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スノウ・ドロップ

※こちらは2014年ゾロサンオンリーで無料配布したコピー本になります。

  このときの新刊(「春に舞う、雪は」)の後に続くお話として、若干その世界を引き継いだお話になっています。

  本を読んでいなくても問題なく読めると思いますが、原作にない設定が見当たったらそれはオフ本の設定だと思っていただき、

  さらりと流していただけますと幸いに思います。

 

 

 

ひらひらと粉雪の降りる甲板。

サンジはぷかりと煙を吐いて夜空に大きく両手を伸ばす。

だだっ広い海のど真ん中。呑気なライオンから碇を下ろせばそこが今夜の寝床である。

「おいクソマリモ、んなとこで寝てっと雪だるまになんぞ」

「んあァ……」

氷に覆われた極寒の海を抜けてから、しばらく。

舞い上がる雪は船を包んでひやりと冷たい花びらを落としている。

 

 

 

今宵は恒例の宴だった。

雪崩込むように始まったメロディが、愉快に船を包んでいた。

夕刻のオレンジに夜の帳が落ちる。穏やかな海風は円を描き、サニーの脇腹を優しく撫ぜていた。

何かにつけて宴を開く、お祭り好きの一味だった。

それは大事な戦いの終わった後に、新しい仲間が増えた日に。

平凡な毎日こそが特別なんだと、まるで主張でもするかのように、騒ぐ口実を見つけてははしゃいだ。

離れていた二年の間に、互いに知らないことが増えた。

あえて聞くようなことは、誰もしなかった。何か大切なことがあったことくらい顔を見ればすぐにわかった。

あのまま毎日顔を突き合わせていれば、ここまでの成長はなかっただろう。会った瞬間に気付いてしまうほど、それは密度の濃い変化だった。

寂しい、などとは思わなかった。新しい世界には新しい自分が必要だったのだから。

だけれど。

こういうディティールの変わらなさに、時々酷くほっとするのだ。

 

 

船長の号令が甲板に響き、高らかな笑顔が乾杯に弾けた。

「サンジ! お前、飯喰ってっか?」

「おぉルフィ。珍しいじゃねェか、人の飯気にするなんてよ。喰ってんぜ、お言葉に甘えてな」

「遠慮すんなよ! サンジ!」

にししし、と無邪気に笑って力任せに背中を叩く。そんじゃあ遠慮なくと片手を伸ばせば、生唾を飲み込む音が届いた。サンジは黙ってそれを見つめ、なんだ欲しいんじゃねぇかと呆れて笑う。底なしの肉食怪獣はしばしの逡巡を経て、「今日はサンジの誕生日だからな!」と覚悟を決めたように目を瞑った。

 

赤、青、黄色。

所狭しと並んだ皿は零れる明かりで煌めいていた。目にも鮮やかなパーティ料理。香ばしい香りが鼻先をくすぐるメニューの数々は、紛れもなく自分が作った料理だった。

この船のコックは、サンジである。

自分の誕生日とはいえ、コックの腕が休まることはない。愛しのナミさんが「今日くらい休んだら……」と零すのを遮り、キッチンに立った。貴女の笑顔が見たいから、甘く囁くそんな睦言は半分が冗談で半分は本気だ。『誰かのために』、かつては縛られていた重い十字架も、今や柔らかな緊張感としてサンジの料理を彩っている。

 

 

宴は華やかに盛り上がった。

美しいレディたちが歌い踊り、取り巻く年少組はげらげらと転げ回る。気を抜くと注がれる酒を適当に交わしサンジは隅々まで目を行き渡らせた。

長年務めたコックの癖だった。

あっという間に片付く皿に、次から次へと給仕を続ける。最初こそ上がっていた「サンジも来いよ!」の掛け声も、料理が三巡目に入る頃にはすっかり忘れ去られているようだった。楽しげに届いた誘いは、美しいバイオリンのメロディに溶け、今やうっとりと漂っている。

 

 

 

「おいコック」

宴がいっそう熱を上げて、終盤の気配を見せ始める頃。ふいに甲板の端から声が上がった。見ればそこには、ひとりの男。

「なんだよマリモ。酒でも切れたか?」

大柄な態度で胡座を組む飲んだくれに、サンジはひょこひょこと足を向けた。

転がる一升瓶を目視で数える。

一、二、三……

『チっ、いつの間に五本も飲んでやがる』

サンジはあからさまに顔をしかめ、ふぅと一息煙を吐き出す。

「ったく、このアル中マリモ野郎。そろそろ酒はいい加減にしろよ。俺ぁマリモの酒蒸しなんざ、興味ねェぞ」

「そうじゃねェ」

ふざけて零した悪態の欠片が、ふわりと一瞬宙に浮かんだ。

『ん?』

サンジは出鼻をくじかれた格好で、一瞬ぴくりとこめかみを揺らす。

……どうやら今夜は、喧嘩モードではないらしい。

「じゃあなんだよ。俺ァ忙しいの。用事があんならさっさと言いやがれ」

「ここに居ろ」

ぴしゃりと放たれた鈍色の台詞が二秒遅れてサンジに届いた。

――今こいつ、なんつった?

「聞こえねェのか? ここに座れ」

唖然と固まるサンジをよそに、ゾロはポンポンと芝を叩く。

示されたのはゾロの隣、チラつき始めた雪が薄らと白いベールを落とすその場所だ。

「……寝呆けてんのか?」

サンジは怪訝な表情を作り、眉をしかめて首を傾げた。紫の煙が空に上り途中でふわりと軌道を変える。風が、少し吹いている。

「あァ? 誰も寝呆けちゃいねェよ、俺ァただ……」

ゾロは何かを言いかけて、最後はむにゃむにゃと言葉を濁した。

どうも歯切れが悪い。

いつにも増して不審な様子に、サンジはゆるりと腰を落とす。

覗き込んだ仏頂面。頬は微かに上気して、薄らと紅が挿している。瞳は潤んで微かに光り、据わった視線がサンジを捉えた。

『……コイツ』

サンジはひとつため息を落とし、気怠そうに腰を伸ばした。

ぐん、と伸びた視線のまま遠くの海をぼんやり眺める。

 

――酔っ払ってやがる。

 

「おいコック、もう気ぃすんだろ。あっちはいいからいい加減」

「あァもうクソ面倒くせェな、この酔いどれマリモが」

「あァ?! んだとてめェ、俺が酔うわけ」

「わァったわァった、後でつまみ作ってやっから。大人しくそこで酔い腐ってろ」

チっ、と放った舌打ちを不満げな視線がじろりと見返す。サンジはそれを見ないふりで、ひらりと手を振りキッチンへ向かった。

 

 

 

――妙なこともあるモンだ。

船員たちが三々五々散り始め、宴の終わりが曖昧に訪れていた。

愛しのレディたちにちやほやと世話を焼かれ、頬杖をついて皿洗いを見守っていたのはつい先刻までのこと。今やライオンは夜の闇に包まれて、オレンジの頭を雪に染めている。

「おい、いつまで寝てるつもりだ」

つまみの乗ったトレーを片手にげしげしと脇腹へ蹴りを入れる。マリモは「うぅん」と低く唸って、さらに小さく腹を丸めた。

 

至極珍しいことだった。

何せそこらの海賊ならば造作もなく返り討ちにしてしまうナミの、さらにその上を行く大酒豪である。胃袋の限界で「もう入らねェ」と零す姿は何度か見たことがあるものの――それだって非常に稀有なことだ――酒に酔っている姿など、この船に乗り合ってからただの一度だって見たことがない。

「てめェの芝生。雪、積もってんぞ」

相変わらずむにゃむにゃとよくわからない発声を繰り返すゾロの、阿呆らしい緑をチラリと見遣る。サンジはぐるりと周囲を見回すと、柔らかな甲板に腰を降ろした。

 

雪は静かに降り続いていた。

淡い雲が月を隠し海はぼんやりとした光に包まれている。

冷たい空気に当てられたのだろうか。空を見上げたサンジはふいに、「あの頃」のことを思い出していた。

 

 

自分の作った料理で、誰かが笑顔になる。

それは幼子が母親に泥だんごをプレゼントするのと、何ら変わらない無垢な想いだった。「誰かのため」、いつしかそれはサンジの生きる理由となり、死せる足枷となっていった。

『生きることを、愛されることを、怖がるな――』

いつの間にかしがらみ、身動きの取れなくなっていたサンジを果てない暗闇から救い出したのは、他でもないゾロだ。

自分のために何かを失った誰かの、夢や希望を罪悪感に代えて。

ひたすらに背負っていくことが自分の運命だと、疑うことなく生きていたサンジの、足元の全てを崩したのは。

 

 

「ひでェ男だ」

サンジはそう独りごちると、見上げた先に星を探す。僅かに熱を持つ白い頬に、天使の破片がふわり、堕ちる。春を待つ冷たい花びら。

額に溶ける、ひとひら、ふたひら。

 

「――おい、グル眉毛」

反射的に振り返れば、ゾロがもぞもぞと寝返りをうっているところだった。何やらもごもごと口を動かす様は、さながら大型の獣である。

サンジは思い切り眉根を寄せて、ゾロの阿呆面をぎろりと睨む。

『こいつ。寝言で悪態ついてやがる』

「この、ひよこ頭」

「あァ?!」

「鼻血野郎」

「んだとコラ!」

「エロコック」

「てめェのせいだろうが!!」

 

「愛してる」

 

うぐ、と喉を詰まらせて、サンジはじいとゾロを見遣る。

二人の頬を、風が撫ぜる。優しい音色は波間に消える。

サンジは静かに腰を丸め、額にそっとキスを堕とす。

「ゾロ……」

薄い影がひとつに重なる。

「てめェ――」

三連のピアスに吐息が触れて、ほんの微かに音を立てた。

 

……しゃらり。

 

「――起きてんだったらさっさとハウスに戻りやがれ!!!」

 

ぼう! と音を立てて舞った炎が夜の甲板を真っ赤に染めた。

 

 

 

寸でのところで避け切ったゾロは「チっ」と舌打ちを鳴らし、面倒臭そうに立ち上がった。

「なんだ、気付いてやがったか」

「ったりめェだアホマリモ!! なめてんじゃねェぞ!」

「ふん」

ゾロは悪びれる様子も見せず、欠伸をしながら苔頭を掻く。

「ったく目ェ放しゃあいつまでもごろごろと寝腐れやがって! ここに居ろだァ?! アホか! 俺はてめェのママンじゃねェんだよ! 命令される筋合いはねェ!!」

一気にそう捲くし立て、ふうふう荒い息を吐き出す。

「だいたいなに簡単に酔っ払ってんだ! マリモは酔わねェんじゃねェのかよ!」

――今日が何の日だと思ってやがる!

見ないふりした小さな本音が、喉の奥から零れ落ちる。

真っ赤な頬を隠すようにサンジはぷいと視線を逸らした。そうして鼻息の荒いままぐるりとキッチンへ踵を返す。

「……だからだろうが」

「は?」

次第に遠のく広い背中を、優しい低音が追いかけた。

「浮かれちまったんだよ」

ぴたり、サンジの足が止まる。

「俺にとっても大切な日なんだ、今日は。……てめェが生まれて来なけりゃ、知らなかった」

――こんな、幸せなんか。

浮かれて当然だろ? と声が聴こえる。

サンジは絶対に、振り返らない。

 

 

 

「――さっきの」

「あ?」

心臓が、駆け足で鼓動を繰り返していた。

寒空の下だというのに、なぜだか頬が熱い。

俺、おかしくなっちまったのかもしれねェな。

サンジは思って自嘲を零す。

まぁ、おかしいのは、コイツも一緒か。

「あれは、もっかい、聴いてやってもいい」

「は?」

「ほらマリモ、言ってみろよ」

「なんのこと、……」

真っ赤に染まったサンジの耳を見て、ゾロがはっと顔を上げる。

ふたりの間を静寂が流れる。

空から落ちる、無数の花びら。

それはまるで、祝福のように。

 

「ちゃんと、おねだり出来たらな――」

ニヤリ、と口端を歪めながら、未来の剣豪が足を踏み出す。

 

 

波の音に薄紅が滲み、季節は穏やかに緩み始める。

寒い冬は風を暖め、今か今かと春を待ちわびる。

美しい、桜の雪が舞い落ちる。

明日はきっと、晴れるだろう。

 

 

「なぁ。サンジ」

 

それは、雪の落ちる音より囁かに。

 

 

 

――愛してる。

 

 

 

 

 

To be continued…

 

 

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