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「半年間の駐在、お疲れさまでした!」
かんぱーい!
カチン、とグラスのぶつかり合う音が響きワッと華やかな笑顔が開いた。
街の外れの馴染みの小料理屋。会社から歩いて5分ほどのそこはメンバーたちのお気に入りだ。真っ赤な嘘くさい提灯に、いつからあるのだろうすすけた暖簾。母国の味が楽しめるとあってサンジも足繁く通っていた。
「いやあそれにしても、半年ってあっという間っすね」
「サンジさんいなくなると思うと、寂しいっすよ」
「いやいや。それもこれもみなさんのお力添えがあってこそで」
「まったまたァ謙遜しちゃって! さ、飲みましょ飲みましょ! 今日は俺たちどーんと奢りますよ!」
はは、と笑ってジョッキを持ち上げるとやんややんやと声が上がる。次々に机を賑わすショウユで作られた雑多な料理。懐かしい、学生時代の頃に使い古した合いの手でサンジはごくりと喉を潤した。

サンジがこの国にやって来たのはきっかり半年前の春のことだった。
ちょうど流行りのインフレで自国の労働対価が急上昇し、安くて質の良い労働力を求めて企業が次々と海外に進出していた頃だ。
話はとんとん拍子に進んでいった。地元を出てひとりしがない都会生活を送っていたサンジに障壁となるものは何もなかった。
しいて言うならば言葉の壁が気にはなったが、会社は自国の企業が寄せ集まったラボのような場所に間借りするらしい。それならばと二つ返事でその話を受けたサンジは、たったひと月後には乾いた空の上を飛んでいたのだった。

「サンジ、お前この半年でずいぶん黒くなったんじゃねェか?」
「まぁ毎日毎日、あんなお天道さんにジリジリ炙られ続けりゃねぇ」
こちらの国では私服での勤務がほとんどだ。もともとあまり水準の高くない、それでいて素直で地味な民族がここの国のベースである。IT系ともなればそのラフさはなおのこと。自国から駆け付けたウソップは空港を出た途端鼻の頭を汗で濡らし、会社に着く僅か10分の間に着込んだジャケットをバックにしまい込んでいた。
「で、どうなんだよ、アッチの方はよ」
海外で気が大きくなっているのだろう、自国ではどこかびくびくとしていた同僚が肩を組んでサンジにすり寄ってくる。楽しそうに声を上げるたび酒臭い温い息が頬にかかって気持ちが悪い。
「おいウソップ飲み過ぎ。こっちの酒は度数高いから気ィつけろよ」
「あぁ? いいだろたまには。こうしてはるばる遠い国から同僚の門出を祝いに来てんだからよォ。な、お前もそう思うだろ?」
ウソップはだらしなく愛好を崩しながら斜め前の男に声をかけた。
男はさっきから声も上げずひとり淡々と透明な酒を喉の奥へと流し込んでいた。どうも元来は無口なクチらしい。チビチビと酒をすすりながらといってその場に不満があるわけでもないようで、周囲の喧騒を背景に聴きつつただ「旨そうに」酒を飲んでいる。

いつもつるんでいるメンバーは別々の企業からの寄せ集めだった。クラウド形式の海外ファンド。ビルには新規事業主やベンチャー企業が軒を連ね、ガラス張りのオープンな雰囲気を醸し出している。
海を越えた一体感からか互いの距離は急速に近くなった。休日もウェイクだバーベキューだとまるで学生のように遊びまわる。共に国を出たもの同士、寂しい心をレディに慰められようと連れだって夜の街に繰り出すこともあった。
そんななかゾロは珍しく自社に勤めるスタッフだった。サンジの勤務する人材会社はもともと5名の常駐社員によって2年ほど細々と海外人材派遣を続けていた。日本での人材の高騰に合わせいよいよ海外人材の重要さが増して来たため、IT技術を持ち込みながら運営を立て直す、というのがサンジが今回依頼された仕事である。
現場についたとき、一瞬サンジを既視感が襲った。初めて来る場所で既視もおかしいだろうと、そのちょっと懐かしいような感覚の正体が知りたくてサンジは思わず目を凝らした。
「あ。お前!」
「……よう」
久しぶりだな。
2年ぶりに合う「同僚」は相変わらずの仏頂面だった。サンジは「げ」と眉をしかめあからさまに不機嫌を作る。
その男、ロロノア・ゾロは、サンジも参加していたインターンシップで力量を買われ、当時青田刈りに鼻息を荒くしていた自社のトップから直々に入社をお願いされていた男だった。
インターンなど何百と学生が参加するなかでなぜサンジがゾロだけを覚えていたのかといえば、ゾロが最後にペアを組んだのが他でもないサンジだったからである。
『ちぇっ、ヤな奴がいたな』
バタバタと準備をしたものだから現地のスタッフは上司の名前しか確認していなかった。後から聞けば同期より3か月ほど早く入社して春には外に出ていたらしいゾロは、新卒研修やその後の仕事で一緒になることもなかったのだ。
だから、すっかり忘れていた。
緑の頭もムカつく顔も、あの夜ふたりで大ゲンカしながら作り上げた『恋人探し』のプログラムのことも……

「ほらぁお子ちゃまじゃねぇんだから、いろいろ経験してんだろ? 外国のお姉さまに、手ほどきなんて受けてんじゃねェだろうなぁ!」
チラ、と寄せられる温い視線に一瞬剣呑な光が灯った気がして、サンジは眉間にしわを寄せた。こっちに来て半年間、結局ゾロとはあまり会話をしていない。
あの夜。ホテルの一室に缶詰になってゾロとは延々喧嘩を繰り返した。『全国の“強ぇ奴”を集めたポータルサイトを作りたい』と言い張ったゾロを3時間かけて説得し、『可愛い子ちゃんの昼の顔と夜の顔のギャップが見たい』と詰め寄るサンジの意見はものの見事に一蹴された。最終的には『男女のマッチング』という世間的にも需要がありそうなウェブページに落ち着いたはいいものの、互いに譲れぬこだわりを真正面からぶつけて一晩中喧嘩をし合った。結局一睡もせぬまま駆け付けた会場でサンジのプレゼンテーションは喝采を浴び、その夏のインターンシップでふたりは優秀賞を手にしていた。
「なっ、ゾロ君も聞かせてくれよ~」
ウソップは微妙な空気にも気づかないままヘラヘラと相変わらず鼻下を伸ばす。わしわしとゾロの頭を撫でているところからも、相当酔いが回っていたのだと思う。
いつものウソップだったらどうだっただろう。後になってから、サンジはぼんやりと考えることがある。
――所謂こういうのを、後の祭りと言うのだろうけど。
「ようしわかった! 異国で鍛えたテクニックをここで披露してもらおうじゃねぇか!」
ハ?! と目を剥くサンジの瞳にワッと盛り上がるメンバーたちの姿が飛び込んだ。ウソップは別として他の奴らは大して酔ってもねぇくせに、こいつらときたらお祭り騒ぎが大好きなただのバカの集まりなのだ。
「いいぜいいぜ! いけいけ長鼻の兄ちゃん!」
「そうだそうだ! 今夜でサンジの美貌も見納めなんだ!」
ギャハハハっと湧き上がる会場にウソップは調子に乗ったらしい。立ち上がって陶器の皿を叩きながら妙な口上まで垂れやがった。
「おほん! えぇ、それではこれより、サンジ君とゾロ君のご結婚を祝して……誓いのキスを!」
おおおぉぉ!
盛り上がる仲間たちをよそに、サンジの腹底はヒヤリと冷える一方である。何が楽しくて男とキスなど、そのうえ相手がゾロだって?
クソてめぇ後で覚えてろよと肩をひっ捕まえてくぎを刺しかけたその時だった。
「――逃げるのか」
低く響いたその声がサンジの鼓膜をぶるりと震わせた。え、と振り返ったその先、狭い机を挟んだ向こう側から射殺すような視線が届いた。
今、……なんだって?
「できねぇのか、っつってんだ」
ガタリ、と立ち上がるゾロの様子にその場はいっきに色めきだった。キース、キースと囃したてる声はもはや酔っ払いの模倣回答である。
「……なんだとてめェ」
「“あの時”となんも変わってねぇ。臆病者だなてめぇは」
「あぁ?!」
ぐりぐりとデコを突き合わせて小競り合いになった。
あの時、というのが何を指すのかサンジはそれを瞬時に悟った。
あの、互いの本気がぶつかり合った、夏の夜。

「キスでもするか」
最初にふっかけたのは、たぶんサンジの方だった。
「…………は?」
「いや、だから、俺たちが喧嘩やめる方法探してんだろうが。もう時間もねぇし、今からお互いのことを深く知るなんてのは効率が悪ィ。手っ取り早くキスでもすりゃあ、情でも芽生えるんじゃねぇか、なんつってな」
ハハッと笑ったサンジの寝そべるベッドがふいにギシリと音を立てた。え、と思う間も置かずゾロの真顔が頭上に現れる。
「……なっ、なんだよ」
「するんじゃねぇのかよ」
キス。
そう言ったゾロの顔が暗い明かりを覆い隠す。いきなりのことに身動きが取れずサンジは瞬きを繰り返した。
ふわりと瞑られたまぶたの動きがやけに鮮明に脳裏に焼き付く。すっ……と落ちるゾロの影。ふたりの体はゆっくりと重なり……
「…………ッ、バカ野郎! 野郎とキスなんかしてたまるか!!!」
ドゴン! と物騒な音を立ててゾロの体が宙を舞った。隣のベッドにぼふんと落ちてしばらく腹を押さえうずくまっている。
「ア、アホッ、今のァものの例えだろうが! ほ、ホントにキ、キスなんてしねぇよバカっ!」
いそいそとベッドから降りたサンジはノートパソコンの前に座りなおす。この際ゾロの言ってた通り今のところまで実装できたシステムを使って完成させよう。こっちの数字が走ったらこっちも走らせて、ついでにランダムで表示を変えたらいい。そうだな、本当は美しくないけど多少のスパゲティは許してもらおう。どうしても出るこっちのエラーは仕様でなんとか押し通そう。うん、そうだ、そうだ。大丈夫、出来上がる。これはただのインターンなんだから……
「ほらクソ緑! 仕事すんぞ!」
カタカタとキーボードを弾きながら後ろの男に声をかける。それから先、カーテンの隙間から眩しい朝陽が差し込むまで、ふたりが喧嘩をすることは一度もなかった。

「結局そうやって俺から逃げてるのはてめェじゃねぇか。こっち来てからだって全然目を合わせようともしねぇ。それじゃ意識されてるのが丸ワカリだ」
「はァ?! てめぇのことなんざこれっぽっちも意識してねぇよ! 俺は可愛いレディが好きなの! てめぇみてぇなクソ野郎のことなんざ、今すぐ俺の人生のデータから削除してやりてぇぐらいだよ!」
「ふーん。……削除できて、ねぇんだな」
「なっ、」
に、と出しかけた声が思わず喉の奥に詰まる。シャツの襟を引っ掴まれていきなりぐいと体がよろめいた。ひゅう! と上がるふざけた口笛。首に触れた指が熱い。
「目ェ瞑っとけ。一瞬で終わる」
「……俺が、黙って、……キスされると、思うな、よ」
「ッ」
ぶちゅううぅと口付けた自分の唇をサンジは「ぷはっ」と思い切り離した。ごしごしとおしぼりで口を拭いてごくごくと金色の酒を煽る。
不味い。
「うおおおぉ! サンジさんとゾロさんのキスシーン!」
「おいおいサンジやるなァ! 今の、誰か写真撮ったか?! それファイスブックに上げ、」
「ヤメロ」
上げたらぶっ殺す、と既に射殺しそうな勢いで睨み上げ、縮み上がったウソップの耳を引っ掴んで駆け込んだトイレで30分。
戻って来たウソップ真っ青な頬と、サンジの冷たく白い肌が美しいコントラストを描いていたとか、そうでないとか。



「……で、なんでこいつが同じ飛行機にいるんだよ!」
キィィンと翼を広げたジェットエンジンの音が一面の青に軽やかに響く。
雨季の空を突き抜ければあとは真っ青な晴天がひたすら遠く続いていた。
自国まで、約6時間の空の旅。
「だっ、だってよう、昨日はゾロがお前を連れて帰っちまったから……」
「そうじゃねェよ! 伝えるタイミングはいつだってあっただろうが! つうか今回のてめぇの仕事のメインはこっちじゃねェのかよ!」
「そ、そんな、怒らなくっても、ねホラ、サンジ君笑って笑っいてててててはっ、鼻は、鼻はやめてっ」
目の端に涙を溜めながらウソップが必死で懇願を繰り返す。その隣、いつもの仏頂面でガーガーといびきをかいているのは他でもない、ゾロである。
「クッソ、こいつのムカつく顔ともようやくオサラバできると思ったのに、よりによって同室勤務かよ……!」
「ま、まぁそんなこと言わずさ、ほら、昨日だって仲良くキ……」
何かを言おうとした口は、キツネだったかな、キツツキだったかなぁと慌てて違う単語をまくし立てた。サンジの冷たい頬を見ればそれが賢明な判断である。

「俺も一緒に空港へ行く」
眩しい朝陽に目を細めればバスローブ一枚をさらりと羽織ったゾロと目が合った。あっそ、好きにしろ……と眠い目をこすったサンジは、10秒後に飛び起きてベッドボードにしたたかに頭を打ち付けた。
「ッつぅ、……」
――俺、なんで……全裸?
「てめェのデータが消えていても、俺にはデータが残ってる」
「……ちょ、っと待て、なんの話、」
「悪ィが転送はしてやれねぇ。その代り何遍だって上書きしてやるから安心しろ」
「は、おいどういうことだ、それと俺の全裸とは関係ある、」
「同室勤務が決まったらしい」
何気ない風に吐き出された台詞にサンジの頭は完全にフリーズした。そうしてぽかんとした気持ちのままなぜだかゾロの引っ越しの手伝いをするハメになったのだった。

「でも助かったぜ、サンジが手伝いに行ってくれてよ。ゾロから聞いたんだろ? 俺完全に寝坊しちゃって、危なく上司に怒鳴られるところだったぜ」
「あんなに飲んでるからだろうが……」
はぁ、と大きくため息をついて窓の外に目を向ける。抜けるような青空がずっとまっすぐ続く場所。
「あ、そういやお前とゾロ、インターンのとき一緒のペアだったんだろ? こないだうちの先輩から聞いてよ。サンジもウチに引っ張られたらしいじゃねぇか。なんで普通に就活して入って来てんだよ」
「……昔の話だよ」
眼下に渦巻く白い雲が美しい造形を描いている。ふーんと興味なさそうに返事をしてウソップは手元の仕事に意識を戻した。
その頃から技術の差は歴然だった。同じスタートに立っても到底かなう相手ではない。
――だったらいっそ、あいつを後ろから追い越してやりたかった、などと。
「ようやく、隣かよ」
ふう、と小さくため息を吐いてサンジはゆっくりまぶたを下ろす。このままあと3時間と少しで俺の新しい生活が始まるのだ。
「忘れてねぇのはてめぇも同じじゃねぇか……」
暖かなブランケットを肩までかぶりすうと浅い眠りに落ちる。ふたつ隣からぐうぐうと響くいびきのリズムが通奏低音のように鼓膜を振るわせる。サンジはじんじん痛む妙な場所に知らないふりして頬を緩める。
これからが俺の、――俺たちの、新しい船出。
「覚えてろよ、クソマリモ」
無意識についた悪態を最後にサンジの記憶はぷつりと切れた。
だからそのあとゾロがふん、と鼻で笑ったのをサンジは知らない。
ただ間に挟まれたウソップはそんなふたりのやり取りをどこか腑に落ちない様子で戦々恐々と見守っていたという。




(完)

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