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柱の傷 (コラボレーション作品)

※ こちらの作品は、へーたさんの描かれた漫画( ★ クリックでpixivに飛びます )とのコラボレーション作品となっています。

   もちろんこれだけでも何の問題もなく読めますが、よろしければ素敵漫画の方もぜひ一度ご覧くださいませ。

 

 

 

「――招待状?」

真っ白な封筒に、小さな薔薇のシールがひとつ。味気のない正方形の封筒。整然と並ぶ懐かしい筆跡は果たして見覚えのあるそれだった。

『海上レストランバラティエ元副料理長 サンジ』

「……なに考えてんだ、あいつ」

窓の外に視線を投げれば初夏の風が木の葉を揺らしていた。その光景に引き出されるように、風に流れる美しい金糸を思い出す。白い煙は海に舞い、遠い蒼に吸い込まれた。指を入れて軽く梳けばとろりと目を細めて見上げた、細い顎。

ゾロは小さくため息をついて四角い封筒を胸にしまった。

中身は見なくたってわかっている。

――俺たちはレストランに招待されたらしい。

 

 

 

ルフィが海賊王になって3年の月日が経った。

広大な海には平穏がもたらされ、それは紛うことなき自由の象徴となった。

果てのない冒険の先に俺たちはいったい何を見たのだろう。仲間たちは語り、笑い、少し泣いて、ひとりまたひとりと船を降りた。

元はといえば船長の一存で船に乗り合わせただけの関係だった。己の野望を追いながら最後には道が分かれるのは必然だった。

大きく手を振り、分かつ未来。

次に会う約束なんて、交わさない。

だから「招待状」が届いたとき微かに心臓が疼いたのは致し方のないことだった。感傷的になることが得意な色ぼけコックのことである。そろそろ「レディに会いたい」などと言い出し兼ねないと、その見慣れた達筆を見た瞬間に直感した。

あいつとの最後の夜のことなど、これぽっちも覚えていない。

ただはっきりと思い出すのは共に戦った瞬間の鼓動の高鳴りと、夜に溶ける甘い啼き声だけ。

 

 

 

「――そこのクソお客様ァ。こちら、もう閉店ですが」

ふう、と長い息を吐いて金髪がちらりと視線を寄せる。広い店内はしんと静まり長いいちにちの終わりが訪れていた。

ゾロはといえばすべての客席を見渡せる特等席、日中には酒の通り道となるつり橋の真ん中にどん、と居座りどぶろくを流し込んでいた。

てんてこまい、と呼ぶに相応しい忙しさでコックは日がな一日動き回った。女と見れば腰をくねらせブラックホールのような船長に肉を運ぶ。空のコップに水を注いでいたかと思えばウソップの長い鼻先をぐにゃりと折った。

その細い体のどこにそんなエネルギーが眠っているのかと、かつてと同じ疑問に思い至ってゾロは小さく肩をすくめる。

細い、わけではない。

触れると震える厚い胸板も驚くほどに硬い二の腕も。黒いスーツに包まれた身体は案外と「男」のそれで、そんなことに気づくのに出会ってから多くの時間はかからなかった。

「ホレ、酒漬けマリモ」

ほい、と差し出された見慣れぬ洋酒にゾロは僅かに片眉を上げる。コックの左手に握られたグラスはふたつ。珍しく、酒を煽るつもりらしい。

「なんだ、テメェも飲むのか」

「んだよ、減るとか言うなよ?」

ぐるぐると巻いた奇妙な眉を不機嫌そうに下げてコックは宣う。文句を言いながらもこうして酒を持ってくるあたりこいつの天邪鬼は健在らしい。いや、言わねぇけどよと零す唇に柔らかな感触がふわりと重なった。

「ん、……」

鼻から抜ける甘い吐息がゾロの鼓膜をじわりと焼く。隠微な水音が反射する。戯れに交わした軽いキスは次第に深く腹底を抉った。

「ぁ……ん、……ゾロ、もう、は……っも、…………もういいっつの!!!」

ゴツン! と鈍い音が響いて脳天に重い痛みが走る。どうやら酒瓶の底で殴られたらしい。ゾロは不服な思いでこぶを摩りじろりとサンジを睨みつけた。先に手を出したのはコックの方だったはずだ。暴力を振られる筋合いなどほんのチリほども見当たらない。

「いってェじゃねぇかクソコック!!! 何しやがる!!」

「てめェがしつっこく止めねェからだろうが!!」

「あァ?! 仕掛けてきたのはテメェの方だろうが!!」

「うるせぇクソマリモ!!! 元はと言えば!!! テメェがねちっこい視線寄越しや、が……」

そこまで言いかけて口を噤んだコックににやりと意地悪な視線を向ける。ぐい、と引き寄せた細い腰はわずかにぴくりと反応を返した。

静かな店内にふたりの息遣いが重なって溶ける。

「元副料理長が聞いて呆れるな。たかだか客の視線なんかで、仕事にならなかったって?」

「……な訳ねェだろナメんなクソ、オロすぞてめ、」

「思い出してた」

サンジの言葉を遮ってゾロは静かに言葉を紡いだ。とぷとぷと注ぐ飴色の液体が焦れるようにとろり、身じろぐ。

「“2年前”のこととか、その後のこととか――」

僅かに怯えたように腰をひくサンジをゾロはぐいと引き寄せる。肩に乗せた黒いバンダナは音も立てずに地面に落ちる。本気の、証。

「テメェを初めて抱いたときのこととか、な」

 

 

 

いけすかねェヤツだ、とそれがサンジに対する最初の見解だった。

格好ばかり気取りやがって結局は海にも出られない貧弱な精神。

だからサンジが戦えると知ってゾロが興味を持ったのは自然なことだった。

感情を一気に爆発させ蹴り技を繰り出すサンジの戦い方は、押し留めた熱を一瞬の刃先にかけるゾロのやり方とは正反対と言っても過言ではなかった。

人に感情を見せるなど、恥の極み。そう信じ生きてきたゾロにとってその戦い方は衝撃だった。

それからゾロは、朝ごはんのときも、午後の時間も、ちょろちょろと船内を動き回る金髪に気づけば視線を引かれていた。

見れば見るほど表情の変わる男だった。サンジは何の躊躇もなく怒り、喜び、腰をくねらせ、そして本当に楽しそうに笑った。

「てめぇ、いっつも俺のこと見てるよな」

誰もいない夜のキッチン。ふいに投げかけられた何気ない台詞にゾロの心臓はドキリと跳ねた。

いつもは何かといちゃもんをつけてくる頭の悪いぐる眉コックが、ふたりきりのときはなぜだか少し優しくなるのは悪くないと思っていた。そういう、ほんの少しの気の緩みがあったのは確かだろう。若い頃の話だ。長い航海が続いていて「溜まっていた」のもあるかもしれない。

「ん?」

と覗き込んだ白い顔の、後頭部を掴んで引き寄せる。ほんの一瞬見えたのは戸惑いに濡れた瞳だった。

「……悪く思うなよ」

結局は、逃げようと思えば逃げられたそれを許してしまったのはサンジも同罪だった。

夜に濡れた狭いキッチン。怯えからか怒りからか硬く強張った狭い暗闇。貪るように深く抉れば甘い呻きが喉を伝った。

だからゾロは忘れていた。サンジが小さく震えていたことも、どうして自分がこれほどまでに動揺したのかも。

そうしてわからないままうやむやになって、体だけの乾いた関係はそのまま離散のときまで続いたのだった。

 

 

 

「はっ、ん……んん、っ」

押し付けるようにキスをして逃げ回る舌に強く吸い付く。とろけそうな甘い熱が甘く苦く喉に流れる。

「や、っぁ」

言いたいことは山ほどあった。聞きたいことはその倍も。

――どうしてあの時一緒に行こうと、差し出した手を振りほどいたのか。

「ゾロ、っなぁ、苦し、」

「てめぇは」

想像よりも低い声が喉の奥から絞り出された。焦燥の滲む湿った声色に自嘲気味に笑みを零す。

「俺が、いなくて、満足だったか」

するりと掌を忍び込ませ薄紅の突起をにじりと潰す。途端びくんと跳ねた腰をゾロの腕がきつく抱き締める。

「っは、ぁぁっ、ん、ちがっ、そういうんじゃ、」

「俺は、ずっと、本気だった。なァコック……俺ひとりの、勘違いだったのか」

熱い先端は硬く兆し、先の悦楽を期待し疼く。ゾロは器用にシャツのボタンを開き滑らかな肌に掌を沿わせた。

相変わらず、白い。

傷が痕になりやすいんだと笑った横顔を思い出す。夢中でかじりついた首筋に点々と散った赤い薔薇。

「ぅあァっ!」

じゅう、と音を立てて吸い付けば白い喉が天を向いた。ひくひくと動く腰に合わせ追い立てるように甘噛みを繰り返す。気づけばサンジの手はゾロの頭部にまわされてそれは零れ落ちる母音とともに時折ぎゅう、と強ばった。

薄紅を弄んだ熱い舌をそのまま腹に伝わせる。へその周りを丹念に舐めながらカチャカチャと片手でベルトをはずす。

「おいゾロそれはまじィって」

「誰も来やしねぇよ」

現に店員たちは店を引き、仲間たちは宿へ向かっていた。3年ぶりの再会にわざわざ水を差す奴もいないだろう。海に浮かぶレストラン。今この場所には、ふたりっきり。

反り上がった鎌首につつ、と優しく舌を這わす。それだけで崩れそうになる腰をゾロは片腕でがしりと支えた。

「落ちるのァまだ早ぇ」

「っせェ、てめぇが、んあァっ!! ぁぁっ、ぅんン……ッ」

美しく膨らんだ先端からはとぷりとぷりと先走りが溢れていた。僅かに苦いその熱をゾロがとろりと舌で舐めとる。

「ん、っんんっは、ぁ、う、うっぁぁ」

ぴちゃぴちゃと犬ころのように舌で遊べば淫靡な水音がホールに響いた。サンジの甘い啼き声が夜の闇に吸い込まれていく。

「はっ、……すげぇ」

「いいから、っ、さっさと……!」

「焦れんなエロコック。てめぇ3年間なにしてやがった」

熱く兆した欲情の塊にゾロは黙って舌を沿わせる。期待に膨らむ塊はもっと刺激が欲しいとでも啼くように生温い白濁をとろとろと零した。

「俺、は……ここで、コックを……」

「阿呆。んなことくれェわかってる。俺が聞きてぇのは、3年間も俺を――」

次に続くはずの言葉がなぜだか喉奥に引っかかる。一瞬の静寂がふたりを包む。苦し紛れに含む熱に、サンジの甘い啼き声が響く。

 

 

 

「その、目」

華やかな宴が幕を下ろし、ひとり蒼い空を見上げているときだった。ゾロは黙って片目を瞑り近づく気配に耳を寄せる。

気持ちのよい戦いだった。久しぶりの再会にも仲間たちの息はぴったりだった。まるで腕試しでもするかのような戦いに全員が喜びに輝いていた。

城の壁は冷やりと冷たく火照った体をゆっくりと癒している。海の底に沈む島は夜でもキラキラと光を下ろした。

「正面から、か」

隣に腰を下ろしながらサンジはふう、と煙を吐いた。ザリ、と土を踏む靴裏の音。煙の先はふわりと途切れ蒼い空気に溶けていった。

「大したことねぇ。それに傷はとうに塞がってる」

「ちげぇよ」

そうじゃなくて、と苦笑いを零す。2年前のこいつは違ったはずだった。真っ赤な心臓は触れれば熱く、ヒリヒリと尖って痛かった。

ゾロは静かに空を見上げ羽ばたく魚をぼんやり眺める。心地よい時が緩慢に流れる。2年の月日は俺たちの何を変えたのだろう。

「また、プライド守ったんだなと、思ってよ」

「……覚えてんのか」

ゾロは僅かに驚きを返す。

あれは確か出会って間もない頃だった。世界最強に身一つで挑み儚くも散った若い野望。強くなろうと信じた道は短刀ひとつにへし折られた。

サンジはすう、と煙を吸い込み味わうようにゆっくり吐き出した。フィルターぎりぎりまで吸いきった煙草を乾いた地面に押し付ける。

「あァ。生憎忘れたくっても、忘れられねぇんだよなァ。こっちは迷惑してんだ」

「なっ、」

「なんたって、俺がてめぇに、惚れたシーンだからなァ」

ひと時の静寂がふたりを包む。次の煙草を探そうとポケットに伸ばしたサンジの腕をゾロは思わず強く掴む。そのまま引き寄せ唇を重ねれば、暖かな温度が流れ込んだ。

そうだ。自分も、知っていたはずだ。

「――会いたかった、ゾロ」

泣きそうな小声で絞り出された声にゾロは頷くことしかできなかった。

どこかでかけ違ったボタンの穴がようやくピタリと「ここ」にはまる。

ついばむような小さなキスがいくつもいくつも折り重なった。

こんなにも儚く大切なことに、失って初めて気づくなどと。

 

 

 

「悪ィ、酒しかねェ」

「ばっかやろ、んなもん使えね、っひぁ!」

後孔にとろりと液体を流し伝った雫を舌先で受け止める。立ったままふるふると震える足腰にぴたりと後ろから密着する。

「柱でも、掴んでろ」

そう言って自身の中心を後孔に充てがう。十分に解したはずのそこはしかしきゅうきゅうと詰まってまるでゾロを拒絶しているかのようだ。

「ア、ホじゃねェかてめぇ、でっけぇ、よ……っ、んんぁっ」

「っ……煽んな」

ゆっくりやってやっからと、口にした先から自信がなくなる。

ずっと大切にしてきたつもりだった。ずっと大切にされていると思っていた。

――俺はこいつを、壊さずにいられるだろうか。

ずぷずぷと潜り込んだ物騒な凶器が湿った暗闇にぴたりと吸い付く。こんなに窮屈だっただろうかとかつて飽きるほど抱いた記憶を辿る。

思い出せなかった。

こんなにも、近くにいたはずなのに。

「動くぞ」

「ぃ、やめ、クソっぁ、ん、んっぁ、ぁっはぁ、あっあァ……ッ」

その場所を深く突き刺すたびぬちぬちと淫猥な音色がこだまする。いったん動き始めてしまえばあとは律動運動に身を任せるだけだ。

硬く閉ざした暗闇が少しずつ柔らかにゾロを受け止める。

「ぁ、あ、ァ、っんん、はっ」

「……俺は、っ待ってた。3年間、てめぇの、ッことを」

「はっ、ぁぁんッあ、っやべ、ゾロ、だめだ、いぃ、イく、っイきそ、」

「っ馬鹿みてェだろ、こんなに……っ、こんなにも俺ァてめぇのこと……」

「や、めっぁ、柱、汚れっ……ぁ、ぁ、っあぁァっ!! ん、んんっは、ぁ…………ッ!」

ぐん、と全身を大きく反らしサンジは白濁を美しく散らす。

抱きかかえるように身を寄せていた柱には欲情の痕がとろりと流れた。

 

「はぁ、……はぁ、はぁ、……クソっ……汚れちまったじゃ、ねぇかエロマリモ……」

「構やしねぇよ」

「構うの! 俺が! チッ、これだから野生の獣は、…………なに、」

「まだ俺はイってねぇ」

「はぁぁっ?! なに言っ、あ、っおいやめっ……!」

ぎし、と軋んだ吊り橋の上、後ずさりの足を取られたサンジはそのまま豪快に崩れ落ちた。繋がった木板がぎぃぎぃと乾いた音を立てている。

「あんまり動くなよ。……落ちるぞ」

「ばか、やめろこんなとこで、揺れ……んんっ」

煩い口を唇で塞ぎ味わうように舌を絡める。流れる汗が額を伝って甘い口づけはほんのりと、辛い。

「っはぁ、……はぁ、……息できねぇよ、……どうした、ゾロ」

そんなに焦って、と見上げる瞳に自分自身がゆらりと映る。蒼に混ざった己の顔は酷く乱暴で傷ついた顔をしていた。

「余裕、ねぇのな。大剣豪」

「俺は、……俺はいつだって、余裕なんかなかった」

サンジの指先が励ますように柔らかな緑を優しく梳く。こうして甘やかされてきたのだろう。気づかないうちに甘えていたのは、他でもない俺の方だ。

「てめェを抱くたび怖くなって、いっそここから逃げ出したかった。てめェを欲しいと思う感情が、際限もなく膨らんでいった。扱えなかったんだ、こんな、こんな気持ちなんか、知らねェ」

喉の奥から絞り出すようにゾロは低く言葉を落とす。

サンジは一瞬戸惑うように瞳を揺らし、そしてふっ……と柔らかに笑った。

「あのなぁ、ゾロ……俺が、寂しくねぇとでも思ったか?」

「……は」

「あの時。てめぇの手を掴んでりゃよかったかと、いったい何遍後悔させりゃ気がすむんだ」

白く華奢な指先は頬を伝い、ぐいと顔を近寄せてキスをする。深く、長く、濃厚に重なる唇に自然ゾロの中心は熱を集めた。

 

 

あの日。

ひとり、またひとりと船を降りた仲間たちを見送って、最後まで残っていたのは船長とコック、それに航海士とゾロの4人だった。

波の穏やかな孤島だった。島人さえもいない野生のジャングルで3日、共に過ごした。

新たな冒険に出ると強い決意で拳を掲げたルフィに、仕方ないわね着いていってやるわと、ナミはどこか嬉しそうに溜め息をついた。

「ん、」

「……なに」

まっすぐに差し出したごつい掌をサンジは黙って見つめ返した。

ずっと考えていたことだった。

これまでのこと、これからのこと。

ゾロはこいつが「必要」だと、サンジのことを結論づけていた。

それなのに。

「……行かねぇ」

「なんで、」

食い下がろうと発した台詞が喉の途中で音を立てる。ふわふわと煙を揺らす横顔は金に隠れてよく、見えない。

「悪ィ」

……そうか、とそれだけを小さく零しふたりはそれきり離れ離れになった。

 

 

「なァ剣豪。俺はここに帰って来にゃならんかったんだ。なんせクソじじぃの野郎が一緒の夢を見てやがった。そのおかげで俺は海に出て、そしてあいつらや……てめぇと、会えた」

ゾロ頬を引き寄せたままサンジは淡々と言葉を続ける。耳元にあたる熱い吐息が薄い鼓膜をぶるりと震わす。

「その後じじぃは厨房を引退し、俺はそのままここに残った。まじぃ飯を作る心配なヤツばっかなのよ。……だけど、元副料理長の肩書きを頑として変えなかったのは、じじぃの心ばかりの気遣いだった」

また、いつでも海に出られるように。

海に焦がれ海に愛されたサンジはいつだって、そこへ漕ぎ出したいと思っていたはずだった。誰よりも海の怖さを知り、そして懐に抱かれた男。

――どうして、忘れてしまっていたのだろう。

「俺が手にしたレシピ全てをヤツらに託し、合格点出すまでに3年もかかっちまった」

ふっ、と腕の力を抜いてサンジはだらりと寝そべった。吊り橋はぎぃと声を上げてサンジの体を緩やかに揺する。まるで優しいゆりかごのよう。

「……待たせちまって、悪かった。今夜は俺の、バラティエ最後の晩餐だ」

言うなりぎゅう、と背中にしがみつかれゾロの体は共に倒れた。ぎしぎしと音を立てる吊り橋。こいつは毎日どんな思いでここから店内を眺めていたのか。

「……いいのか」

「いいもなにも。てめェのために3年もかけて準備したんだぜ、俺ァ」

ゾロは最後まで聞き終わらないままサンジを強く抱き締める。白く滑らかな薄肌がゾロの体にぴたりと重なる。何度も何度も抱いた胸。無理をさせるのは、今も昔も俺の方ばかりだ。

「悪かった。俺ァてっきり、てめぇがどっか行っちまうんじゃねぇかと」

「アホか。どんだけ俺がてめェに惚れてると思ってやがる」

金の糸をさらりと撫ぜてゾロは真上からサンジを見下ろす。巻いた眉毛のもう片方が散らばった前髪の隙間から見える。ほんのり上気した愛らしい頬。美しい瞳。ゾロは堪らず額に口づけを落とす。もう、迷わない。

「好きだ。一緒に来てくれ、コック」

「遅ェよ、ばーか」

そして深く重なるキスが夜の闇に溶けては消える。ぎしぎしと揺れる吊り橋の上、細切れに響く甘やかな吐息。ふたりの熱は混ざり合い弾け散る白濁とともに、溶ける。

あと1回、もう1回と重ねた体を夜の帳が包んでいく。ぐったりと横になったコックの頬に小さく一度キスを落とす。すやすやと寝息を立て始める横顔。世界でたったひとり、俺の愛する人。

「――好きだ、サンジ」

もう一度、今度は誰にも聞かれないよう小さく小さく声を零す。そして肌を重ねたままゾロは深い眠りに堕ちていった。

 

 

離れ離れの3年はふたりに何を残しただろう。

酷い傷は痕に残りそれでも先へ進んでいくしかないのだ。ずっとこれまで繰り返されて、そしてこれからも続くだけの毎日。

隣には、こいつの寝顔がある。

それを幸せと呼ぶのかどうかは、ふたりしか、知らないことだ。

遠くさざめく波の音にキラキラと朝陽が光を投げる。賑やかな風が船を包む。甲高い鳥の声が朝もやの海に響き渡る。雲ひとつない、快晴。

「……聞こえてんだよ、アホマリモ」

もうすぐ、出港のとき。

 

 

 

 

(完)

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