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かもめの声

気の抜けた風の吹く、平凡な午後の陽気。
キラキラと日差しの揺れる甲板では、かもめが呑気に尾をふって、船長のご機嫌をひとり占めしている。

「おい、ルフィ!んなことやってねぇでしっかり前見張ってろ!」
「だってよぉサンジぃ、コイツ、すんげぇおんもしれぇんだ!」
船長の大声に、チョッパーの笑い声が混ざり合う。

ウソップは、さっきまで船長と真っ向から対峙していた、食料になるはずだったかもめの、怯えきった後ろ姿を思い出していた。
どうせ、あいつのことだ。
またくだらない気まぐれで、あの鳥を手懐けちまったに違いない。

甲高い鳴き声がこのキッチンにまで響き、甲板がいっそう、賑やかになる。

俺様は、このマシーンの完成に全力を注いで、だな・・・
「おーい!ウソップー!すんげぇおもしれぇぞー!出てこいよー!」

一瞬ガタリと椅子をひいたウソップは、ぐっと喉を鳴らして再びテーブルにつく。
今すぐ走り出したい気持ちを堪えて、手元の液体に視線をうつした。

今は、今はこの、化学反応を見守る方が、俺様にとっては大事な、

「おーいー!ウソップー!早く来いよー!」
「うっせぇクソゴム!鼻なんか呼ばずに、てめぇはさっさと見張りに戻れ!!」

ねぇ、ナ〜ミすわ〜ん!

くねくねと腰をくねらせる、サンジのアホ面が容易に目に浮かぶ。
・・・おい、てめぇもさっさと、仕事に戻れ。


ぶくぶくと紫色の煙を吐き出すビーカーに、ちょいっと真っ赤な液体を垂らせば、思った通りの酸っぱい香りが、キッチンいっぱいに広がっていった。
これぞ、最新型の虫除けスプレーだ。
次こそ、ひと花残らず俺様の、最強ポップグリーンに育て上げてやる。
ウソップ様の本気をなめんなよ、新世界の害虫どもめ。

ぶくぶく ぶくぶく

膨らみ続ける泡がいよいよ、ビーカーいっぱいに溢れ始めて、ウソップは慌ててフタを探す。




「けほっ、おいウソップ、・・・なんだ?この匂いは。」

ついさっきまで、ナミのご機嫌取りと船長のお守りにてんてこ舞いだったであろうサンジが、キッチンの扉からひょっこりと顔を出した。
ひとつ咳をするたびに、美しい金糸がはらはらと、散る。

その様子に一瞬目を奪われたウソップは、この部屋の主から送られる睨むような視線に気づいて、慌てて手元に零れた液体を拭き始めた。
テーブルに広がる、灰色の液体。
拭いても拭いてもまとわりつく、しつこい想いのようだ。


あれ、おかしいな。綺麗な薄紅色の液体が、できるはずだったのに。


残念ながら今回も、実験失敗である。

「てめぇこの野郎、キッチンで変な実験してんじゃねぇ。」

相変わらずけほけほと喉を震わせながら、サンジがつかつかとキッチンに入ってくる。
細い腰。華奢な顎のライン。

「いつも言ってんだろ。外でやれ、外で。」
「だってよ、ここなら水もあるし、材料も調達しやすいし、」
サンジもいるし。

最後のひとことを飲み込んだウソップは、ひと呼吸をおいてから、ぎょっと背中を堅くした。
後ろからひょいと、金髪の男が覗き込んでいる。
肩に置かれた両の手に、くっと柔らかな力がこもる。

「んだ?こりゃ。」
「あ、・・あぁ。これな、これは、俺様特製の、強力害虫スプレーだ。」

ドヤ顔で胸をはると、「でも失敗してんじゃねぇか。」と、苦笑いが降ってきた。
サンジが吐き出す笑い声に合わせて、煙の香りがふわりと漂う。
ったく、んな体に悪そうなもん、俺の聖域で作ってんじゃねぇよ、クソ鼻野郎。
そう悪態をつきながら、コポコポと丁寧にコーヒーを淹れる。

『相変わらず、甘ぇヤツ。』

香ばしくほろ苦いその香りは、透明な空気に溶けて、ふわふわと鼻先をくすぐっていく。




甘い焼き菓子の乗っていた、まっ白い皿にウソップがカチャリとスプーンを置いたのと、キッチンの扉がバタンとぶっきらぼうに開いたのは、ちょうど同じタイミングだった。

「おう、クソマリモ。光合成からのお目覚めかよ。」
「・・・酒。」

ふぅと煙が吐き出され、キッチンに一瞬の沈黙が訪れる。
サンジが本気で怒る、前兆である。

「・・・人がせっかく用意してやったデザートが、喰えねぇっつうのか!あぁ?!」
てめぇは、っとに何にもしねぇでぐぅぐぅ呑気に寝腐れやがって!何が酒だ、文句言わずにさっさとデザート喰いやがれクソマリモ!

いっきにそこまで罵り上げると、テーブルにひょいと、お皿が乗せられた。
なお、この場合ゾロは、文句も言ってなければ、喰わないとも言っていない。
そう。ただの、ひとことも。

ったく、こいつのツンデレはホント呆れるぜ。

・・・要するに、食べてほしいってことじゃねぇか。

ウソップの前方、手を伸ばせば届く距離に置かれたお皿には、ウソップに配られたのと同じクッキーが乗せられた。

「・・・うまい。」

サンジの罵倒をチラとも気にせず、そう言ってむしゃむしゃと頬張るゾロの様子に、サンジの後ろ姿が静かに重なる。
こっちをすぐに振り向かないのは、サンジが心底照れたときにやるそれだった。

きっと味は、コイツ用に調整してやったんだろうなぁ。

「・・・なぁゾロ、なんでいっつもあんなに血圧高ぇんだ?あいつ。」

さぁな。

ウソップの問いかけに、まるで興味のない生返事を返したゾロは、「ごちそうさん。」と呟くと、ガタリと椅子から立ち上がった。
その瞬間を計ったかのようなタイミングで、「おらよ。」と一升瓶が渡される。
つい今しがたまで、ジャアジャアと流し物をしていた気がするのだが。いつの間に、酒を用意したのだろう。

「これ、てめぇの好きなノースの酒だ。探すの苦労したんだ、大事に飲めよ。」
「おう。」

ぶっきらぼうに受け取ったゾロは、そのままくるりと踵を返して、太陽の下へと戻っていく。

「干からびんじゃねぇぞ、クソマリモ。」
「・・・コック、」

うまかった、ソレ。

にかっと笑った剣士の足音が、パタリと閉まった扉の向こうに消えていく。
真っ白な皿を持ったまま、その場に固まったサンジの口元から、灰がはらりと床に落ちた。
ジャアジャア流れる水の音だけが、ふたりのキッチンに響いている。

「・・・んだよ。マリモのくせに。」

おい、それ、罵りになってねぇぞ。

何かを誤摩化すかのように、ウソップは再びビーカーに液体を注ぐ。
集中、集中。
ここでこぼすと、また怒られるんだ、サンジに・・・

心の中でつぶやいた声が、サンジの耳に届くことはない。




夕方の太陽は、昼間のそれより少し寂しく、斜めに横顔をのぞかせている。
阿呆みたいにてらてらと輝く昼間の顔の裏側には、いつもこの顔が隠れている。

「・・・俺、おかしいかな、クソっ鼻。」
「あぁ?なんだよ急に。」

手元の作業を休めないまま、ウソップは耳を貸し出した。
サンジは隣の椅子に乗って、小さく膝を抱えている。
揺れる煙がゆらゆらと、ふたりを包んでは消えていく。

液体がうまくいかないのなら、次は「音」で勝負だ。
虫だけに聞こえる周波数で音を立てれば、自然と害虫は寄って来なくなり、

「なんでこんなに、・・・好きなんだろうな。」

そうしたら、より質の良いポップグリーンが生産されて、ウソップ様の素晴らしい戦いがより一層、

「あんな、ムカつくヤツなのにな。」

今だって、戦闘じゃあ頼りになる俺様なのに、もっと強くなっちまったら、

「どこがイイんだろ、あんなヤツ。」
「・・・知らねぇよ。」

だよな。

サンジは寂しそうに笑って、紫煙をふぅと宙に浮かべる。
俺はただひたすら、目の前のネジを、慎重に締めあげていく。


そんなに好きかよ。あいつのことが。


チラリと横目にサンジを見遣れば、はらりと落ちた金糸が一束、真っ赤な横顔を美しく彩っている。

「・・・変な鼻。」
「うるせぇ。」

片手でくしゃりと、髪の毛が掴まれる。
サンジのそれとは対象的に、ぐるぐると巻かれたドレッドヘアーが、ぐしゃりと堅い音を立てた。
なんの代償行為だ、そりゃ。

こっちを向かない照れ隠しは、狙撃手に向けられたものでは、ないのだろう。

「ありゃあ、勝てねぇよなぁ・・・」
「あぁ?」

「・・・なんでもねぇよ。」

んだよ、・・・ウソップのくせに。
すん、と鼻を鳴らして、再びちんまり縮こまる。

こんな無防備なこいつの姿、俺しか見てねぇ、はずだけどなぁ。


「おーい、サンジー!!」
「・・・今度はなんだ、船長。」

いきなりバタンと扉を開けて、ドカドカとルフィが走り込んでくる。
顔面いっぱいに笑顔を貼り付けて、無邪気にぴょんぴょん飛び跳ねている。

「昼間のかもめが、戻ってきたんだ!しかも仲間をたくさん連れてんだ!!飯をくれってよ!!」
「はぁ?!ただで飯なんかやるか、クソ鳥が!」
「いいじゃねぇかよサンジぃ!」
「ダメだ!てめぇの肉減らすぞクソゴム!」
「イヤだ!俺も肉を喰う!そんで“とりお”にも飯を出せ!これは船長命令だ!」
「アホか!」

そう言いながらも、きっちりと甲板に向かったあたり、きっとあいつは、飯を作るつもりだろう。

『っとに、・・・甘ぇヤツ。』

ウソップは、ギリギリとネジの締まった、手元の「何か」を見つめたまま、小さくひとりため息をつく。
これ、トーンダイアルと組み合わせたら、もっといいモノになるだろうか。それより、液体の噴霧を組み合わせようか、それとも、・・


ポタリ、と落ちた水滴はたぶん、汗だろう。


ほたり。

ぽたり。


「あぁ、ちくしょう。・・・塩分で錆びちまうじゃねぇか。」

ぽたり。

たったひとりのキッチンに、ウソップの声が、微かに震えて消えていく。


だってさっき、船長が入ってきたとき。
慌てて三角座りやめたんだぜ?あいつ。


・・・素直じゃねぇのは、俺の方か。


ごしごしと顔を拭って、きっぱり立ち上がった狙撃手は、大きく息を吸い込んでからキッチンの扉に手をかけた。
甲板に響く歓喜の声が、サンジの優しさを物語っている。


——・・・よし。大丈夫。いつも通りの、俺様だ。

「おいルフィー!鳥はどこだ!俺にも仲良くさせろ、こんちくしょーっ!!」

ウソップの声が高らかに響き渡ると、甲板の歓声はいっそう、大きく賑やかに華やいでいく。



( 完 )

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