが、何よりの幸せだとでも言うように。

「――おめでとう、ゾロ」

聴こえるか、聴こえないかの小さな声に愛の調べをふわりと乗せる。

背中があたって「カラン」と音を立てるドアベル。窓からの光できらめく空気。

天井に溜まった紫の煙がふたりの気配にゆらりと揺らぐ。

時には、昔の話をしようか。

明日からまた新しい物語が、刻まれていくその前に。

 

 

 

 

(完  ― ゾロ、生まれて来てくれてありがとう! ―)

 

 

★ ゾロ誕TEXT2014 企画提出作品

 

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