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この世に、生まれたことに

「なあぁ、ゾロぉ~?」

「・・・あぁ?」

「なあってばぁ、おい~」

「・・・うっせェな、んだよさっきから・・!」

「いいじゃねぇかよぉ~、愛しのサンジくんが、特別に甘えてやってんだぜぇ~?」

「・・寄んな、酒臭ぇ。」

「あぁ~?つれねぇなぁ・・・。未来の大剣豪様が、男のひとりも抱けねぇってかぁ?」

「ばっ、・・!ッてめェはもう寝やがれ、この酔いどれクソコック!!」

 

甲板には、涼やかな風が流れ込んでいる。

月明かりは優しく水面に揺れ、穏やかに繰り返す波音が、静かに静かに船を包む。

 

船上の宴は、終盤に差し掛かっているようだった。

 

床に転がる皿には露の一滴見当たらず、盃に残った透明の液体が、月を浮かべて揺れている。

あちらこちらから零れ落ちる、満足そうなため息の音。

船員たちはみな、ぱんぱんに膨れたお腹をさすりながら、思い思いの場所でごろりと幸せに寝転がっていた。

 

 

「なぁ?」

「・・・」

「な~あぁ~?」

「・・・っ、」

「なぁって、もう、聞けよゾロぉぉ~っ」

「んァあもう!!うぜぇなてめェ!!酒弱ぇくせにガバガバ飲んでんじゃねぇよアホが!!」

 

べたべたと擦り寄るコックをぐいと押しのけ、剣士が大声を張り上げる。

その頬は、心なしかほんのりと、紅く色づいている。

サンジは、そんな剣士の様子も全く意に返さずに、「つまんねぇの。」と口を尖らせた。

 

 

 

今夜のコックが、いつもと違った、ということではない。

 

次々と料理を運びながらルフィのつまみ食いを阻止し、ウソップのバカ話にげんこつを食らわせる。舌打ちをしながら剣士ににぎり飯を届けたかと思うと、何やらクルクルと妙な舞を踊り出す。

見飽きるほどに見慣れた、いつもの光景である。

 

いつもと違ったことといえば、ナミがやたらと上機嫌だった、ということくらいだろうか。

 

 

今宵は、一味恒例の、誕生日パーティだった。

 

 

麦わらの船では、仲間の生まれたその日を、全員で盛大に祝うのが習わしである。

プレゼントを渡すもの、歌を歌うもの、普段は言えない感謝の気持ちを述べるもの・・・

お祝いの表現はそれぞれだったが、相手のことを大切に想う気持ちは、全員が同じだった。

 

お誕生日会では、サンジはいつも特別な料理を振舞った。

次から次に表れる料理は、どれも美味しそうに艶々と光って、それがまたいちいち、格別にうまい。

しかも今夜は、なんといっても、コック溺愛の航海士が主役である。

これでもかと豪勢に盛られた、やたらと目を引く美しい料理が運ばれるたび、甲板からは賑やかな歓声があがった。

 

俺のときは、なんだっけ・・・?

 

ゾロはチラリと甲板を見遣りながら、秋の宴を思い出す。

しばしの逡巡ののちに、はたと、緑色の丸いマリモケーキに思い当たった。

記憶の片隅から掘り起こされたその光景に、剣士は一瞬むっと顔をしかめる。

そして、そういえばその後で、「極上に甘いデザート」を、たっぷり一晩味わい尽くしたのだということを重ねて思い出し、思わずにやりと口元を緩めた。

 

「おいクソ剣士!なに気持ち悪ぃ顔してやがる!」

 

ゾロの破顔を目ざとく見つけたサンジが、急に声をあげる。

 

「あぁ?うるせぇエロコック。女に料理運ぶたびに、いちいち鼻の下伸ばしてんじゃねぇ。」

「んだとクソマリモ!今日はナミすゎんがこの世に生まれてくださった、世界で一番大切な日だろうが!」

「てめぇそれ、ロビンの時にも言ってやがったぜ。」

「いちばんが、いくつもあって何が悪ぃ!!」

 

悪態をつく口調とは裏腹に、コックの表情は嬉しそうに輝いている。

 

 

生まれてきてくれたことを、出会えたことを。

お互いがお互いにとって、大切な存在であるということを。

 

誕生日の人もそうでない人も、共に心から感謝し合う、今夜は最高に特別で、最高に幸福なひとときだ。

 

 

 

「んのクソコック・・・、てめェは飲みすぎだ!」

「だって・・・、ナミすゎんがぁ・・・っ」

「だってじゃねぇよ!ガキか!だいたいてめェが、あのバカみてぇな酒豪のナミに勝てるわけ、」

「うるへぇ!俺は死んでも一生ナミさんについていくんだ!!」

「・・・死んだら無理だろが。」

「じゃあ死なねぇ!!」

 

アホか・・・

 

さっきからヘロヘロと顔を赤らめてまとわりつくコックを、ゾロは呆れたように見返し、ため息をついた。

 

 

もともと酒には、強くない。

いくら飲んでも底が知れないゾロや、女でありながら信じられないくらい酒をかっ喰らうナミからすれば、サンジのアルコール耐性は、ひよこのそれと変わりなかった。

 

それに、である。

普段のサンジなら、宴の途中で倒れてしまうことなど絶対にしないのだ。

どうやら酔いつぶれてしまう前に、うまい具合に酒の量を調整しているようで、料理人のプライドがどうのと宣うその要領のよさが、ゾロにとってはいささか気に食わないのだが、だからといって無理に酒を注ぐのもはばかられ、その余裕の横顔に小さく舌打ちをするのが、いつものことだった。

 

しかし今日は他でもない、サンジが心から愛してやまない航海士の誕生日である。

 

船を包むそこはかとない幸福の空気は、当のコックを、いつもより随分饒舌に酔わせていた。

やたらとハイペースで酒を流し込むコックを、ゾロは確かに、横目にした覚えがある。

ナミもよせばいいものを、今夜は少々調子に乗ったらしい。

 

「あら?サンジくん、私のお酒が飲めないってゆうの?」

「そんな!あなたのためなら例え火の中水の中!あぁ美しき、僕の天使サマ・・・!」

「ほーら、サンジくん。天使の言うこと、聞けるわよね?」

「あぁナミすゎん・・・!僕はもう、この幸福の中で死んでしまいたい!」

 

ケラケラと楽しそうに笑う航海士の隣で、ドサリと音を立てコックが崩れる。

お望み通りに潰されたコックは、それでもなお幸せそうに、ぐぅぐぅ寝息を立て始めた。

それに満足したのかナミは、今度はウソップの鼻をひっつかんで、アクアリウムに消えていったのだった。

 

 

アホだ・・・

 

目の前でふにゃふにゃと笑みを浮かべるコックを見遣って、ゾロはこれみよがしに、ため息をつく。

 

「あー、なんだよそれ~。さてはてめぇ、こいつ面倒くせぇとか思ってやがんな?」

「・・・さっきから言ってんだろ、ガキはさっさと寝ろ!」

「やーだぁーねぇーっ」

 

ヴィー!っと思い切り、口を横に引っ張る。

そのむかつくほどのガキくささに、ゾロは一瞬、心臓を掴まれ身悶える。

 

 

あぁクソ・・・!

 

カワイイことしてんじゃねぇよバカ野郎・・・っ!!

 

 

「・・・あのなぁ、クソコック・・・っ!」

「あぁはいはい、わかりましたよーだ、ったく、寝りゃいいんだろ寝りゃあ。」

 

剣士の心の内を知ってか知らずか、急にそう素直につぶやいたコックは、大げさにひとつため息をつくと、剣士のひざに頭を乗せて、そのままごろんと寝そべった。

 

「・・なっ!!、何しやがんだクソコック!!おい退けろ、暑苦しい!」

「いいじゃねぇか今さら。・・・照れんじゃねぇよ大剣豪。」

「照れてねぇ!!」

 

微かにかすれた低音が、剣士の焦りを滲ませる。

 

っ・・・だ、ダメだ、ここは甲板で、こいつは酔ってて、まだ近くには船員たちが、・・・

 

ぐるぐると逡巡する剣士の耳に、すぅすぅと規則的な吐息が聞こえてきた。

ぎょっとして見下ろすと、まるで赤ん坊がそうする様にぎゅうと体を丸めたサンジが、すやすやと気持ちよさそうに、寝息を立て始めたところだった。

 

親に守られた子猫のように、まるきり安心しきった横顔。

 

こいつ・・・人の気も知らねぇで・・・!

 

 

 

「ふふふ、飲みすぎね、コックさん。」

 

その声に顔を上げると、いつの間にかやって来ていた考古学者が、目の前で柔らかく微笑んで佇んでいた。

 

「あー・・・、動けねぇ。」

 

ぽりぽりと苔頭を掻きながら、わざわざそう口に出す。

努めて冷静に差し出したはずの声色には、どこか、言い訳じみた響きが残った。

――・・・別に、好き好んで、やってるわけじゃねぇからな・・・!

言外にそう、滲ませる。

 

「・・・ふふ、そうみたいね。」

 

取り繕う心の声と、さらにその奥の本心まで全て見透かしたかのように、女はにこにこと笑っている。

 

「今夜はそのまま、寝かせてあげたらどうかしら?」

「あぁ?ひでぇ話だ、何が嬉しくてこいつなんかと、一晩仲良く過ごさきゃなんねぇんだ。」

「あら、いいじゃない?」

 

意味ありげにうふふと笑って、幸せそうに丸まったサンジを見下ろす。

自分たちの何かを知られているようで、剣士の心は一瞬ぎくりと波立った。

 

「いつもは、何でもひとりでやってしまうから・・・、珍しいんじゃないかしら?そんなコックさん。」

 

相変わらず意味深に微笑んだ考古学者の、心底優しい声色に、ほんの少しだけ心配の色が浮かんでいた。

 

 

あぁ、そうか。

 

てめぇ、・・・愛されてるんだなぁ、コック。

 

 

 

優しい風が、ふたりをなぞる。

寄せては返す波の音が、夜半の船を、静かに彩る。

 

パタンと閉まった遠くの扉の音を聞きながら、剣士はふと、気持ちよさそうに眠りこけるコックの横顔を見つめた。

 

 

夜空のどんな星よりも、

美しく輝く金色の糸。

 

・・・綺麗だ。

 

 

こんなところでキスをしたら、照れ屋のコックは、怒るだろうか。

 

 

 

「・・・なぁ、」

 

今なら誰も、聞いてやしない。

 

届け、届け、こいつの耳に。こいつの、小さな心臓に。

 

 

 

俺にとってのいちばんは、・・・

 

 

 

 

――・・・出会ってくれて、ありがとう。サンジ。

 

 

 

 

( 完 ) 

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