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十六夜プレリュード

その不思議な夢を見るようになったのは、一体いつの頃からだっただろう。



整然と並ぶ軍服の列。一糸乱れぬ厳粛な行進。空にはためく真っ赤な旗はどこかの国を称えている。
「第二部隊、異常なし!」
「ご苦労」
ピシ、と額に掲げた掌がサンジに続いて直角に下ろされる。踵を軽やかに重ね合わせば晴れやかな秋空がピリリと震えた。
「第二部隊これより各任務に参ります! 大佐、ご指示を!」
「あぁ。……なぁもういいから、足ぐらい崩せよウソップ」
『……ばっか聞こえちまうだろうが!』
ひそひそと小声で答えながら長鼻は挙動不審に視線を泳がす。この野郎つい昨日の晩だって執務室で散々愚痴って帰ったのではなかったか。
『とにかく今は仕事してろ! 怒られちまうのは俺なんだからな!』
「へいへい」
面倒臭そうに溜め息を吐けば後ろの列がざわりと動揺する。何も、取って食うわけでもねぇのによ。サンジは思ってこれみよがしに煙草をふかし意味もなく視線を空へと向ける。ぼんやりと見上げた秋の空はうろこ雲を泳がせている。

この小国の主を仰せつかったのはほんの半年前のことだった。富んだ大国はその資源を巡り隣国との争いが絶えず、中央政権による政治だけでは軍事の統制が困難になっていた。
もともとこの小国の小さな村が出身のサンジは他の青年たちと同じよう18歳から徴兵として軍事に携わった。生まれ持ってのセンスがあったのだろう、足技で次々と敵を仕留める様は恐れをもって「黒足」と呼ばれ、めきめきと頭角を現したサンジはあれよあれよという間に胸の星を増やしていった。
小国が属しているのはとある大きな国の東側だった。四方を海に囲まれたこの国は外国との境界を海によって維持している。その国の中央、まさに地理のド真ん中に設置された司令区域は「中央司令部」と呼ばれ、大国の民の生活や安全、教育や軍事をその掌で一挙に担っていた。
「次の出向はいつだ?」
毎朝の演習が終わりを告げて昼休みのサイレンが鳴り響いていた。腹をすかせた軍人たちは一斉に食堂へと押し寄せる。
サンジは隣の席を空けて長鼻に座るよう目配せを送った。三つも階級が違っていれば本来は会うことすら難しい。なんの躊躇もなく座ったウソップはかつてのサンジの同期である。
「……あさって」
「おう、そうか。ひっさしぶりだなぁ。2ヶ月ぶりぐれぇじゃねぇか?」
あぁ、だか、おぉ、だか曖昧に返事を返してサンジは静かにフォークを取った。冷めた白米は硬く乾いて美味くもないのに喉を抜ける。
「ったく中央のヤツらと来たらちっともこっちに顔出して来ねェ。この国の平和は他でもねェ俺たちの努力が礎だろう?」
「まぁな。お役人さんたちは政治に忙しいんだよ」
「政治ねェ。それがどれほどの血の上に成り立ってるか、おエライさん方はちったァ分かってくれてんのかね。……あ。ところでアイツは元気してたかよ?」
思い出したように目を輝かせウソップが唐突にサンジを見つめた。嬉しそうに緩んだ頬に郷愁の色合いが滲んでいる。
たった2年と少し前。
もう随分と遠くに来た気がする。
「さぁな」
「さぁなって、お前」
咎めるように唸ったウソップをよそにサンジはチラりと時計を見遣る。時刻は午後12時25分。もうすぐ次の会議が始まる。
「悪ィなウソップ、午後の準備があるんだ」
「サンジもつれねェ野郎になっちまってよぉ。忙しいな“おエライさん”はよ」
意地悪な台詞を吐きながら、目尻を下げてウソップが笑う。なんだかんだと文句をつけながら結局は心配してくれているのだろう。
「あ、サンジ!」
硬い椅子から立ち上がり際ウソップが思いついたように声をかける。
窓の外は秋の匂い。傾いた太陽が燦々と落ちる。
「ゾロによろしく!」
サンジは片手をひらりと上げて雑多な食堂を後にする。



その夢のなかでサンジは、いつも海の上に居た。

キラキラと輝く大海原。大空を舞う白い鳥。てらてらと照りつける太陽は大きな帆を乾かしていた。打ち付ける波は船底を撫ぜて、遠くの岩場で魚が跳ねる。
サンジは気づくとそこにいて、朝の気配をしんと聴いた。
「おはようございます、サンジさん」
「おぉ、ブルック。相変わらず早ェな」
にこりといつもの挨拶を交わし入れ替わるようにキッチンに入る。朝の光が差し込むシンク。毎朝訪れる幸福のひととき。
どうやらこの船の料理を作っているのは、他でもないサンジのようだった。朝の食卓には次々と馴染みの顔が揃いはじめる。
ナイスバディの美女がふたりと、不思議なロボに死にかけの骸骨。たぬきとはしゃぐ見慣れた顔、あれはおそらく「ウソップ」だろう。
「おーい、寝腐れマリモくん」
甲板の芝生に寝転がる雑草にサンジはどかりと踵を落とした。このくらいでは起きないマリモは小さく唸って背中を丸める。
「いつまで寝てんだクソマリモ。餌付けの時間はとうに過ぎてんぞ」
「……ん、」
がしがしと腹を摩りながらマリモがゆっくりと体を起こす。ちょっと乱暴じゃねェかと思いはするが、黒足と恐れられた俺の足技を蚊に刺された程度で済ませるこいつもこいつだろう。
「……朝か」
「朝か、じゃねェよ毎朝毎朝。ったく、さっさと起きろよ。ルフィがみんな喰っちまう」
いっときを置いてむくりと起き上がる気配にサンジは柔らかに口端を緩める。
「にぎり飯が冷める前に来いよ、ゾロ」
そう言ってスタスタ甲板を横切る。向かう先はいつもの明るいキッチンだ。

夢のなかで船が島に着くことはなかった。
仲間たちはみな次の冒険を心待ちにしていて、だけど話はいつも途中で終わった。
海は穏やかな日もあれば荒れ狂う化け物に変わることもある。
必死で水を掻き出しながら見上げる空の黒い雲。襲いかかる大波を全速力でするりと通り抜けた。
「……なに、」
仲間たちの寝静まった夜。キッチンの洋燈が煌々と輝きサンジは明日の仕込みに追われていた。緑の枝豆を剥き出しながら背後の温もりに耳をそば立てる。艶やかに光る飴色の満月。波は揺れる子守唄だ。
「ん、……おいゾロ、俺ァ今忙しいの。見りゃわかんだろ」
「俺が手伝や半分の時間で済む」
どうだか、そう言って笑う口元に甘い口付けがとろりと落ちる。のしかかる体重にバランスを崩せばふたり分の体が床の上に折り重なった。
「ははッ、おいゾロやめ、くすぐって、ん……っ」
慈しむように降り注ぐキスがサンジの肌を紅に染める。ひとつひとつはずされるボタン。熱を持って交わる吐息。
「……夜食は?」
「先にてめェを喰ってからだ」
ふふ、と笑った口元に貪るようなキスが重なる。いつの間にか抜き去られたベルト。押し殺した蜜色の母音は、宵闇にとつとつと熱を零す。



「よう、来たぜ」
ノックもせずに部屋に入れば資料の山の向こう側にふさふさと茂った緑が見えた。おぉ今日も呑気にお昼寝かよと、柔らかな革張りの椅子を下から蹴り上げる。
「……おう。久しぶりだな」
「なァにが久しぶりだ連絡も寄越さねェで。帰ったなら一報ぐれぇ入れろよ」
金属音が部屋に響いてライターの灯りが頬を染めた。
中央軍部の将校クラスにはひとりひと部屋の執務室が与えられている。かつては同じ釜の飯を食ったこいつが村を出たのは二年と少し前。
重厚な真紅のカーペットにドンと陣取る重いソファ。壁にかけられた賞状の数々が歴戦の証を静かに刻んでいた。
「悪ィ。戦地対応に追われててよ」
「いっそがしィなぁ“おエライさん”は」
どこかで聞いた悪言をぶっきらぼうに投げつける。微かに滲んだ恨み節は会えない日々を埋めた泥だ。
サンジはふう、と煙を吐いてどかりと座り込むゾロを見下ろした。相変わらずの凶悪ヅラだ。笑えるほどの緑色が窓からの風にさわさわと揺れている。
「で。次はいつなんだよ」
「四日後だ」
はらりと落ちる煙の残骸が紅のカーペットに雪を降らせる。コチ、コチ、と耳につく銀の時計が針を進める。
「あ、そ。次はどのくらい……」
言いかけた台詞を途中でやめてサンジは静かに口をつぐんだ。その答えなど聞きたくなかった。聞いたところで返ってくる答えはいつもと同じだろう。
――戦争が、終わるまで。
「なァ、ところで少将」
「やめろ、その言い方」
はァと大きく溜め息をついてゾロがうんざりとサンジを見上げる。硬い机に尻をついてサンジは意地悪に口元を歪めた。
「いいじゃねぇか。昇進だろ? めでてぇことだ」
「頂点じゃなきゃ意味がねぇ。だいいち位があがるごとに、雑用みてぇな執務ばかり増えやがる」
「あのなァ。頂点に上がるためにゃあ、階段上ることだって必要だろうが」
やれやれとこれみよがしに首をすくめ細く長く煙を吐き出す。鬱陶しそうに眉を潜めたゾロがおもむろにサンジの右手首を掴む。
「……なんだよ」
「四日しかねぇ」
ガタリと椅子の脚が跳ねてゾロの顔が目前に迫る。強い瞳で射抜かれた体がほんの一瞬動きを止める。
「……野獣だな」
「わかって来てんだろうが」
ふっと崩れた口元に熱い唇が乱暴に重なる。息もできないほどの重いキスにサンジの腰がずくりと疼く。
ゾロ。なぁ。――……なんで、行っちまうんだ。
「……ハッ、準備万端じゃねぇか。溜まってんのかよクソマリモ」
首に回した両腕に知らず知らず力がこもる。するするとはずされる金のベルトがもどかしそうにカチャカチャと呻いた。
「てめぇもな、エロ眉毛」
「ッぅ、ん……」
ずるりと顔を出す濁った凶器が分厚い掌にその身を焦がす。ぬちぬちと水音を響かせる繰り返しはひとりでするのの何倍も心地がよかった。
「ぁ、ぁっん、く、ぅ、っ……あ、ぅ、イく……っ」
ほんの少し弄られただけでサンジはあっけなく吐精した。遠慮もなしに飛ばした白濁がゾロのジャケットを藍に染める。鮮やかな蒼の軍服は灰色の砂埃をまとっている。滲み出す、血の匂い。平和のためと謳いながら。
「そこ、手ぇつけ」
サンジは言われるがままに机を下りてゾロに向かって小尻を突き出した。膝まで下ろされた黒の下着が行き場所もなく留まっている。
「く、ん、んんっ、ぅぅ……」
「……お前、……ひとりでいじってたな」
ニヤリ、と笑ったゾロの声が耳元に小さく吐息を残す。唾液程度で馴らされた後孔がぐちゅぐちゅと濡れた音を立てる。二本の指で探られる悦楽にサンジの腰がびくりと反射を返した。
「おい逃げんじゃねぇ」
「逃げて、なんか……っん、ぁ」
がしりと太い腕が絡んで細い腰が固定される。ぬるり、と充てがわれたのは歴戦の猛者の猛る咆哮だった。
「や、ぁ、っんん……!」
想像を絶する快楽にサンジは黙って腰を揺らす。そうして繋がった場所から流れ落ちる、暖かな雫をすら愛おしく思う。


「なぁ」
横長のソファにのたりと体を沈めながらサンジはぼんやり天井を見つめていた。万年筆の滑る音がふたりの空間をさらさらと埋める。
「最近、変な夢を見るんだ」
ゾロはでかい執務机の向こう、話の先を促すように視線だけをこちらに向ける。雑務ばかりと言いながらまた強くなったとその目に思う。
「俺たちゃ海賊でよ、同じ船で航海してんだ。ウソップもいたな。あいつ相変わらず変な鼻してやがってよ、たぬきとわいわいはしゃいでるんだぜ」
なんだそりゃ、とでも言うようにゾロが小さく鼻を鳴らす。サンジはさも楽しそうに腹を抱えて笑みを零す。
「海が広くってよぉ。どこまでもどこまでも、蒼いんだ。ずっと昔からそうやって来たみてぇに、体が空気に馴染んでるんだ。そんで……」
サンジは静かに目を瞑り深呼吸のように空気を吸い込む。
「俺とお前は愛しあってんだよ。信じられるか? まるで綺麗なものを見るような目でお前が俺を抱くんだぜ。ハハ、笑えるよな。そんで、そんなとき俺はいつまでも、島に着かなきゃいいな、なんて思うんだ」
ギ、と椅子の軋む音が聞こえ、足音が静かにこちらへ近付く。目を瞑ったままのサンジの前髪がさらりと優しく掻き上げられる。ふいに落ちる優しいキス。真っ赤な心臓がチクリと痛む。
『中央に着いて来い』
あの時、まっすぐな瞳で告げられた台詞を3秒で斬り捨てたのは他でもない自分自身だ。
『俺はここで村を守る。お前は中央で腐りきった政治を正す。俺たちが一緒に居るのは、それからだって遅くねぇ』
若い野望を前にしてふたりの曖昧な関係など花びらのようなものだった。たったそれだけ交わした言葉でふたりの道はぷつりと分かれた。
あの時。
着いて行くと駆け出したい気持ちは、心臓の裏側の暗闇に永遠にひた隠したはずだったのに――
「次が、たぶん最後の戦いになる」
上から舞い落ちる柔らかな低音が薄い鼓膜を震わせた。金糸を撫でる暖かな掌はサンジの眠気を心地よく誘う。
「今、西の大国とやり合ってる。最前線だ。向こうはすでにジリ貧らしいから、最後に一発デカイのかまして降伏に持っていく算段らしい。どのみち最後は政治力で決まる。西側を取り込むことができたら、今やってる大方の戦争は停戦になるだろう」
ゆっくりと慈しむように金糸を撫でながらゾロが淡々と言葉を零す。感情の見えないいつもの声色にはしかしほんの少しの寂しさが滲んでいる気がした。
いったい次は、どのくらい行ったっきりになるのだろう。
「待ってろよ。必ず、お前を迎えに来る」
「バカ。死ぬぞお前」
ははっ、と乾いた笑いを残してサンジはすう、と夢に落ちる。優しい気配はいつまでもサンジの全身を包み込んでいる。



「なあ」
夕食の宴を抜け出して甲板で寝こけるマリモに歩み寄った。ほかほかと湯気の立つ皿を置いて、隣によいしょと腰を下ろす。隣に転がる一升瓶はすでに中が空っぽだった。しょうがねぇなと夜空を見上げれば、瞳に飛び込む満天の星。
「もし俺たちが、離れ離れになっちまったら、どうする」
口に咥えた細い煙草にカチリと赤い光を灯す。すう、と一筋上がった紫煙は風に揺れてふわりと溶ける。
「……さぁな。なってみなけりゃ、わからねェだろ」
眠っていたはずのゾロが背を向けたまま分かりきったように台詞を吐く。そりゃそうだよなとサンジは笑って自嘲気味に煙を吸い込んだ。ふう、と吐き出す紫の毒。どうしてそんなことを訊いたのか、自分でもよくわからない。
こんな。
――まるで、遠く別れる恋人たちのような。
「けど」
お、とサンジは耳を傾けゾロの背中をチラリと見遣った。規則正しく上下する肩はゾロが生きている何よりの証だ。
「そうなっても、俺は生きて戻ってくる。てめぇもどうにか生き残れ」
「……ハッ万年迷子が。よく言うぜ」
ごろんと芝生に横になってサンジは夜空を思い切り仰ぐ。
あの星が北極星だと何度教えてもゾロは覚えなかった。さすが迷子野郎だなとサンジはけらけら笑ったはずだ。美しく降り注ぐ1億光年の星。永い旅路の果ての光。
「必ず、迎えに行く」
ぽつり、と夜に零す声が風に流れて海に溶ける。
大海原のど真ん中、ふたりきりの内緒話。
「……待ってるよ」
微かな焦燥が胸に滲んでサンジは小さく首を傾げる。まぁ、いいか。そう言ってゆっくり立ち上がるとキッチンの喧騒に足を向ける。
明日からまたいつも通り、新たな島への旅が始まる。心躍る冒険がきっとまたひとつページをめくる。



一糸乱れぬ敬礼が秋晴れの空に木霊した。
右手を大きく掲げた将校たちは等間隔に美しく並んでいる。
大きな船の甲板の端。総司令官からふたつ隣にいつもの見慣れた仏頂面。
「これより、西国への遠征を行う!」
ボー! と蒸気の船が鳴いて船はゆっくり離岸する。遠い空に浮かぶうろこ雲が風に流れて形を変える。ひとときたりとも立ち止まらない。変わり続けることこそが生きる術だとでもいうように。
『いってくる』
遠く小さくなる人影が薄い唇を微かに歪める。誰にともなく告げられた挨拶にサンジは柔らかに頬を緩める。
「……いって来い」
――そして、帰って来い。ゾロ。
締め付ける胸の鋭い痛みを目深にかぶった帽子に隠す。秋晴れの空から雨が落ちてサンジの頬を一筋濡らす。
「全員、敬礼!」
「ハッ!」
ザッ、という足音が響き遠い海をにわかに染める。ボー! と唸る遠い船。輝く未来をその背に乗せて。
「クソ野郎が……! さっさと片付けて帰って来やがれ」
誰にともなく吐き出した悪態が秋の空に流れて消える。そよそよとそよぐ金の風は秋雨の名残をそっと隠した。
「行くぜ、サンジ」
「おう」
高い空に鳥が舞い祝福の羽を大きく広げる。
見上げる蒼の美しさにサンジはほう、と溜め息を零す。
柔らかに緩めた口元に細い煙草をゆっくり咥える。
そうして大きく煙を吸い込むと、もう二度と振り返らない。



END.

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