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まなざしの向こう側

広く晴れ渡る空の色を、そのまま溶かし込んだかのような、真っ青な海。

たっぷりと膨らんだ白い雲が夏の季節を思わせ、大きく雄大にうねる波は、船を心地よく揺らしている。

 

 

太陽に祝福された甲板には、だらりとした眠気を誘う、気だるい空気が漂う。

その明るい広場はつい先程まで、船員たちの軽やかな笑い声に包まれていた。

 

麦わら海賊団恒例の、おやつの時間。

 

金色コックの作る絶品スイーツが、今日も船員たちのお腹と心を満たしている。

 

 

 

キッチンでは当のコックが、丁寧な手つきでコーヒーを淹れていた。

 

ゆっくりと時間をかけて挽かれたコーヒー豆の層を通って、コポコポとお湯が滴る。

ぽとりぽとりと落ちた焦げ茶色の液体が量を増すほどに、それはふわふわと芳ばしい香りを立てた。

 

 

夏のような、眩しい午後。

 

キッチンに差し込む日差しが、大木で作られた美しいテーブルの陰影を、色濃く映し出している。

 

 

「サンジぃ、喉渇いちまった。俺にもなんか飲ませろよう。」

 

小さな船医がドアをカチャリと開け、ひょっこり顔を出す。

コックはその姿を確認し、ニコッと優しく微笑むと、大きな冷蔵庫に顔をうずめた。

 

「そうだな、レモン風味の冷たい飲み物なんてどうだ?」

「いいな!うまそうだ!簡単なやつでいいぞ。ありがとうサンジ!」

「おぉ、ちっと待っとれや。」

 

パステルカラーのレモンをひとつ取り出したコックは、瑞々しい果汁をあたりに散らしながら、さくさくとナイフを進めていく。

新鮮な果物特有の、匂い立つ爽やかな酸味が、キッチンいっぱいに広がっていく。

“人”よりいくぶんか嗅覚の優れた船医は、くんくんと鼻奥までいっぱいに、その香りを吸い込む。

 

「いい匂いだなぁ~!夏みてぇだ。」

「そうだろ?こないだ島に寄ったときに、買っといたんだ。料理には、季節感も大事だからな。」

 

コックは、美しく切りそろえられたパステルイエローを丁寧にお皿に並べ、冷蔵庫の温度を少し下げてから、きんと冷やしはじめた。

その間に、多めの氷と柑橘系の果物、さらにいくつかの甘い調味料を、ジューサーで一気にひとまとめにする。

 

「ほらよ。コック特性のトロピカルジュースだ。レモンはあとから絞るといいぜ。味が変わってスッキリすっからよ。」

 

船医の心底嬉しそうな笑顔を横目に、コックはコーヒー作りの仕上げにかかる。

 

 

バニラのような甘い香りのする灰色の粉末を、ぱらぱらとほんの少しだけ、焦げ茶色の液体に溶かし込む。

こういうフレーバー系の隠し味は、分量が多くても少なくても、ただの邪魔になってしまうのだ。何気ない手つきで、しかし慎重に、その量を見極める。

 

コーヒーがほのかに、甘ったるく香りはじめる。

 

粗熱を十分に取ってからグラスに注ぎ入れると、カランと音を立てて、氷が身じろぎした

 

 

「ちょっとこれ、届けてくるわ。」

 

金色のコックは、なみなみと水面の揺れるグラスをトレーに乗せ、ひょいと器用に頭上に持ち上げると、甲板へ向けて歩を進める。

 

 

 

 

甲板では、ひとりの男が無心に剣を磨いているところだった。

 

緑アタマの剣士は、綿のついた細い棒や、ヤスリのような紙、いくつかの研磨剤を無造作に床に並べ、時折その刃をキラキラと陽の光に透かしている。

 

皮肉屋の剣士と負けず嫌いのコックは、いつでも罵り合ってばかりだったが、剣士の見せる剣術の腕は、コックも密かに認めるところだった。

 

動と静が組み合わされた剣技は、どんな攻撃を受けてもその頑強さを変えず、なおも立ち上がろうともがく敵の野心を、ことごとく粉々に打ち砕いてきた。

鋼鉄すらすっぱりと斬り裂くその剣使いだが、ただ力づくで振ればよいというわけではないのであろう。

 

「信念」を背負い、なにものの前でも怯まないその心意気に触れるたび、サンジの心はぞくりと掻き立てられる。

 

 

剣を磨く真剣な横顔は、野獣というよりも、職人のそれだ。

 

料理を生涯の生業とするコックにも、その鋭い感性は、よく理解ができた。

 

 

 

緑アタマの剣士は、コックにも気づかず、一心に刃を整えている。

少し離れたところからそれを見守るコックの、煙草を咥えた口元が、いつのまにかふわっと緩む。

 

 

あんな、脇目もふらずに。

・・・ありゃあまるで、子どもだな。

 

 

さきほど感じた「職人」という質実剛健な印象とは裏腹の、ずいぶんと幼いイメージが、甲板にどかりと胡座をかいた大柄な剣士に重なる。

しかし、何かを突き詰める者というのは、案外そういう具合なのかもしれなかった。

 

ずば抜けた強さと、子供じみたまっすぐさと。

 

そういえばコックの敬愛する師匠もまた、同じような資質を持ち合わせた、「強い」人だった。

 

 

 

 

「コーヒー、淹れたぞ。」

 

そう声をかけようと、甲板に踏み出したコックは軽やかに、息を吸い込んだ。

 

 

その刹那。

 

緑アタマの視線がふと、船の先端に向けられたことに、コックは気づく。

 

 

 

視線の先にあるのは、マスコットの上で気持ちよさそうに寝そべった、船長の姿だった。

 

警戒心のかけらもない様子で、大口を開けて昼寝を貪っている。

ふくらんだ腹は満腹の様相を表していたし、大きな鼻ちょうちんは器用に鼻先で膨らみを繰り返していた。

 

いつもどおりの、風景。

 

 

 

緑アタマに目を戻す。

 

剣士はそれを、見るともなくそっと見つめている。

 

 

そして、おそらく本人すら気づいていないくらいの、微かな甘さで。

わたあめのように、ふわりと、優しく微笑んだ。

 

ほころんだ目元には、友情とも、忠誠とも、愛情ともつかない特別な感情が、わずかながら確実に、滲んでいる。

 

 

サンジは思わず、ふいと目をそらす。

 

 

――・・・見てしまった。

 

 

頭にグラスを乗せたコックは、そのまま音も立てずに、キッチンに舞い戻った。

 

 

 

 

「サンジそれ、捨てるのか?」

 

ジャアジャアと流れる水音に、小さな船医の間の抜けた声が重なる。

コックはコーヒーを右手に持ったまま、無意味に流れ続ける透明な水を見つめている。

 

「飲まねぇなら、俺が飲むぞ。」

 

そう言った船医の屈託のない顔を見遣ったコックは、寂しそうに笑って、グラスを船医に手渡した。

 

「どうした?腹でも痛ぇのか?」

 

不思議そうに見上げる低い視線と、同じところまでしゃがみこんだコックは、わしわしとその柔らかい頭をなでてから、ふっと立ち上がる。

 

「・・・サンジ?」

 

 

 

「なぁチョッパー、俺、・・・病気、かなぁ・・・。」

 

 

 

ぽたりぽたりと滴り落ちる、塩気を含んだ水滴が、曇りなく磨かれた床に綺麗な水玉模様を描く。

時間が止まったキッチンのなかで、それは音もなく、ただただゆっくりと乾いていくのであった。

 

 

 

 

( 完 ) 

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