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1921

 

「あ~らよ、っと……っててて、ったく、いつもいつも乱暴な飛ばし方しやがって……。えぇと、ここは……」

サンジがぐるりと辺りを見回すと閑散とした街の様子が目に入った。静まり返った大通り。どうやら物騒な街らしい。

「あいつらは、……この辺か?」

通りをひとつ入ったところ、細い路地を抜けた先でひょっこりと顔を出したサンジの目に見慣れたふたりの姿が飛び込んできた。

『このお姿は! ナミさん! あぁ、いつ見ても、見目麗しいあのボディ…!』

サンジは瞳に熱を込めるとくねくねと柔軟に腰を折った。そのうち背後からそろりと近づいた剣呑な気配を片足で軽く蹴っ飛ばす。

「親分! 助けに来てくれたのね!」

どうやら目くらまし作戦らしい。相変わらず賢い人だとサンジはすかさず鼻下を伸ばす。

 

街の輩に聞いたところ、どうやらここは「オレンジの町」とか言うらしい。

見たことのない風景だった。閑散とした住宅街はあの魚人が牛耳る島にも似て、サンジは微かに眉間を寄せる。風に流れる煙の行方を追って視線は空へと舞い上がった。

――俺と出会う前、か。

サンジはきょろきょろと辺りを見回し、出会いの場所へと足を向ける。

 

助っ人、としてあらゆる時代のあらゆる海賊団に飛ばされるこの仕事に就いてから、幾度目かの仕事だった。

パラレルワールドがいくつも存在するこの時代。その時代の狭間を行き来できるようになって数年の時が経っていた。

今のところ「未来から過去へ」の一方通行だが、そのうちトンネルは拡張されていくのだろう。

無意味な流血を防ぐため政府の提案した苦肉の策だと聞いている。

今回の仕事の依頼を受けたとき、サンジは「ついに来たか」と、端的にそう思った。

麦わらの一味。

自分の所属しているそれとは次元を異にして、しかしやはりそれはある意味でとても「本物」だった。

そう。

これはつまりは所謂「2年前」。これから自分も乗るはずになっている、とある船でのお話だ。

 

「誰だ、てめぇ」

こそこそと路地裏から様子を伺いおれば背後からぐさりと声が刺さった。

向こうからは見つからぬようわざわざ集合場所から離れた物陰に隠れたサンジの後ろ、そんなところに「出て来てしまう」のなんざたった一人しか思い浮かばない。

「……出たな! マリモマン!」

「あァ?! んだと?!」

覚えがあるよりは強めの喧嘩腰でゾロは眉間に皺を寄せた。

カチャ、と金属の音がして、見れば刀に手をかけている。

『おぅおぅ物騒だな』

そういえばこんな雰囲気だったかもしれない、とサンジは霞んだ記憶を手繰り寄せる。

ダサい白シャツに緑の腹巻、鋭い眼光はぎらりと光り、見るもの全てを射竦めるかのようだった。こちらをじ、っと伺う瞳は次の一手を考えあぐねている。

『覇気、……はまだ、使えねぇよな』

サンジがじわりと見聞すればゾロは一瞬眉をしかめた。

この頃から、すでに覚醒の兆しはあったのだろう。

ぱっちりと開いた左目にほんの微かに胸が痛む。

「……なにしてる、そんなところで。うちの船長になんか用か」

覗き見はバレていたらしい。ナミさんの揺れるふた山をもう少し拝んでいたかったと、破顔した顔を一気にしかめればゾロの顔が微妙に曇る。

「チッ、まぁいいや。どうせ今から会う予定だった」

「なんの話だ、ちゃんと説明しやがれぐる眉野郎」

お、と僅かに目を見開いてサンジはまじまじとゾロを見た。

まだ会ってもいないはずなのに、口をついて出てくる悪態はやはりゾロのものである。

ささやかなことに嬉しくなってサンジはにやりと口元を緩めた。

「……なぁ、てめぇのこと、当ててやろうか」

「は? 俺のこと? 意味がわからねぇな」

「ロロノア・ゾロ、19歳。海賊狩りで名を馳せて、なぜか海賊に落ちた男」

紫の煙を吐きながらサンジはふわりと言葉を紡ぐ。

「……知ってんのか。やっかいな野郎だな。俺はあいつに付いて行くと決めたんだ。……てめぇが敵なら今ここで遠慮なくぶった斬る」

「あぁ待て待て、んなこたぁ誰でも知ってるこったな。なんたって未来の大剣豪だもんなぁ」

「なにが言いてぇ、」

「船の仲間はルフィ、ナミ、ウソップ、…はまだ見あたらねぇな。長鼻の野郎はこれからか」

「……なんで、知ってる」

「好きな食べ物は握り飯、嫌いなものはチョコレート。ただし! 俺の作った菓子だけは、うまそうな面して喰ってやがるがな」

「…………」

もはや言葉を失ってゾロは唖然とサンジを見ている。

わけがわからないといった顔には僅かな気味悪さが滲み出ている。

こんなに表情豊かだったか、と思う。余裕のない殺気立った気配にサンジはちくりと胸が痛んだ。

どうやら敵でもなさそうだ、と阿保でもそれは感じ取ったらしい。相変わらずというかなんというか獣じみた観察力だった。

 

 

てめぇらを助ける戦闘員だと、自己紹介は簡潔だった。

ナミは些か不審そうな視線を寄せたけれど、船長は笑って、

「ふーん、そっか! よろしくな!」

とサンジの肩を叩いた。

このあとナミが裏切ることを、知っていてもやっぱりこいつは助けるのだろう。

ゴムのように柔軟な強い心は今も変わらない。

「ちぇ、てめぇばっかずりぃよなぁ。ナミさんとこんな蜜月の時間を過ごしていただなんて!」

「あぁ? ありゃとんだ魔女だぜ。なに考えてるか、ちっともわからねぇ」

油断ならねぇ野郎だ。

ハンカチをぎりりと噛みしめるサンジをよそに、ゾロはぶっきらぼうに言葉を零した。

サンジがゾロを意識し始めてから喧嘩の回数は飛躍的に増えた。苛立つばかりだった感情が抱きしめられた腕に涙として伝った。

ふと過ぎった思い出にサンジは僅かに頬を緩める。若かった、と思う。ちっぽけな殻を守ることに必死になっていた、あの頃。

「――てめぇは、戦えるのか」

ゾロの吐いた聞き捨てならぬ台詞にサンジは意識をこちらに戻した。ゾロは憮然とした態度も崩さずにサンジをじろりと睨んでいた。

こんな感じだったか、と思う。まるで剥き出しの刃物そのもののような。

「……まぁ、な。それなりには」

「手助けとかほざいて、てめぇで倒れるような真似すんじゃねぇぞ」

ふんっと勝ち誇ったように笑うゾロの左の瞳をそろりと見遣る。

ぬらりと光る、美しい眼球。

この眼がこれから、覚悟に切り裂かれる胸の傷を、命をかけた壮絶な選択を、薄紅に上気したサンジの横顔をも、じっと静かに見守っていくのだ。

――すべてが、これから先に、待ち受けている。

「ま、せいぜい頑張れや、助っ人野郎」

ぽんっと軽く肩をはたいてゾロは小さく鼻歌を零す。

世界を知らない、後ろ姿。若葉のごとく緑が映える。

 

 

「……っ、てめぇ、やるじゃ、ねぇか……」

ぺっ、と吐き出す真っ赤な塊が道端にべたりと色を残した。

剣士の禊を真正面から守ったゾロは流れる鮮血に腹を抑えた。

強がり、だけではないことをサンジはもう、知っている。

圧倒的な敗北の前にそれでも信念を貫き通したこいつの強き心に、悔しいけれどあの時確かにサンジは強烈に惹かれたのだ。

「……てめぇもな、ロロノア・ゾロ」

涼しい顔でスーツを整え鈍く曇った空を見上げる。

この先の道は、茨だらけの地獄道。

だけど、きっと、お前なら。

「また、どっかで会うかもな、クソマリモ」

「……なんだよその、クソ」

「ん?」

愛の言葉だよ。

そう言ってにやりと口端を歪めればゾロはぽかんと口を開けた。

呆気に取られるゾロの頭をわしわしと思い切り撫でてやる。

ぎゃんぎゃんと文句を叫ぶゾロを尻目にサンジはゆっくり足を進めた。

元気でな、そう言って手を振ったサンジの背中にゾロは「おう!」と拳を掲げる。

さあ、帰ろう。自分たちの時代に。

サンジはぷかりと煙を吐いて、音も立てずに目を瞑った。

腹をすかせたクソマリモ、今日も俺を待っているはずだ。

 

立ち上る紫煙、流れゆく雲。

――帰ったらなんの話をしようか、ゾロ。

 

 

 

 

 

(完)

 

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