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双璧の碧

「いいかクソマリモ、余計な手ぇ出すんじゃねぇぞ。俺が7万、てめぇが3万だ。」
「ふん。こんな雑魚敵、てめェは1で十分だ。あとは俺がやる。」
「んなにをっ!」
いつもの悪態をふっかけようとした途端、敵の気配がじりりとにじり寄った。戦闘のはじまる直前、間合いを図る敵陣との睨み合いが、しばらく続いている。
怒りを餌に集めた敵の数は、優に10万人。いくら雑魚とはいえ、人数では圧倒的にこちらが不利である。さすがに口笛吹いてる余裕はねぇなと、サンジは四方を見渡して、再び戦場へと意識を絞った。
―魚人島。
悲しい過去に翻弄された、強く美しい人魚姫の住むこのまちで、いまにも、物騒な戦いが幕を開けようとしていた。
この素晴らしき人魚の楽園を、誰にだって壊させやしない。サンジは思わず鼻を押さえ、腹の底にぐうと力を込める。こんなところで、血なんかダラダラ垂らしている場合ではない。

背中合わせに戦闘態勢を取っているのは、未来の大剣豪、ロロノア・ゾロだ。サンジの煮えたぎる内情を知ってか知らずか、真後ろにそびえ立ちながらおもむろにニヤリと口角を歪める。見ずともわかる、その気配。背中合わせに、互いの温度が行き交っていた。
「んだよ、気持ち悪ぃなマリモ野郎。なに嬉しそうな顔してやがる。」
「あぁ。・・・嬉しいね。」
やっと、戦える。
耳に届くかどうかの音量で放たれた掠れた低音が、広場の真ん中で宙に吸い込まれる。キン、と刀を抜く金属音が、サンジの鼓膜をぶるりと震わせた。
2年。
離れ離れになっていたのはたったそれだけだったのに、あの頃のことが、もうずっとずっと遠い過去のことのように、ぼんやりと思い起こされた。


「付き合おうじゃねぇか、海賊王への航路。お前の船の『コック』、おれが引き受ける。」
大口をたたいて料理人として乗り込んだはずのこの船で、サンジは常に、戦闘の主力を担ってきた。
あるときは砂漠の国で、あるときは水の都で、またあるときは、司法の絶壁で。
胸のうちに渦巻く熱い怒りを、一気に外へ向かって爆発させることで、破壊的なエネルギーを瞬時に放つ。サンジのその戦い方は、確かに強力な攻撃力を持っていて、たいがいの敵ならば難なく、滅茶苦茶にぶっ飛ばすことができた。

若さ、といえば聞こえはいい。
しかしそれは同時に、サンジを巣食っていた甘さ、でもあった。

自身の不安定さからくるコントロールの甘さに、気づいていなかったわけではない。ましてや、己の力を過信していたわけでもなかった。けれど、どことなく漂っていた「なんとかなる」という上面の空気は、サンジの、というよりも、一味全員の、青臭い万能感が混じり合って生まれていた、傲慢さだったのかもしれない。

あの、シャボンのまちで。
たった一台のパシフィスタ相手に、一味は、手も足も出せなかった。


「ちゃんと強くなったんだろうな、クソマリモ。」
「はっ、てめぇこそ、女にばかりうつつ抜かしてやがったんじゃねぇだろうな。」
「・・・なんだ、嫉妬かよ。」
「っ、うっせぇ、欲求不満はてめぇだろうが。」
「んだと、」
「てめぇ覚悟してやがれエロコック。“コレ”終わったら、」

死ぬほど、抱いてやる。

『チっ、・・・野獣め。』
ぐるぐると渦巻く眉根を下げて、サンジはふうと煙を吐き出す。
あれは、どの夜のことだったのだろう。船を突然の夜襲が襲った直後だった。返り血を浴びた格好のまま強引に風呂場に連れ込まれたサンジは、酷くめちゃくちゃに、抱き潰されていた。
―戦いと、セックス、どっちがいい?
あまりの激しさに何度も意識を飛ばしながら、見上げた剣士に揺れるピアスが、やけに鮮明に焼きついている。

「どっちも、同じだ。」

そうか、と小さくつぶやいて、再び目を瞑る。
余りある熱、昇華できない昂奮の白濁を、サンジは何度も、その華奢な体で受け止めてきたのだった。


ひたすらに強くなることを願ったサンジに、「待った」をかけたのは、未だに信じられないが、他でもないあの、“男”たちであった。
「いい?サンジきゅん。強くなることが、弱さを打ちのめした先にあると思っているのなら、それは半分は正解だけれど、半分は、とんだ大間違いよ。」
真っ赤に塗られた口紅が、見るもおぞましい。愛らしいレディたちの、小さくて可愛いあの花びらを彩るのと同じものとは、思いたくもない。
「本物の強さとは、強力なパワーでも、無理矢理押し切る力でもないの。どれだけ己の弱さを、受け入れられるか・・・。ただその、一点よ。それは、料理も戦いも、一緒。」
そして、恋も、ね。
殺人ウィンクを全力でかわし、サンジは空へと舞い上がる。
「そんな、凶悪な表情のサンジきゅんも、素敵よ~!」
チっ、とわざとらしく舌打ちを打ってから、ふと、紺碧の空を見上げた。真っ白に笑う呑気な雲が、ぷかぷかと浮かんでは、流れていった。
『・・・弱さを、受け入れる?』
それまでには思ってもみなかった考えが、サンジの胸の奥にぐるぐると、不穏な渦を巻いていく。やけにクリアに響いたその言葉が、想像以上の厳しさを孕んでいたということに気づくのに、そう多くの時間はかからなかった。


「俺は、・・・強くなりさえすれば、なんでもできると、思ってたんだ。」
湧き上がる怒号、飛び交う罵声。埃っぽく土煙を上げた喧騒が、いよいよ戦いの火蓋を切って落とす。
崖の上から見守る観衆は、誰を信じればいいのかわからない様子で、声もなく息を飲んで、広場を見渡している。
「弱さを叩きのめして、心臓の皮をひたすらに厚くしていくことが、本当の強さだと思ってた。けど、」
短くなった咥え煙草から、はらりと灰の花びらが落ちる。あと一本、次の煙草に火を灯す時間は、あるだろうか。
「どんどん、弱くなっていくんだ。あいつらの言うとおりにすると。ちょっとのことで恐怖を感じるし、ひとりの夜には、心が揺れる。おかしいだろ?誰かと一緒にいたいだなんて、生まれて初めてあんなにも、人を恋しく思ったんだ。」
弱い自分になんか、気づかなけりゃよかった。
何百回も、何千回も繰り返したその後悔が、色褪せて擦り切れたまま、胸の奥に残っている。
強くなりたいと、願ったことで、弱さを知ってしまった。『自分は、なにもできない。』そう気づくのが怖くて、巧妙に、嘘をついていただけなのだ。―他でもない、自分自身に。
見守る観客たちは、戸惑いがちに互いの目線を泳がせている。敵か、味方か。そんなもの、・・・誰にも、わからねぇよ。
「でも結局は、そういうことだったんだ。月を見れば切なくなるし、仲間に会いたくて苦しくもなる。こっちが、本物の、俺だった。」
前から、ずっと。
だからこそ、揺れるのが怖くて、抑えていた。仲間が抜けたあのときも、傷ついた船を手放した、あのときも。涙すら流さなかったのは、強さではない。己の涙すら抱えることのできない、幼い強がり。冷静な姿を装って、慎重に避けた胸の痛み。
今ならわかる。
それらは紛れもなく、サンジ自身が押さえ込み続けてきた、“弱さ”だったということが。
「笑うか?剣豪。2年で気付いたことなんか、クソちっぽけだ。俺は別に、強ぇヤツなんかじゃ、なかったみてぇだぜ。」
自嘲とも取れる笑みを浮かべて、サンジがぷかりと煙をふかした。背中に伝わる体温が、ふわりとその温度をあげる。戦闘モード。これは正しく、こいつが昂奮したときの、合図だ。
変わってねぇなぁ。
「・・・いや。」
おもむろに口を開いた大剣豪は、ことのほか優しげに口元を緩めて、言葉を紡ぐ。

―わかるよ。


ザっ、と砂を蹴って、ふたりは同時に飛び出していく。
船長を、この一味を守るのは、俺「たち」の役目だ。決して完璧でない、穴だらけで、でこぼこだらけで、できないことばかりの、不完全な俺と、・・・不完全なあいつ。
「ゾロ!・・・戦いと、セックス、どっちがいい?!」
サンジが大声で、その名を叫ぶ。
ぎょ、っと一瞬固まった剣豪が、抗議の速さでぐるりとサンジの方を振り返る。そして、何かを言おうと口を開いてから、思い出したようにふっと、微笑んだように見えた。
まっすぐで、柔らかい、静かな瞳。
強くなったなと、サンジは思う。

「てめぇとやるなら、どっちも、同じだ。」

美しい天井が、広場の喧騒を映し出す。崖の上から歓声が落ちる。船長の頼もしい後ろ姿が見える。
そうか、とひとりつぶやいた声は、怒号のなかに消えていく。
ニヤリと口角をあげて飛び上がったサンジの碧い瞳は、きっと剣士と同じ、優しい色をたたえている。



( 完 )

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