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夢の跡

「おう、来たか」
「おう、……じゃねェよクソ緑」
バサっと資料の山を机に落としこれみよがしに溜め息をつく。数時間前に淹れたコーヒーは半分ほど残ったままデスクの上。ビロードのソファに尻を埋めてゾロは退屈そうに足を上げていた。
「いったいてめェは俺になんぼほど残業させりゃあ気がすむのかね」
「あ? 別に俺ァ頼んでねぇ」
「頼むとか頼まねぇとかじゃねェの! 国の民が困るだろうが!」
はぁ、ともう一度溜め息を吐いてサンジはつかつかと歩み寄った。
身軽な革のブーツの底が分厚い絨毯を踏みしめる。金の獅子がでかでかと飾られたここは所謂軍の執務室だ。
「なぁ、大総統さんよ」
机の角に腰掛けて真上からじろりとゾロを見下ろす。シルクで織られた黒のロングコートに純金で作られた金のボタン、ぬらりと光るごついブーツには国の紋章が光っていた。胸に並ぶいくつもの勲章は軍の順位を如実に示している。
「なんでてめぇが……」
片手でコーヒーを注ぎながらサンジは信じられない気持ちで呟く。ふわり、と上がる香ばしい匂い。退屈げに欠伸など零すこの体たらくがまさか国を負って立つトップなどと――
「配役、間違ってるよなぁ」
「あぁ?」
ぽりぽりと緑の頭を掻いて面倒くさそうに伸びをする。「お、ありがとよ」そう言ってサンジからカップを受け取ったゾロは「酒じゃねぇのかよ……」と小さく零した。
――アホが。
「で、今度の仕事はなんなんだよ」
「ん? あぁ、ちっと隣国の紛争をな」
「捻り上げるのか」
「あぁ」
ぼんやりと天井を見つめながらゾロが低く喉を鳴らす。コン、コン、と机を叩くのは何かを考えるときのいつもの癖だ。
「手袋までしやがって。準備万端じゃねぇか」
「出立は1時間後だ」
……あ、そ。
誰にも聞こえないような声でサンジが小さく声を零す。
三ヶ月に渡る戦線からこの部屋にゾロが帰ってきたのは僅か二日前のことだった。その前は半年。一度前線へ行ってしまうと通信手段も当然のことながら途絶えてしまった。
――生きてんのかね、こいつは。
とにかく首だけは守ってやれと、サンジの指示はそれだけだった。身分には不釣合いな指揮官の地位をそれでも保っているのはひとえにサンジの策士能力を高く買われてのことである。
「お前は残って国を守る。俺は前で国と戦う。それのどこが可笑しいんだ」
「まぁ普通は、逆だな」
ふっ……と小さく笑みを零せばゾロの視線が絡み合った。キイ、と軋む真っ赤なソファ。こんな男にはもったいないほどの。
「……なぁ、俺を呼んだのは、そんな話がしてェわけじゃねぇだろう?」
にやり、と意地悪に歪んだ口元に真っ白な手袋がざらりと沿った。戦時になれば真っ先に飛び出し鮮血を滲ませる美しい白。
「……わかってるじゃねェか、大佐」
「その言い方ヤメロ」
「ほう……? 嫌がってヨガるてめぇの姿も見てみてぇな」
なぁ、大佐?
べろり、唇を這う赤い舌に知らずごくりと喉が啼く。ギ、と悲鳴をあげるテーブルが二人分の体重を支える。
「……ヨガるのはてめぇの方だろ、クソ総統」
「言ってくれるじゃねぇか」
短くなった煙草を取り上げ手近な灰皿にタン! と押し付ける。サンジは「んっ」と呻きを漏らし後の言葉を飲み込んだ。甘く温い「ご褒美」に細い腰はずくりと疼く。
――欲しい。早く、もっと……ゾロ。
「なぁ。俺がヨすぎたら、お前この国離れねぇ?」
深い口づけを交わす合間、唇の端からぽろりと零れる。それは冗談とも、本音ともつかぬ戯れのようなただの戯言。
「…………てめェしだいだな」
そのままデスクに押し付けられて重い体がひとつに重なる。銀のボタンがころりと転がり柔らかな絨毯にふわりと落ちる。
「……ずりィ」
ハッと短く吐いた息は獣の熱に染まっている。白い手袋を噛んで引き抜き重いコートをばさりと落とす。噛み付くように首筋を吸われ思わず小さく声が漏れる。
「っぅ、ぁ……ッ」
「声、聴かせろよ」
次はどのくらい、待てばいいのだろう。
薄らと霞むゾロの額に透明な雫が一筋流れる。余裕を失った表情にはただ、欲情の色がじわりと滲む。
「ッ、ゾロ……!」
行くな、とその一言を飲み込んで。
きっと明日はいつもの顔で平然と笑っていられるだろう。



「ロロノア総統、出港です!」
「ご武運を!」
左胸に拳を掲げ数百人の兵が見送る。大総統は右手を上げ、見守る兵士に笑みを零す。
『いってくる』
サンジはその最前列、一軍を率いて列を為す。左胸に掲げた拳は国への忠誠、総統への誓いだ。
『次がたぶん、俺の最後の戦争だから』
遠く小さくなる船を見送りサンジはしばらくその場に留まる。
「……大佐?」
「あぁ。すぐ行く」
そうしてくるりと踵を返し、もう二度と振り返ることはない。
青い空には雲が尾を引く。夏の終わりの夢を覚まして。




(完)

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