たんぽぽの舞う、海に Since 2013
* ゾロサン 中心、OP二次創作小説サイト。 たんぽぽの舞う海に、ようこそ *
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高架下の恋
「あぁ疲れた……」
ごろり、とベッドに伸しかかると、くぐもった低いうめき声が届いた。無遠慮に片足を乗せた腹が、サンジのかかとの形にへこむ。首筋に噛みつくようなキスをすると、男は「……帰ったのか」と呟いた。そしてなにごともなかったかのようにシーツにくるまって、再び寝息をたてはじめる。
真夜中、三時半。
ぬるい風に秋がにじんで、自転車ですすむ頬をさらりと撫でた。高速道路の高架下、昼間にはそこそこ車の往来がある帰り道は、夜にはがらんとした静寂をたたえている。
ときおり猛スピードで駆け抜けるトラックを横目に見ながら、サンジはふわり、と煙を吐いた。
ひとつ、またひとつ。
またたく星をぼんやりと数えながら、ゾロの眠るうちへと帰る。
夏の残り香が鼻先をかすめると、なぜだか心臓が「きゅっ」と鳴いた。
街はずれにある小さなナイトクラブ。
サンジは週末になるとそのステージに立った。
爆音で刻まれるビートのリズムと、光を散らすミラーボール。安いアルコールのにおいが鼻奥をついて、けほ、と乾いた咳がこぼれる。
「おはよう。悪ィ、電車が遅れてた。週末だってのにヤんなるな」
「アウ、サンジ。まぁあることだ、気にすんな。おまえの客もそろってんぜ」
黒いサングラスの下から、人のよさそうな顔がのぞく。ロッカールームのカギを手渡して、フランキーはポン、と肩をたたいた。ロボットのような体つきはクラブの警備にはもってこいだった。サンジがこの店に来た頃にはここにいたから、ずいぶん長く勤めているはずだ。
だいたいのことは知らなかった。それでも大して問題はない。
互いの素性も知らないまま、だらだらと付き合うのは悪くない。
「あと二十分でステージだとよ。今夜のDJがよろしく、つってたぜ」
「あぁ。あとで挨拶いく」
黒いタンクトップを脱ぎ捨てて、白いシャツを素肌に羽織る。天井に響くエイトビートが、ぬるい内臓を震わせる。
「ところでおめぇさん、まだアイツと住んでんのか?」
昨日の晩飯を聞くのと同じトーンで、なんでもないように台詞を吐く。フランキーはロッカールームの壁にもたれかかって、眠そうにあくびをかみ殺した。
「そうだよ。おかげで寝不足だよ、毎日セックスが激しくて」
「そこまで聞いてねェよ」
ハッ、と迷惑そうに息を吐いて、今度は隠さずあくびをこぼした。ステージの終わったダンサーたちが、興奮した面持ちでどやどやと部屋になだれ込んでくる。
「それがどうかしたか?」
「いや、野暮用だ」
フランキーはぽりぽりと頭をかいて、それからチラ、と視線を向ける。もの言いたげな視線が重なる。なんだよ、と笑って答える。
「いや。なんかおまえ、浮かねぇ顔してっからよ。ま、幸せならいんだ」
壁に預けていた体を「よいしょ」と起こし、肩をふって部屋を去る。
サンジは腕時計に目を落とし、ほんの少し迷ってから煙草に火をつけた。
「あれ、起きてたの」
朝方、玄関の扉をあけると珍しくキッチンに明かりが灯っていた。
サンジは靴を脱ぎながら、白熱球の向こうに目を凝らす。
「おかえり」
「……ただいま」
ゾロは目だけでこちらを見て、新聞のページをはらりとめくった。朝刊が届く時間だった。昨晩はすこし飲み過ぎて、店のソファで夜を明かしたのだ。よくあることだった。
「今日はなに?」
「つぎの舞台の打ち合わせ。遠方であるんだ」
開いていた新聞をぱさり、と閉じて、とんとん、と端を整える。この家に転がり込んできたときにはすでに、新聞が毎朝届いていた。それを「おやじくせェ」と笑ってやったら、ふ……と表情を崩して笑った。それで、ゾロにキスをした。
「場所はどこ?」
「東京」
へぇ! と声をあげる。それは単純にすごいことだと思った。
ゾロは仕事について多くを語らなかった。サンジがゾロについて知っていることと言えば、役者をやっていること、市内の劇場に出入りしていること、年に数回の遠征があること、くらい。だいたいひとつの仕事が終わると、次の仕事が待っていた。きっとそれなりに形になっているのだろう。誘われて初めて観に行った舞台で、ゾロはどきりとするほど鋭利な表情をしていた。
「すげぇ。ついに東京デビュー?」
「いや、今回は脚本を頼まれただけだ」
ずず、と音を立ててお茶をすすり、気持ちよさそうにあくびをする。気の抜けきったジャージのズボンと、洗いすぎて緩んだグレーのシャツ。一緒に住み始めてもう、二年。ゾロはなにも変わらない。おやじくせぇ、と笑いながら、その胸に顔をうずめるのが好きだった。
「あっちに一泊してくる。おまえ今日は寝てるだろ」
「うん。もうくたくた……」
タンクトップを脱ぎ捨てながら、大きなあくびをひとつこぼす。ぼふ、とベッドに身を任せ、ゾロの足音を聴きながら目を閉じた。変わることのない穏やかな日常。
「明日の朝には帰る」
ぽん、と頭の丸みを撫でて、薄い耳たぶにキスを落とす。離れるときの唇の音に、腰の奥が熱を持つ。
クローゼットを開け閉めする音を聴きながら、サンジはまどろみに落ちていった。
いつまで続くかわからない毎日の、不安定な足音は聴かないように。
次に目を覚ましたとき、部屋には誰もいなかった。サンジの眠るベッドには、遮光カーテンの隙間から太陽の光が落ちている。引き戸の向こうのキッチンには午後の陽が差し込んでいて、薄いまぶた越しにもわかるくらい、鮮やかな光に満ちていた。
「ん、んん……」
ごしごしと目をこすり、スマートフォンのボタンを探す。午後一時四十分。友人からのLINEが一件と、荷物預かりの留守電がひとつ。ゾロからのメッセージはない。
薄い布団をはねのけて、ベッドのなかで向きを変える。寝転がったまま返信をかえして、もう一度枕に顔をうずめる。泥のようにねむい。
「……起きるか」
まるで決意表明でもするように、枕に向かってもごもごと呟いた。ふあ、とあくびをこぼしながら、床に落ちたズボンのポケットを探る。潰れた煙草に火をつけて、重い煙を肺へと流す。ようやく地に足がつく。現実に思考がもどってくる。
シャワーを浴びたら買い物に出よう。日曜日は近所の肉屋で鶏肉の特売をやっているはずだ。バターとガラムマサラも買って、明日の昼はゾロと一緒にカレーを食べよう。なんたって一晩寝かせたカレーは、美味い。
そう決めるとすこしだけ心は浮き立って、吸いかけの煙草を灰皿につぶした。クローゼットに眠る新品のスニーカーを思い出して、勢いをつけてベッドから跳ね起きる。洗面所の鏡に映り込んだ顔には、昨晩のアルコールが染み込んでいた。
ちょうど特定の相手のいない時期だったのだと思う。ゾロとの出会いは曖昧だった。
見慣れない五、六人グループのひとりとしてやってきたゾロは、そのなかでもことさら地味に見えた。フロアの端に所在無げに立ち尽くし、ちびちびと酒を飲む男。
「あんたら、仕事仲間?」
脳みそに響くベース音が、音楽をガンガンまわしていた。気が狂うようなリズムの繰り返し。夜が深まるほどに体の境界線は溶けていく。曖昧で、憂鬱で、華やかで、焦がれるほどまぶしい。エアポケットみたいなこの場所を、サンジは心から愛している。
ゾロは到底こんな場所に通うタイプには見えなかった。にこりともしない表情は、真面目というよりいっそ不愛想だ。サンジは持っていたグラスに指を突っ込んで、混ざりきってないウィスキーをカラカラと混ぜる。ミラーボールがキラリと光って、ふたりの間をやみくもに照らす。
「あぁ。まぁ、仕事仲間みてぇなもんだ」
「へぇ。ここは初めてか?」
サンジはなるべくフラットな言葉を選んで、ゾロに向かって話しかけた。特別気にかけていたわけではない。むしろ一緒に来たほかの男について探りを入れたいくらいで、明日になれば話したことすら忘れてしまう、ゾロはそういうたぐいの人間に思えた。
「おれは初めてだ。メンバーのやつが来たことがあるらしい」
「ふーん、覚えてねぇなァ。あんたらなんの仕事してんだ」
「役者だ」
へぇ? と今度はわずかに目を見開いて、色のある相づちを返す。男はごくりと酒を流し込み、サンジのほうをチラリと見遣った。ドキリとするほど黒に濡れた瞳。
「市内の小劇場で舞台をやってる。今日はその打ち上げだ」
「そうなんだ。へぇ、すげぇな。役者のことはよく知らねぇけど、おれの仕事に近いものを感じる」
失礼かもしれねぇな、こんなこと。
そう言って笑ったサンジの言葉に、男はふっ……と表情を崩して答えた。愛おしいものでも見るような、柔らかな視線が静かにまじわる。
「よく、わかるよ」
そのたった二秒間で、あとのことは全て決まったようなものだった。
夕暮れの商店街をラフなサンダルでぶらぶら歩く。昼間に降り注いだ太陽の温度が、アスファルトにわだかまっている。両脇の店はどこも活気があって、日曜日の夕刻を彩っていた。頬を撫ぜる透明な空気に、揚げたてのコロッケの匂いが滲んでいる。
「よう、サンジ!」
ガラガラと引き戸の開く音に、威勢のいい声が乗っかった。サンジははたと立ち止まり、聞き慣れた声に振り返る。
「ウソップ」
「お、肉屋の特売か? さっさとしねぇと売り切れちまうぜ」
上機嫌に笑いながら、外に出したピンクののぼりを肩にかつぐ。一本、二本、三本、とたばねて店のなかにしまい込んだ。商店街にたたずむ老舗のクリーニング屋は、夕方には店を閉めてしまうのだ。
「今日は手羽が安いそうだ」
「もも肉が欲しいんだけど」
そりゃ残念だ!
さも残念そうにおどけてみせて、長い鼻をしゅん、と鳴らす。そして「あ、ちょっと待ってろ」と言い置いて、店の奥に引っ込んだ。
賑やかに行き交う人、人、人。夕陽に照らされる子どもの頬。手をつないで歩く親子の背中に、なぜだか鼻の奥がツンと冷える。
型にはまった「幸せ」が本当の幸せだなんて思っちゃない。だけどふと、切なくなる。
いつかは変わってしまうことを、おれたちはきっと知っている。
「――あったあった。ちょっと重いけど、持って帰れるか?」
バタバタと足音を立てながらウソップが奥から顔を出した。近所のスーパーのビニール袋に入った荷物を、カウンターの向こうからひょい、と寄越す。
「お客さんにもらったんだ。ひとりじゃ食べきれなくてよー」
「……スイカ?」
そうそう。ウソップは笑って、えーと、と付け加える。おまえまだアイツんとこに住んでんだろ?
「嬉しい。そういや今年、スイカ食ってねぇな」
「もう夏も終わるな。暑くて、にぎやかで、早かったなぁ」
今年の夏も。
そう言って、なかば強引にビニール袋を押し付ける。サンジは快く受け取ってから、また来る、と笑って片手を振った。
結局手羽も六本買って、甘酢に漬けて柔らかく煮込んだ。もも肉を使ったバターカレーが、コトコトと鍋蓋を持ち上げる。
お玉ですくって味見をしているときに、机の上に置いたスマートフォンがぶるぶると震えた。サンジは濡れた手でスマートフォンを手に取って、光る画面を右にスクロールする。
「もしもし」
『おれだ』
愛想のないいつもの声が、薄い鼓膜を震わせる。後ろ手コンビニの扉が開く音がして、ゴー、と車の走る音が重なった。
「ゾロ。お疲れさま。どうだった、打ち合わせ」
『あぁ、そっちは問題ねぇ』
そっか、とそつなく返事を返しながら、一瞬なにかが引っかかる。なんとなく胸騒ぎを覚えた気がして、火のついてない煙草を一本取り出す。コトコトと音を立てる銀の鍋。白いゆげがたちのぼる。
『別件でおまえに話がある』
サンジは電話ぐちで首を傾げ、ゾロの言葉に耳を向けた。いつもと変わらない音程と、いつもと変わらない優しい喉の震え。その声が、吐息が、熱情が、サンジの首筋を赤く染めていくのが好きだった。下腹にそっと口づけて、探るように見上げる瞳。濡れた眼球の奥底に眠る欲情に、サンジは何度だって喉をのけぞらせた。
それなのに。
『東京に出る』
「……え?」
耳に届いた言葉の意味を、はかりかねて言葉をなくす。東京に出る。それはどういう意味なのか。今、瞬時に浮かんだ選択肢の、そのなかでもっとも最悪なのは――
『こっちで事務所が決まった。完全に籍をこっちに移す』
そうだと思った。
言葉をなくしたサンジの代わりに、あたまのなかで声がする。聞き分けがいいのは昔からの癖だった。ふきこぼれる鍋の音を聴きながら、サンジはじっと目をつむる。
「……よかったね」
どうして、も。おれは? も。
胸に浮かぶ言葉たちは、つるつると心臓をすべっていく。
駄々をこねるみたいに泣きわめいたら、ゾロは振り向いてくれるのだろうか。
「帰ったら、一緒にカレー食べようか」
精いっぱいの愛の告白は、都会の雑踏にまぎれて、消えた。
―――――――
ガチャリ、と扉の開く音がして重い足音がキッチンを横切った。
戸棚にぶら下げたワイングラスがぶつかって、リン、と軽やかな音を立てる。
「寝てんのか」
聴き慣れた低音が降ってきて、サンジはわずかに息を詰める。部屋には朝の光が満ちていた。ゾロは革のバッグを床に置いて、ジャケットをその辺の床に投げる。シワになるからハンガーにかけろといつも注意してるのに。そして足音が近づいて、ベッドの前で立ち止まる。ゾロは何も言わないまま立ち尽くし、じっとこちらを見下ろしている。
「……起きてんだろ」
ごそごそとサンジを押しのけて、布団のなかにもぐり込んでくる。サンジはなるべく拒否するように、背中を強く押しのけた。靴下をはいた足の先が、冷たい右足にそっと触れる。
ゾロのにおい。
「なに泣いてんだ」
「泣いてねェ」
枕に顔をうずめるように、サンジはいやいやと首をふった。少ししめったゾロの体温がサンジを背中から包み込む。
「……嫌か」
「そうじゃねぇ」
「じゃあなんだ」
まっすぐな言葉だった。ゾロはいつもそう。サンジはぎゅ、と目を閉じる。そうやって真正面から、嘘のない言葉ばかり、いつだってありのまま目の前に差し出すのだ。それがどんなに難しいことで、特別なことかをサンジは知っている。知っているからこそ、ときどき怖くなる。ゾロといると自分ばかりが嘘つきになったように思う。
本心なんて、知りたくない。
「……なんでもねェよ」
「嘘つくな。なんでもねェこたねぇだろ」
「ほっとけよ」
「おまえ、おれが東京に」
「るせぇっつってんだろ!」
ガバッ、と布団を蹴り上げて、ゾロの体を押しのける。白シャツのボタンをふたつはずしたゾロが、隣でサンジを見つめている。吸い込む息がふるふると震えて、嗚咽のような息が漏れる。
あぁ、ちがう。
「……ゾロ」
こんなこと、言いたいんじゃない。
「セックスがしたい」
整わない息を吐き出しながら、震える声でそっと告げる。時計の秒針が時を刻む。高速道路を車が行き交う。
「――わかった」
覆いかぶさるゾロの唇は、わずかに乾いてすこしだけ、苦い。
「あっ……」
硬く立ち上がった中心をこすられて、サンジは上ずった声を漏らす。両足のひざを合わせるようにもぞもぞと動かすと、それを遮るように足を割り開かれる。
「はっ、あぁ」
二本の指でほぐされた場所にもう一度指が差し込まれる。ゾロの中心にあてがうように、ゆっくりと腰を落としていく。
「いっ、ん」
「痛ェか?」
サンジはふるふると首をふってゾロの腰を両手でつかむ。じゅぷ、と湿った水音が鳴いて、熱い塊が奥へと入り込んでくる。
「痛かったら、言え」
「きもち、い」
とぎれとぎれに息を吐いて、見下ろすゾロを必死でみあげる。
いつもよりほんの少し切羽詰まった表情に、サンジの下腹がきゅう、と鳴く。
「あっ、きもち、あぁ……きもちい、気持ちい、ゾロっ……」
半開きの口の端から、たらり、と透明な液体がこぼれていく。それは頬を伝った涙を巻き込んで、ベッドのシーツに染みを作る。
「動いて、動いてゾロ、もっと、もっと」
「ん……」
ほんの少しあごをあげて、サンジの言葉を優しく飲み込む。もっと乱暴でいい。もっと投げやりでいい。もっとめちゃくちゃにして欲しかった。
愛されてるなんて思いたくない。
どうせいつかは離れてしまうのだから。
腰はしだいに深く突き刺さり、サンジは白いのどをのけぞらせる。
「やっ、あぁっ、イく……!」
ヒュッ、と喉が細く鳴いて、下腹にぎゅうと熱が集まる。押し出されるように吐き出した白濁が、自身の腹をべたべたと濡らした。
大きく息を吸い込んで、それからそっと吐き出した。
上下する腹にまわされたてのひらは、いつもの温度に暖かい。
「なぁゾロ。結婚して」
ゾロに背を向けたまま、サンジがぽつり、と言葉を吐く。後ろの気配はほんの一瞬揺らいで、それから何ごともなかったのように静寂を取り戻す。
「答えは、ノーだ」
「……だと思った」
振り向こうとよじった体がそのまま後ろからと抱き込められた。ゾロの足がサンジの足のあいだに絡んで、またすこしだけ下腹部がじんと熱を持つ。
いつもそうだ。そうやって、必死なのはおればかり。ゾロはいつだって余裕な顔をして、おれのことは置いてきぼりで――
「またそうやって、勘違いすんなよ」
「え?」
めずらしい物言いに、サンジは思わず目を開いた。ゾロは「やっぱりか……」と呟いて、ため息ついでにぽりぽり頭をかく。
「あのな、自分だけが寂しいと思うなよ。自分勝手なんだよ、おまえ」
ぐしゃぐしゃとサンジの金糸を乱して、おのれの体重をサンジの背に預ける。心地よいゾロの重みと、柔らかな温度が背中を包む。
「寂しいに決まってんだろ……アホか」
はぁ、と思いきりため息をついて背中から強く抱きしめる。愛おしそうに金糸を撫でる右の手が、サンジの頬にそっと触れた。
ゾロの指を伝う、透明なしずく。
「自分ばっかり辛いみてぇな面しやがって」
「だってゾロ、東京行くって決めたのは」
「一緒に居るだめだろ」
きっぱりと言い切って、サンジの体を真正面に向けなおす。まっすぐに向けられた正直な視線が、サンジの瞳を直線にとらえる。
まっすぐ。まっすぐに。それはゾロの生きてきた道だ。
「おまえと、一生、一緒に居たい。だからプロポーズくらいおれにさせろ」
ふっ……と表情を崩して、人差し指で頬に触れる。透明なしずくはいくつもいくつも、ゾロの指に絡んで落ちる。
どうしようもない。もう、どうしようもないほど、ゾロのことを愛してる。
「おまえに惚れてる。一生ついて来い」
堪えきれずに漏れた嗚咽が、ゾロの胸に吸い込まれる。
朝日の落ちるキッチンに、カレーの香りがわだかまっている。
キーン……――
空を裂く甲高いエンジン音が、青いキャンバスに吸い込まれていった。乾いた冬空はからりと晴れて、薄雲を柔らかに散らしている。
「……よかったのかよ」
遠く空を見つめたまま突っ立つ背中に、心配そうな声が届いた。「さみィな」と両腕をこすりながら、中に入ろうとは言い出さない。
「あぁ、いいんだ」
「一緒に行こうって、言われなかったのか?」
「言われたよ」
「だったらなんで……」
サンジがそっと振り返ると、ウソップはいぶかしげに目を細めた。見送りなんかいかないと、さんざん言っていたはずなのに。本当に世話焼きなヤツだった。おれたちが付き合ってるって言ったとき、青くなって耳をふさいでたくせに。
「決めたんだ。自分のことくらい自分で決められねェと、本当に一緒にいることはできねぇ、って」
サンジは言って目をつむる。寂しいと、言ったゾロに、嘘をついてはいけないと思った。
なにより、自分自身にも。
――ちゃんと、ゾロを、愛したいから。
「まぁ……おまえらがいいんなら、いいんだろ。似た者どうしだもんな、おまえら」
「え?」
思ってもみなかった言葉に、サンジはきょとん、と首をかしげる。ウソップは「えっ?」と心底驚いて、それから深くため息をついた。遠く見あげる青空は、ゾロへと続く一本道。
「本気になるのが怖いのはゾロも一緒だろ。おまえと出会って、自分の弱さを知って、ようやく向き合う気になったんじゃねぇか? おまえのおかげだと思うぜ。ゾロがどう思ってっかは知らねぇけど」
は~、やだやだ。なんておれが分かってやんなきゃいけねぇんだ。
ウソップは文句をこぼしながら、白い息を空へと流す。揺れる煙は中空によどんで、ゆっくりと空気に溶けていった。
ぬるいコーヒーに角砂糖が溶けるように。ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて。それはまるでおれたちみたいだと、言葉に出さずにそっと思う。
「なぁ。それって、悪くねェかな」
サンジが笑って、煙が途切れて、太陽はキラキラと光を降らす。
ウソップの呆れ顔も、ゾロの声も、一緒くたにして季節はすぎる。
きっとすぐに春が来る。そしてすぐに夏が来る。絶望的な繰り返しだ。だけどそれこそが救いだと思った。
「さっ。さっさとクリーニング仕上げちまえよ、クソながっ鼻」
「へん、優しくしてりゃあ調子に乗りやがって」
鼻の下をこすりながら、ウソップが「ニッ」と笑って答える。飛行機が飛び立つ。空が湧きたつ。たくさんの人が手を振り別れる。
サンジは最後に煙を吸い込んで、冬の空へと吐き出して笑う。
次に会ったらなんて言おうか。
とろけるような、愛の言葉を。
(終)