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ファインダー越しの未来
春 - 卒業3 -
「ホントに行っちまうんだなァ」
「あァ」
「いやァ、お前の仏頂面が見れなくなるとのかと思うと寂しいモンだなァ。いたらいたで怖……いやなんでもねェ」
「そうよ、たまには帰って来なさいよ。お酒飲める友達が減っちゃって、私も張り合いなくなるわ」
サンジくんなんて、1杯飲んだらすぐに寝ちゃうんだから。
つまらなそうに呟くナミを横目に、サンジはくねくねと腰を砕いた。自分の名が呼ばれるだけでこんなにもメロメロになるだなんて、これぞまさに恋のパワー。愛の力、フォーリンラブだ。
隙あらば接近して拳骨を喰らっているサンジの首根っこを掴み、ゾロが淡々と口を開いた。
「じゃあ、そろそろ。こいつ、よろしくな」
「しっかり捕獲しておくわ。ちょっと面倒だけど」
「そんなナミさんも素敵だ!」
「おいサンジ、そんなんでいいのかよ。……しばらく離れ離れになんだろ?」
心配そうな瞳がサンジを覗く。その長い鼻を折り畳みながら、サンジはひらりと片手を上げる。
「じゃあな、クソマリモ。達者で」
「あぁ」
「寝呆けて迷うんじゃねェぞ。今度の国は広ェぞ」
ニヤリ、零した笑顔とともに紫の煙が天へと上る。空を飛びたかった人間の、知恵の結晶がまた一機、爆音を上げて離陸していく。
「ま、半年後にゃ迎えに行ってやるよ。存分に迷っとけ。なんだったらGPSでも付けとくか?」
「いらねェ」
ふん、と鼻で嫌味に笑い、ゾロはくるりと背中を向けた。
そうしてそのまま一度も振り返ることなく、人ごみのなかに消えていく。
ぐるりと辺りを見渡せば、離れ離れになるのだろう何組かのカップルや家族が涙ながらのお別れ中だった。
3月、最終日曜日の空港。
出会いと別れが交叉するこの場所はきっと、たくさんの人生のターニングポイントを背負っている。
「……行っちゃったわね」
「あぁ。案外あっさりだなァ。まぁもともと根無し草みてェなヤツだから、場所にゃそんなに執着しねェんだろうけどよ。……サンジは9月、だっけ?」
ウソップがチラリと視線を寄せる。色の白い横顔はしかし、金糸に隠れてよく見えない。
「……大丈夫だろ。あいつなら」
独り言のように零した台詞はしかし、誰の耳にも届くことなく湿気た雑踏に消えていった。
サンジが下した結論は「フランスでパティシエの学校に通う」というものだった。
「俺、今まで、何かに本気になったことがなかったから」
夜の公園で缶コーヒーを飲みながら、ぽつりぽつりとサンジは零す。
薄着をするには少し肌寒い夜だった。雲ひとつない暗闇からキラキラと瞬く星の光が落ちる。美しい満月はふたりを照らし、古びたベンチの後ろに長い影を伸ばす。
「まずは自分の意思で勉強しようと思うんだ。ゼフの作った大切な店、町の人たちに愛されるあのバラティエを、俺はやっぱり永く守っていきてェ。そのためにゃあ俺の技術なんかじゃまだまだだ。もっともっと広い世界を見てみてェんだ。フランスはそのためにゃもってこいだ。世界の高みを見てみてぇ」
――いずれはゼフを、追い越すために。
飲みかけの缶コーヒーから暖かい蒸気が立ちのぼっている。冷えた両手で包み込めば白い掌は熱を受け取る。
……あったけぇ。
思ってサンジは苦笑する。
なんだってこんな夜に、こんなクソ野郎と。夜の公園、缶コーヒーを飲みながらふたりきりだなんて、ロマンチックにも程がある。そんな素敵な夜を共にするのは、かわいいレディと決めていたのに。
当のゾロは黙って手元を見つめたままだ。サンジは耐え切れず小さく息を吐く。微かに張り詰めた静寂がふたりを包んでいる。
「……それで」
ようやく口を開いた野獣が、こちらも見ずに喉を震わせた。
「てめェは、満足なのか」
聞かれると思っていた質問だった。それがそのまま耳に届きサンジは思わず笑い声を零す。ゾロは僅かにムッとして、サンジに抗議の視線を向けた。
「いやいや、悪ぃ。馬鹿にしたわけじゃねェよ。……満足かどうか、な。それは、うん……正直、俺にもわからねェ」
ゾロが訝しむように眉根を寄せた。
『解せねェ』顔にそう、台詞を貼り付けている。
相変わらずわかりやすいヤツだと思う。そういうところが、ロロノア・ゾロだ。
素直なのは一体全体どっちなんだ。こいつのこういうところ、――なぜだか、ちっとも、悪くねェ。
「わからねェからこそ、行こうと思う。今まで一度だって本気になれなかった俺が、一体どこまでやれるのか。負けて、折れて、打ちのめされて、果たしてそこから立ち上がれんのか。やってみなきゃ、わからねェ。だからこそ、価値があると思う」
そこまでを一気に吐き出して、途切れついでに空を見上げる。視界を横切る紫の煙はゆらりとゆれて風に流れた。
諸行無常。いつだってわかりきっていることなんて何一つないのだ、本当は。
「でも、菓子作りは厭んなったんじゃ」
「逃げてただけだ。期待されたレールを進む、その安定を人は幸せと呼ぶんだろうが、俺にはそうは思えなかった。外れることのできねぇ人生ほど怖ぇもンはねェ。相手が大切な人なら、なおさら。期待を背負うことは裏切りを生むことと裏表だからな。弱かった俺はそこから逃げることしかできなかった。けど――」
ほんの僅か逡巡の時を待つ。その間にひとつだけ、大きく息を吸い込む。
届くだろうか、こいつにも。俺が見つけた、微かな未来が。
「俺にはもう、写真がある。まだまだ完全なコントロールには甘ェけど、これからはその“目”を通して世界を見つめていけるだろう。まっすぐにしか受け止められねェ俺の“弱さ”を、感性という強みに変えて生かすんだ。きっとずっと先は長い。だけどうまく飼い慣らせれば、いずれ俺のパティシエとしてのアイデンティティになってくはずだ」
ゾロはわかったようなわからないような微妙な表情でサンジの言葉に耳を傾けている。
サンジは微笑する。月の照らす光が、白い頬を黄金に染める。
「それに――」
今度こそ意を決したようにサンジは口を開いた。
届け、届け、こいつの胸に。阿呆なゾロのド真ん中に。
「俺には、……てめェがいるじゃねェか」
しばらく考え込んでいた風のゾロが、だんだんと目を丸くする。しばしの静寂。ふたりの間を煙だけが流れていく。
おもむろに伺うような視線が届く。サンジはそれを黙って見過ごす。それを了承、と取ったのかゾロがゆっくり右手を伸ばした。滑らかな金の糸が、さらさらと優しく風に揺れる。
「……いいのか?」
「いいも何も。俺にもてめェが必要なんだよ、バカ」
思わず零れた悪態も一緒くたにゾロの全てがサンジを包んだ。
まだ少し肌寒い、春の夜。自分より少し高い体温を心地良いと思う。
「ったく、心配させやがって……素直について行きてェって言やいいじゃねェか」
「阿呆、俺はてめェについてくんじゃねェ。俺の意思で、勝手に行くんだ」
「言ってろ」
交わされる言葉とは裏腹に嬉しげなゾロの低音が公園に響く。愛しげに頭を撫でる手つきが優しくてサンジはうっとり目を瞑る。
『まるでガキになっちまうみてェだ。こいつと一緒にいると』
背中にまわした両腕に力を込めながらそんなことを思う。あの、独りぼっちの夜に包まれた暖かい光のように。
「ただな、そういうワケなんですぐには行けねェ。そもそも美術留学じゃねェから学校からの補助は出ねェだろうし、こっちでやりてェこともある。ゼフに一発拳骨喰らわにゃなんねェし、すっかり錆び付いちまったパティシエの腕を掘り起こすのにも時間が欲しいんだ」
考えに考え抜いた答えだった。いくら多くの人が認めてくれたとはいえあれじゃあ偶然みたいなもんだとサンジは思っていた。自身の感性をコントロールし、狙った感動を与えてこそプロフェッショナルだ。自分の実力もわかってないうちに他人の好意に甘えてしまっては、また誰かのせいにして生きることになりかねないと、サンジは思った。
野獣は黙って話を聞いている。
「半年。秋入学に合わせてそっちに飛ぶ。それまではこっちで、留学費用稼ぎとお菓子作りの腕を磨くことに専念する。生半可じゃねェけど、やってみてェ。自分の責任で苦しみ、自分の責任で感動を与えたい。そうじゃなきゃ、本物にはなれねェと思うんだ」
……へへ、格好悪ィかな。
そう言って笑うサンジの唇が、暖かい体温に包まれる。ついばむような優しいキス。抱きしめられた腕に甘い熱が込もるのを、サンジは確かに感じた。
「何ヶ月でも、何年でも、てめェの気が済むまでやって来い。俺は、いつまでも待ってる」
「半年でいいっつったろ」
苦笑しながら次の煙草に伸ばした腕がふいに遮られた。
「おい、ゾ……」零しかけた抗議の台詞がゾロのまっすぐな視線に吸い込まれる。
逃げられない。
――逃げるつもりもない。
今度はさっきよりも、もっと深く。
蕾を割った熱い舌先が口内を蹂躙する。上あごも、頬の裏も、歯の先も。全てを慈しむように這う舌に、サンジもおずおずと舌を絡める。一瞬驚いたように目を見開いたゾロは、さらに強くサンジの体を抱き締めた。
宵闇に溶ける、甘い水音。
戯れに甘噛みをすれば「うぅ」と低い呻き声が返った。気持ちよさげに目を瞑る野獣の表情。抑えられた匂い立つ色香にサンジの腰はドクドクと疼いた。
「ゾロ……」
春風に揺れる三連のピアス。至近距離で耳を澄ませば「シャラリ」と繊細な音が聴こえた。俺と、ゾロだけが知っている、この音。
「好きだ……」
サンジの零す淡い心音が風に重なる。さわさわと揺れる公園の木々が優しい内緒話を夜に溶かす。
冷えた耳たぶが熱に包まれる。
そうして静かに届けられる、甘い甘い極上のデザート。
「サンジ、」
愛してる――――
「サンジくん! 今日はありがとう、忙しいときにごめんね」
「あぁ、ナミすわん! とんでもない! 今日のこの出会いはきっと運命、いや僕の宿命。貴女という可憐な花に捧げる甘く爽やかな蜜柑の香り。そうそれはまさにエメラルドの海から姿を現すマーメイドのような」
「あら、おいしそうな蜜柑ゼリー。私蜜柑ゼリーって大好き」
「僕は貴女が大好きですナミすわん!! ――と、ウソップも。ほれ」
なぜだか顔面を真っ青に染め変えて固まったウソップの前にも、仕方ないのでグラスを置いてやる。
振舞ったのはワインセラーで眠らせておいたとっておきのロゼだ。お代はいいからと断ったのに律儀に餞別を持ってきてくれる辺り、やっぱりデキル人だとサンジは惚れ惚れする。
「いつ発つの?」
「あさっての昼前だよ」
「そっか……私仕事でお見送り行けないの、残念」
「いいよいいよ、ナミさんに見送られたら、なんだか俺寂しくなっちゃうし」
「そうかそうかお前にもそういう人間的な心があったんだな……」
「てめェは荷物持ちで来い」
「えぇ! 聞いてねェ!!」
再び顔面を真っ青に染めて長鼻が固まっている。それを横目に談笑しながらサンジはふと、窓の外を見遣った。
心地よい秋風が店先のプラタナスの葉を柔らかく揺らしている。抜けるような空。青に残る飛行機雲。
「……あさってにはサンジくんが乗ってんのよね、アレ」
「なにセンチメンタルになってんだよナミ」
「あら、大切な友達が遠くに行っちゃうんだもの。寂しくないはずなんてないわ」
そう言って笑うナミの横で、ウソップの鼻先が紅に染まる。「お、俺が寂しいハズなんかねェだろ!」そう言って吐き出された抗議の声は水に湿って掠れていた。
「私もフランスにはちょくちょく行くから、またあっちでも会えたらいいわね」
「そんな、僕に会いたいだなんて光栄ですナミすわん!」
「おいしいおやつ作ってね」
「えェもちろん!!」
「俺もこの冬には買い付けにヨーロッパ辺りまわると思うから、そっち行ったらよろしくな、サンジ」
「てめェに出すのは餅ぐれェだ」
「ひでェ!!」
なんだかよくわからないいろいろ交ざった涙目でウソップがサンジに非難の声を上げる。
ウソップは今年の夏頃から小さな珈琲店の雇われオーナーを任されている。1階が落ち着いたカフェスペースで2階にこじんまりとしたギャラリーを持つそのお店は、知る人ぞ知る昔馴染みの店だった。もともと客として足繁く通っていたらしいウソップがいつの間にか店を手伝うようになり、足腰の悪くなった店主に代わってカフェの運営を任されるようになったのは今年の春先のこと。空いた時間に油画を描きながら、珈琲の研究にも余念がない。
「てめェもなかなか忙しいんじゃねェのか? かわいい子がいる珈琲店っつってじわじわ噂聞いてんぞ」
「はは、そうだな。まぁ、幸せなことだよ。たまによ、俺だけが店に出てるとあからさまに残念そうな顔しやがる客がいんだよ、ったく。俺のどこか不満なんだっての」
いや、全部だろう。思ったが、言わないでおいた。ウソップはまた微妙な視線を寄せて、訝しげに目を細めている。面倒くさいのでそれには完全な無視を決め込む。カヤちゃんとの挙式は来年の春、卒業と同時に正式に夫婦になって、ふたりで店を引き継ぐことになっているらしい。
「あくまで、第一ステップだけどな」そう言って笑うウソップの横顔には、アーティストらしいしたたかさが滲んでいた。いい絵描きになるとサンジは思う。
「お前は? とりあえずあっちでどうすんの?」
遠慮のない口ぶりが、互いに大人への階段を登りつつあることを暗示していた。同じ土俵でちまちまと競っていたあの頃。俺たちはこれから互いに手を離し、全く違う道の上で孤独な闘いを続けていかなければならないのだ。
青春、と呼ぶにはあまりに中途半端だった、モノトーンの時間。
目を瞑れば思い出す、気怠い午後の風。
もう、戻れない。
「まずはとにかく学校に通う。しばらくは課題やら授業やらで自分の時間なんか取れやしねェだろうからな。とりあえず何とかなる程度の生活費は稼いだ。あとはゼフに借金返しながら、あっちのパティスリーでバイトする。2年なんかあっという間だ。できるだけたくさんのことを吸収してェ」
それから――とサンジは、言いづらそうに小さく付け加えた。あの野獣、どっかで迷子になるといけねェから、俺が世話してやることになってんだ。
言ったそばから火を噴いたサンジに、長い鼻がお決まりのように折り曲げられた。「なんでいっつも俺なんだよ!」と愚痴を零すウソップに、ナミの笑顔がキラキラと重なる。
秋の空は天高く、どこまでも淡く広がっている。小さな町のパティスリーからは今日も甘い香りが漂う。賑やかに響く笑い声は遠く海を渡る風に溶けていく。
いつだって未来は曖昧で、不確かな輪郭は時に脅威にさえ思えるだろう。誰もが抱えるこの想いを、誰もわかってくれないと嘆く夜もあるはずだ。
だけど。
俺たちは、何ひとつ間違っちゃいない。
振り返ったその場所に、今日まで歩んだ道が途切れることなく繋がっている。それだけで、十分じゃねェか――
落ちた前髪を掻き上げながら、サンジは小さく煙を吐き出す。
正解なんか終わってみなけりゃわからないのだ。絶対に。
それはまるで、祈りのような。
荷物の片付いたデスクの上。
たった1枚、飾られた写真。
風に舞う帽子に手を伸ばす後ろ姿には、溢れ出す愛おしさが滲み出している。
ファインダー越しに覗いた未来。
小さな画角に閉じ込められた「まっすぐなリアル」には、秋の穏やかな陽だまりが落ちている。
出会えたら、何を話そうか。
何を聞いて、何を笑い、何度あの腕に抱かれようか……。
そんなことを思いながら、サンジはそっと空を見上げた。
窓枠で切り取られた、青色のキャンバス。一筆書きの、飛行機雲。
サンジは静かに頬を緩める。そうして優しく瞳を閉じた。
きっと。きっと。
俺が次にシャッターを切るのは、きっと――――
(完)