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鍵穴の、秘め事





この船に乗り込んで、12日目。

Jは、底抜けに愉快で豪快で、それでいてどこか能天気な一味にさんざんもてなされ、残り僅かな船旅を名残惜しんでいた。

 

海賊に助けられたことは、Jにとっては想定外のできごとだった。

 

かつて、同属の人間たちの手によって親を失ったJは、ただっ広い大海原の中から助け出された当初、憎しみと飢餓の間で酷く揺れ動いた。

しかしそんな複雑な心情などお構いなしに、全力で愛を与えてくれたこの優しい海賊たちに、Jは少なからず、親しみを感じつつあったのだった。

 

 

 

 

長い廊下の途中、緩く閉じられた扉の隙間から、不規則な間隔を保って、抑えられたような音が漏れ聴こえてくる。

 

夜の海は凪いで、いつもに増して静かな夜である。

喉の渇きを覚えてキッチンへと向かったJは、その道すがらに耳にした不思議な響きに、思わずふと足を止めた。

 

「・・・っ、ん・・・・あ、っ・・・・」

 

それが、夜な夜な繰り返される情事の音色だということに気付くまでに、そんなに時間はかからなかった。

 

ぎょっとしたJはすぐに、その場を立ち去ろうと、回れ右をした。

もちろん、長く航海を続けている仲間たちだ。そういう関係の者がいることは、別段不思議なことではなかった。

Jとて、それなりにいろいろなことを経験してきた、大人の女性である。

今さらこういう場面に出くわしたところで、いちいち詮索したがるような、無粋な生き方はして来ていない。

 

飲み物は諦めて部屋に戻ろうと、一歩を踏み出したそのときだった。

その耳に、特別、甘い声が届いた。

 

「っ・・・も、・・・だ・・・っ、ゾロ・・・っ!」

 

その声は紛れもなく、この船のジェントルコック、サンジのものだった。

 

 

 

 

もうだめかと、何度も思った。

海から引き上げられたその日、助かったと喜びがあふれ出したのもつかの間、乗り込んだ船が海賊船であるということに、Jの心は大きなショックを受けていた。

 

顔に傷のある、横暴で巨大な男たちに、引きずられるように両親が連れて行かれるその後姿を、Jはこれまで1日たりとも、忘れたことはない。

 

 

海賊は、怖い。海賊は、悪い。海賊は、憎い。

 

 

そうやって、警戒に全身を硬くしていたJに、優しく微笑んで暖かいスープを出してくれたのが、サンジだった。

 

後から思えば、ただの女好きだったのだろう。

しかし、緊張で体中を硬直させて震えていたJにとって、その笑顔とあたたかいスープは、生きる希望であり、命そのものだった。

 

それ以来Jは、なんとなく目の端で、金色の髪の毛を追いかけるようになっていた。

恋、と呼べるほど確かなものではない。

一目で恋に堕ちられるほど、瑞々しい恋愛はして来なかったし、叶わぬ想いを抱えていられるほど、強い女でもなかった。

 

それに。

誰かを愛して傷つくのは、もう、嫌だったのだ。

僅か半月ほどで、この船は、去ることになるのだから。

 

だけど、ほんの少しだけ・・・。

 

あの暖かい眼差しを抱いて眠る日があることを、Jはひとり、自分に許した。

 

 

 

 

名前もつかない淡い想いが、Jの胸の中でドクリと脈打つ。

先ほどから零れ落ちるため息は、間違いなく、あの、サンジのものだった。

 

でも今、誰の名前・・・?

 

Jは、固まったように、その場を動けない。

 

「だ、・・・・っもう、・・ゾロ・・・っ、やべぇ、・・イく・・・・っ!」

 

いっそう甘く響いた矯正が、サンジが頂点に達したことを明示した。

途切れ途切れに聴こえてくるのはやはり、あの仏頂面の、剣士の名前だ。

 

間違いない。

 

顔を合わせるたびいがみ合うふたりが、その実深いところで強く結ばれていることに、Jはこの船に乗り込んですぐ、気づいていた。

それにしても、まさか、こういうことだったとは・・・。

 

 

 

「おい、誰がいる。」

 

部屋から響いた低い声に、Jはぎくりと凍りついた。

音を立てた覚えもないのに、それはまるで、こちら側を全て見透かしているかのような声だった。

 

耳元で心臓が、ドクドクと煩く鳴っている。

 

「おいマリモ、この気配はレディだろ。んな怖ぇ声出してんじゃねぇよ。」

「うっせぇ。覗きたぁ悪趣味だ。」

「ばっか、だからっててめぇ、そんな威嚇してちゃ出て来れるわけねぇだろうが。・・・かわいいかわいい子猫ちゃん、入っておいで?俺たちも、謝りたいんだ。」

「んで謝んだよ。」

「てめぇなぁ・・・、いくらオトナのレディとはいえ、野郎がヤってんだぜ?聞きたかねぇだろ、こんなもん。」

「知らん、勝手に盗み聞きしてたのは向こうじゃねぇか。」

「はいはい、っせぇな・・・。・・入ってこれない?・・・Jちゃん?」

 

不意に呼ばれた自分の名前に、心臓がドクンと飛び跳ねた。

 

気付かれている。

 

意図的にではないにしろ、立ち聞きをしてしまったことは、事実である。

謝らないといけないのは、自分の方だ。

だけど・・・

 

予期しなかった事態に動揺を隠せず、しばらくその場で逡巡していたJは、かといってその場から立ち去ることもできず、ついには観念して、扉の中へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

「・・・ふん、盗み聞きたぁ、いい度胸だな。」

「おいマリモ!やめろその言い方。仕方ねぇじゃねぇか、たまたまだろ。なぁ、Jちゃん?」

 

首を大きく縦にふる。

 

目の前では、着流しの肩を半分落として目をぎらつかせる剣士が、薄い毛布にくるまったサンジを、後ろからしっかり抱きすくめている。

汗と僅かな体液のにおいが、空気に溶けて欲情を滲ませていた。

 

「どうだか。・・・てめぇあれだろ、コックの声に欲情してんだろ?」

「ばか野郎!!んでそんな言い方しかできねぇんだてめぇは!」

「いいだろ、Jだって、まんざらでもなさそうじゃねぇか。」

「あほかてめぇ!!ちょっと邪魔されたからって、子どもみてぇに喚くんじゃねぇよ!」

「てめぇこそ、覗かれて興奮しやがって。・・・気付いてたんだろ?」

「・・・っ!!ばっ、・・ち、違ぇよクソマリモ!!」

 

サンジが身をよじって、座ったままで足技を繰り出す。

それをひょいと避けた剣士は、ぎろりとこちらに、視線を寄越した。

 

「どっちでもいいがな、J。俺は今、途中なんだ。説明するのも、面倒臭ぇ。てめぇなら、見て、わかんだろ?謝りてぇなら、手ぇ貸せ。・・・ちょっと鍵閉めろ。」

 

言われるがままに、重い内鍵をがちゃりと落とす。

 

「よし。できるじゃねぇかJ。」

「っおい!マリモてめぇ、何する気、」

「黙れ。」

 

そう凄んだ剣士は、いきなりサンジを床へと押さえ込んだ。

じたばたと抵抗するサンジの、毛布がするりとはだけて、白い肌がのぞく。

その首筋に、幾箇所もの赤みが残っているのが目に留まり、そのままじっと、目が離せない。

 

「お、おい、離せっ・・、Jちゃん見てんだろうが!」

「だからヤるんじゃねぇか。」

「は、意味わかんね、」

「説明が面倒だっつったろ。・・・見せた方が早ぇ。」

「っはぁ?!!!何言っ、んんっ・・・!」

 

じたばたともがくサンジの抵抗を、強引な口付けでねじ伏せる。

重ねられた唇から、零れるように、甘い吐息が堕ちる。

それでも何とか身をよじるサンジは、確かにこちらを気にしているのだが、それが逆に、ゾロの欲情を煽っていることに気付いていない。

 

「だ、・・・っめだって、ゾロ・・ッん、・・っ」

 

剣士の太い指が、線の細い体の輪郭をなぞっている。

野獣のような息遣いからは想像できない、その丁寧な指運びに、Jの中心がぞくりと泡立つ。

 

「あぁ?・・・んなカオでよく言えたな。」

「・・・んだって?」

「てめぇ・・・、見られて、感じてんだろ。」

「は、違っ、」

「じゃあ、なんだ、これは?」

 

いきり立った熱情を、その掌に含む。

 

「ッあ、・・っ」

「ついさっきイきやがったくせに。・・・そんなにイイかよ。」

「ッ・・・ば、ばか、そんなんじゃ、」

「素直になれよ、サンジ・・・っ!」

 

身震いするような剣士の低音が、狭い部屋に共鳴する。

サンジは目を見開くと、一瞬、その体から力を抜いたようだった。

その隙をついて、剣士の欲情の塊が、いっきに奥まで突き上げられる。

 

「ッあぁ・・・!っはぁ、んんッ・・・ぁ、んン・・・っ!」

「・・・ッく、相変わらず、・・・きちぃな、・・・っ」

「んん、ゾ、っ・・・あぁッゾロ!・・・っやべぇ、も、・・・ッ!」

「ッ・・・イけよ、おら。てめぇのそのイイカオ、・・・見せてやれよ・・・っ!」

 

悔しげに瞳を潤ませたサンジが、苦しそうにJを振り返る。

のけぞった白い喉元に、どうしようもない色香が滲み出しているのを見止めると、Jは堪らずぺたりとその場に座り込んだ。

 

「っ・・・ごめ、ん・・・ごめん、Jちゃ・・・こんな、とこ、っ・・・んんッ、ぁ、やべイっ・・・だめ、Jちゃんが、・・・あっ、イっ、・・く!ッ・・・ごめ、・・なJ、っあぁっんン・・・っあァっっ!!」

「く・・・・・・ッ!!」

 

切なげに訴える瞳がJから逸らされた瞬間、ふたりは同時に、全てを放った。

 

 

 

 

狭い部屋に、荒い息遣いが響いている。

Jは熱くほてった頬を押さえて、目の前でだらりと覆いかぶさるふたりを、ぼんやりと見つめていた。

 

「っ・・・はぁ、・・・おい、J。俺たちは、・・・そういうことだ。わかったな。」

 

剣士の鈍くくぐもった声が、Jの理解を促している。

Jはこくりと、小さく首を縦に振る。

 

「よし。おまえは、賢ぇな。」

「・・・ゾロ、・・・てめぇ・・・っ!」

 

力なく横たわったまま、サンジが剣士を睨み付ける。

絞り出された声は怒りに濡れていたが、その瞳の中に微かに灯る愛情に、Jはチラリと一瞥をくれた。

 

「悪ぃな、J。今夜は、抱いてやれねぇ。」

「ばかやろう!!誰がマリモなんかに頼むか!!」

「あ?・・・コックが欲しいか?悪いが、先約はこっちだ。ひとりで頑張れ。」

「ばっ・・!!てめぇレディになんてこと!!!」

 

いつものやり取りを耳にしながら、ほこりを払って立ち上がる。

小さく漏らしたため息は、納得だったか、諦観だったか・・・。

 

 

 

この船を共にするのも、あと3日。

 

毎朝キッチンで繰り広げられる罵り合いを、さて明日から私は、どんな目で見るのだろう・・・。

 

 

夜の海は相変わらず静かに凪いで、月の光をキラキラとただ、反射させている。

海賊船は今日もたくさんの夢を乗せ、それぞれのゴールへと、優雅に舵を切っていく。

 

 

 

 

 

(完) 

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