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水濡れた晩夏

「・・・っは、・・ッ、」
薄ぼんやりとしたオレンジ色が、小さな窓から零れ落ちる。深い藍色をした海には、曖昧な月がぼうっと浮かび上がる。緩やかに船を撫ぜる波は穏やかに、真ん丸の輪郭をゆらゆらと揺らしていく。
「く・・っぁ、」
夜の甲板には、秋の風が舞い降りていた。昼間の熱気が嘘のように、ひんやりと湿った涼風が、誰もいない甲板を包み込んでいる。
航路は、もうすぐ、秋の島。
あの燃えるような日差しに毎日、悪態をついたのはつい最近のことなのに。今夜の夜空は随分と、遠くに来てしまったような気分にさせた。
「ん、ぁ・・・サン・・・っ」
白い粉がキラキラと舞う、次の美しい季節になれば、きっとまた、あの熱風を、心から恋しく思うのだろう。

――ガチャリ。
いきなり開けられた扉に、心臓が飛び出るような酷い顔で、ぎょっと固まった。この船の狙撃手は呼吸を荒げて、赤く上気した頬を途端青色に染め変える。僅かに湿った前髪が額に貼りついて、一滴の雫を床へと落とした。その片手は律儀にも、無防備に露わになった中心、チャックの下りたその場所に、熱い意味を含んだままきっちりと突っ込まれていた。
「う、あ、その、こ、これは、・・っ!」
何の言い訳もできないこの状況を、それでも何とか取り繕えないかと、ウソップは慌てて立ち上がった。と同時に、別の場所の立ち上がりを、思わぬ形でお披露目してしまう。焦って身を引いた拍子に、ガタリと音を立てて引かれた椅子に、したたか膝小僧をぶつけて身悶えた。

・・・情けない。

「ち、違うんだ、これはその、」
「あー・・・悪ぃ。」
扉を背に立ち尽くす金髪が、ウソップからそろりと視線を外した。
『ば、バレた・・・よな?』
今ここで何が起こっていたのか、誰がどう見ても一目瞭然のタイミングである。やたらに勘の鋭いこいつなら、尚のことだ。金髪はまさに、事情を瞬時に理解した素振りで頭を掻くと、罰が悪そうな様子でふわりと紫の煙を吐き出した。
「・・・す、すまんサンジ、その、ちょっと俺、・・・溜まってて・・・っ」
何を言ってるんだ、俺は!
なんとか格好良い口実はないものかと探した結果、結局口から零れたのは、紛れもないただの卑俗な事実であった。自分で発しておきながら、その生々しさに思わず、己の口を塞ぐ。
「い、いや、こんなとこ見せちまって、しかも変なことまで聞かせちまって、ホントごめ・・・」
「あぁ、いや。いい。気にすんな。よくあるこった。」
「へ?」
存外に冷静なサンジの口調に、ウソップは一瞬虚を突かれて固まった。仲間のこんな姿、見たくもないだろうに。優しさだか、冷たさなのかもわからない、いつも通りのサンジの態度に、ウソップはいささか不安すら覚え、チラリと上目にサンジを見上げる。
その視線をどう読み取ったのか、サンジはスタスタとウソップの元へと歩み寄った。逃げ腰で足を引いたウソップの背筋が、再びぎくりと凍りつく。
「んな、ビビんなよ。」
「だだ、だって、」
「レディの少ねぇ海の上じゃあ、ひとりの夜なんか幾らでもあることだ。そうだろ?」
「あ、・・・あぁ。」
「男ばかりの海賊船じゃあ、野郎同士で処理し合うってことだって、まぁ・・・よくある話だぜ。」
咥え煙草を余裕でふかし、ニヤリと口角を歪ませる。
いや、お前の場合は、処理じゃなくて本気だろう、と即座に野獣剣士を思い浮かべたウソップはしかし、それを今は、口にしない。こんな時に足技なんか繰り出されたら、生きていられる自信がなかった。
・・・それに。
「今日は、見張りか?」
「・・・そうです。」
「こんなところで、か。」
「・・・す、すみません。」
「ふん。じゃあ、・・・今起きてるのは、俺たちだけだな、長っ鼻。」
意味ありげに口元を歪めたサンジが、ふいにウソップの手を引いた。
そうだ、今は、・・・ふたりっきり。
ゾロには悪いと心底思いつつ、ドキドキと鼓動が早まるのを、ウソップは制止することができなかった。驚きだけではない、心臓の切ない、高鳴り。
「お、おいサンジ、どこ行くんだ、」
「食料庫。」
「はぁ?なんで、そんな」
「キッチンでは、だめだ。」
「だから、何がだよ!」
「やってやるよ。」
いきなり立ち止まったサンジの華奢な背に、ウソップは「ぶべっ」と顔を埋めた。
「い!・・・ってぇな!き、気ぃつけろっ。」
「ほら。」
すっと右手を差し伸べるサンジの横顔が、月明かりに照らされて陰影を深くする。とても綺麗だと、ウソップは思う。
「ひとりじゃあ、・・・寂しい夜も、あんだろ。今日は満月だ。こんな日くらい、」
甘えろや。
そう言って暗がりへと狙撃手を誘うサンジの掌は、やたらに熱く湿っている。



「サ、サンジ、ほんとに、・・・や、やんのか。」
「何ビビってんだ。さっきまで自分でやってたんだろ?」
「や、まぁ・・・そう、だけど、それとこれとは話が、んあっ・・・ッ!」
いきなり包まれた中心が、ふにゃふにゃと情けなく脈を打った。サンジの白く細い指先が、器用に兆しを探っている。いったん咆哮を収めたウソップの柔い肉塊は、熱い掌の中ですぐに立ち上がり、次の刺戟を待ちわび始める。
「おいクソ鼻、早ぇよ。・・・相当、溜まってんだな。」
「う、うるせ、あっ・・・んんッ」
反論を返そうと開いた口元から、思わず甘い嬌声が零れ落ちる。
――やべぇ、これは・・・想像以上に・・・
ウソップは無意識に目を瞑り、与えられる悦楽に身を沈めていく。ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、丁寧に丁寧に解される中心が、キリキリと音を立てるように硬化を強めた。
「ッ・・・う、く、・・・あ、・・・や、サン・・・っ」
「・・・いいかよ、ウソップ。」
「い、・・・ッ」
いい、と言いかけて、寸でのところで言葉を飲み込む。そんな恥ずかしい言葉、言えるはずもなかった。ふるふると首を振って、羞恥を堪える。その狙撃手の必死の抵抗を見遣って、サンジはふっと笑みを零したようだった。
てめえだけ、余裕かよ・・・ずりぃ。
「いつも、ひとりでやってんのか?」
「ん、あっ・・・ばか、んなこと、言え、っ・・・んああっ、」
「オカズは、誰だ?」
「え、あ、んっ・・・はぁ、言わ、ねぇよ、んッ・・・あ、」
「ナミさんか?ロビンちゃんか?それとも、町のかわいこちゃんか?」
次第に早さを増す熱い刺戟が、ウソップを高みへと導いていく。
サンジはニヤリと口角をあげながら、額に汗を滲ませていた。耳元にかかる吐息が微かに蜜を帯びた気がして、ウソップの心臓が切なく鼓動を打った。
手元のスピードを落とさないまま、サンジはそっと、脱いだズボンを遠くに押しやる。白い染みを作らないための、気遣いだろう。やたらに手慣れたその様子に、剣士の影がふわりと滲んだ。
――大切にしてんだな、・・・アイツのこと。
「も、・・・くぅ、サン・・・っ」
「声、我慢すんな。」
狭い部屋に低く響いたその声に、腰がずくんと跳ね上がる。だめだ、声なんか出しちまったら、・・・!
「ほら、・・・出してみろ。ここからじゃ、誰にも、聞こえねぇから。」
なんの実験結果だよ、サンジ・・・
「や、あァ、んんっ!あ、だ、だめだ、」
「いいから。声、・・・出せよ。今日聞いたことは、なしにしてやっから。好きなヤツの名前でもなんでも、叫んでいい。」
「あぁっ、んン、は、で・・出る・・・っ!ど、どこに出し、たら、ンあッ、」
「いいぜ、俺の手んなか。」
「で、でも、」
「ほら。今日くらい、」
・・・甘えさせろよ、ウソップ。
鼓膜を震わせる甘い声が、僅かに甘い吐息を含んだ。
少しでいい。ほんの少しでいいから。こいつも、興奮したり、したのだろうか。
ナミじゃねぇ、ロビンでもねぇ。俺が、見てんのは、
「あ、やべぇイ・・・く、サン・・・ジ、・・・サンジぃ・・・っ!」
――好きだ・・・
「ッあぁァ、んン・・・・・・っっッ!!」
「・・・っ、」
白く濁った欲情の熱は、どくどくと脈打ちながら、サンジの美しい掌をベタベタと汚していく。
コックの、プライド。愛しい人に触れる、暖かい指先。

キスさえも、しなかった。



ジャアジャアと流れる水音を、聞くともなくぼんやりと聞いている。ずいぶんと、念入りに洗っているようだ。それはそうだろう。ここしばらく、ひとりの時間を過ごしていなかったことも影響したのか、結構な量を受け止めさせた自覚があった。
きゅっと蛇口を閉める音がして、振り向いたサンジの表情は、いつもと寸分違わないそれである。
「・・・んな傷ついた顔、すんなよ。」
「へ?」
サンジがぷかりと煙を吐き出す。一瞬見つめ合った瞳の中に、胸の奥底に隠した何かを見透かされた気がして、心臓がいちど、ドキリと跳ねた。
「仕方ねぇだろ、俺は美女にはなれねぇからな。悪かったな、しがねぇ野郎でよ。」
「あ、・・・あぁ、なんだ、そういうことか。」
「あ?なんだ?」
「いや、なんでもねぇ。悪かねぇよ、ありがとう、」
・・・も、おかしいか。
さっきまでの自分を思い出して、ウソップはポリポリと頭を掻いた。改めて、恥ずかしさがこみ上げる。成り行きだったとは、いえ。
「後悔してんだろ?」
「いや、別にそういうんじゃ、」
「はは、わかるぜ。男相手に興奮すんのも、罰が悪ぃもんだよなぁ。」
屈託なく笑った表情に、愛しさの片鱗が零れ落ちる。きっとそれは、俺に向けられたものではないのだろう。
「なぁ、ウソップ。」
「あぁ?」
――・・・よかったぜ、てめぇの啼き顔も、なかなか。
ニヤリと意地悪く笑ったサンジの腹に、思い切りパンチを食らわせた。化け物じみたうちの三人衆のひとりだ。このくらいじゃあ、びくともしない。パンチを食らってもなお、さも楽しそうにくっくと笑うサンジを後に、ウソップは食料庫の扉に手をかける。見張り時間はあと、半分。


今夜のできごとを、最悪と言えばいいのか、最高と言えばいいのか。
物事の価値というのは、いつも曖昧だ。


「そんなこと、自分で決めろよ。」
男だろ?

ぎくりと振り返ったウソップに、ひらりと手を振る。優しく煙に包まれたサンジの表情は、はらりと落ちる金糸が隠して、深い影が落ちただけだった。



(完)

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