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海賊と、海兵

「ぅ、……ん」

「起きたか」

 カラカラと天井のファンがまわる部屋で掠れた声を搾り出す。空調の効いた狭い部屋をオレンジの薄明かりが照らしている。

「……あぁ、なんとか……っつ、ぅ」

「動くなよ。応急処置だ」

 ゾロは椅子から立ち上がって、ベッドの淵に腰掛けた。古いベッドはギッ、と軋んで二人分の体重を床に流す。

 路地裏の古い連れ込み宿だった。左腕の高い位置をバンダナできつく結んだ格好で、サンジがこちらに寝返りを打つ。背中に背負う真っ白な正義が、すすけた赤に染められている。

「ロロノア・ゾロ……お前、おれを、助けたのか」

「逆だ。てめェがおれを助けたんだろうが」

 余計な真似しやがって。

 ハッと短く息を吐いてゾロはじろりとサンジを睨んだ。司会に扮した殺し屋を蹴り倒し、ゾロの刃先を肩で受け止めた。無謀だ、と思う。ゾロは気付いていた。気付いていながら好きにさせたのだ。勝算はあった。ゾロにとっては己の腕の一本や二本など惜しくはない。それなのに――――

「海兵っつぅのはお情けをかけるのが仕事かよ」

 身代わりになった。あの、ろくでもない男の。

 それだけでゾロのこめかみはチリチリと焼けるようだった。この世に必要のない悪が、またひとつ消えるだけのはずだった。実際にこの手が斬り刻んだのは、正義を背負う優秀な男の未来だ。

 薄汚れ、乾き、命を消耗するだけの、自分の人生とは交わることすらないはずの。

 名前のつかない苛立ちが募る。

「二度と手を出すなと言ったはずだ」

「……そうは行くかよ」

 ふてくされたように言葉を吐いて、サンジがごそごそと手を伸ばした。ヤニ切れだ、そう言って見上げる顔に、ふん、と蔑んだ視線を投げる。煙草を取ってくれとでも言いたいのだろう。手違いとはいえあと一歩で自分を殺そうとした男を目の前にして、その態度は一体なんだというのだ。

「どんな悪どい野郎にだって心があるとか、高説垂れるつもりじゃねェだろうな、海兵さん」

「……そうだ」

「ハッ、笑っちまうな。人の人生に手ェだすような奴が、人に守られる筋合いなんかねェだろ。誰かの大切なモンを奪った時点で、そいつァもはや悪魔と同じだ」

 ――落ちていくだけ。

 ベッドから立ち上がりながらゾロはチッと舌打ちを零した。さっきから、ずっとそうだった。キリキリと針金で締め付けられるような痛みが、心臓にまとわりついて離れない。

 正体がわからない。ゾロは無性に腹が立った。

 この男にも、自分自身にも。

「てめェの正義ごっこに付き合う気はねェ。市民を守りてぇなら勝手にしろ。だけどな、もう二度と俺の前に現れるな。俺ァもうすぐ海に出る。また誰かの大切なモンを、俺は、奪いに」

「守りたいのはお前だよ」

 そっ、と右手に触れた熱にゾロはびくりと体を震わせた。理解不能な言葉の羅列に思わずぐっと押し黙る。言ったはずだ、邪魔をするなと。

 守りたいのは…………なんだって?

「お前、罪を重ねることでしか、罪を抱えきれねェんだろ」

 ぐい、と腕を引っ張られて思わず体がぐらりとよろめく。あ、と思ったときにはもうすでにサンジに覆いかぶさる格好になっていた。

 交わる視線。吐息の温度。――近い。なにもかも。

「てめェは人を殺めることで、自分の存在を正当化してるだけだ。本当に、殺しがやりたいだけならもっと別のやり方だってあるはずだ。わざわざ罪人を探し出し、言い訳のような殺しを繰り返す。神の遣いにでもなった気分かよ、ロロノア・ゾロ。まるで黒を黒で塗りつぶす作業だ」

 ナイフのような鋭い視線が至近距離から突き刺さった。淡々と吐き出される台詞には、微かな感情が滲んでいる気がする。それは怒りか、憐れみか……。ゾロは思って目を逸らす。まるで呪術にでもかかったかのようだった。体が硬直する。逃げられない。

「てめェの過去を、調べさせてもらった」

「…………海兵が覗きたァ、いい趣味だな」

 ふっ……と零れた柔らかな笑みにゾロははっと瞳を開いた。その目に映るのは怒りでも憐れみでも、ましてや侮蔑などではなく――――純粋な悲しみ、そのもの。

「イーストの片田舎に生まれたお前は、暖かい両親のもとですくすくと育った。近所の道場で着々と剣を磨き、向かうところに敵はなかった。ところがたった一人だけお前が勝てない相手がいた。名前は、くいなちゃん。……女の子だ。お前は毎日くいなちゃんに戦いを挑んでは、そのたびコテンパンに返り討ちにあった」

 ふと、あの頃の記憶が蘇る。朝焼けの淡い光のなか、強い風の吹く満月の夜。ゾロは何度も決闘を申し込んではその度に負けて悔し涙を飲んだ。

 くいなは、強かった。

 男だとか、女だとか、そういうものを超えていた。戦っても戦っても、壁は遠く高くなるばかり。こいつを倒さなければ最強にはなれないと、毎日毎日腕を磨いた。

 だからあの夜――くいなが泣いた日。

 ゾロは本当に腹が立った。今思えばあれは一種の悔しさだったのかもしれない。いつかは追いついてしまう自分のことを、どこかで怖いと感じる幼い心。それはくいなだけでなく、ゾロの方とて同じだった。

 卑怯だ、勝ち逃げかよ、そう言って怒るゾロにくいなは寂しい笑顔を向けた。

「――それが、最期だった。お前は逃げて、そして、くいなちゃんは翌朝……」

「お前に何がわかる!」

 ダンっ! と激しい音が響いてそのまま静寂がふたりを包む。サンジの白い頬にかかった金色の髪が、しわのないシーツにハラリと落ちる。

 お前に、何がわかる。まっすぐで、真っ白で、汚れのない心臓を宿し、正義のために戦って死ぬことができる、潔白で美しいお前なんかに、何が。

「お前には……なんにも、わかりやしねェよ」

「あぁ、わからねェな」

 事も無げに言い放ってサンジは静かに目を瞑った。トクトクと心臓が鼓動するのが聞こえる。いつからだろう。こんなに近いのに、こんなにも遠い。

「わからねェよ。罪悪感を背負い込んで、ひとり戦った幼いてめぇの気持ちなんざ」

 柔らかな声。震える喉。薄く開く紅の唇。

「てめぇがそれを抱えて生きるためには、罪を上塗りするしかなかったんだろ。罪をただ背負うために、誰かをまた手にかける。っとに、救いようがねェ。打ちひしがれるために生きて、もがいて、そんなの……」

 そんなの、と唇が動く。重ね合う視線が透明に揺れる。泣いているのだ、と気付いたときに頬を涙が伝って、落ちた。

「そんなの、俺が寂しいじゃねぇか、ゾロ」

 ふわり、と体が浮いたような感覚がほんの一瞬ゾロを襲った。あれ、と思ったのとキスをされたのはほとんど同時のできごとだった。

 

 

「っ、ふ……ぅ、ぁっゾロ、」

「ちっと、我慢しろよ」

 クチクチという窮屈な水音が静かな空間に淫猥に溶ける。二本に増やした太い指がサンジの体を割開いていく。

「やっ、ぁ……ぁあっ」

「ここ、気持ちいいか」

 ぐり、と指を時計回りに回してゾロはぼそりと台詞を吐く。こくこくと頷くサンジを見てゾロは知らず下唇を舐めた。ゆっくりと抜き差しを繰り返す指。吸い付くような肉壁の感触。これからの行為を期待して、狭い孔がキュウと縮む。

「ここに、もっと、イイのが入る……なぁ、欲しいか」

 耳元に囁くように声をかければ『うん、うん』と首を振る。その必死な表情がかわいくて、ゾロはほんの少しいじわるになる。

「……ダメだ、まだ足りねぇ」

「はっなに言っ、ひぁ……ぁっ、ん」

「ほら、言わねぇとわかんねェよ。気持ちいいんだろ? どうして欲しい」

「ばっかや、ろ……っく、ぁ」

 ぐぐ、と三本目を忍ばせれば開いた口から溜め息が漏れる。無意識なのかもどかしそうに腰を振る姿がいっそう扇情的だ。

 ゾロはさらりと金糸を撫でて自らの中心をサンジの双丘に充てがった。そのまま上下に腰を擦り付けるとサンジの喉から呻きが零れる。熱い体温を直接感じて、ゾロの中心がまた硬さを増した。

 やべェな、たまらねぇ――

 目を瞑ってサンジの全身を肌で感じる。滑らかな肌はしっとりと湿ってまるで体が吸い付くようだった。首筋に優しく噛み付いてやれば甘い鳴き声が零れ落ちる。獣のような気持ちになってゾロはうっとり目を細める。

 ふと、我慢できないように伸ばされた掌を見て、ゾロはピシャリと遮って唸った。

「なに、一人だけ気持ちよくなろうとしてんだ」

「だ、ってゾロ、おれ、もう……っ」

「限界か? ……しょうがねェな」

 ゾロはそっと体を離すとベッドの下を適当に探った。手に当たるのは脱ぎ捨てられたセーラーと、海の刻印を背負った帽子だ。サンジは向こう側にうなだれた格好のまま、こちらを振り向こうともしない。

 可愛げがない、ゾロは思って心の底から可愛くなる。

「あった」

 シュッと引っ張って取り出した端を咥えて手際よくサンジの腕にかける。バツの字を描くように二回通すとあとはぐるぐると適当に縛った。

「は、……んだ、これ」

「てめぇが言うこと聞かねぇからな」

 当然のように台詞を吐いてゾロはよし、と口角を上げた。肩に掛けただけの着流しをするりと落としてサンジの上に影を落とす。そうして唖然としているサンジの、結ばれた両腕を頭上に向けて持ち上げた。

 万歳をするような格好で、サンジの白肌があらわになる。

「て、め……! なにしやがっ、」

「ふん、いい眺めだな。海兵さんが捕まってやがる」

 ジタバタと抵抗する脚の間にぐい、と体を忍び込ませる。涙目で見上げる瞳にはじわりと悦楽の紅が浮かんだ。――逃げない。

「……嫌なら、本気で抵抗しろ」

「……趣味悪ィぜ、クソマリモ……」

 ぐ、と体重をかけるだけで先端はぐぷりとなかへ沈み込む。あ、あ、あ、と途切れる声がしだいに甲高く甘く掠れる。ごくごくとまるで水を飲むように、塊がサンジに飲み込まれていく。締め付けられた隙間から、くぷりと泉の湧く音が聴こえた。

「ふっ、ぅ……うぅ、あ、あ……お、奥、あたっ……て、」

「あぁ……」

 熱に浮かされたような己の声にゾロははっと目を開く。興奮しているのだ。そう気づいた瞬間に、サンジの視線が混じりあった。

 ああ、こいつも。

 ゾロはごくりと生唾を飲んで突いた片手に力を込めた。

 こいつも。俺と同じくらいに。

 ――興奮してやがる。

「ゾロ…………なぁ、動いて……」

ゾロ。

 ため息のように零れた声がゾロの鼓膜をぶるりと震わせた。途端なにかが弾けたように、ゾロの腰が深く刺さった。

 何度も、何度も。抜いては抉り、突き立ててはかき乱し、奥へと爪痕を残していく。脳みそが揺れるほどに激しく揺さぶり、それでもまだ足りぬと悦楽を煽る。

 まるで飢えた獣のようだった。

 愛されることさえなかった心に、じわじわと雫が染み込んでいく。

「やっ、あ、ぁ、っあぁ、う、あ、ゾロっ、ゾロ、……あぁっ……ゾロっ!」

 繋がった暗い場所からは、溢れる想いの象徴のように甘い蜜が零れ落ちる。

 いや、本当は。

 愛されることがなかったわけではない。

 あの頃、美しいシャワーのように毎日浴びた愛情を。今、ここに降り注ぐ春の陽のような柔らかな愛を。

 認めることが怖くて、失うことを恐れて、必死に逃げて来ただけだった。

 その暖かな暗がりに、己の存在を刻み込むように。

「あっ、あっ、あぁっ、ああぁぁっ……! やっ……ぁ、ゾロ……」

 イく…………――――

 サンジの散らした白濁がふたりの腹を同時に濡らす。

 ゾロは中心を抜かないまま、後孔からとぷりと蜜を零した。

 

 

―――――

 

 

「あっコラ、クソ海賊! まだいたのかよ! 往生際の悪ィ」

 ある晴れた日の午後。

 トンッ、と砂を蹴り上げて男はひらりと姿を現した。太陽を遮って落ちる間際、逆光のなかニヤリと笑う。

 白い帽子に、青いリボン。海の刻印を背負う背中。ゆらり、と揺れる毒の煙が透明な空気に混ざって消える。

「ハッ、さっさと行っちまえ、でなきゃおれが捕まえちまうぜ」

「ふん、どのツラ下げて」

 ニッと笑みを零したゾロに重い足が振り上げられる。風を切る鋭い音色が目前2ミリでピタリと止まる。峰で打って弾き飛ばすと10メートルほど後ろへ下がった。ザッ、と同時に土を蹴ってふたりの影が交差する。

 ゾロはケホッ、と咳を零して背後をゆっくり振り返った。崩れた壁に手をついて、サンジは肩で息をしている。

 立ち上がる砂埃、吹き抜ける風、旅立ちのときを彩るように。

「ふん……やるじゃねェかクソ海賊。てめぇ……、…………元気でやれよ」

 すっ、と高く掌を掲げひらりと三度振って見せる。金糸に隠れた顔は見えない。ゆらり、と上る白い煙。

「来いよ、一緒に」

 まっすぐに刀を差し出してゾロは喉を震わせる。血塗られた刃は今や乾き、ただ命を紡ぐことを喜んでいるかのようだった。

 もう誰も、傷つけない。己の身代わりを求めたりはしない。罪に縛られて生きる重い鎖は海の底へ沈めよう。

 いや、本当はそんなもの、初めから存在さえしなかったのかもしれない。

 ――――なんたって海賊は、世界で一番自由なのだから。

「……そりゃあ、海軍への宣戦布告か? ロロノア・ゾロ」

「いや? てめぇへのプロポーズだ、サンジ」

 ニッと口端を歪めたゾロが、一歩一歩男に近付く。

 それはまるで世界のすべてをこの手に入れるような、厳かで盛大な祝いの儀式。

「…………俺の飯は、高いぜ?」

「おぉ、一生タダで喰ってやる」

 空に舞い上がる白い帽子がくるくると揺れ、風に乗り、屋根を超え、街を抜けて海へと翔ける。

 遠く聴こえる潮騒にふたりの鼓動が溶けて漂う。

 一生分の幸せなら、今この場所に置いていこう。

「クソ……俺に惚れたこと、死ぬほど後悔させてやる」

「あぁ、たった今、後悔してる」

 幸せで、死にそうだ。

 細い腰を引き寄せて、強く優しく掻き抱く。触れ合う唇が温度を分けて見えない明日に橋を渡す。

 この世は生きるに値する。たったそれだけのことに気づくのに、こんなにも時間がかかってしまった。

「なぁ」

「あ?」

「好きだぜ、ゾロ」

 頬に触れた柔らかな温度にふたりの未来を重ね合わせる。荒波をゆく船のように。海を渡る風のように。自由に羽ばたく鳥を見上げ、てめェみてぇだとサンジが呟く。

 ずっと今まで歩いて来て、これから先も繋がる未来。

 昨日と同じ今日の先に、変わらぬ日々を描きながら――――

 

 

 

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