たんぽぽの舞う、海に Since 2013
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満月の距離
いつからだろう。“彼”から目が、離せなくなったのは。
人を疑うことを知らぬ、まっすぐな目。
損得勘定のない、まっさらな野望。
必死に戦う姿はまるで、「自由」を体現しようとしているかのようだった。
・・・『俺とは、真逆だな・・・。』
そう思った時には、堕ちていた。
甲板でひとり、古ぼけた医学書のページに、目を落とす。
今夜は満月だ。
「おーいトラ男!そんなところで何やってんだー!サンジが夜食作ってくれるぞー!こっち来いよー!」
下の階で、この船の船長が、大手を振っている。ローはそれを、チラリと見遣る。
「あ!ルフィてめぇ、俺のサンドイッチ喰ったろ!」「これウソップのか?名前書いてなかったぞ」「書けるかアホ!」
相変わらず、落ち着きのない一味の声が響く。キッチンからは、甘い香りが立ち上っている。
外科医は小さくひとつ背伸びをすると、手元の古書をパタンと閉じた。
そのまま視線を海に移し、見るともなく海を眺める。満月が水面に反射して、船をキラキラと彩る。こんな夜も、あるんだな・・・
ため息をついて腰をあげるとふいに、月の光が陰を作った。不審に思って顔をあげる。
そこには麦わら屋が立っていた。何がそんなに嬉しいのか、にかにかと大口を開けて笑っている。
「・・・今しがた、“こっちへ来い”と、言わなかったか。」
「うん!だから、迎えに来たぞ!にしししし!」
思ってもみない言葉が投げかけられ、外科医はぱたりと固まった。
そんなローにはお構いなしに、ルフィは首をぐるりと巻きつけ、ローの顔を覗き込む。
「トラ男、なんか悩んでんのか?」
「いや、・・・考え事をしていただけだ。」
「またなんか考えてんのかー。おまえはいつもすげぇなー!」
にしししと、屈託なく笑う。
こいつ・・・、人の気も、知らないで。
「何考えてたんだ?」
「知る必要はない。」
「でも俺が知りてぇんだ!」
「お前には、・・・関係のないことだ。」
「いいじゃねぇかー。“同盟”だろ?」
唇をとがらせて、頬をふくらませる。子供のような無邪気さに、ふっと気持ちが緩みかける。
「てめぇの考える同盟と、俺の描く同盟は違って、・・・いやいい、なんでもねぇ。」
「なんだよー。じゃあどういうのが“同盟”なんだよー。」
「・・・顔が近い。」
「教えてくれるまで離れねぇ。」
「・・・。」
同盟、ねぇ・・・。
俺は馴れ合いが、一番嫌いだった。
相手と常に距離を保つ。利害の一致でこの世は動く。それが俺の、生き方だ。
「同盟」を組んだのも、そのためだった。
・・・はず、なのに。
距離を縮められないという関係が、これほどまでに自分の心を苦しめることになろうとは。
外科医にとってもこの感情は、想定外だった。
―・・・これ以上先に進むには、どうしたらいい・・・。
麦わら屋は首を元に戻し、真正面からローを見つめたまま動こうとしない。やけに神妙な面持ちで、次の言葉を待っている。
「そうだな・・・。」
観念した外科医は少しうつむき、小さくつぶやく。
「・・・どうやったらお前と、もっと“仲良く”できるかなと、考えていただけだ。」
「なんだ、そんなことか!簡単だ!だったらもっと、仲良くやろう!!」
無邪気な笑顔が飛び込んでくる。ローは不意をつかれ、思わず大きく声を荒げる。
「いやだから!お前がいう“仲良く”と、俺のいう“仲良く”は違っ、・・・ッ!!!!!」
麦わら帽子が、パサリと音を立てて床に落ちる。
外科医の言葉が、ルフィの熱い唇の温度で遮られる。
「・・・違わねぇ。こういうことだろ?・・・ロー。」
押し殺した低い囁きが、耳元で響く。
見開かれた外科医の瞳に、満月に照らされたルフィの眼光が、鋭く突き刺さる。
その眼差しのなかに、抑えきれない激しい欲情が、ちらりとかすめる。動けなかった。
どのくらいそうしていただろう。
抱きしめることも忘れてたたずむローから、船長の体がふと離れた。一度しゃがんで麦わら帽子を深々とかぶり直すと、まるで何事もなかったかのように、いつもの様子でスタスタとキッチンへ向かった。
「顔、赤ぇぞ!トラ男。」
カタ、という物音にびくりと振り返ると、一部始終を見届けた顔で、金髪コックが現れた。
右手におにぎりの入った皿を乗せている。
「ここ。置いとくぞ。皿は自分で片付けろよ。いらねぇなら喰うな。」
「お前、今・・・」
「あぁ?あぁ、まぁ、気にすんな。てめぇがあんまり切なそうな顔でボ~っとしてっから、わざわざアイツに呼びに行かせたんだ。ったくいつもいつも、“欲しそう”な顔でうちの船長見つめやがって。・・・んな目立つところでヤんじゃねぇぞ。」
「なッ・・・!」
あまりの衝撃に、外科医は再び固まった。この船・・・一体なんなんだ・・・?!
「俺らの教育の、賜物だな。」
「チッ!てめぇは黙ってろクソマリモ!!」
背中越しにひょいと現れた剣士の腹を本気で蹴り飛ばし、でかい喚き声とともにふたりの足音が遠ざかる。
「あぁ?!今なんつったエロマリモ!俺ひとりじゃ不満か!!てめぇは黙って俺を抱いてりゃいいんだよ!・・・な、なんだよそのカオ!っ・・ちょっと、やめっ、てめなにすん、・・あ・・・ッ!!」
唖然と立ち尽くす外科医を乗せ、船は一路、ドレスローザへと向かうのであった・・・。
( 完 )