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たんぽぽの舞う、海に

それは、長い長い旅を終えて、いよいよ船を下りるというときだった。

「なぁゾロ、知ってるか?」

誰にも聴こえないような小さな声で、コックが剣士に語りかける。
キラキラと輝く目は、あの青い海のことを語るときの瞳と、まったく同じそれだった。

「――・・・いつか、行ってみたいよなぁ・・・っ!」

「・・・あぁ。」

ふたりを呼ぶ賑やかな歓声に、剣士の応えは、曖昧にかき消された。




あれから、10年。


あんなに密度の濃い毎日を過ごしていたことも、今となってはもはや、夢のなかのできごとのようだった。

ふたりの家から歩いて通える場所に、コックが自分の店を構えて、4年がたった。
それぞれの客の好みを瞬時に判断して、微妙な変化を加えるコックの腕前に、小さなその店はいつでも賑わっている。

時折、普通のお客に混じって、顔に傷のある男たちが居座ることがある。

 

一時代を築き、そして今ではもう見ることもなくなった、かつての海賊たちだろう。
そんなときコックは、古い記憶を手繰り寄せ、海の上で振舞った豪快な料理をテーブルに並べた。
どことなく牽制の雰囲気をまとっていた男たちは、その料理を見つめると、驚いたような表情を浮かべたあとで、静かにぽろぽろと涙を流す。
そんなとき、コックは静かに一礼を返して、ただただ柔和に微笑むのだった。



「サンジ、道場は明日から、休みにしてきた。」
「おぉ、ありがとうゾロ。弁当作ってやるから、楽しみに待ってな。最近忙しくて、簡単なもんしか食わせてなかったからな。」
「てめぇの料理は、なんでもうめぇよ。」
「はは、言ってくれるぜ。今日は早く寝ろよ。明日、早いんだからな。」
「あぁ。」

10年越しの約束を、果たしに行こうと提案したのは、剣士の方だった。

長く海にい過ぎたせいか、一味を離れてからは、船に乗ることもなくなっていた。
海に漕ぎ出すのも、10年ぶりだ。

あの、風が渦巻き炎の燃える海とは、似ても似つかない平和な航海だろう。

不安定に揺れる甲板のリズムや、はためく帆が風を受けて膨らむ様を思い出す。
物騒なドクロのマークもつけてやしないが、こっそりと、あのバンダナを忍ばせておくのも、いいかもしれない。


――・・・わぁ!!ゾロ、見てみろよ!


 

コックの嬉しそうな笑顔が、手の届くところでキラキラと輝くのが見える。

きっとあいつはまた、屈託なく笑って、先へ先へと駆け出していくのだろう。
子どものように手を振る姿が、剣士のまぶたの裏側に、色鮮やかに思い浮かぶ。



後ろで静かに微笑む剣士は、それを見て、堪らずぎゅうと抱きしめたくなるのだ。


愛しい人。


 

ずっと、俺のそばで、笑ってろ。




――・・・

 

「なぁゾロ、知ってるか?」

「んん?・・・あぁ、いや。」

「すげぇんだ、その島一面に、だぜ?」
「・・・へぇ。」
「海のど真ん中に浮かんでる島でよ、遠くから見たら、金色に輝いて見えるらしいんだ!」
「・・・なんで、たんぽぽなんだ?」
「え?」
「おまえ、・・・そんなにたんぽぽ、好きなのか?」

「・・・あぁ、」

そんなことか、という風に、にっこりと嬉しげに微笑んだコックは、あのキラキラした瞳で、剣士をまっすぐに、見つめ返す。

 


「金色の花びらと、緑の葉っぱだぜ?・・・まるで、俺たちみてぇじゃねぇか・・・っ!」





( Fin )

 

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