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満月の距離

いつからだろう。“彼”から目が、離せなくなったのは。

 

 

人を疑うことを知らぬ、まっすぐな目。

損得勘定のない、まっさらな野望。

必死に戦う姿はまるで、「自由」を体現しようとしているかのようだった。

 

・・・『俺とは、真逆だな・・・。』

そう思った時には、堕ちていた。

 

 

甲板でひとり、古ぼけた医学書のページに、目を落とす。

今夜は満月だ。

 

 

 

「おーいトラ男!そんなところで何やってんだー!サンジが夜食作ってくれるぞー!こっち来いよー!」

 

下の階で、この船の船長が、大手を振っている。ローはそれを、チラリと見遣る。

「あ!ルフィてめぇ、俺のサンドイッチ喰ったろ!」「これウソップのか?名前書いてなかったぞ」「書けるかアホ!」

相変わらず、落ち着きのない一味の声が響く。キッチンからは、甘い香りが立ち上っている。

 

外科医は小さくひとつ背伸びをすると、手元の古書をパタンと閉じた。

そのまま視線を海に移し、見るともなく海を眺める。満月が水面に反射して、船をキラキラと彩る。こんな夜も、あるんだな・・・

 

ため息をついて腰をあげるとふいに、月の光が陰を作った。不審に思って顔をあげる。

 

そこには麦わら屋が立っていた。何がそんなに嬉しいのか、にかにかと大口を開けて笑っている。

「・・・今しがた、“こっちへ来い”と、言わなかったか。」

「うん!だから、迎えに来たぞ!にしししし!」

 

思ってもみない言葉が投げかけられ、外科医はぱたりと固まった。

そんなローにはお構いなしに、ルフィは首をぐるりと巻きつけ、ローの顔を覗き込む。

「トラ男、なんか悩んでんのか?」

「いや、・・・考え事をしていただけだ。」

「またなんか考えてんのかー。おまえはいつもすげぇなー!」

 

にしししと、屈託なく笑う。

こいつ・・・、人の気も、知らないで。

 

「何考えてたんだ?」

「知る必要はない。」

「でも俺が知りてぇんだ!」

「お前には、・・・関係のないことだ。」

「いいじゃねぇかー。“同盟”だろ?」

唇をとがらせて、頬をふくらませる。子供のような無邪気さに、ふっと気持ちが緩みかける。

 

「てめぇの考える同盟と、俺の描く同盟は違って、・・・いやいい、なんでもねぇ。」

「なんだよー。じゃあどういうのが“同盟”なんだよー。」

「・・・顔が近い。」

「教えてくれるまで離れねぇ。」

「・・・。」

 

同盟、ねぇ・・・。

 

俺は馴れ合いが、一番嫌いだった。

相手と常に距離を保つ。利害の一致でこの世は動く。それが俺の、生き方だ。

「同盟」を組んだのも、そのためだった。

 

・・・はず、なのに。

 

距離を縮められないという関係が、これほどまでに自分の心を苦しめることになろうとは。

外科医にとってもこの感情は、想定外だった。

 

 

―・・・これ以上先に進むには、どうしたらいい・・・。

 

 

麦わら屋は首を元に戻し、真正面からローを見つめたまま動こうとしない。やけに神妙な面持ちで、次の言葉を待っている。

「そうだな・・・。」

観念した外科医は少しうつむき、小さくつぶやく。

「・・・どうやったらお前と、もっと“仲良く”できるかなと、考えていただけだ。」

 

「なんだ、そんなことか!簡単だ!だったらもっと、仲良くやろう!!」

 

無邪気な笑顔が飛び込んでくる。ローは不意をつかれ、思わず大きく声を荒げる。

 

「いやだから!お前がいう“仲良く”と、俺のいう“仲良く”は違っ、・・・ッ!!!!!」

 

 

麦わら帽子が、パサリと音を立てて床に落ちる。

 

外科医の言葉が、ルフィの熱い唇の温度で遮られる。

 

 

「・・・違わねぇ。こういうことだろ?・・・ロー。」

 

押し殺した低い囁きが、耳元で響く。

 

見開かれた外科医の瞳に、満月に照らされたルフィの眼光が、鋭く突き刺さる。

その眼差しのなかに、抑えきれない激しい欲情が、ちらりとかすめる。動けなかった。

 

 

 

どのくらいそうしていただろう。

抱きしめることも忘れてたたずむローから、船長の体がふと離れた。一度しゃがんで麦わら帽子を深々とかぶり直すと、まるで何事もなかったかのように、いつもの様子でスタスタとキッチンへ向かった。

 

「顔、赤ぇぞ!トラ男。」

 

 

カタ、という物音にびくりと振り返ると、一部始終を見届けた顔で、金髪コックが現れた。

右手におにぎりの入った皿を乗せている。

「ここ。置いとくぞ。皿は自分で片付けろよ。いらねぇなら喰うな。」

「お前、今・・・」

「あぁ?あぁ、まぁ、気にすんな。てめぇがあんまり切なそうな顔でボ~っとしてっから、わざわざアイツに呼びに行かせたんだ。ったくいつもいつも、“欲しそう”な顔でうちの船長見つめやがって。・・・んな目立つところでヤんじゃねぇぞ。」

「なッ・・・!」

あまりの衝撃に、外科医は再び固まった。この船・・・一体なんなんだ・・・?!

 

「俺らの教育の、賜物だな。」

「チッ!てめぇは黙ってろクソマリモ!!」

背中越しにひょいと現れた剣士の腹を本気で蹴り飛ばし、でかい喚き声とともにふたりの足音が遠ざかる。

 

「あぁ?!今なんつったエロマリモ!俺ひとりじゃ不満か!!てめぇは黙って俺を抱いてりゃいいんだよ!・・・な、なんだよそのカオ!っ・・ちょっと、やめっ、てめなにすん、・・あ・・・ッ!!」

 

 

唖然と立ち尽くす外科医を乗せ、船は一路、ドレスローザへと向かうのであった・・・。

 

 

 

 

(  完  ) 

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