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PARADE

 カラカラカラ、パタン……――

 背後で薄いガラス戸の滑る音がした。夜はまだ浅く、家路へと急ぐひとびとを運ぶ電車が訳知り顔でとおり過ぎていく。

 線路を挟んで向こう側、チェーンの本屋や小さな商業施設の並んだあたりには、赤や黄色のネオンがチラチラと揺れていた。こうしてアパートの三階から見てみると、まるで祭りの装飾のようだった。見慣れた明かりの安っぽい祝福。等間隔で続く街灯が平凡な夜を味気なく彩っている。

 「酒、買い足しに行くんだと」

 聴きなれた低音が鼓膜を揺らして、サンジは短く息を吐いた。

 大学からもっとも近いアパートは、仲間たちのたまり場になる理由としては十分だった。

 大して綺麗でも広いわけでもない、トイレと風呂が一緒になった安い部屋。確かに片付いていることは多かったから、サンジとしても断る理由がなかった。いつも誰かがやってきては、適当に時間をつぶして帰っていく。

 そうして安酒を持ち寄って集まれば、なんということもない酒盛りがはじまる。ちかくのスーパーで惣菜とお菓子を雑多に買い込んで、明日には思い出せない話題で朝方までだらだら話し込むのだ。机に散らばるチョコレートの小さな包み紙と、開けっぱなされたさきいかの袋。誰も食わねぇなら買うなよ。ため息をつきながらあいた缶をつぶすのは、だいたいサンジの役割だった。

 平日も休日も関係ない。金はないのに時間ばかりあまる。

 バイトと遊びに生き生きと動いて、授業中にはこんこんと眠る。

 まるで夜行性の動物みたいだった。

 「ナミさんは?」

 「ルフィと一緒に行った。そこでウソップが伸びてる」

 ふーん。サンジは気のない返事をして、咥え煙草を深く吸い込んだ。わずかに湿ったなまぬるい風が、酒でほてった頬を撫ぜていく。

 ゾロは片手にビールを持ったままベランダの手すりに背中から寄りかかった。「あ~」と意味のない声をあげて、ぼんやりと空をみあげている。星は見えない。

 「暑ィな」

 「雨降るつってんのに降らねぇな」

 サンジは左手で頬杖をついて煙草を上下に揺らして遊ぶ。煙がゆらゆらと風に溶ける。視線だけで振り返ると確かにウソップは眠り込んでいるようだった。足元に落ちた白い灰をサンダルのつま先で蹴る。じゃり、と砂を踏む音がする。いまがいったい何曜日で、あしたの予定はなんだっけ。

 「夏がくるな、もうすぐ」

 わかりきったことを呟いて、ゾロはぐびりとビールを流し込んだ。そうして片手で適当につぶした缶を、ぼうぼうと音をたてる室外機の上に「コン」と乗せる。ひとりでいるときはつけない冷房を今日は特別に解禁してやった。人数が多いと蒸し暑くなるのだ。バイトしてるからって金があるわけじゃないのに、空調代くらいは感謝しやがれ。

 「なんだ、海にでも行くか?」

 「知らねぇ。まぁ行くんじゃねぇか、あいつらが」

 そう言って、薄いガラス戸の向こう、ベッドにもたれて眠るウソップを面倒くさそうにあごでしゃくる。なにかと言えば海だドライブだと、遠くに行きたがるのはヒマな証拠だった。

 大学になって知り合った奴らは、たいてい頭が軽そうに見えた。盛り上がっていれば楽しかったし、それ以外の顔は知らなかった。みなへらへらと笑いながら、大事な部分は曖昧に誤魔化す。

 おれだけは違う。そういう孤独にまみれた傲慢さを、悟られないように慎重に隠す。

 本当は酒なんかどっちでもよかった。つまみの味だって覚えてない。ただ時が流れていく罪悪感を、誰かと共有するのは悪くないだけ。

 「煙草」

 「あ?」

 「一本くれ」

 「……へぇ」

 めずらしい。

 サンジは隠れている左眉をちょっとだけあげて、それからふっ……と頬を緩めた。ゾロはこうやって飲んだときだけ、思い出したように煙草を吸うことがあった。なにか口寂しい気持ちになるのだろう。それにはサンジも覚えがある。

 ごそごそとジーンズのポケットを探って、潰れかけた箱を乱暴に取り出す。そのまま投げて渡してやると「悪ィな」とちっとも悪びれてない風に返事がかえった。サンジはひらりと片手をあげる。別にいいぜ。一本返せよな、そのうち。

 「火ィくれ」

 手すりにもたれて下の道路を見下ろしていたサンジに、ゾロがぶっきらぼうに声をかけた。あぁ、そうだった。サンジは思いついたように胸のポケットをごそごそと探って、あれ? と小さく首をかしげる。えーと、ライターどこやったっけ。さっきつけたのは部屋ん中だったか……。

 「いや、これでいい」

 なに――と言おうとした言葉が喉の奥に引っかかる。

 ゾロの咥え煙草に火がうつるのを、五センチの距離で見つめる瞳。

 ゾロのまぶたがゆっくり閉じる。まつげの先がかすかに揺れる。

 なまぬるい風が通り抜けて、煙がひとつに絡まってのぼる。

 離れるオレンジ。

 星は見えない。

 「……どうも」

 ゾロはちっとも感謝してない風に言葉を吐いて、つぶれた空き缶に灰を落とした。

 整列した街灯のパレード。通り過ぎる電車の音。ネオンに溶けるなまぬるい風。

 ふたりぶんの熱がベランダにわだかまる。

 夏はもうそこまで来ている。

 

 

 

(完)

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