top of page

煙の町にて

夜だというのに蒸し暑い。

ゾロは霞む空を見上げながら胸のボタンを余計に開いた。
上司に一言断ってから麻の襟を掴んで扇ぐ。胸に乾いた空気を入れるとそれでもいくらかマシになった。
「なぁ、郷に入りては郷に従え、だ。ロロノア」
「……はい」
埃っぽくカビたような匂いが異国の情緒を漂わせている。
ごうごうと煩いエンジン音に、止むことのないクラクションの嵐。
――信号もねェのによく事故らねぇな。
なかば関心したように辺りを見渡せばそこここで小さな諍いが起こっていた。何のことはない。多少の事故なら黙って逃げる、つまりはそういう粗雑な町なのだった。


観光ビザでは短いからと就労ビザを工面した。
現地の住処もインターネットも全て自力で準備した。
ゾロの務める金融系ITベンチャーは立ち上げから今年でちょうど十年め。ようやく海の向こうと取引が始まったのはいいものの社内にノウハウの蓄積はなかった。
慣れない言語でのやり取りを一ヶ月。ゾロは手探り状態に用意を進めた。
引き継ぎはなかなかに大変だった。
なんせ勘と見た目で取引を成立させてきたような男だった。他の奴らに引き継ごうにも、あまりにも言語化できる資料がない。その有様に同僚のナミは「う~ん」と唸って頭を抱えたけれど、結局はこの女、全ての契約を根こそぎ奪い、たったひと月で社内のナンバースリーにまで伸し上がった。
「アンタのシマは引き継いどいたから、しばらくは帰って来なくていいからね」
そう言って笑う魔性の女に周りの男は肝を冷やす。

いきなり決まった海外出張は社内の誰もが予想していないことだった。
社長室に呼び出され、渡された片道航空券。書面に踊る「無期限」の文字は所謂「特攻」を明示していた。同僚たちはゾロを囲み、一様に顔をしかめたものだ。
「おいおい、大丈夫かよゾロ。お前あっちの情勢、なんも知らねェんだろ?」
「あァ」
「ひぇ~社長も思い切った冒険すんなァ……」
俺たちまだ三年目だぜ?
そう言ってため息を吐く長鼻に缶コーヒーを奢ってやった。
まだ、なのか、もう、なのか――
餞別だ、そう言って投げた熱い缶を「そりゃこっちの台詞だ」と笑って受ける。


伸びに伸びた渡航日は、それでもふた月後に現実になった。
小さなトランクをカラカラと引きたった独りで空へ飛ぶ。
行かないで、と泣いてすがる女がいなかったわけではない。
だけどゾロにとってそれらはみなどれも同じ顔で、今さら誰かを思い出すのはこの上なく至難の技だった。
「いらっしゃいませ、ロロノア様」
空港に着いて出迎えたのはサングラスをかけた髭の男だった。
差し出されるごつい右手に荷物を預け向かう先へと足を早める。
「ふふふ……思ったより、いい男」
いつの間にか後ろに居た女もどうやらこっちの「社員」のようであった。まるで鳥のように軽い身のこなし。黒いバンに三人は乗り込む。
「ボスが楽しみにお待ちです、ロロノア様」
今夜は祝宴ね。
男の言葉に鳥女が答え、車内はそれきり静かになった。
太陽を隠す黄色の砂。
雨季へと向かう喧騒の町。




三軒目に連れて来られたのは「ボス」お勧めのバルだった。
大人のたしなみと言えば聞こえがいいが、要するに金で女を買う店だ。
「きっとてめェも気に入る。……全部、俺の女だ」
健全な店だと念を押され入った店が風俗とは。ゾロはいまいち気乗せぬままさりとて断れもせず辺りを見渡す。
明かりの落ちた薄暗い一室には音ばかり煩い壊れかけの空調がついていた。くすんだ赤の絨毯は経年劣化でぱさぱさと毛を逆立てる。冷房の利かない白壁の部屋を錆びたシャンデリアがでかでかと彩る。二十畳ほどの縦長の空間。そこに女たちがひしめき合っていた。
「選べ、と……?」
「あァ。いい女たちだろう? そりゃてめぇの国に比べりゃあ多少見劣りはするが、活きがいいのを揃えておいた」
ボスがニヤリと口端を上げる。
ざっと五十人ほどだろうか。ある者は真っ赤な口紅を塗り、ある者は邪な目でゾロを見上た。そしてある者は絨毯に跪いてゾロからの指名を焦がれている。のっぺらぼうの女たち。
一面には「雌」の匂いが蠢いていた。

別に女を抱けないわけではなかった。
容姿がそれなりだったのが幸いして昔から遊びには不自由していない。頼まれれば抱いてやったし、そうこうするうちコツも掴んだ。
要するに、早くイけたらそれでいい。
女とどうこうなることに特別な意味を感じたことはない。情もないのっぺらぼうに、あえて貸しを作るのはむしろ面倒だった。
溜まった性欲を吐き出すため、形式的に体をなぞる。
物欲しそうによがる女をゾロはいつだって冷めた頭で見下ろしたのだった。

目の前で妖艶に笑う女たちはどうやら歓迎ムードらしかった。おいでおいでと手招きをして特別な指名を待ちわびている。
女はみなお揃いのドレスを着ていた。全身を包む繊細なレースが膝上二十センチでひらりと揺れる。上質に編まれた薄い生地。それはそれは見事なシースルーだ。
思わず胸元に寄った視線が女の笑みとかち合いぎょっとした。ゾロは慌てて目を逸らす。下着だけをまとった姿よりもこちらの方が余程目のやり場に困った。
「……てめェの趣味か」
「フッフッフ……悪くねェ眺めだろう? いい目だ、ロロノア。歓迎の証に今夜はどれでも好きなのを選べ」
「ボス」は女どもの尻を撫で付けながらゆっさゆっさと部屋を闊歩する。裾のレースがさらりと揺れる。透ける下着の赤、白、黒。
『ねぇボス、私も』
『あぁっ、もう触れられるだけでイっちゃいそう!』
嘘のように蕩けた瞳がいくつもいくつも向けられる。
ゾロは小さくため息をつき薄暗い部屋をぐるりと見渡す。



二年前にゾロの入社した表向き健全な金融ベンチャーは、裏で莫大な利子での貸付を執り行う所謂闇金の成れの果てだった。新進気鋭のIT会社など体のいい隠れ蓑。何も知らずに入った新卒のその半分が三日でケツを割った。
とはいえこの不況の真っ只中である。給料ばかりは厭によい。血生臭い案件にさえ目を瞑ればあとは普通の会社員と変わりない待遇に、同期の半数はしがみついた。厳密な箝口令に怯えながらただ黙々と仕事をこなす。そうしてまるで何かを埋めるかのようにプライベートで豪遊を重ねた。

遊び慣れた同期の中でゾロは特別目立つ方ではなかった。
同期入社の百名と比べてもおそらく地味な部類に入っただろう。
華やかな合コンも海外旅行も片手で断り仕事をこなす。見てくれは悪くないが愛想が最悪。そんなつまらない男のことなど気に止める者はほとんどなかった。
ゾロはしかし仕事の成績は良好だった。
なんせ黙っていれば「本物」と見分けがつかないほどの強面である。あえて駆け引きなどしなくともほんのひと睨みで金が入った。
「あんたホントにこの業界向いてるわよね~」
オレンジ色の髪を揺らしつまらなそうにため息を吐く。ナミとも出会って三年目。なんだかんだと誘い出される飲みの席で、こいつが金を払う姿をついぞ見ることはなかった。
「まぁまぁ、それでも結構、苦労してんだろう?」
長い鼻を「ふふん」と伸ばし訳知り顔で肩を叩く。思わぬ強さで手元が狂いビールの泡がとろりと零れた。ゾロがじろりと視線を寄せれば長鼻は肩を竦めて小さくなった。
「まぁ、アタシがアンタの顧客ぜ~んぶ頂いちゃったから、別に、いいんだけど」
「ったく、お前みてェなのに騙される男もたいがいてててててっ」
「なんか言った?」
「いあ、あんでもあいでふ」
頬をぎちぎちと伸ばされながらウソップが涙目で助けを乞う。いつもの光景だ。
「それにしても急だったわねぇ」
「あァ」
「準備はできたわけ?」
「まぁ。だいたい」
「言葉は? どうすんの、現地で何語喋んの?」
「あ~……決めてねェ」
「決め……っ、そういう、問題じゃあないでしょうが、だってアンタ、」
他の言語なんてと、言いかけた台詞がため息に溶ける。
ゾロには言っても無駄なのだと、ナミは二年間で嫌というほど思い知らされた。
頑固。堅物。朴念仁。
そのどれもが当てはまるようで、どれもが微妙に的を外している。周囲がゾロを「真面目」と評すのをいつも半信半疑で聞いていた。
「結局は、納得しないと燃え上がらないタイプなんでしょ?」
カラン、とグラスの氷が鳴いて飴色の液体がとろりと身じろぐ。
ゾロは何を思っているのか片肘をついてぼんやり宙を見つめていた。




自由に選べと言われたところで、選ぶ基準がわからなかった。
好みの顔がないではないがそもそも相手は異国人。これまで見てきた自国の基準は物差しの代わりにもならないのだった。
ゾロは仕方なくうろうろとあてなく部屋を歩き回った。
「お兄さんセクシーな胸元ね。かわいい」
「あん、その素敵な目、ぞくぞくしちゃう」
色とりどりの下着をまとい女がとろりとゾロを見つめる。きちんと躾が行き届いているのかあちらから手を出してくることはない。
靄のように立ち込めるきつい香水と女の匂い。
ゾロは胸焼けのする思いで部屋の隅へと足を向けた。
『……ん?』
あまり目立たないその一角でゾロはふと、目を止めた。
そこには、壁にもたれるようにしてだらりと立ち尽くす「女」が一人。他の奴らと同じようにレースをまとった華奢な体が見え隠れしている。
「てめェは?」
おもむろに近づき声をかければ睨み上げる瞳と視線が合った。長い金髪に緩やかなウェーブがかかる。「女」は気怠げにふかしていた煙を、ふぅと一息に吐き出した。そうして挑発的にゾロを見上げ、薄笑いを浮かべて口を開いた。
「……なに、お前、そっち系?」
見定めるようにゾロを見遣って咥え煙草をふわりと離す。右手の親指と人差し指に挟まれ立ちのぼる紫煙。繊細なレースがひらりと揺れる。美しく透けた滑らかな脚は純白の下着よりも白く、細い。
「てめぇにする」
掴んだ左の手首に浮かぶ艶かしいほどに青白い血管。「女」は面白そうにニヤリと笑い舐め取るようにゾロを見竦めた。
「――俺、男だけど?」

 

 

 

 

雑然と並ぶ段箱を避け、着いた先は個室だった。
申し訳程度に備わった金の蛇口が安っぽく光る。ちょろちょろと水を垂れ流す猛禽類を象った噴水。どことなく雑然とした雰囲気だがおそらくここは所謂『スイートルーム』だろう。

ドアをくぐった瞬間から、ゾロの鼻先を甘い香りが掠めていた。
空港に降り立ってからというもの時折感じるこの匂い。不思議に思って尋ねてみれば、どうやら柑橘系の果実らしかった。
この国の人々は辛みと甘みを極端に好む。そうして振り切れた食事の口直しとして多量のフルーツを摂取するらしい。確かにここへ来る途中、寄り道したマーケットには色鮮やかなフルーツがひしめき合うように並んでいた。
どこにいてもふと香る、極上に甘い柑橘の香り。
次にこれを嗅いだときは「こいつ」を想い出すのだろうと、ゾロはなんとなくそんなことを思う。
「おい。風呂、どうする。てめぇ、先に入るか?」
ぼんやりと部屋を眺めていれば「女」がおもむろに口を開いた。
「あ~……」
ゾロはそれで我に返り今の状況をもう一度飲み込んだ。
相変わらずふわふわと煙を吐き出す紅い唇。透ける下着から覗く脚。
一応のたしなみかはたまた誰かの趣味なのか、「女」の平たい乳房は繊細なレースで隠されている。
「どこ見てんだよ、変態」
エッチ、助平、エロおやじ。
淡々と吐き出す悪態は一本調子で抑揚がなかった。
「てめェ、本気で思ってねぇだろ」
「え~? 別にィ」
金の髪を人差し指に巻きつけながらわざとらしく猫なで声を上げる。おちょくるように笑った顔には無邪気な面影が僅かに滲んだ。
「女」はぽす、とベッドに腰掛け上目遣いにゾロを見上げる。美しい鎖骨がさらりと透けてゾロは思わず息を飲む。
――まるで「本物の女」みてェだ。
「あれ、マジで欲しくなっちゃった?」
無意識に伸ばした右手の先が金の髪に静かに触れる。途端微かに震えた肩をゾロは堪らず押し倒した。
天蓋付きのダブルベッドは絵に描いたような派手やかさだった。シルクのシーツが乾いた音を立てる。雑多で大味な、熱い国。
「てめぇ、名は」
「――気持ちよくしてくれたら、教えてやるよ」
ニヤリ、と笑った真っ赤な唇を乱暴な素振りで一息に塞ぐ。
喉奥に詰まった声が漏れてゾロの中心が熱をあげる。
「ん、っ」
噛み付くように唇を重ね、貪るように舌を絡めた。
埃っぽく乾いた空気に淫靡な水音が交じり合う。
「は、ぁっ」
息苦しいにほどせり上がる鼓動。息をするのも惜しいほどの。
それは女にさえ感じたことのない、はっきりとした欲情だった。



「……余裕、ねェな」
「うっせ、耳元で喋ん、ぁ、やっ」
一度目の頂はほとんど覚えていない。劣情に任せて肌をなぞるうち、堪えきれずに射精していた。
とろりと熱い白濁が「女」の腹をつう、と滑った。
初めてだった。
こんなに誰かを激しく求めたことも、こんなに「欲しい」と思ったことも――
いっそめちゃくちゃに壊したくなって、次の瞬間には死ぬほど愛したくなる。
白く透ける肌のあちこちにゾロの跡が紅く滲んだ。
まるで独占欲の塊のような姿にゾロは酷く心臓を乱す。
「あ、やっそこ、あぁっ」
溢れる先走りをその身に絡め熱い中心がどくどくと疼いていた。雑然とした部屋の空気にくちくちと淫猥な音色が響く。今にも破裂しそうなほど育ったそれは切なげな様子で鎌首をもたげている。
おもむろにじゅう、と音を上げると「女」の腰がびくんと跳ねた。何かを期待するように猛る薄紅の突起。華奢な腰を脚で押さえつけ逃げを打つ躰を強引に攻め立てる。
「やめ、ろ、ってそこば、っか、ぁッ」
「嘘吐くな。好きだろ、こうされるの」
前歯でかしかしと柔く扱けば「女」はいっそう哀しげな母音を零した。
押し寄せる快楽の波にもはや意識も朦朧としているのだろう。あ、あ、あ、と漏れる音色は通奏音の如くふたりの隙間を満たしている。
「イけそう、か?」
「ま、ってまだ、……っ」
物言いたげに見上げる瞳を熱い舌でねとりと舐める。独占欲の証。反射的にひかれた体をそうはさせぬと強く抱き締める。
「なに、して欲しい」
「っ、……別に、なにも、ぁっ!」
可愛くない態度とは裏腹に後孔は正直な反応を返す。つぷりと挿し入れた太い小指に狂おしいほど絡む熱い腸壁。
「やっ! んな、バカいきなり、」
「あぁ? 言やァいいのか? じゃあ、二本目いくぞ」
「アホ、そ、いう意味、っじゃァあぁっ」
薬指がずぷりと沈み込んで内部の蠢きを指腹で感じる。「女」が声を漏らすたびに微かに狭まる感覚が堪らない。
「も、それ、いじょ動か、っや……したら、ンっ、へ、変な感じがっ、あぁっあ、ひ、ぐ」
「嫌なら抵抗してみせろ。……そんぐれェ、力あんだろうが」
ゾロは空いている左の掌を白い腹をそろりと乗せた。一見華奢に見える躰はその実、適度な硬さにひきしまり薄い筋肉がついているようだった。
紛れもない、「男」の体。
「っ……それは、ひ」
「卑怯だっつぅんだろ」
三本に増えたごつい指を抜き差ししながら後ろの孔をやわやわと拡げる。強情に思えたその場所は思ったよりも素直に口を開けた。
ゾロは、わかっていた。自分はこいつの逃げ道を塞ぐようなひどく意地悪な台詞を吐いている。
誰かに流されて抱かれるよりも自分の意志で抱かれる方が傷つくに決まっていた。
傷つけたくない。けれどめちゃくちゃに傷つけてしまいたい。
アンビバレンスな感情が揺れて、それでも言わずにはおれなかった。
ほんの少しでいい。爪の先ほどの何かでいいから、こいつに自分を刻み付けたい――
「てめ……最っ低だな、あッはぁっ、っァぁあ……んンっ!」
ぐ、ぐ、ぐと深入った塊が「女」の腸壁を拡げていく。指先で丁寧に解した内部は、それでもさっきとは比べ物にならないぐらいにきつい。
「や、あぅ、そ、んな無理矢理、ッんあぁ」
「……動くぞ」
「女」の言葉を半ば無視してゾロはゆるゆると腰を沈める。浅く深く突き上げる振動に「女」の呻きがじわじわと重なる。
「ぁ、ぁっ、あん、やぁっ、あァっ……!」
「っ、お前、名は」
怖いほどの快楽が押し寄せ一心不乱に腰を揺らす。ギリギリまで抜いた中心を再び最奥に潜り込ませる。こりこりと筋張ったその場所を抉れば「ああぁ!」と激しく「女」が啼いた。
「サ……っ」
「ッあァ?」
ゾロはもはや狂ったように「女」の尻に自身を穿つ。
「ンジ、……っだ、ッはぁあ、ンっん、ん」
「聞こえねェよ」
「やっ、も、あぁっ! や、やめ、あっ」
「気持ち、いいんだろ、が。おら、もっぺん、言ってみろ」
「そ、れ、だめっあ、ぁぁっん、あっやっんんッ、イっちま……イく、イぃっ……!! ッうぅ」
反り上がった赤黒い塊から美しい濁りが放たれる。「女」の肌がますます白に染まり乾いた空気が色に染まる。
「は、はぁ、はぁ……はァ、ぁ……っバ、バカお前、うぅっ動く、な」
「……悪ィ、堪えろ。止まらん」
「はっ! あっおい獣、やめぁ、ぁぁッや、ってめ、」
「――ゾロ、だ」
瞬間大きく見開かれた瞳からぽろりと一粒雫が落ちた。紅く上気した頬を伝いシルクのシーツが水玉を描く。
「ゃっあ、ンっ、んンっ! きつ、あぁ、ァっ」
「ッく、ぅ、……っイくぞ」
「や、ゃ、だっめ、苦し、ゃッあぁっ、クソ、し、死ねっは、ぁッあぁっ……っ!」

――ゾロ!

耳元に響いた甘い声を最後にゾロは全てを闇に放った。




異国はちょうど雨季に差し掛かっていた。乾いた太陽が降った翌日に滝のような雨が降る。五分と歩けば汗の滴るこの町の、豪快な濡れ場に商店はみな一時休止を余儀なくされる。
「……あちィ」
カンカンに照った太陽がゾロの首筋をじりじりと焦がしていた。湿気た風がびゅわりと上がり土砂降りの雨を予感させる。
「ったく、どこ行きやがった……」
ピンクの羽毛に派手なサングラス。この国ではえらく悪目立ちするその格好をゾロはさきほどから見つけられないでいる。
約束の時間は、とうに過ぎていた。
「あの野郎、自国で迷子たァどういうわけだ」
ゾロは額の汗を拭い元来た道を引き返す。まっすぐに続く大通り。辺りには雨降り前の独特なカビた匂いが漂っている。

『――?』
細い路地を三度曲がり、立ちはだかる土壁に舌打ちを零した時だった。
脆く崩れた家々と破れたビニールの覆う集落。鼻をつく異臭のなか、煤けた布を身にまとう人々。その向こう側、土壁の重なる陽だまりに何かがひらりと光った気がしてゾロは思わず目を凝らした。
『……今のは、』
ゾロはふらりと足を向け、距離を取りながら静かに近付く。
家と呼ぶのも躊躇われるような小さなテントがぽつぽつと並ぶ。それらはところどころ穴が空いて申し訳程度の修繕が繰り返されている。
あれじゃあ雨でも吹き込むんじゃねェかと、なかでも特別おんぼろな「家」を見つめていたゾロの瞳に、入口の暖簾をかき分けて出てくる「男」の姿が飛び込んで来た。



金髪を抱いたあの夜から、ゾロは三日と間を開けずバルに通った。
酒だけをひとり嗜む日もあれば、ボスにお酌をする夜もあった。もちろん「女」は行くたびそこに居てそのまま一夜を明かしたりもした。
あれだけ激しいセックスをして、だけれどゾロの熱が尽きることはなかった。
もっと欲しい。もっと啼かせたい。もっと淫らに乱れさせたい――
気ばかり強いじゃじゃ馬をベッドの上で組み敷くことに、ゾロはすっかり溺れていた。
「なァ、……いいのかよ、てめェは」
シルクのベッドで眠りに落ちる頃、「女」がふとゾロに問うた。真っ赤な口紅は早々と舐め取られあとにはただ美しい男の顔があるだけだ。
「どういうことだ」
「いや、ほら……」
もごもごと口ごもり、言いづらそうに視線を逸らす。
この町に来て、ようやくふた月。もう十回は抱いたはずだ。
「その、」
「なんだよ、言えよ」
「…………」
真っ白な肌がほんのりと紅に色づいている。今夜は、四回。絞り出すように震えた中心はもはやびくびくと痙攣を繰り返すだけだった。
そういうひとつひとつのディティールが、ゾロの劣情をいちいち煽る。
「てめぇは、その……ゲイじゃ、ねェんだろ?」
あぁそんなことかと、ゾロは黙って溜め息をつく。抱く前はまるで鳥の雛のように口煩くぴいぴい喚くのに、終わったあとにしおらしくなるのはこいつのいつもの癖だった。
「心配すんな。俺ぁゲイでもホモセクシャルでもねェよ」
「だったら、ッん」
責めるように被せた台詞を最後までは言わせず唇で塞ぐ。何度も犯した口内に微かな塩気がねとりと残る。
「俺は、てめェが男だから、抱いてんじゃねェ。てめぇが、てめェだからヤりてぇ。それだけだ」
「女」は傷ついたような哀しいような顔を見せ、物言いたげに口を開いた。しかし結局は何も言わぬまま背中を向けて静かになった。
「――てめぇを買い続けるには、一体いくら必要なんだ」
上下する白い背中にゾロはぽつりと声を落とす。
「女」は聞いているのかいないのか、何も言わずに寝息を立て始める。



引きずるように連れ出して、細い路地裏の壁に押さえつける。
力任せに掴んだ腕が土壁に張られて紅に染まる。
「ってェよ、なにすん、」
「てめぇ、何やってる」
思ったよりも低い声が腹の底から空気を震わせた。途端びくりと跳ねた腰が二つ前の夜を思い出させる。
「普段は“こっち”なんだな」
「……だったらどうだって言うんだ」
押さえつけられた躰をひねって「男」がじろりとゾロを睨む。挑発的な視線が刺さりゾロの中心がぞくりと疼いた。
太陽の透ける金の糸は温い風に揺れていた。伸び始めたあごひげが囁かな主張を始めている。
強引な抵抗を諦めた「男」の顎のラインをそっと撫ぜる。条件反射のように瞑られた瞳に淡い劣情が舞い上がる。
ゾロは「男」をまっすぐに見つめ、次の言葉を無言で促す。「男」はしばらく全身を強ばらせていたがやがて小さな溜息とともに静かに静かに口を開いた。
「――俺は、不本意であの店に居る」

 

 

 

 

 

(続)

 

 

 

 

次のページへ・・・

bottom of page