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海賊と、海兵

 ざり……と砂を踏んで、乾いた路地裏に影を落とす。

 斜めに傾いた太陽は崩れかけた壁に柔らかく跳ねる。

 まっすぐに伸びた切っ先からは真っ赤な雫がぽたりと滴る。

 ふと、見上げた空に浮かぶ、美しく溶ける金の雲。

 深呼吸にもならない僅かな空気を、肺に取り入れそっと吐き出す。

 まるで命のざわめきを振り払うよう、濡れた切っさきを振り下ろす。

 

 

 

「あ! お前っ」

 暖かな空気が街を包む、穏やかな午後のことだった。

 酒屋を探して街を彷徨っていたゾロに背後から大げさな声が響いた。

「逃がさねェぞ、クソ海賊!」

 明るい声色が大通りに響き、道をゆく人が何事かと振り返る。振り向きもせずに舌打ちを零せば「……な、なんだよ」と声が返った。

 グランドラインの北側にある比較的大きな島だった。

 温暖な気候が安定しているこの島は、昔から産業が発展している。近年では大きな工場が立ち並びこの海域にしては人口が多い。外島からの移民も増えて、一方では貧困の差も開いているようだ。

 ゾロは小さく溜め息を吐いて道路の脇を素早く見遣った。逃げ込めそうな路地は……ねェか。そうこうしている間にも、気配はずんずんとゾロに近づいて来る。ふわり、と煙が香ったのを合図に無遠慮な仕草で肩を掴まれた。

 じろり、と睨みつけた視線の先に、あごを突き出した阿呆面がひとつ。

「おい、ロロノア・ゾロ。てめぇ今日こそ俺に捕まりやがれ」

 男はさも当然のように、手に持った拳銃をゾロに突き出す。ゾロは「ふんっ」と鼻で笑って銃口の奥の暗がりを見た。

 

 

 サンジ、という名を知ったのは、いつものたわいない鬼ごっこの途中だった。

 街は喧騒を含んで賑わい、祭りのような彩りを映していた。横暴な店主、腰の低い盗人、意味深に微笑む女詐欺師。街はすべての善と悪をない混ぜにして今日もただ、佇んでいる。

 雨上がりの濡れた土が血の匂いを霧散させた。

 入り組んだ路地の複雑な迷路を三つに分かれた分隊が駆け抜けていく。白いセーラーに青いリボン。海の紋章を背負った小ぶりのキャップ。見慣れたそれらから逃げることなどゾロにとっては造作もない。

「おいサンジ、てめェは上に回れ」

「はいよっ」

 よっ、と塀の上に飛び上がった男と、ふいにまっすぐ視線が交わった。ゾロは思わずぎょっと立ち止まり上空の影をじっと見遣った。信じられないような身の軽さだ。お、と声を出したゾロに「サンジ」はニィッと笑いかけた。

「見ィつけた」

 サッと目の前に飛び降りた男が素早い動きで足を払う。ほんの僅かに衣が擦れてゾロは「よっ」と後ろへ飛び退いた。

「へぇ。海賊、てめぇ意外に動けるな」

「……あぁ?」

 トンッと軽く土を蹴って濡れた空へ飛び上がる。くるりと上空で回転しながらブン、と大きく脚を回す。刀を抜いて峰で受ければ、地面に手を付いて後ろへ距離を取った。小脇に差した二本目を盾にしてかぶりも振らずに斬りかかる。ふたたび空に飛んだ男は、天に向かって黒足を掲げた。

 ―― 一瞬、男はニヤリと笑った気がした。

 キンッ、と上がる金属音。遅れて響く落下の衝撃。男はゾロの太刀筋からちょうどはずれる距離で、肩を押さえて転がっていた。

 

 どうやら新入りらしいということは海兵たちの噂話で知った。

 増えた犯罪を締めるために外の島から呼ばれたらしい。

 武器を使わぬ足技が得意だと、見知らぬ男が知ったかぶりで話すのを聞いた。

 人の顔を覚えるほどマメでないゾロは、そもそも人に興味がない。覚えたところで仲良くするわけでもなし、斬られたらこっちも斬り返すだけだ。白いセーラーにはご用心。海兵についてなどその程度の知識で十分だった。

 冷たいベッドに横たわりながら薄暗い天井をぼんやりと見上げる。

『金髪……』

 ほんの微かにでも誰かに触れられたのは、賊になってから初めてのことだった。

 

 

「おいコラ、逃げんじゃねェよ!」

 スタスタと歩き始めたゾロの着流しを白い腕がぐい、と引っぱった。ゾロはそれを振り払い、街の雑踏に足を向ける。

「ははん、さては俺が怖くなったんだろう? ふん、ようやくわかったか。てめェみてぇな弱小野郎なんざ、」

「っんだよ、うぜぇな。今は何もしてねェじゃねぇか」

 面倒くさげに言葉を吐けばサンジの口元がニヤリと歪んだ。海兵のくせに煙草を咥えてさも可笑しそうにぴょこぴょこと揺らす。……目障りな野郎だ。

「なんだ。喋れんじゃねェか、クソ海賊」

 ピンッ、と額を指で弾いて、上機嫌にケラケラと笑う。

 

 

 

 ゾロは所謂海賊だった。

 海に出て、船を襲い、宝と命をその手に収める。最近は陸での仕事も増えて、時にはこうして島に長居することもあった。しかし何といっても一番得意なのは海上戦だ。船をいくつも渡り歩き、海の底へと沈めていく。揺れる波に身を任せるたびビリビリと震えるほど興奮を覚えた。

 死と隣り合わせの生。

 孤独に寄り添うモノクロの日々が、その瞬間だけ色を帯びる。

 乾いた額に流れる返り血は何よりの生きた証だった。

 

 カラン、と路地に響く音にゾロは緩慢な仕草で振り返った。崩れた建物が隣り合う狭い隙間から、木材が倒れかかっているのが見える。ゾロはカツン、と靴裏を鳴らし一歩一歩前へと進む。

「ひっ……ひ、人殺し……!」

 恐怖に慄く男が一人、銃を構えているのが目に入った。カタカタと震える銃口が眉間の狙いをはずしている。構わず刀を抜き取ったゾロは喉元へとまっすぐ剣先を突きつける。

「人聞き悪ィな。同族だろう? ま、俺ァてめぇみてぇに、私利私欲のために弱ェ奴を殺ったりしねぇがな」

 男はガタガタと震えながら小声で神に祈りを乞うた。金のない家に往診し、重病を見つける天才医者。親しみやすい人相に気さくな態度。スラム街では神様と崇められ慕う者も多かった。僅かばかりの金を包む家族は、若い娘が震えているのに気付くことはない。重い病気と偽って、閉じ込められた奥の部屋。そこで行われるあれやこれを想像するだに反吐が出た。

 俺に命乞いでもすればいいものを。ゾロは思ってまっすぐに刃を振り下ろす。そうしたらもう三秒だけ、長く生かしてやったのに。

 遠くの家で子どもの泣く声が聞こえる。

 ほんの一瞬色づいた世界が再びモノクロームを帯びていく。

 

 

 

 似たような倉庫の並ぶ暗がりでゾロは僅かに息をあげていた。すぐそこには海が迫り、暗い夜を落としている。防波堤の向こうでは繋がれた小舟が互いに触れ合う。ギッ、ギッ、と呻くような窮屈な音が港に響く。

 今夜はやけにしつこい。ゾロは思って溜め息を吐いた。湿った空気に靴音が響いて逆説的に静寂を強調する。低い防波堤の向こうから穏やかな波音が寄せては返した。

「おい、ロロノア・ゾロ……いい加減観念しろ」

「ハッ誰がてめぇの指図なんざ受けるか」

 ぜぇ、はぁ、と繰り返す呼吸が港の暗がりにこだましていた。サンジは建物の隙間からのぞく海を、背中に背負って立ち尽くしている。ゆらりと揺れた煙草の煙が弱い月明かりにぼう、と光る。肩で息をするシルエット。つ……と喉を伝う汗。殺しのあとはいつだって、ほんの少し胸が騒いだ。

 振り上げた剣。命の消える匂い。正解のない正義。

 こんな世界で一体何を信じるというのだろう。

「てめェにだきゃあ捕まる気はしねぇなァ、クソ海兵」

「黙れ、お前は俺が捕まえる」

「ハッ、できるもんならやってみやがれ。それとも――……」

 カツン、と靴裏を響かせてゾロはゆっくりサンジに近付く。月明かりに溶ける金色。頬をかすめる透明な息。く、と乱暴に顎を持ち上げれば鋭い視線が絡み合った。

 ――――たまらねェ。

「……できるもんなら、やってみやがれクソ海賊」

 いきなり肩を強く押され、熱い温度が唇に重なった。

 サンジは貪るように内部を抉って息も継げないほどに舌を絡めてくる。痛いほど首筋にしがみつく腕。口付けの合間に漏れる吐息。糸を引いた透明な唾液が月明かりにぼんやりと揺れる。

 サンジの力が抜けた一瞬を狙って、ゾロは向かいの建物に肩を押し付けかえした。ダン! 響いた激しい音色。ぜぇ、はぁ、と繰り返す呼吸。

「……上等じゃねェか」

「……てめェこそ、びびって逃げんじゃねェぞ」

 ニヤリ、と悪い笑みを零し噛み付くように口付ける。味わうように口内を探ってやれば、甘い吐息が鼻から抜けた。

 

「――……行ったか」

「…………だな」

 寄り添いあった格好のままゾロはチラリと気配を探った。

 ほんの僅かな殺気だった。

 宵闇に身を隠しながらゾロに付かず離れずを繰り返していた。武器はおそらく銃だろう。何度か銃口が向けられたのをゾロはチリリとこめかみに感じた。

 偶然か、逃亡の最中に気付いたサンジはわざわざこの場所までゾロを追い込んだのだろう。サンジから体を離しながらゾロは小さく舌打ちを零す。余計なことを。あのままではこいつまで巻き添えだった。

 逃げ隠れるのは趣味ではない。殺られるなら斬り返すだけだ。

 賭けのような逃避行にゾロはなぜだか胸が騒いだ。

「……海兵に助けられる義理はねぇ。金輪際、俺の仕事に手ェ出すな」

「お前、子ども、殺らなかったらしいな」

 ゾロの言葉などまるで聴いていない風にサンジが淡々と言葉を吐いた。カチッ、カチッ、と音を立てて白い頬が橙に染まる。はらり、と落ちる灰色の花びら。凪いだ風に煙が揺れる。鼻を掠める海の匂い。

「――知らねぇな。俺ァ無駄な殺しはしねェだけだ」

 ぶっきらぼうに言葉を吐いて顔も見ずに踵を返す。

 カツン、カツン、と響く靴音。耳障りな呼吸音。

 すべてを知っているような顔をして細い月が漂っている。

 

 

―――――

 

 破れかけたレースのカーテンから午後の光がまだらに零れた。二軒隣りの家の庭では大きな犬が吠えている。

 薄目を開けて見渡した部屋には、脱ぎっぱなした着流しが散らばっている。鍵のかかったドアの隙間からピンクの広告がさし込まれていた。

「……昼か」

 枕元の時計を見遣ってゾロは小さくひとりごちた。

 二階建ての古いアパートは街外れの住宅地にあった。壊れかけた外階段を上がった二階の、三つある部屋のうちふたつは空家になっている。知人を頼って借りた手狭な部屋だ。なかにあるのは最小限の荷物だけ。洗濯物の乾かない西向きの部屋には、別の人物が住んでいることになっていた。

 ゾロはがしがしと髪を掻いて薄い布団を適当に剥いだ。どちらかというと朝には弱い。ぼんやりと霞んだままの頭でキッチンを見渡して食べかけのパンを視界に捉える。

 ピンポーン、とベルが鳴ってゾロはじっとドアを見遣った。しばらくの間があってパサリ、と落ちた新聞に「あぁ」と呟いて腰を上げた。途中、パンを手に取ることも忘れない。

「よぉ。毎度、新聞屋です」

 派手な帽子を目深にかぶった男が屈託のない笑みを寄越した。縮れたドレッドヘアーにオレンジ色のサスペンダー、隠れた顔から覗く長い鼻。馴染みの新聞屋は顔を上げて人の良さそうな顔で笑う。

「今日のニュースは三つある。聞くか?」

「あぁ、頼む」

 なにげない風にそう応えるとウソップは自慢げに腕を組んだ。

「ひとつめは株価の暴落だ。こないだのトップニュースで伝えた大手銀行倒産の経済不安を引きずった形だ。倒産の煽りで一時的に経済不信が高まり、投資家のあいだで株の不買が広がっている。残念ながら、再建にはちと時間がかかるな。こりゃあ長引きそうな案件だ」

 へぇ、大変だな。気のない風に返事を返して隣の庭の草木を見遣る。ずいぶんと野放図になっている。そろそろ手入れが必要なんじゃねぇか? なんだったら俺が手伝ってやろうか……。

 ぼんやりとあくびを零すゾロを、当のウソップは気にも留めない。いつものことだ。

「ふたつめは政治献金の問題だ。知っての通り、この島で政治力は実質トップスリーとも言われていた少将に、商工会から多額の献金が行われていたことが明らかになった。まぁ巷じゃよくある話だが、今回は時期が悪かった。中将連中がこの少将の力を危ぶんで、椅子から引きずり下ろそうとしていた矢先のことだったんだ。おかげで不正に乗っかる形で少将の免職騒ぎが起こっている」

 ウソップは事の重大さを強調するように神妙な仕草で頷いた。このことが経財危機にさらに拍車を

かけるだろうと、経済アナリストの読みを付け加えることも忘れない。なるほど助かる、ゾロはそう答え、たった今仕入れた情報を右から左に流す。

「……みっつめ」

 そこでふぅ、と息を吐き、ウソップはことさら声を潜めた。僅かばかり肩をすくめて周囲の気配を警戒した。

 ――当たり、か。

「海沿いの交差路を左に曲がった先、くすんだ赤色のレンガビル。五○六号室に出入りする資産家の親父が殺し屋を雇った。所謂痴情のもつれだ。相手は元妻との間にできた実の娘だそうだ。ちなみに元妻は半年前に毒殺、その妹も口封じのために道連れだ。えげつねェ、ひでェ話だぜ……」

 ウソップはわざとらしく鼻水をすすり上げて鼻下をごしごしと指でこする。瞳に浮かぶ憎悪の色は資産家の親父に向けられたものだろう。優しい野郎だった。こいつに殺しは似合わない。

「実行は明日の午前一時、東町の別荘で接待パーティに出席予定だ」

「……ご苦労」

 それだけを伝えるとゾロは懐から札束を取り出した。ウソップは何気なくそれを受け取って「毎度あり!」とポケットに突っ込む。爽やかな風が吹いている。罪を重ねるには絶好の季節。

「……ところで、」

 慎重派のウソップはあまりここに長居をしなかった。だいたいが、臆病者なのである。このアパートを紹介するときだって念には念をと夜中に呼び出された。いっそそっちの方が怪しいだろうとのたまうゾロの言葉には耳も貸さない。

そうしていつもならばさっさと踵を返して去っていくところを、ウソップは珍しく立ち止まった。街の喧騒が風に乗って流れてくる。遠く潮の香りが漂う街。海に出たいと体が疼く。もうすぐ、この街ともお別れだろう。

「お前ら、噂になってんぞ」

 ウソップの言い草に引っかかるものを感じてゾロは僅かに目を細めた。考え事をするときの癖だ。閉まりかけた扉の向こうで逆光に照らされた男を見る。

「……海兵さんをおちょくるのも、ほどほどにな」

 俺は言ったぞ。そう言って、外階段を降りていく。ざわざわと風が吹き抜けて隣の家の庭木を揺らした。

 

 

 

 翌日、午前十二時四十五分。

 夜の深まりとともにパーティはいっそうの盛り上がりを見せ、酒の入った男と女が乱れるように踊っていた。

 きらめくシャンデリア、真っ赤な絨毯、シェイカーを振るバーテンダー。一面のガラス張りの向こう側には整えられた庭が広がっている。テラスから続く小さなプールは蒼い光にライトアップされていた。水面は月をぬらぬらと浮かべ、訳知り顔で揺れている。

 金持ちの別荘を借り切った会場にはさまざまな顔が揃っていた。マスコミのトップや企業の重役、銀行の頭取に海軍中将。役人とおぼしき連中たちは、おそらく天下りの親父どもだろう。

 革張りの黒いソファに尻を沈め、ゾロはじっと気配を伺う。

「どうですか、お兄さんもう一杯」

「あぁ、もらおう」

 さっきから厭に酒を勧めてくるボーイの背中に、ゾロはチラリと視線を向けた。黒いベストに赤リボン、紳士な身のこなしでゲストに酒を配っている。透明なグラスに注がれるピンクのロゼはもはや味もわからなかった。ゾロは残ったワインを飲み干し、サイドテーブルにグラスを置く。なんのことはない。毒入りだった。

 こういったことはこの手のパーティではよくあることだった。

互いに素性のわからないパーティには暗殺者が紛れ込みやすい。人と金が大きく動く、政治関係とあればなおのこと。したがってホストは怪しい者を最初からマークしておくのが常識だった。つい一時間ほど前に倒れた大柄な男、あれもおそらく同業だろう。

 ゾロはふん、と鼻を鳴らして壁にかかった時計を見遣った。毒入りかどうかはどうでもいい。そんなことより、酒が飲みたい。

 時計の針が刻一刻と約束の時間を刻んでいく。入り乱れる音と、匂いと、歓声。パーティはさらに華やいで男と女の欲望を溶かしていく。

「――それではみなさんお待ちかね、本日最後のワルツ・タイムです!」

 わあっと盛り上がる観客に司会が大げさな笑顔を作った。キーンと響くハウリングにはさも嫌そうに耳を塞ぐ。

 杖を片手に手を振る様はどこか作り物のようで滑稽だった。黒いあごヒゲをそろりと撫でて意味ありげにシルクハットをかぶりなおす。厳かにぺこり、と一礼をすれば会場の空気は静まり返った。なんだあいつマジシャンみてぇだな。ピーナツを放り込みながら、ゾロは思って酒を煽る。

「みなさん、それぞれの胸に問いかけてご覧なさい。思い出す風景があるでしょう。……若かったあの頃、ふたりきりの部屋、まるで愛し合った恋人のような日々……さあ、もう一度、ダンスを踊ってみようじゃありませんか!」

わっと拍手が巻き起こって会場が異様な熱に包まれる。思い思いに手を取る人々、見つめ合う温度、交わる視線。

 狂ってやがる。ゾロは思う。この部屋も、世界も、己も、全部――――

 ふわりと漂う、煙草の匂い。

「それではみなさま、あの大時計をご覧下さい! ピッタリ一時にはじめましょう! のこり、十秒…………五秒…………スリー、ツー、ワン……」

 ――ミュージック・スタート。

 パンパンパン! と銃声が響いて会場の照明が暗転する。キャー! と響く金切り声。騒然と逃げ回る人々の影。時計がリンゴンと鐘を鳴らして、血なまぐさい物語を荘厳に彩る。

「な、ん……てめェ……っ!」

 刀を抜いた格好のままゾロはその場に立ち尽くしていた。刃の先には今夜のターゲットが、命を保ったままガタガタと震えている。その間、わずか目前50センチの距離に肩を押さえて息を吐く男。

「……へへ、あっぶね。死ぬとこだった」

 男は白い帽子を上げて余裕を装ってニッと笑う。途端ガクン、と落とした肩を思わず片手で抱き寄せる。ぬるり、と掌を汚す赤。背後で蹴り倒されたマジシャンの、その手に握られたきらびやかなピストル。

「油断……してんな、よ」

 額に滲む脂汗が頬を伝って絨毯に落ちる。

 美しい雫だった。

 体に伝わる不自然な体温がゾロの鼓動を早めていく。頬に触れる金の糸。ドカドカと海兵の乗り込む足音。ゾロは「クソッ」と舌打ちを零すと、宵闇のなかに気配を隠した。

 

 

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