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花屋と、坂の上のレストラン

 

 

 

 10時に待ち合わせていたはずのゾロが、坂の下からのそのそと歩いてくるのが見えた。

 時刻は12時20分。

 13時からの予定に合わせた、サンジの読みは冴えわたっている。

「よぉ、やっとたどり着いたかマリモちゃん」

 サンジはニッと口端を緩め仏頂面にデコピンを投げた。いてぇ、と文句を垂れる顔にゲラゲラと高らかに笑いを放る。

「さっ、てめぇの仕事はこれからだぜ?」

 よろしく頼むな。そう言ってわしわしと緑髪を乱せば不服そうに眉をしかめた。まるでガキだな、そう思ったのはこれで一体何度目だろう。子どもの特権が素直さだというならば、ゾロは確かに「子ども」なのかもしれなかった。

 レストランから徒歩5分のところにある公民館。裏の勝手口の扉をから入って大きなホールの脇を抜ける。荷物が乱雑に置かれた通路を通っていくつかの部屋が並ぶ廊下を突っ切る。

 地域の住人向けにアレンジメント教室を開いて欲しいと依頼があったのは、つい3週間前のことだった。ナミの知り合いからまわされる話はたいてい金銭面の待遇がいい。別にそれで食っているわけではないから、こちらから大金を要求しているわけではなかった。おそらくナミが上手く交渉してくれているのだろう。そのことは十分に分かっていたから、サンジはありがたく受け取ることにしている。

 並んだ部屋の一番手前には「からまつ」と書かれた和室があった。玄関をあけると低い靴脱石があり、その向こうをふすまが仕切っている。

「ここだ」

 サンジは勝手知ったるように、ふすまの部屋にゾロを招いた。スッと引き戸が開いた瞬間、い草の香がふわりとのぼる。柔らかな畳が足裏を僅かに沈みこませる。長方形の畳の間には脚の低い長机がずらりと並べられている。

「いいか。参加者は23名。子どもと、その親御さんたちだ」

 話しながら、いちばん前に置かれた机に到着する。迷子のゾロを迎えに行っていたから作業が途中やめになっている。サンジは花瓶から鮮やかなポピーを取って広げた新聞紙に丁寧に並べた。物騒な事件が踊る一面に、じわりと灰色の染みが広がる。

「そこに名簿があるだろ。だいたい4、5人ずつの班に分けてある。最初に自己紹介をすませたら、持ってきた花と道具を紹介する。そのあと俺が簡単に手本を見せて、あとは早速実践だ」

 長い茎をハサミで切って脇のバケツにパラパラと落とす。色とりどりのポピーの花びらが嬉しそうにひらりと揺れた。畳に並べられた色とりどりの花たちは、胸を張るように咲き誇っている。

うん。晴れ舞台、だもんな。

「そんで俺ァ、なにを」

「作る段階になったら、いろいろと質問が飛んでくる。それこそ1から100まであれこれだ。10人程度なら俺ひとりでなんとかなるが、この人数はさすがにまわせねぇ。だから」

 すう、と息を吸い込んでゾロの方をチラ、と見遣る。ゾロはなんとなくサンジの言いたいことを察した様子でぎょ、と分かりやすく目を見開いた。

「……え、まじかよ。俺が質問に答えんのか? 花のことなんかなんも知らねぇって、」

「今から簡単に理論だけ教える。だけどそれはスッキリ忘れていい。技術的なことは俺にふれ。あとはお前の感じたように、好きに答えてくれたらいい」

 今日の対象は子どもたちだろう? そう言って「ほらよ」とエプロンを渡す。緑色の新品だ。真ん中のポケットには「ろろのあ・ぞろ」と黄色い文字をはりつけた。

 ――大切にしたいという気持ちだけで、何かが動き始めることもあるから。

「よろしくな、ロロノア先生」

 ポン、と背中を叩いて緑色のオアシスを渡す。全身緑のマリモ人間は、ぽかんとサンジを見つめていた。

 

『春の子どもフラワーアレンジメント教室』は大盛況のうちに幕を閉じた。

 赤、白、黄色、パステルオレンジ。元気いっぱいの花たちが小さなプランターに伸びやかに開いた。

 子どもたちの自由で素直な感性は、時にサンジの想像をたやすく超えていく。

『普通はこうだ』という既成概念に縛られない、瑞々しく豊かな想像力。

「これはなに?」

「ママのかおだよ!」

 だいすきなもの、というテーマで作られた花のブーケにサンジは思わず顔をほころばせる。目の覚めるような真っ赤な薔薇に、しとやかな表情の青いオキシペタラム。そのすべてを囲むように並べられたキンギョソウは、それらを優しく見守っているようにも、ともに手を繋いで遊んでいるようにも見えた。

 ――この子の目に、ママはこう映ってるんだ。

 優しい気持ちで頭を撫でると子どもはキャッキャと笑い声をあげた。屈託のないまぶしい笑顔が心臓の柔らかな部分をぎゅう、と掴む。隣でほほ笑む柔らかな眼差しは、春の陽のように子どもに降り注いでいた。

「ん」

 目の前に差し出された缶コーヒーにサンジはふっと顔を上げた。視線の先ではマリモ頭の「先生」がぶっきらぼうに手を伸ばしている。わいわい賑やかだった空気の色が、部屋にはまだ漂っている。

「おぉ……サンキュ」

「疲れてんのか」

 ゾロに言ってやるつもりだった言葉を先に言われてサンジは思わず吹き出した。「ろろのあせんせい!」あちこちから上がる声に奔走していたのは、ついさっきまでのことだ。

 

「せんせいは、あかいろの花とオレンジいろの花、どっちがすき?」

「あ~……色の好き嫌いはねぇが、こっちの花の方が大きくて好きだ」

 

「つよそうな花にするにはどうしたらいいんだ?」

「あ~……てめぇが強くなりてぇと望んだら、きっと花も強くなる」

 

「ねぇせんせい! ここに、もっといっぱいさしたいの!」

「う~ん……物には一番美しい状態ってぇのがあるんだ。欲張りてぇ気持ちはよくわかるが、そのままでも十分綺麗じゃねぇか」

 

ゾロは質問のひとつひとつに、時間をかけて答えていった。

 それは子どもに対する答えとしてはいささか難しいと思えるものがほとんどだった。子どもたちは一様に首を傾げていたし、見ているサンジも苦笑いを禁じえない。

 だけれど答えのひとつひとつは、どれをとってもゾロの「本心」そのものだった。それらの全てに嘘偽りのないことくらいサンジでなくても見抜いただろう。

 いつも真正面からまっすぐに、怖がることなくぶつかって。それを相手が受け取れるかどうかなど、はなから頭にもないように。

 相手に合わせて手加減をしないということは、相手を心から信頼していることの裏返しだ。

向き合う対象の力量を値踏みして、そいつに合わせた態度を取って――

子どもに対する態度だけではない。それは世の中をうまく渡っていくために、大人が身につけていく鎧でもあった。そうやって少しずつぶれていく自分の軸に、目を瞑って言い訳を重ねる。

 今日もまた、微かな嘘を上書きする。

 ――本当は、受け止められないことを怖がっているのは、ほかでもなく自分の方なのに。

「子ども、好きなんだな」

 ぼうっと考えごとをしていた頭に聞き慣れた低音がクリアに響いた。ゾロは畳にあぐらを掻いてごくごくとココアを流し込んでいる。

「まぁ……な。嫌いじゃねぇけど」

 二本目の煙草に火を点けながらサンジは適当に返事を返した。ふぅ、と細く煙を吐いて空の缶に灰を落とす。

 嫌いじゃない。嫌いなわけがない。本気で欲しいと思ったことだって、あったんだ。だけど――――

 障子の隙間から光が差し込み午後の気配を空気に映す。のどかな時間。まるで平和を絵に描いような心持ちだ。今この瞬間のゆるやかな時間が、ずっと続けばいいのにとサンジは思う。

「……なぁマリモ」

「あ?」

「例えば。例えばの話だ。てめぇが心から惚れて、好き合って、運良く結婚まで辿り着いた相手が――ガキのできねェ体だったらどうする」

 ぷかり、と煙を吐き出して5センチほど開けられた障子窓を見遣る。窓の向こうには夕陽が迫り全てを柔らかな赤に染めていた。街は今日も胎動し、生きて、育み、そして眠る。

「……そんなの、なってみなけりゃ分からねぇよ」

「もしだよ、もし。ちょっと考えてみろよ」

「あぁ?」

 ゾロは面倒臭そうに頭を掻いて残りのココアを一気に飲み干した。そして缶の底をじろじろ覗いて空になったのを確かめている。

コーンスープでもねぇのによ。

「あ~……」

 困ったように虚空を見つめ逡巡するように瞬きを繰り返す。その姿は今日の一日散々目に焼き付けたそれだった。

こいつが「先生」……ね。

 ――うん。案外合ってるかも、しれねぇな。

「心から惚れてんなら、許せねェかもしれねぇ」

「…………あぁ。そうか、そうだよな。やっぱり、なんで結婚する前にわからねぇのかって、そりゃあ思うよな。うん、そうだ。やっぱり、相手を責めたり、怒ったり、そういう、」

「違ぇよ。許せねぇのは自分自身のことだ」

「――は?」

 サンジは思わず煙草を落としかけて慌てて口に咥え直した。失態を誤魔化すために思い切り吸い込んだ紫煙を、時間をかけて空気へと溶かす。

 ……今こいつ、なんて?

「だから、心から惚れた相手に、そんなこと考えさせる自分のことが許せねェっつってんだ。だってそいつのことが好きで一緒になったんだろ? だったら一緒に考えるのが筋だろうが。人生を共にするってのはそういうことだろ。結婚したからって自動的に幸せになれるわけじゃねェ。長く、一緒にいるためには、共に居続ける努力をすることが必要なんだ」

 まぁそんなこと、てめェの方がよく知ってんだろうけど。

 そう言うと、サンジの薬指をチラリと見遣ってゾロはふいとそっぽを向いた。骨の張った精悍な横顔。不機嫌そうに結ばれた唇。細く入り込んだ真っ赤な夕陽がその色黒な頬を僅かに紅に染める。

 ――――花みたいだ。

 そう思った瞬間、サンジはゾロの左頬に小さくキスをしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン……ピンポーン……ピンポーン……ピン、

「るせェな、誰だよこんな時間に」

 ディナーの給仕もひと段落して、早あがりした夜のことだった。翌日の仕込みを祖父に任せ二階のベッドで横になる。

 あの日以来、サンジは花屋に顔を出さなくなっていた。

ふいにやってしまったことだった。気付いた瞬間、飛びのいていた。抑えがきかなかった自分自身にサンジははっきり困惑した。夕陽の差し込む明るい部屋。午後の気だるい空気のなか。ほんの少しこぼれた本音と、花のようだと思った横顔――

 サンジはぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き乱し、枕に「ぼふっ」と顔をうずめる。

明日の教室に使う花は、今日の午後に別の花屋で調達して来た。自宅から自転車で20分。町外れにたたずむ古い花屋だった。にこにこと微笑む白髪のおばあさんは「まぁまぁ男の方が」と笑って一輪のチューリップおまけにくれた。

『あと四日……』

もやもやと渦巻く感情を、ナミに会えない寂しさに置き換えて消化する。

ひと月たてばウソップが帰ってきて、ムカつくアイツもいなくなるのだ。

 顔を見るたび悪態を吐いて、飯をやれば夢中で喰らった。子どもの相手が苦手なくせに、自分はまるで子どもみたいなアイツ……

 ――ピンポーン。

「クソッ」

 サンジはチッと舌を打って一階に向かって階段を降りた。こんな時間にはた迷惑な来客だ。古い階段はギシギシと鳴いて不機嫌な気持ちを空気に溶かす。

「はーいどちら様で、……っ!」

 ガチャリ、とドアを開けるとそこには見慣れた男が立っていた。

 背格好は同じくらい。凶悪な人相にごつい肩幅。無地のTシャツに紺色のジャケットを羽織った、その髪色は目の覚めるような緑色――――

「……ゾロ。お前、何しに」

「これ。返しに来た」

 唖然と見つめるサンジの目の前に「ん」とスーパーのビニール袋が突き出された。ガサ、と音を立てて受け取った袋にはグリーンのジャージが詰め込まれている。

「……あ、あぁ。わざわざ、悪ィな」

「今、時間あるか」

 まっすぐに刺さるゾロの視線がサンジの瞳を真正面から捕らえた。頷くことも否定もできずにサンジはごくりと喉を鳴らす。こんなクソガキの戯言などいくらでも誤魔化せるはずなのに――――逃げられない。

「……上がんぞ」

「あっ、ちょ、待てよ、ゾロっ」

 サンジの制止も聞かず、乱雑に靴を脱ぎ捨てる。ギシギシと音を立てる古い階段が不協和音をはらんで軋む。

 

「茶ァくらい、飲んでけ」

 はぁ、と大きな溜め息を吐いてサンジは湯呑をテーブルに乗せた。

 白いもこもこした手触りのカーペットに足の低いちゃぶ台状のテーブルがひとつ。小学生の頃に買ってもらった学習机が部屋の角にでん、と陣取っている。壁際の三段ボックスに並ぶのはフラワーアレンジメント関連の書籍だ。専門書から一般書まで、使える知識は必死で詰め込んだ。けれど結局は実践で身につけていくしかないと気づいたのは、仕事をはじめて三年を超えたあたりだっただろうか。

 サンジはちょうどゾロから90度の位置に腰を下ろして「足、崩せば」と声をかけた。ゾロはテーブルの前について、律儀に正座を崩そうとしない。訝しげに視線をやったがそれからも動く気配のない様子に、サンジはもう一度溜め息をついて「好きにしろ」と言葉を放った。

「……で、なんだよいきなり。人んちに勝手に上がり込みやがって」

ふぅ、と煙を吹きかければ硬い表情が僅かに曇った。ゾロはテーブルの湯呑を見つめたまま深い呼吸を繰り返している。

「黙ったままじゃわかんねェぞ、クソマリモ」

 右手の人差し指で煙草を軽く弾いて黒い灰皿に灰を落とす。盛り上がった山に雪が積もる。ゾロが来てからこっち側、やたらと山の高さが増しているようだった。

 静寂。

「あのな。まさかここまで来て、ジャージ返すためだけとか言うんじゃ、」

「あんたのその、指輪」

 意を決したように口を開いてゾロが食い気味に台詞を寄越した。視線の先に映るのは、テーブルに肘をつき気だるげに煙草を支えた右手。その二の腕に重ねられた、左の薬指にはまったシルバーリング。

「――昔の話だ」

 柔らかに吐き捨てて、ふっ……と煙を横に流す。頑なに視線をあげないままだったゾロは、サンジの言葉に俯いたまま目を見開いた。その頬は僅かに紅潮していて何かを期待するように瞳孔が開く。

 ――……あぁ、コイツ。

「今は、ひとりなのか」

 探るような鋭い視線がサンジの瞳に突き刺さる。野獣の眼光だ。検分するようにスッと細めた両目に微かな欲情の色が浮かんだ。

こいつ。――――俺が、欲しいのか。

「今もなにも……俺はずっと、ひとりだよ」

 はらり、と灰がテーブルに降る。冬の名残の淡い粉雪。水仕事で冷えた左手は、掴まれた部分が熱くて、痛い。

 

 

「は、ァ……んっ」

 息苦しいほどに絡みつく、キスの合間に息を吐く。鼻から抜ける甘い声にゾロの体温がじわりと上がる。

ゾロは不器用に首を傾げて力任せに唇を重ねた。最初こそ恐る恐る口内に侵入した舌は、今や物足りないとでも言うように何度もサンジの舌を吸い上げていく。

「ぁッ……んん、や、ゾロ」

 左手はぎゅっと腰にまわされ、右手は服の中を探る。獣に味見をされている気分だった。性急に紅の突起を探り当てたゾロは執拗にそこばかりを攻め立てる。

「そこばっか、痛ぇよ、ゾロ」

「っ……悪ィ」

 おずおずと異議を申し立てれば獣は素直に引き下がった。服のなかから引き抜かれた右手がサンジの頬をそろりと撫でる。熱い掌。乱れる呼吸。

たまらない、顔をしている。

「お前、きついだろ。1回抜いとけ。やってやるよ」

「あ? うわっ」

 サンジはいきなり下半身に顔を突っ込んで、ズボンのチャックをジリジリと下げた。ゴムの緩んだ灰色のボクサーを下げると赤黒く猛った中心が顔を出す。……すごい。

今にも、爆発しそうだ。

「やめっ、てめェなにすん……ッッ!」

 熱い塊に口づけを落とせば獣の喉が「ひゅっ」と鳴いた。ひくつく先端をチロリと舐めて、裏側の筋に舌先を沿わす。亀頭をゆっくりと口に含んでやれば、ゾロはまるで苦痛に耐えるように唇を噛んで後ろに仰け反った。握られたこぶしがギリギリと白いカーペットを握り込んで震えていた。

サンジは次第に速度を早めながら上下に頭を動かしていく。たらり、と首筋を流れる汗。上目遣いに見上げる顔。

 絡まり合う視線。とろける息。

サンジは目を合わせたまま、全てを舐め取るように舌を転がす。

「ってめ! ……ッく、ぅ」

 強く奥歯を噛み締めながらゾロは必死で何かを堪えているようだった。弓なりにしなりかける体を何とか押さえつけて、サンジの頭を右手で掴む。

「ほら、イっていいぜ」

 口淫の合間に呟けばゾロは悔しげに眉をしかめた。金糸を掴む右の手にぎゅう、と不自然に力が込もる。

「ま、だ……だっ、ッう、っ!」

「んっ…………」

 到底全てを包み込めないほど大きく育っていた塊は、最後にほんの一瞬質量を増し、そして一気に濁りを放った。どくどくと脈打つ淫らな温度。

 ――苦くて、不味くて、そして甘い。

「っ……ばっか、やろ…………」

「ふん。よかったくせに」

 口元をごしごしと袖で拭って勝ち誇ったように笑みを零す。ゾロはチラリとサンジの口元を見遣り、何を思ったのか頬を染める。

「…………寝ろ」

「は?」

「そこに、寝ろっつってんだ」

「なんで、」

「いいから!」

「っ、おいゾロッ」

 半ば押し倒されるように寝転されてサンジはじろりとゾロを見上げた。見下ろすゾロのごつい首筋を、透明な汗が流れて落ちる。

「何すん、っん、ふっ、ぁ」

 いきなり落とされた乱暴なキスがサンジの唇を一心に貪る。吸われ、噛み付き、舐め取られ、真っ赤に腫れるほど味わい尽くされる。覆いかぶさるひどい熱。息もできないほどの劣情。

「は、ぁ……んっ、苦し……ゾロ、っぁ」

 不慣れな手つきではずされたベルトがカチャカチャと安っぽい金属音を立てる。ズボンの前のジッパーを下ろすのに手間取る姿がもどかしい。相変わらず荒い指先は紅色の突起をグリグリと痛めつけた。首筋に噛み付かれるたび、サンジの腰が微かに跳ねる。

 はやく。もっと。もっと。――奥まで。

「ぅん……あぁっ」

 堪らず甘美な声が漏れてサンジはとろりとゾロを見上げた。不器用に包まれたサンジの中心が、いきなり強くこすり上げられる。先端から溢れた欲情の濁りがちゅぷちゅぷと音を立ててサンジの体を飲み込んでいく。心臓に滲む微かな光。

これはなんだ。この、馴染みのない、感情は。

「っ痛ェ……っと、優しく、しろ、よ」

 ゾロは苦しいような切ないような顔で真上からサンジを見下ろしていた。互いに服も着たままで、ズボンだって脱がないまま。単調にしごかれる中心からは面白みのない音が響いている。下手くそだ。全然、慣れてもいねぇ。これじゃまるでガキのセックスじゃねぇかと、サンジは短く溜め息を吐く。

 それなのに。

 全然気持ちよくないはずなのに。

こんなにも。

 こんなにも――――熱い。

「なぁゾロ……」

「っ、あぁ?」

「挿れて」

 忙しなく上下していた手が、戸惑うようにそろりと止まった。こんな顔、見られたくない。両腕で顔を覆ったサンジはゾロの返事をただただ待つ。

5秒……10秒……。

 そっと前髪が持ち上げられて柔らかなキスが額に落ちた。片手で腕を無理やりずらされて、眩しい光がまぶたの薄皮に映る。チュ、チュ、と音を立ててまつげと耳たぶに熱が灯った。

 抜き取られる、シルバーリング。

 耳にかかる熱い吐息。

「……手加減、しねぇよ」

 地を這うような低音がサンジの鼓膜を小さく揺らした。吐息に含まれた甘い熱。

ふたりだけの、内緒話。

 

「やぁっ、あぁっ……激しっ、ゾロ」

 後ろから抱きしめられる格好で何度も何度も奥を突かれる。どこがイイとこだとか考える隙もないほどに全ての感覚を奪われていく。前からはまるで自動のようにだらだらと精液がこぼれ落ちる。何度イったのかなんて考える方が無粋な気がして目を瞑る。

「うっ、ぅう、ゾ、っぁ」

「好きだ」

 何度目かの告白がサンジの心臓を強く握る。その度にきゅう、と後孔が締まってゾロが低く喉を唸らせる。

「好きだ」

「あっ、あぁ、ゾロ、ゾロっ」

 繋がった場所から溶けていくような感覚にサンジは全身を支配される。もはや心地が良いのかもわからない。ただ怖いほどの快感がサンジをどろどろに飲み込んでいく。

「好きだ」

「あぁっ、あァッ」

「好きだ」

「あっ、や、あぁっイっ、イく、ゾロっ」

「好きだ」

「アッ、ァッ、ァッひぁ……っぅ!」

 パタタ……と白濁が滴ってサンジは全身の力を抜いた。今回はどうやらゾロも一緒にイったようだった。さっきまであんなに強い力で支えていた両腕が痺れたようにだらりと垂れる。

「はぁ、はぁ…………ゾロ……」

「ん」

「俺は…………――」

「無理すんな」

 さらり、と金糸を撫でて丸い頭を胸に掻き抱く。隣り合って抱き合うとゾロの方がひとまわり大きく感じた。

 とくとくと繰り返す柔らかな鼓動。

「お前の分も、俺が好きでいてやる」

夢と現の狭間で囁くような声が届く。柔らかな声。聴き慣れた低音。規則的に繰り返す心臓のリズム。

もう一度だけ。あの熱に溺れていたいと、夢に落ちていく途中でサンジは思った。

 

 

 

 

 

 

「ゾロ、ひと月ありがとね! すんごく助かったわ」

 パンッ、と背中をはたいてナミがニコリと微笑んだ。ゾロは先ほど手渡された茶封筒を握りしめたまま前につんのめる。

「悪かったなゾロ君! 俺のスーパー配達には敵わねぇだろうが、キミもよくやってくれた」

 うんうんと頷くウソップは、ゾロの視線にわけもなく「ひっ」と息を吸い込む。おととい無事に退院してきたウソップは早速今日から復活だそうだ。いつもの日常が戻ってくる。

「じゃあ、サンジくん。あとはお願い」

「任せてくださいナミさん」

 ニッと笑って手を差し出すとゾロは訝しげに眉をひそめた。「手ぇ、繋いだ方がいいんじゃねぇか? 迷子マリモちゃん」そう言ってハハッと笑ってやればチッと小さく舌打ちが返る。素直なのか素直じゃないのかやっぱりこいつはさっぱりわからない。子どものような大人のような、その狭間に揺れる花。

「じゃあね、ゾロ。あんた放っとくと全っ然顔見せないんだから。また来なさいよ! 花の一本くらいおごってあげるわ」

「そうだぞゾロ君。お姉さんに心配かけるんじゃねぇぞ! だいたいコイツに目ぇつけられたら、花百本でもきかねぇアイタタ」

「お世話になりました」

 鼻を押さえて涙目のウソップと笑顔で手を振るナミにペコリと頭を下げる。着なれない黒のスーツ。背後から見つめる律儀な45度にサンジはふわりと煙を重ねる。

 暖かな日差しが街を包んでいる。雲のない空から春の光が降る。12時でウソップに仕事をバトンタッチしたゾロを連れ、サンジは長い坂をゆっくりとのぼる。

 ひとりで歩いた道。変わらない風景。繰り返される日常。傷つくことを怖がって、大人の言い訳で嘘をついて。

 晴れ渡る青。吹き抜ける風。ふたりが出会った公園。

 あの瞬間から運命の歯車は、きっと。

「つけてねェんだな」

「ん?」

「指輪」

 ガキくさい表情で目を逸らしゾロがぼそりと言葉を寄越す。「あぁ」何気なく頷いてサンジは煙を空へ流す。

「忘れちまった」

 あの頃の感傷も、全部。

 そっと触れる右の手がふわりと柔らかな色に染まる。ためらうように絡まる指がほんの少しだけくすぐったい。繋がる掌。伝わる温度。

 永遠の今を、願う鼓動。

「……期待していいのか」

「さぁな」

 見慣れた扉を押し開けてサンジは後ろを振り返る。黒いスーツをまとった男が静かにこちらを見つめている。正装を、と伝えた言葉はゾロにどう響いたのだろう。迎えるサンジの真っ白なボトム。淡いブルーのシャツに身を包み、サンジはゾロを手招きする。

 扉を開くと、そこは――

「ようこそ、俺の城へ」

 一面に花の海が咲き誇り、春の色が鮮やかに浮かぶ。カーテンを揺らして吹き込む風が、ピンクの花びらにキスをする。唖然と突っ立つゾロを笑ってサンジはそっと椅子を引いた。

こんなケツの青いクソガキに。

 ――まさか、ほだされるだなんて、そんなこと。

「ランチタイムにご招待します、お客様」

 深々と一礼をしてサンジはそっと席を離れる。ゆらり、と紫煙が揺れる。ピカピカに磨かれたシルバーの食器が窓から差し込む光にキラキラと輝く。夢のようだ、まるで。

「っ、おいコック」

「サンジだ」

 ニヤリ、と口端を歪めて背を向けたまま声を投げる。ぐっ、と喉奥の唸る音。阿呆が。まだまだお前の好きなようにはさせねぇよ。

「てめぇの好物、みんなくれてやろうじゃねぇか、クソお客様」

 カツン、と踏み出す足音にむせかえるような甘い匂いが絡まる。花が笑う。空が歌う。それはまるでふたりの門出を祝福しているかのような。

「覚悟しとけクソガキ」

 過去を抱き、未来を見つめて、今この場所から、半歩だけ先のふたりへ――――

 

 

 

(完)

 

 

 

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